スタジオジブリとは?

LAST UPDATED 12/14 2013

スタジオジブリとは?
スタジオジブリは宮崎駿氏・高畑勲氏を主宰とするアニメーション制作スタジオで、1985年に徳間書店が設立した。
1986年公開の「天空の城ラピュタ」以降の宮崎駿氏、高畑勲氏が監督したアニメ作品の全てを制作している。

ジブリの由来
ジブリとは、「サハラ砂漠に吹く熱風」という意味。 「日本のアニメーション界に旋風を巻き起こそう」という気持ちが入っているらしい。
第2次世界大戦中、イタリアの偵察戦闘機(CAPRONI Ca309 GHIBLI)が名前に使用していたもので、 これを知っていた飛行機マニアの宮崎駿氏が名付けた。 しかし、後に本当は「ギブリ」と発音する事が発覚した。 なお、この戦闘機「ギブリ」を設計したのが「風立ちぬ」で登場するカプローニである。新聞で「スタジオブリ」と誤植された事もあった。

ジブリの歴史
「風の谷のナウシカ」(1984)当時、徳間書店がクロスメディア(今でいうマルチメディア)を模索していて、 徳間書店が中心で作っていた「風の谷のナウシカ」(制作・トップクラフト)が内容的にも興行的にも成功し、 徳間康快社長がアニメーション映画部門を持つ事に意欲的になり、ジブリを作る事になった。 スタジオの責任者はトップクラフトの社長だった原徹氏。スタジオは東京・武蔵野市吉祥寺に設立した。
設立日は1985年6月15日

そして、第1作が宮崎駿監督の「天空の城ラピュタ」(1986)。「1本成功したら次もやる。失敗したらそれで終わり」という方針でやっていたので、 スタッフも1作毎に契約を結び、完成したら解散という方式を取っていた。 その後、同様の体制で「火垂るの墓」(1988)「となりのトトロ」(1988)を制作。
「となりのトトロ」制作中に「魔女の宅急便」(1989)の企画が外部から持ち込まれる。
宮崎氏はこの作品を若手に任せようとし、自分はプロデューサーとして、脚本家と監督を探した。 しかし、なかなか良い脚本が上がらず、結局宮崎氏が脚本を書く事に。 監督もなかなか決まらず、宮崎氏が監督をする事にもなってしまった。
「魔女の宅急便」で初めて興行的に大成功を収める(「となりのトトロ」も興行的には大成功していない)が、 その後のジブリをどういう会社にするかが話し合われ、1990年11月より 従来の「出来高制」から「固定給」にする事(賃金の倍増がねらい)、それと新人採用と人材の育成が提案され、 ジブリの第2期がスタートする。
なお、「魔女の宅急便」に参加したメンバーの一部は制作の田中栄子と共にスタジオ4℃を設立する。

この決断をきっかけに、以降、ジブリは間断なく映画を作り続ける事になった。 宮崎氏の要請で、徳間書店にいた鈴木敏夫氏と高橋望氏がジブリに移籍。 新体制での第1作は高畑勲監督の「おもひでぽろぽろ」(1991)。 続いて宮崎駿監督の「紅の豚」の制作がスタート。そのころ宮崎氏により新スタジオの話が出る。 結局、徳間社長の賛成で建てる事が決まったが、新スタジオに反対していた原氏はジブリを去る。 宮崎氏は「紅の豚」を作りつつ、新スタジオの設計図を引いたり、建築会社の打ち合わせ、完成予想図、素材の選択、決定などを行った。

