JOCV応募への道のりと合格まで

<青年海外協力隊とは>
青年海外協力体(JOCV: Japan Overseas Cooperation Volunteers)は、 国際協力事業団(JICA: Japan International Cooperation Agency)の下部組織として、 1965年(昭和40年)に設立されています。 詳しい事を知りたい人は、JICAのWebページ (http://www.jica.go.jp)へ。 私の記憶によれば、当初は、20〜28 or 30歳までの年齢制限だったと思うのですが、 その後、最高年齢が、35歳、39歳と段階的に引き上げられていったと記憶してます。 しかし、最高年齢の引き上げは、間違いなく、これで打ち止めです。 何故なれば、シニア海外協力隊ってのが設立(1990年)されまして、 こちらの参加資格が、40〜69歳だからです。つまり、40歳を過ぎたら、 シニアへどうぞっ、てな訳です。 これ以外にも、公募を行なっているJICAの海外派遣業務が、いくつかあります。
青年海外協力隊(シニアもほぼ同様)の募集は、毎年春(4月頃公示)と秋(10月頃公示)の 2回に分けて実施され、希望職種毎に選抜が実施されます。合格すると 隊員候補生として、実際に赴任する直前に約3カ月の合宿訓練を受け、その後に 正式隊員となり、任地で約2年間の活動をすることになります。なお、短期の 1年間派遣も希望できますが、希望者は少ないようです。
<応募の動機>
青年海外協力隊のことを知ったのは、確か、20歳前後のことだったと思う。 ニュースソースが、TVだったか、雑誌、新聞の類だったかは、定かではない。 ただ、その頃は、雲の上的な存在だった事は確かで、漠然と将来参加できたらなぁ、 くらいにしか考えていなかった。
応募の直接の引き金となったのは、9月頃にJICAのホームページをなにげに見て、 12年度の秋募集が10月に公示されるとの情報を見た事だったと思う。 これを見て、ふつふつと、徐々に、粛々と、行くのもいいかなぁ、行ってみたいなぁ、 よし行ったれ、と個人的に盛り上がり、一気に応募へと突き進んだのが、 直接的な引金だろう。 そもそもの、JICAのホームページを見に行くという行為の具体的な動機となると 色々な思いが複合しているような気がする。 自分の事ながら、この辺りは結構曖昧である。 以下に自己分析を含めて、つらつら書いてみる。
就職した頃に、四半世紀ほどの自分の人生を振替って見た上で、思い至ったのが、 「環境が人を創り、人は環境の変化により成長する」である。 これは、現在も私の持論であり、この論理を自分自身に当てはめると、 自分が成長する為には、定期的に自分が置かれた環境を変えないといけない、 と言う事になる。ここでの成長の定義は、生活力の向上、思考/想像力の向上、 視野の広がり、環境適応能力の向上くらいに考えて貰えばよいか。 現実には、常にこうした事を前提として考えている訳ではなく、何かに チャレンジしようとした時に、自分自身を後押しするためのキーワードに なっているだけのような気もする。まぁ、それで良いのかも知れないが。 ただし、環境が目まぐるしく変わるのは、却って悪影響があるような気もする。 つまり、消化不良を起こしてしまい、ぼろぼろになるだけ。 同一環境に浸るのは、年齢にもよるが、3〜6年スパンぐらいというのが直感。 一方、余りにも長期間に渡り同じような環境にいることが、次第に ストレスとなって溜っていく感じがする。これは、多分、個人的な性格に 依存するのだろうが。今回、環境の劇的な変化を求める内なる声が大きく なってきていたのが、応募のひとつのきっかけであるのは否めない。
