10月12日(月)〜10月15日(木曜日)

10月12日朝羽田を出発して、昼頃旭川空港着の3泊4日。岬めぐりがテーマのツアーだったので、初日は稚内、2日目は摩周湖、最終日は釧路泊という強行スケジュール。
一日の走行距離は290キロから430キロ、4日間の合計1490キロという旅行だった。

北海道で最も印象的だったのは、夜が暗いということである。広野にまっすぐ伸びる道路には、街灯がない。遠くに見える小さな町の灯を頼りに車は走る。

かなり無理な日程なので、観光地の展望台につくのは日没後ということも何度かあった。どこも駐車場に明かりはなく、月も星もないところでは足元もおぼつかない。夜の暗さというものを久しぶりに味わった思いがする。

北海道は初めてで、その雄大さにただただ圧倒されるばかりであった。以前ユタに行った時に、アメリカの国土の広さに驚き「日本人とアメリカ人の心の豊かさの違いは、国土の広さの違いからきている」と思ったものだが、北海道も広さの点では十分アメリカに対抗できる。

旭川から稚内へ向かう途中には、荒れ果てた牧草地の片隅に廃屋と化した酪農家が点在している。立派なサイロを建設し、最新鋭の搾乳機を導入する。そのために莫大な借入金を背負い、乳製品の価格低下により返済もままならなくなった結果のことであるという。希望に満ち溢れて入植し、寝る間も惜しんで働き、苦労が実ることなくその地を去っていった人たちの多かったこと。個人がいくらがんばっても、より大きな経済的な制度には抗いきれない。雲が低く垂れ込めたその日の空のせいもあるのだろうか、そこに住んでいた人々の無念さを思うと、あまりにも悲しかった。

それに比べて、2日目に通ったオホーツク沿岸の漁村の中には、豊かな村づくりに成功している例もあった。全村を挙げての努力して漁業と観光を融合させた結果である。60歳以上の医療費は無料、年に2回お小遣いを支給する。その他の村民には年に2回、特産品であるホタテを10枚ずつ配るという。これは一人の力は小さいが、多くの人が力を合わせると強くなれるということの良い例だろう。


稚内では夕食後ホテルの近くの稚内駅あたりを散歩した。
駅で時刻表を見ると列車は日に10本もない。まばらに数字が書かれた時刻表が珍しいとカメラを向けていると、ほうきを手にした駅員さんが寄ってきた。夫は「面倒だから写真は送らないけど」と言いながら、駅員さんと一緒に写真を撮った。駅員さんは「写真を撮るならここを...」と言って、私を待合室の片隅に招いた。そこにはかつて使われていたカンテラ、速度計、記念入場券、エンブレム、汽笛などが展示されていた。

一度後にした駅舎に戻り、駅員さんに「気が向いたら写真送ります。お名前は?」と聞くと、再び展示作品の前に私を連れて行き「これです」と少し恥ずかしそうに指差す。
そこには「鉄道の日作品展」「杉本鯉一・久林百尋」と書かれていた。彼はその久林ももひろさんのほうであると言う。駅舎を出て振り返ると、久林さんは再びほうきを持って待合室を掃いている。その姿は鉄道や、稚内駅を心のそこから愛しているように見えた。