1年後、「紅の豚」(1992)と新スタジオは同時期に完成し、「紅の豚」公開直後の1992年8月6日、東京都下小金井市の新スタジオに引越し。 その後、日本テレビ40周年記念TVスポットとして、宮崎駿監督の「そらいろのたね」(1992)「なんだろう」(1992)を制作。 そして、高畑勲監督の「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994)。この作品でジブリ作品初めてのCGを使用。 「ぽんぽこ」準備中、70分のTVスペシャルの望月智充監督の「海がきこえる」(1993)を「ジブリ若手製作者集団」が制作。 宮崎・高畑監督以外の監督で作品を作れないかという課題でも作られた作品であった「海がきこえる」だが、 この課題に答えるべく近藤喜文監督の「耳をすませば」(1995)が制作された。 同時期に宮崎駿監督の「On Your Mark」(1995)を制作。この作品は「ジブリ実験劇場」と題して、これまでのジブリブランドを意識しない作品作りをしている。 「耳をすませば」と「On Your Mark」でジブリ初のドルビーデジタルという音響システムを採用。 そして「耳をすませば」ではデジタル合成、「On Your Mark」では本格的にCGを使った。

その後、すぐに宮崎駿監督の「もののけ姫」の制作に入る。ジブリ内にCG部を作り、本格的にCGを使用する。
1996年7月、ディズニーと業務提携、ブエナ・ビスタより廉価版のビデオ発売や海外での配給が決定する。
ブエナ・ビスタは「ホーホケキョとなりの山田くん」の製作に参加しており、
「千と千尋の神隠し」以降はブエナ・ビスタの親会社ディズニーが製作に参加している。
1997年6月、徳間書店と合併し、スタジオジブリ・カンパニーに。
そして、2年もの歳月をかけて「もののけ姫」(1997)が完成。超大ヒットを記録する。

「もののけ姫」の後、少しの間をおいて、高畑勲監督の「ホーホケキョとなりの山田くん」の制作に入る。 この作品ではジブリ初の全編フルデジタルで制作されており、1999年夏に公開された。 今までの作品は東宝系や東映系で公開されていたが、「山田くん」では松竹と組み、 さらにスタジオジブリが自主配給も行い、シネマコンプレックス館でも積極的に公開されたが、興行的には大失敗と終わった。 なお、音響にはジブリ作品としては初のDTSも採用した。
1999年10月、徳間書店 スタジオジブリ事業本部に。

宮崎駿氏は「もののけ姫」作業終了後にスタジオジブリを辞め、新しく"豚屋"(シニアジブリの改名)を作り、人材育成をしていたが、 1999年にスタジオジブリに所長として復帰し、2001年10月開館のジブリ美術館と2001年公開の新作「千と千尋の神隠し」の製作を開始する。

2000年、テレビ特番内でジブリのメンバーを描いた「ギブリーズ」が放送されるが、 ジブリの楽屋ネタの趣が強く、反響はイマイチだった。

2001年に「となりの山田くん」の同じCG手法を用いて「アサヒ旨茶」(アニメ版)と「ローソン」(「千尋」チケットCM)の CMを製作。「アサヒ旨茶」は実写版(内山理名)が好評だったのかアニメ版はほとんど放送されなかった。
「アサヒ旨茶」(アニメ版)には第2弾の内藤剛志バージョンにもあったらしいが、本当に放送されたのか?

2001年夏公開された「千と千尋の神隠し」はフルデジタルで製作され、 音響も邦画初となるドルビーデジタルサラウンドEX、DTS-ES(ディスクリート)を採用、 デジタル上映のDLPにも対応した。
同作品は2002年のベルリン国際映画祭で最優秀作品賞に当たる金熊賞に輝き、2003年に第75回アカデミー長編アニメーション賞を受賞した。

宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」(2001)の作業中、「猫の恩返し」、「ハウルの動く城」(細田版)、「ギブリーズepisode.2」の準備が進行していた。
「猫の恩返し」の監督は新人の森田宏幸、「ハウルの動く城」(細田版)の監督は東映アニメーションから呼ばれた細田守。
「猫の恩返し」は順調に作業が進み、一足早く完成していた「ギブリーズepisode.2」と共に2002年夏に公開された。
しかしながら、「ハウルの動く城」(細田版)の作業は中々進まず、ついには制作中止となった。

宮崎駿監督の2004年夏公開の新作が2003年2月から開始するまで半年間、スタジオジブリのアニメ部門を閉鎖する事が決定される。
レイオフという形を取ったが給料は支給された。ボーナスはなし。その期間中は海外に研修に出かけたり、外部の仕事をしたりしていた。
この時期に「On Your Mark」以降全ての宮崎駿監督作品の作画監督を担当していた安藤雅司がジブリを去る。