私は、歴史と歴史的観点から見た政治というのには、結構興味を持っています。 そういう目で見ると、日本の政治、外交はお世辞にも旨くやっているとは言えない (普通に見てもそうだと思うが)。個人的にはこうした政治に直接関わる気はないが (間接=投票の権利は行使するけど)、じゃぁ、個人レベルでなにができるかと 考えると、草の根ベースでの人の繋がりしかないだろうということになる。 つまり、外国と仲良くしようと考えたら、国のレベルではなく、個人ベースで 友人を作り、その輪を広げると言うのが、長期的に見れば国レベルにも 良い影響を与えるだろうとい考え方です。 これは、歴史的な観点からも 覆し難い考え方だと思ってます。 こうした観点に立つと、JICAのボランティア制度というのは、一つの確立された フレームワークと言えるでしょう。実態に関しては、実際に活動を行なって からでないと評価のしようがないですが。 常々、将来 and/or 老後は、海外で骨を埋める覚悟で地域活動ができる生活基盤を 作りたいと漠然と思ってました。だから、今の内に、こうしたフレームワークに のっとって、体験しておくのも良いだろうし、後から後悔したくもなかったし (永住権取得に関しては、各国条件がまちまちだが、年齢制限や実績を 問われるケースも多々あることを、両親/妹のケースで学習した)、と 言うような考えもありました。
私の職場で、数年前に、青年海外協力隊への現職参加制度が出来ました。 条件としては、応募時39歳まで、勤続3年以上、帰国後復職の意思があり、 職場の上司が認めた場合となっています。帰国後の復職に関しては、 JICAの方も企業との関係を考えて、帰国後3年間は、退職しないように、 3年未満で退職した場合は、就職/転職の相談にはのれないとしてます。 つまり、この制度を使おうと考えると私に残された時間は1年しか なかった訳です。これも応募の動機になったと思います。
'99年10月〜'00年2月始めまでの米国出張で、 帰ってくると、同僚の友人M(協力隊経験者)が、JICAの専門家としてインドネシアに 行く事が決まっていた。 これが、結局JICAのWebページを定期的に覗きに行く直接のきっかけとなった訳です。
<応募>
さて、応募すると決心したのは、10月に入り、募集要項が公示され、自分が 参加できそうなシステムエンジニアの中で、UNIX、インターネットが キーワードとなる派遣先を見つけた時である。 私の職場では、現職参加制度が数年前に労使交渉の末、認められており、 職場の了解が得られれば、原則、OKという建前である。 確か、10/10前後に一次上長に、取り敢えず、参加したい旨のみ伝えた。 この時のやり取りとしては、非常にシンプルでした。 私:「実は、青年海外協力隊への応募を考えているんですが...。」 上長:「個人的には、賛成だ。好きな事をやったがいいに決まっている。 しかし、会社としての立場から言えば、...、困る。」 その後、本人としては、合格しても、現職参加がNOであれば、退職してでも行くぞ、 くらいの気持ちになってまして、10/28に後述の健康診断受診、10/30には、 労組に相談に行き、全面的にバックアップする旨を支部委員長から取り付けるなど、 ちゃくちゃくと話しを進めてました。
10/18にお隣の藤沢市で説明会が開催されたのですが、これには都合がつかず 参加できなかったので、かめメール(郵政省メールのことを一部でこう呼ぶそうな)で 願書を取り寄せました。 11/1には、一次上長と部長に、正式に参加したい旨を伝え、条件付きながら 了承を取り付けました。この時出された条件とは、4月(一次隊訓練開始)から いなくなられるのは困るので、9月以降の派遣となれば良いというものでした。 早速、JICAの事務所に電話し、出発隊次に関して交渉可能かを問い合わせたところ、 勘案可能との返事を貰えたので、職場の了解は得られました。 翌11/2に正式に人事に打診し、職場の了解を得られたのならば問題ないとの ことで、早速、願書の提出準備を始めました。ちなみに、〆切は、11/20でした。
<健康診断>
願書提出時には、JICAが用意したフォーマットに従った健康診断書の提出が 必要で、10/28に取り敢えず、近所の湘南鎌倉総合病院へ申込にいきました。 が、申し込むだけのつもりが、その場で、健康診断に突入。 そもそも、健康診断を申し込むつもりで総合受け付けに行ったら、内科に 行ってくれと言われ、すなおに内科の受診票を持って内科へ向かうと、 いつの間にか、診療待ちとして処理されてたようで、部屋に呼ばれて、 実は、と医者に向かってのたまうと、じゃ、検査ですねということで、 レントゲンやら、耳鼻咽喉科やら、眼下やら、血液検査やら、結局半日がかりで 検査を受けることに。 で、清算時に約14000円(保険適用無し)の請求書を見て、え〜、こんなに高いのと 言いそうになるのをこらえて、この日は退散。 