定年は50歳で

昨日、妙高高原に住む両親からクール宅急便が届いた。野菜、家の庭に咲いている様々な花などがいっぱい詰まっている。毎年夏の間、家庭菜園の作物を送ってくれるのである。荷物を開けて、一番に花を活ける。珍しく今日は夫が「今日の花は簡単そうだから、活けてごらん」と言う。思わずSと顔を見合わせてしまった。いつもは、必ず自分で活けなくては気が済まない夫である。私が活けたものは彼には気に入らず、必ず直されてしまうので、ここ何年か私は最初から手を出さないことにしていた。私は、必ず夫に直されることになると思いながら活けていた。案の定、終わるか終わらないかのうちに、彼は席を立ってきた。私が活けたものを全部抜いて、自分の気に入るように、活け直したのである。

お客さまに「お花きれいですね」と言われる度に、私は「マスターが活けています」と話す。私が活けていると思っているお客様は、一様に驚きの表情を見せる。そんな時夫は「花を活けてると心が安らぎます」と話すのである。夜レストランを閉めるときには、花を全部花瓶から抜いて水に入れておき、毎朝生け直してもいる。両親は、夫が花を大切にしてくれることを知って、喜んで送ってくれている。

夫は、家から店までの街路の植え込みも、きれいに手入れしている。周りを見ると、どこの植え込みも、夏草が植木の倍以上の丈に生い茂っている。彼が手入れをしているところだけが、きれいになっているのである。自分の庭だけをきれいにしている人は、いくらでもいるが、公共の場所までも、と考え、実行する人はそういるものではない。彼は、年とともに自然に親しみを感じるようになってきている。

最近彼と良く話し合うのは、二人の定年後の具体的な生き方である。私たちは、自営業を営んでいるので、定年の時期は自分たちで決めなくてはならない。夫は、定年後は妙高の自然の中で、晴耕雨読の生活をする事を夢見ている。気がついたら、いつのまにか、自然を恋しく感じ「定年の時期をいつにしようか」と考える年齢になってきた。私は事ある毎に「50歳で定年」と言ってきたが、これからは具体的にそのことを考えたい。

 
人生を約75年として、それを三つに分ける。はじめの25年は、大人への準備期間。次は二人で協力して仕事をし、家庭を守ってきた。最後の25年のそのまた三分の一くらいは、「自分のための人生」を送っても良いのではないか。数年間は、これまでいろいろな制約があってできなかったことをしてみたい。そのためには、私がずっと唱えてきた、「50歳定年」が必要である。50歳というのは、何か新しいことを始めても充分対応できる年齢であろう。

世間の常識より早い時機に定年を迎えるには、目的がはっきりしていなくてはならないだろう。さらに、一口に「定年」といっても、人生の大きな転換であるから、安易に決めることはできない。何より経済的な裏付けがなくては、生活が成り立たない。来年は定年後の人生を、真剣に考える年としよう。