予告通り宮崎駿の監督の新作「ハウルの動く城」が2003年2月1日から製作開始。
「ハウルの動く城」は2004年春完成、夏公開を目指していたが、作画作業が難航し、東宝が公開を2004年11月に延期。結局作品は2004年8月に完成。
同作品も大ヒットを記録し、第78回アカデミー長編アニメーション賞にノミネートされた。

2004年には再び「株式会社 スタジオジブリ」を設立。
2005年4月に徳間書店傘下を離れて独立。代表取締役社長は鈴木敏夫。取締役は宮崎駿とスティープン・アルパート。

2005年12月、新作「ゲド戦記」の制作を発表。監督は宮崎駿の長男、宮崎吾朗。
2006年7月に「ゲド戦記」公開。興行は予定より下回ったが、まずまずのヒットを記録。

2008年2月1日付で鈴木敏夫が代表取締役社長を退任、後任は元ウォルト・ディズニー・ジャパン会長の星野康二。鈴木敏夫は新たに代表取締役プロデューサーに就任。

2008年7月19日に宮崎駿監督作品「崖の上のポニョ」公開。大ヒットを記録。
2010年7月17日に宮崎駿脚本、米林宏昌監督の初監督作品「借ぐらしのアリエッティ」公開。まずまずのヒット。
2011年7月16日に宮崎駿脚本、宮崎吾朗監督の「コクリコ坂から」が公開。震災の影響からか興行収入は大幅ダウン。

2012年7月に、庵野秀明館長による「特撮博物館」用に「巨神兵東京に現る」(監督:樋口真嗣)を制作。
同作品は2012年11月17日に公開された「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」と同時上映された。

その後、高畑勲監督作品の「かぐや姫の物語」が2012年公開を目指して準備中だったが、
作業の遅れから2013年7月20日公開の宮崎駿監督の「風立ちぬ」と同時公開される事に。
しかし更に作業が遅れ、結局11月23日に公開延期される事に。

2013年7月20日に宮崎駿監督作品「風立ちぬ」公開。9月に引退発表した事もありヒット中。

手伝いスタジオとしてのスタジオジブリ
あまり知られてないが、GAINAX/タツノコプロ制作話題作「新世紀エヴァンゲリオン」(1995)の第拾壱話「静止した闇の中で」の原画をジブリ若手スタッフが担当している。 作画監督は「紅の豚」の作画監督などをやった河口俊夫氏。 この話には、当時ジブリにいた高橋望氏をもじって高橋覗というのが登場する。
GONZO制作の「サムライ7」(2004)でも背景を多く担当している。
他にも、ジブリが原画協力や動画、仕上げの手伝いをやった作品が結構あるが、グロス(一括請負)は少ない。

宮崎氏は、なぜ引退したかったのか?
宮崎駿氏は、「もののけ姫」を最後に長編アニメ監督を引退すると宣言していた。その理由としては、体力的限界によるものが大きいからだと言っている。
宮崎氏はアニメーター出身だけあって、自分の監督作品では絵コンテは勿論、作画チェックまでこなす。つまり、総作画監督的な立場でもあるのだ。 (宮崎氏は自分の仕事の3/5(または2/3)はアニメーターだとも言っている)。ここまでする監督は他に存在しない。
だが歳もとってきたし、その作業が辛くなってきた。だから引退するのだそうだ。
それと、いつまでも最前線にいては新人のチャンスをなくす事にもなりかねないし、 そういう事を続けていては60歳位までしか生きられないと考えたのではないだろうか?(手塚治虫氏や藤本弘氏(藤子・F・不二雄)も60歳代前半で亡くなっている!
しかし、2001年公開「千の千尋の神隠し」の作品が決定したため、引退の話はまた消えてしまった(嬉しいけど)。 やはり体力の限界はあるみたいで、「千の千尋の神隠し」ではこれまでの作り方と違い、作画作業の多くを作画監督に任せている。 「千と千尋の神隠し」の記者会見でも「今回で長編監督は引退」みたいな事を言っていたが、 「千の千尋の神隠し」の興行収入新記録の記者会見で「2004年夏公開に向けて次作を考える」と発言した。
結局、「風立ちぬ」公開後の2013年9月に長編映画からの公式引退発表を行った(当時72歳)が、理由としては最初の体力的限界というものであった。