翌週の水曜日の夕方に検査結果を教えて貰いに行くと、血液検査の内、 検査忘れの項目が発覚し、医療助手のような人1号さんに連れられて、 再度血を取られるはめに。この日の清算額が約4000円。 再び週末(土曜日)に検査結果の記入をお願いに行く。ようやく一通り埋まった事を 確認(したつもりだったんだけど...)。 その日の清算時に、健康診断の定額は7600円なので差額は返しますだと。 だから最初から健康診断と言うとるやないかぁ〜、と思いつつも口には出さず、 その場で、前2回分の領収書を返却し、差額を受けとる。 さて、健康診断結果も入手したし、あとは願書と一緒に出すだけとなり、 再度、記入洩れがないかを確認すると、健康診断書で記入されていない項目が。 翌日曜日に再び病院を訪れ、再度、受診票片手に待つ事しばし。 内科受付の医療助手のような人2号さんに、この項目が記入されてないんですが、と 伝えると、ちょっと待ってて下さい、とのこと。さらにしばし待つと2号さんが 戻ってきて言うには、「0(ゼロ)です」。「はい?」。「だから、ここの 数値は0です」。「あ〜、そうなんですか」。 そして、0を書き足した診断書を封筒に入れ、早速、郵便局へ向かったのでした。 ちなみに、健康診断の領収書も一緒に提出すれば、合否に関わらず、費用は、 JICAが清算してくれます(7600円ちょうどを限度として)。 なお、提出するのは、願書、履歴調書、健康診断書の3点だったと思います。
<一次試験>
願書提出後、ほぼ一週間して、受験案内が届く。 職種番号 "623"、受験番号 "00640614"(何度も書いたので憶えた)。 受験会場は職種別ではなく、地区別で、神奈川県では、横浜と藤沢会場の2箇所。 受験日は、12/10(土)、私は、藤沢会場で、場所は日大湘南キャンパス。 最寄り駅は、小田急藤沢線 六会日大前。 「六会日大前?」そんな駅、いつの間にできたんだぁ ?!。 受験票が届いた週末に早速どこにあるのか調べる為にバイクでお出かけ。 多分、善行-六会間か、六会-湘南台間のどちらかだろうと思い、沿線沿いを北上する。 と、六会駅が、いつの間にか六会日大前になっているのを発見。 良く見ると、線路向うに学校らしきものが。なるほどと納得して帰宅。
当日は快晴。9:30からの受付を目指して、バイクで向かう。 9:00過ぎに到着すると、既に、二十人ほどが試験場にしていされた建屋の前で たむろしている。圧倒的に女性が多い。それに皆、若い。う〜む。 9:30に受付が始まると、受験番号で2部屋に振り分けられる。多分、実技の 有無であるていど分けられたのではないかと推測。 周りを見渡すと男性受験者がやはり圧倒的に少ない。 ちなみに、最近の合格者の男女比は、ほぼ五分五分になっているそうだが、 藤沢会場の受験者比率は、7:3 〜 8:2で女性が多いという感触。 他の地区もこんな感じなんでしょうかねぇ。
試験前の注意事項の説明後、10:30から試験スタート。その内容は、
  • 10:30 〜 12:00 : 技術試験
    技術試験の問題用紙は全職種がまとめられた冊子になっており、 自分が希望する問題を解くという形式である。回答用紙も共通で、 A4一枚の用紙に問題番号と回答を書くというもの。 JICAのWebページに過去問題が掲載されていて、それを見るとある程度 傾向があったのだが、今回の問題は、内容も形式も、がらっと変わって 約40問の4択問題。4問ほど、悩む問題(私の専門外、且つ、判断に苦しむ問題)が あったが、他は、楽勝。内容的には、情報処理試験のシステム監査と N/Wスペシャリストの午前の問題のようなものだった。 開始後1時間経過し、退出が認められると速攻で食事に出かける。
  • 13:00 〜 14:30 : 語学試験
    内容は、いわゆる、語嚢+文法の穴埋め問題、創作言語のパズル問題、 英語長文読解の3パートで、マークシート方式。 最初のパートで穴が2箇所づつ空いているのだが、回答欄は一つしかなくて、 同じ単語を入れるのかぁ、でも、同じじゃないよなぁと、しばらくは、 あ〜でもない、こうでもないと悩むが、素直に、回答欄で2箇所を マークするんだろうと考え、そうする。 説明がないと、ちょっと、悩むんじゃないの? 創作言語のパズル問題は、例に日本文と創作言語での文が並べて書いてあり、 次の日本語文に相当する創作言語の文を完成させろというもの。ポイントは、 例に書いてある文だけでは、パズルが解けない所。全ての問題の例を眺めて、 法則性を導き出さないと解けない。これに気づかないと単なる暗号でしょう。 最後のパートは、長文読解で、設問に答えるというものだったが、 最初のパートで悩んだ分、時間が足りず、最後の2問ほどは適当にマーク。 これは、大きな誤算でした。内容自体は、割と簡単だったんだけどなぁ。
