私とオリビア*注:凄く長いヨ!
小学校高学年の頃、映画興行史に歴史的事件と言って良いだろう
出来事があった。すなわちエクソシストと燃えよドラゴンの公開である。
以降、洋画と邦画の興行的勢力図は洋画に傾いたまんまになっている(と思う)。
この流れに見事にはまった当時の小学生、なかんずく私はずるずると洋画
(もっぱらアメリカ製)を観て観て観まくる映画ガキに成り果ててしまったのである。
これはその頃怪獣映画がさっぱり作られなくなったことも影響しているだろう。
そのまま中学生となった私が、野球中継の雨傘番組、ボブ・ホープショーを
つい観てしまったのも無理はない。ハリウッドの綺羅星の如きスター達が
ボブ・ホープの軽妙なお喋り(ただし、声は野沢那智だ)に乗って次から次へと
歌や踊りを披露する、そんな番組の中に彼女はいた。
控えめなブルーの瞳をおずおずと(そう見えた)カメラに向けながら、彼女は
白人女性にしては珍しい透き通るような声でピアノの弾き語りを始めた。
May be I hang around here...
「I honestry love you」日本では「愛の告白」と言う名で知られる歌であった。
もう狂いましたヨ!
それからはもうオリビア様一直線。オリビア街道まっしぐらである。
ちょうどこの頃「ジョリーン」の大ヒットもあり、TBSが朝の番組のオープニングに
使用した「カントリー・ロード」がこれまた大ヒット(どっちもカバー曲だな、今思うに)した
ためもあってかその年、オリビア様日本侵攻、じゃない日本公演!があったのだけど
中坊の悲しさよ、とうとうコンサートには行けずじまいでありましたククク・・・
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*米国では一昨年、トラボルタブームで |
まあ、次の年の年末に封切られた「グリース」を 25回観て憂さを晴らしたけれど。 しかし、その2年後のイルカ騒動で延期になった 日本公演は行きましたヨ!2回も。 場内の売店でパンフを買うと付いていたサイン入り色紙 (印刷)を二重取りしたりと色々感慨深いものもあったが 生で彼女を観たのは後にも先にもこれっきりである。 |
その後、オリビア様のファン以外には評価の難しい「XANADU」を27回観たり
「FISICAL」のミュージック・クリップがグラミー賞を取ったのに狂喜したり
またまたトラボルタと組んだ「Two of a kind」(邦題セカンド・チャンス)を
しつこく見に行ったりと正しいファン活動に身を投じていた私であったが、90年代に
入ってからの彼女は乳ガンが発覚したのと同時期に英国にいる父がガンで死去、
悲しみに浸っている最中に亭主(クソ!)が「俺、浮気してるんだよね・・・」と大告白の
トリプル厄に見舞われたのである。ちなみに亭主(クソ!)は
「XANADU」で若き日のジーン・ケリー役を演じた
マット・ラッタンジーという良く分からない俳優である。
これらの悲しみを乗り越えた後に出た「GAIA」は”何故私が・・”という
詞の続く「WHY ME」や、”私は負けない私は負けない私は負けない”と
歌い続ける「NOT GONNA GIVE IN TO IT」等が収録されていて
随分と痛ましいアルバムであり全然乗り越えてないやんと思った
ものであるが、先日(2000年9月15日)のシドニーオリンピック開会式で
元気な御姿と歌声をまた我々の前に披露してくれた。
良かった良かった。
オリビア・ニュートン・ジョンは1948年英国ケンブリッジに生まれ、5歳の時に
大学教授である父(祖父はノーベル賞受賞者!)の仕事の関係でオーストラリアに渡り、
65年に歌手として生きる決意の元に渡英、いくつかの大ヒット曲に恵まれた後
73年にカリフォルニアに移住。その後色々あってオーストラリアに戻ったのは
10年ほど前である(と思われる。資料無し)。88年には
(未だ米国に住んでいたものの)オーストラリア建国200年を記念した
ビデオクリップ「DOWN UNDER」を発表した事もあるが、
オージーの連中、彼女をオーストラリア人として認識しているのかどうか、
今回のオリンピック開会式参加も含めて私には大変興味深い。
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「COME ON OVER」。発表当時の音楽評に「ワタシもプールの水になりたい・・・」 |
アルバムは数多く発表されているが、とりあえず「COME ON OVER」を
聞くべし。そして「FISICAL」。ミュージック・クリップも素晴らしい出来である。
他にはELOとの合作サントラ、「XANADU」か。レコード店の
ELOの売場に行けばまず見つかる。
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いつまでも彼女に付きまとった「カントリー歌手」の |
この映画、ミュージカルとしては評価低いですが当たり前だ!これは |
フィルモグラフィとしては「グリース」、「XANADU」、「セカンド・チャンス 」の3本が
あるが、この他に無名のグループサウンズ「Toomorrow」(Oが多いのはワザと)に
参加していた時代に撮られた「Toomorrow」(70年)という音楽SFコメディ、
邦画で言うとチェッカーズの「TAN TAN たぬき」みたいな作品があるのだが
知らなかったでしょう皆サン!
この映画、オリビア人気が絶頂だった79年に日本でも別の映画と2本立て、しかも
地方でのみ公開という扱いだったのだが私千葉まで電車に1時間乗って
見に行きましたヨ4回も!
アマチュアグループサウンズ「TOMOORROW」(オリビア様+野郎三匹)が学食で |
なんだか話があっちこっちに飛んでしまったがとにかく私は
呉爾羅教徒であるのと同時にオリビア原理主義者でもあるので
ついだらだらと書き綴ってしまった。願わくば今後、彼女が穏やかに
暮らせますように、と極東の一ファンとしては願うばかりである。