ジブリアニメの海外配給
海外でもジブリアニメは劇場公開やビデオ発売がされています。しかし、残念ながらあまり認知度は高くないようです。ですが、「もののけ姫」以降の宮崎作品では知名度がかなり上がり、「千と千尋の神隠し」のベルリン国際映画祭金熊賞受賞とアカデミー賞長編アニメーション賞受賞で、一気に有名になったようです。

「風の谷のナウシカ」は国によって改竄版「Warriors of the Wind」だったり、オリジナルの「NAUSICAÄ of the valley of wind」だったりします。
LD-BOX「ジブリがいっぱい」には一部の作品に英語吹替版も収録されていますが、劇場公開された時の吹替版 という訳ではなく、機内上映用の吹替だったりするようです。
吹替版は何種類かあって、DVDに収録されている吹替もアメリカのビデオ版と同じかどうかは分かりません。
これらの情報はくろねこ亭様が詳しいです。

海外クリエーターのジブリアニメの人気
海外のクリエイターの中でもファンが多く(特に宮崎駿)、「トイ・ストーリー」のジョン・ラセッターは熱狂的なファンだという。 ディズニーの中でもファンが多く、2001年公開の「アトランティス」は 宮崎アニメの影響を受けていると明言してしまった(それ以前に庵野秀明監督の「ふしぎの海のナディア」にそっくりだが)。

ジブリ製作の実写作品
スタジオジブリは実写作品のプロデュースも行っている。 ただし、スタジオジブリではなく、スタジオカジノ名義となっている。
これはスタジオジブリが小金井市梶野町にあることからつけられているそうだ。

第1弾は2000年公開の庵野秀明監督作品「式-shikijitsu-日」
第2弾は2001年公開の本広克行監督作品「サトラレ」
また、二馬力製作、高畑勲監督の「柳川掘割物語」(1987年)という作品もあります。