  • 15:00 〜 16:00 : 適性試験
    入社試験の時に受けた適性試験と同じようなものと、運転免許試験での 適性検査の2本立てのような感じ。しかし、この手の検査で、いつも思うのだが、 例えば、「いらいらしている時に、スピードを出して、すっきりしたいと 思うことがありますか?」なんて、設問に、「いつも、そう思う」なんて 答える人がいるのでしょうか。
以上で、一次試験は終了したのですが、その後、Webに掲載された、応募者数を 見て、ちょっと、ドキドキモードに突入。 募集枠、22名に対し、応募が253名。10倍以上の倍率。 で、技術試験が簡単(私にはそう思えた)だったので、満点の奴もいるだろうなぁ、 とか考えると、迷った4問を全部落していたら、90点だから、厳しいかなぁ、とか、 ちょっぴり弱気のドキドキモードで結果の通知を待つ事になったのでした。
<ニ次試験>
年が明けて、1/16に一次試験の合格通知が届きました。 これも、合格者には即日配達が保証されるテレックスレターとかいうもので、 不合格者には、普通郵便で出すとされていたので、郵便受けに、テレックス レターの緑っぽい封筒を見た瞬間、合格は判りました。 取り敢えず、一次突破を上長に報告。この時点で、職場のチームの皆にも こういうことなんですよ、とばらしました。 その後、二次試験の受験要領が送付されてきたのですが、その中に 健康診断の再検査項目のチェックが!? ヘモグロビンとか赤血球が標準より多いということで、血液検査の該当項目を 再検査するようにとのお達しでした。と、いう事で、再び、病院へ。 再検査の結果は、標準値ぎりぎりクリアという所。
そして、二次試験は、1/26(金)。平日なので、予め休暇を申請しておく。 場所は、広尾にあるJICAの研修センター。 二次試験は、職種別で、確か10日間くらいに渡り、この研修センターで 行なわれることになってました。当日は、システムエンジニアだけでなく、 他の数種の職種と一緒でした。
週末は、関東地方は大雪とかいう予報が出ていたので、当日まで、 雪で電車が止まったらどうしたらよいかと、結構ドキドキでした。 ちょうど、その前の週ぐらいに、やっぱり大雪で首都圏のダイヤが乱れまくった 直後でしたから。 しかし、当日は、曇空ながら雪は降らず、問題なし(翌日が大雪でダイヤ乱れ まくりましたが)。日頃の行ないが良いからなぁ、と、自らを鼓舞しつつ、 7:00前に家を出て電車を乗り継ぎ、会場へ向かう。 受け付けは、9:00開始。 二次試験の受験者も女性が相変わらず多い。しかし、一次の時ほどではない。 二次試験の会場は、研修センターの体育館が控えの間で、席は職種で固められて、 指定席となっていました。 個人面接と技術面接の呼び出しがあるまでの間に、
・現職参加調査
・制服採寸
・健康診断の問診
・歯科検診
を適当に済ませるようになっていて、各人、チェックシートを渡され、 それぞれのコーナーを終えるとチェックを受けるようになってます。
問診では、再検査項目に関して、医者曰く、
「栄養が良過ぎるんだよね」、
「あぁ〜、そうですか〜。なんか問題あるんでしょうか」、
「多血症って言って、肝臓や腎臓に負担がかかることがあるんだよ」、
「はぁ」、
「まぁ、水分摂取が少なかったり、脱水症状気味だと、上がるんだよね、この数値」。 あぁ、左様でございますか。
次に歯科検診では、 「日本で暮らすぶんには問題ないんですけど、任地では、もし何かあった際に 十分な治療が受けられませんから、抜いて下さい」と、 右下奥の親知らずを抜けと言われてしまいました。今まで、痛んだ事ないんですが。
制服採寸は一瞬で終了。昔(高校時代)からほとんど体型変わってませんし、 標準の吊し体型と言われてますので。この制服、グリーンのブレザー、は、 派遣前訓練時に支給されるらしいです。
