マニュアル人間
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最近では、ほとんどの職場(特にサービス業)にマニュアルがあり、日常の決まりきった業務はそれに従って行なわれている。そのため、通常の業務の質は個人の資質に依存しないものとなっている。しかし、私はマニュアルに沿った仕事には、大きな疑問を感じている。一つは、滑らかでなくても良いから自分の言葉(普段使い慣れている言い回し)で応対してほしいことである。丁寧な、決まりきった言葉を使われるよりも、心のこもった言葉で応対してほしいと思う。さらに、マニュアルに頼り切った仕事に慣れてしまうと、突発的な出来事に遭遇した際に、自分自身で判断する力を養うことはできないのではないだろうかと思う。 先週のこと、近くのスーパーで買い物中、いきなり店内が暗くなった。停電の旨店内放送があり、まもなく照明は復旧した。しかし、その後も相変らず従業員たちが、慌てふためき走り回っていた。それは事後処理のためだろうと、気にも掛けなかったが、会計のためレジに並んだときにその理由がわかった。レジにきている回路だけはなぜか復旧しておらず、電卓を使って手計算で精算を行なっていたのだ。商品に価格が表示されていないため、数人の従業員が手分けをして、値段の確認の作業にかかっていた。その動き方には、人によってかなりの差があり、それを中心になって指揮する人物もいないから、効率の悪いことこの上ない。 レジに並んでいる客の篭の中から手当たり次第に商品を持ち出し、あちこち走り回って値段を調べている人。一つ一つの価格をその都度レジに報告にくる若者。彼は店の端から端まで走り回って、4つほどの商品の値段しか調べることができない。商品をまとめて他の篭に取り分け、紙と鉛筆を持ってある程度効率よく調べている店員もいた。
緊急事態の渦中にいきなり放り出された場合は、物事を点で捉え勝ちで、一歩下がって冷静に状況を判断することが難しい。しかもそういった人々が、自分勝手に行動していたのでは非常に効率が悪い。
会社の個性を打ち出すため、また、日常業務を効率よくおこうなうためなどには、就業マニュアルは必要だ。しかし、マニュアル人間を育ててしまっては、会社にとっては大きな損失である。自分の判断で行動できる人材を育てるためには、基本的な部分以外は本人の判断にゆだねることができるよう、マニュアルの内容に幅を持たせておくことが必要である。とくに、言葉づかいは、いわゆる接客用語でがんじがらめにしないで、客に失礼にならない程度に個性を生かした話し方をしたほうが、客の立場からしても心地よいものである。
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