ジブリ制作作品
作品名 公開年 監督 上映時間 配給・興行収入
風の谷のナウシカ 1984年 宮崎駿 116分 7億4200万円(配給収入)
天空の城ラピュタ 1986年 宮崎駿 124分 5億8300万円(配給収入)
火垂るの墓 1988年 高畑勲 90分 5億8800万円(配給収入)
となりのトトロ 1988年 宮崎駿 88分
魔女の宅急便 1989年 宮崎駿 114分 21億7000万円(配給収入)
おもひでぽろぽろ 1991年 高畑勲 118分 18億7000万円(配給収入)
紅の豚 1992年 宮崎駿 93分 27億1300万円(配給収入)
そらいろのたね 1992年 宮崎駿 30秒3本 (テレビスポット)
なんだろう 1992年 宮崎駿 15秒1本
5秒4本
(テレビスポット)
海がきこえる 1993年 望月智充 74分 (テレビ放送)
平成狸合戦ぽんぽこ 1994年 高畑勲 118分 26億5000万円(配給収入)
耳をすませば 1995年 近藤喜文 111分 18億5000万円(配給収入)
On Your Mark 1995年 宮崎駿 6分40秒 (プロモーション上映)
もののけ姫 1997年 宮崎駿 133分 113億円(配給収入)
ホーホケキョとなりの山田くん 1999年 高畑勲 105分 8億円(配給収入)
ギブリーズ 2000年 百瀬義行 15分 (テレビ放送)
アサヒ旨茶CF 2001年 田辺修 15秒2本 (テレビCF)
ローソンCF 2001年 田辺修 15秒 (テレビCF)
千と千尋の神隠し 2001年 宮崎駿 125分 304億円(興行収入)
ローソンCF(ジブリ美術館) 2001年 宮崎駿 15秒 (テレビCF)
くじらとり 2001年 宮崎駿 16分 (美術館上映・2001年10月より上映)
コロの大さんぽ 2001年 宮崎駿 14分 (美術館上映・2002年1月より上映)
猫の恩返し 2002年 森田宏幸 75分 65億円(興行収入)
ギブリーズ episodeII 2002年 百瀬義行 25分
メイとこねこバス 2002年 宮崎駿 13分 (美術館上映・2002年10月より上映)
空想の空とぶ機械達 2002年 宮崎駿 6分 (美術館展示・2002年10月より展示)
空想の機械達の中の破壊の発明 2002年 庵野秀明 3分 (美術館展示・2002年10月より展示)
ハウルの動く城 2003年 細田守 100分(予定) (制作中止)
ハウルの動く城 2004年 宮崎駿 119分 196億円(興行収入)
やどさがし 2006年 宮崎駿 12分 (美術館上映・2006年1月3日より上映)
水グモもんもん 2006年 宮崎駿 15分 (美術館上映・2006年1月3日より上映)
星をかった日 2006年 宮崎駿 16分 (美術館上映・2006年1月3日より上映)
ゲド戦記 2006年 宮崎吾朗 115分 76.5億円(興行収入)
崖の上のポニョ 2008年 宮崎駿 101分 155億円(興行収入)
ちゅうずもう 2010年 山下明彦 13分 (美術館上映・2010年1月3日より上映)
借りぐらしのアリエッティ 2010年 米林宏昌 94分 92.5億円(興行収入)
パン種とタマゴ姫 2010年 宮崎駿 12分 (美術館上映・2010年11月20日より上映)
たからさがし 2011年 宮崎駿 9分 (美術館上映・2011年6月4日より上映)
コクリコ坂から 2011年 宮崎吾朗 91分 44.6億円(興行収入)
巨神兵 東京に現わる 2012年 樋口真嗣 9分 (特撮博物館上映・2012年7月10日より上映)
巨神兵 東京に現わる 劇場版 2012年 樋口真嗣 10分 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」と同時上映
風立ちぬ 2013年 宮崎駿 126分 120.2億円(興行収入)
かぐや姫の物語 2013年 高畑勲 137分 22.1億円(興行収入)
思い出のマーニー 2014年 米林宏昌 未定 2014年夏公開予定
(「風の谷のナウシカ」の制作はトップクラフトです)