現職参加調査は、職場の了解を得ていますか、とかいう類の質問がいくつか。 特に問題なし。
さて、私の面接の時間は、予定表によると、両方とも最後の方で、あとは ひたすら時間を潰すのみ。J.P.ホーガンの最新邦訳「ミクロワールド」を ひたすら読んでました。この「ミクロワールド」は、最近、日経産業新聞でも 連載企画があったナノマシンを題材にしたSFです。ハードSF作家ながら、 一級品のエンターテイメントを提供してくれるこの人は、私と同じ業界の 出身者。IBMの計測器のセールスマンを経て、DECのSEをやっている時に 作家デビューしています。目指せ、SFが書けるエンジニアってなもんでしょうか。
そうこうしている内に、15:00をまわる。既に全部済んだ人で、遠隔地に 帰る必要がある人から、解散が始まる。 15:30頃、ようやく、個人面接の呼び出しがかかる。呼び出しがかかると カードにチェックを受け、面接会場の階の受付でチェックを受け、 面接が終ると逆ルートでチェックを受けるという手順。 面接会場は、教室のような所で、廊下で順番を待つ事に。私の次の順で 待っていた新潟から来たという人と話しをする。技術面接はもう終ったとかで、 どんな内容だったか尋ねると、世間話のような感じだったとか。これは、 その後、実証される事となる。
個人面接の面接官は、3名。左側から、うなずき要員の女性、真中に主担当面接官、 右につっこみ要員という布陣(後で、会話の内容を反芻するとこんな感じだった)。 質問は、想定通りに、何故、応募したか、協力隊の活動をどう思うかという内容で、 願書提出時に出した調書の内容をベースに回答しました。 それ以外に印象に残った質問としては、
「鶴というのは、北海道に多いんですか?」
国内連絡先を北海道の弟宅にしていたせいだけど、最初、質問の意味がとっさに 理解できなかったんですよね。名字の事じゃなく、渡り鳥の話しかと、一瞬 答えに躊躇するも、出身地(長崎)においても多くない旨を説明。 「職場の若い人にどう思われていると思いますか?」
これは、完全に予測範囲外だったので、とっさに、「陰口はたたかれてないと 思います」としか、答えられなかった。
面接時間は、正味10分ちょっと。割と気持ち良く対応できた感じ。
再び控えの間に戻り、待つ事、20分くらいで、次は技術面接に呼ばれました。 こちらは、左にJICAの事務屋さんと思しき人と、右に先生と呼ばれる割と高齢の 技術審査官と思しき人の2名。 世間話ではなかったが、サモアを希望した理由(答:UNIXというキーワードと あとは感覚)、他の所でも良いか(答:どこでもOK)、Webサーバの利用は (答:Web Applicationだとちょっと辛いが)、WindowsNTはどうか(答:利用は OKだが、プログラミングは経験がない)、実務だけでなく教えるのはどうか (答:教える方もOK)など。その後、雑談モードで、無線LANはどうだとかの 話しが出ました。正直、拍子抜けした感は否めません。 しかし、サモアは希望者が多いんだよ、なんて話しも出たので、 サモア以外で、UNIXがキーワードとしてあったのは、エクアドルとか、 モンゴルとか、アンゴラあたりだったかなぁ、アフリカと南米は、どっちが いいかなぁ、などと、ちょっぴり期待&不安モード突入。
技術面接が終り、これにて全て終了。私も解散してよいことになったので、 お互いに又会えると良いねぇなどと声を掛け合って、家路についたのでした。
<合格通知とその後>
二次試験も無事終え、あとは、人事を尽くして天命を待つ、という状態で、 合格通知が届くはずの2/16を待つ(2/16に何も届いていなかったら不合格と同義)。 特に気負い込んだり、悲観したりすることもなく、いつものように仕事を続ける。 当日も普段と変わらずに仕事して帰宅するが、流石に郵便受けを覗く時は ドキドキしました。そして、グリーン帯の封筒発見。そそくさと取り出し、 気を落ち着けて、中身に目を通す。「派遣予定国 サモア」の文字が目に入る。 思わず、やったね、ウッシャァ、とガッツポーズ。 それから、「平成13年度 三次隊予定」。 詳細は後日発送するなんて書いてあったから、翌週に来るんだと思っていたら、 翌日には届きました。
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