著作権の記号の秘密
作品名 公開当時の(C) 現在の(C)
風の谷のナウシカ 二馬力・徳間書店・博報堂 1984 二馬力・GH
天空の城ラピュタ 二馬力・徳間書店 1986 二馬力・G
火垂るの墓 野坂昭如・新潮社 1988 野坂昭如・新潮社
となりのトトロ 二馬力・徳間書店 1988 二馬力・G
魔女の宅急便 角野栄子・二馬力・徳間書店 1989 角野栄子・二馬力・GN
おもひでぽろぽろ 岡本螢・刀根夕子・TNHG/1991 1991 岡本螢・刀根夕子・GNH
紅の豚 二馬力・TNNG/1992 1992 二馬力・GNN
そらいろのたね 中川季枝子・大村百合子・スタジオジブリ
なんだろう 1992 スタジオジブリ All rights Reserved.
海がきこえる 氷室冴子・TNG/1993 1993 氷室冴子・GN
平成狸合戦ぽんぽこ 畑事務所・TNHG/1994 1994 畑事務所・GNH
耳をすませば 1995 柊あおい/集英社・二馬力・TNHG 1995 柊あおい/集英社・二馬力・GNH
On Your Mark 1995 Nibariki Co., Ltd.&Studio Ghibli Co., Ltd.(Animation) 1995 二馬力・G
もののけ姫 1997 二馬力・TNDG 1997 二馬力・GND
となりの山田くん 1999 いしいひさいち・畑事務所・TGNHB 1999 いしいひさいち・畑事務所・GNHB
ギブリーズ 2000 GHM 2000 GHM
千と千尋の神隠し 2001 二馬力・TGNDDTM 2001 二馬力・GNDDTM
ローソンCF(ジブリ美術館) 2001 二馬力・スタジオジブリ 2001 二馬力・G
くじらとり 2001 中川季枝子・大村百合子・二馬力・MG 2001 中川李枝子・大村百合子・二馬力・G
コロの大さんぽ 2001 二馬力・MG 2001 二馬力・G
めいとこねこバス 2002 二馬力・MG 2002 二馬力・G
空想の空とぶ機械達 2002 二馬力・MG 2002 二馬力・G
空想の機械達の中の破壊の発明 2002 MG 2002 G
猫の恩返し 2002 猫乃手堂・TGNDHMT 2002 猫乃手堂・GNDHMT
ギブリーズ episodeII 2002 TS・TGNDHMT 2002 TS・GNDHMT
イノセンス 2004 士郎正宗/講談社・IG,ITNDDTD 2004 士郎正宗/講談社・IG,ITNDDTD
ハウルの動く城 2004 二馬力・GNDDDT 2004 二馬力・GNDDDT
やどさがし 2006 二馬力・MG 2006 二馬力・G
水ぐももんもん 2006 二馬力・MG 2006 二馬力・G
星をかった日 2006 井上直久・二馬力・MG 2006 井上直久・二馬力・G
ゲド戦記 2006 二馬力・GNDHDDT
崖の上のポニョ 2008 二馬力・GNDHDDT
ちゅうずもう 2010 Studio Ghibli
借りぐらしのアリエッティ 2010 GNDHDDTW
パン種とタマゴ姫 2010 二馬力・G
たからさがし 2011 中川李枝子・大村百合子・G
コクリコ坂から 2011 高橋千鶴・佐山哲郎・GNDHDDT
巨神兵 東京に現わる 2012 二馬力・G
風立ちぬ 2013 二馬力・GNDHDDTK
かぐや姫の物語 2013 畑事務所・GNDHDDTK
思い出のマーニー 2014 GNDHDDTK
最近のジブリ作品の(C)マークの後にはGNHとかGNDHとかいうアルファベットが描かれている。
これは、
T=徳間書店(「イノセンス」まで)
T=東北新社(「千と千尋の神隠し」のみ)
T=東宝(「猫の恩返し」以降)
N=日本テレビ
N=日本航空(「紅の豚」のみ)
H=博報堂(博報堂DYMP/博報堂DYメディアパートナーズ)
D=電通
D=ディズニー(「千と千尋の神隠し」以降)
D=三菱商事(「イノセンス」以降)
G=スタジオジブリ(「ハウルの動く城」のみ「徳間書店/スタジオジブリ」)
B=ブエナ・ビスタ
M=三菱商事(「千と千尋の神隠し」「猫の恩返し」「ギブリーズ episodeII」のみ)
M=ムゼオ・ダルテ・ジブリ(マンマユート団)(ジブリ美術館上映作品のみ)
I=ProductionI.G
W=ワイルドバンチ(「借りぐらしのアリエッティ」のみ)
K=KDDI(「風立ちぬ」以降)
を示しているのである。(ギブリーズに関しては調査中)
また、2005年にスタジオジブリが徳間書店から独立した際に著作権も徳間書店から買取り、「イノセンス」以外の著作権記号から徳間書店が消えた。
ジブリ美術館作品もムゼオ・ダルテ・ジブリ(マンマユート団)だったのがスタジオジブリに統合されている。
ちなみに、二馬力は宮崎氏の個人事務所である。畑事務所は高畑氏の事務所。

参考資料:
*「Film makers6 宮崎駿」(キネマ旬報社)
*「宮崎駿、高畑勲とスタジオジブリのアニメーションたち」(キネマ旬報'95臨時増刊 キネマ旬報社)
*「『もののけ姫』とスタジオジブリ」(キネマ旬報'97臨時増刊 キネマ旬報社)
*「報知新聞」(1997年7月29日 報知新聞社)
*「Animege アニメポケットデータ2000」(徳間書店)
*「日経エンタテインメント!」(2002年1月号 日経BP社)

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