Back Numbers : うーぴーの異常な愛情 : 第一回



第一回 : 黎明期の話、の巻

私にとっての十代が終わったのは、YMOが散開した、18才になってほどないある冬のこと。アルコール依存症だった父は死に、上京することになった私は、もうとっくに帰るべき場所ではなくなっていた“家”に、永遠の別れを告げた。

十代の頃の私は、映画というものの存在自体を全く知らなかったと言っても過言ではない。時は映画産業が斜陽の一途を辿っていた時代、私の住んでいた田舎の小さな町には当然映画館なんてものがあるはずもなく※1、ビデオその他のメディアが出現し一般的に普及するのにはまだしばらくの間を必要とする頃だった。それにそもそも私の生家には、映画を見に行くという文化そのものが、伝統的に存在していなかったのだ。
それでもよくよく考えてみれば、映画館なる場所へ行ったことが、片手で数える回数程度ない訳ではなかった※2。が、その時見ていた何物かを、映画というものとして認識していたという記憶はついぞない。それがテレビとは違う方法でフィルムなるものに焼き付けられた、1つ1つが独立した単位を持つある種の感覚のパッケージであり、世の中にはそんなものを作ったり映し出したりして生活している人すらいるのだ、などということ自体、当時私の知っていた狭い狭い世界の枠外にあることだった。

十代の頃はYMOと矢野顕子を聴いていればすべて事足りた。そうすると当時の御多分に漏れず、そのモノの中身なんて正確には分かっていなくても、とりあえずは“戦メリ”=【戦場のメリークリスマス】なるものの存在について、一応は興味を抱くものだ。これが上京して初めて見た映画、もしくは、映画なるものを見に行こうとまがりなりにも自分自身で意図して実行した生まれて初めての一本になった。そしてこの映画を、当時遅れて上映していたテアトル吉祥寺に見に行った※3のが、しばらく後になって映画というものにのめり込み始める、そもそも一番最初のきっかけとなったのだ。最もこの段階では、映画とはどういったものなのかなんてやっぱり全然分かっていなかったし、ましてや、その後には非常に尊敬することになる大島渚なんて人のことも、全く知らない状態ではあったのだが。

さて、その後すぐにすごくたくさんの映画を見に行くようになったかと言えばそんなことは全然無くて、次のきっかけが訪れるのは約2年も後の話である。
いくら世間が狭かった私のような人間とて、大学などというものに入ってしばらく経つと、ものを読んだり会話をしたりする端々に出てくる様々な固有名詞の中身について、少しは知らなくてはいけないという危機感が湧いてくるものである。だから神経症と自律神経失調(と後には各種アレルギー疾患)の片手間に、せっせと本を読んだり、いろんな音楽を聴いたり、美術展を見に行ったりしてみるようになった※4。さすがにこの頃までには、映画なるものが存在していることについても薄々分かり始めていたので、これもまたいろいろな箇所で引用されたりしているその中身について少しは知っておかなくちゃ、という気持ちになっていたところへ、たまたま見に行ったのが、当時キネカ大森で封切りしていた【ゴタールのマリア】という映画だった。
この映画がどのくらい衝撃的だったか、というのはそれはもう筆舌に尽くしがたい。何せ、いくらどんなに頑張っても内容をほとんど理解することができなかったのだから。例えばそれまで読んできたような本、といったようなものは、分からないなら分からないなりに、それでも今まで見聞きしたことがあるいろいろな事物から、何とか一部でもその内容を類推することは出来たのだ。なのにその映画と来たら、何から何までが完璧に理解の範疇を越えており、映画が終わるまでが全部、まるっきり分からないことだらけのオンパレードだった。これはほとんどショッキングな体験だった。
これはいかん ! 映画のことももっと分かるようにならなくては !
そんなこんなで、あれやこれやといろんな映画を見てみようとする生活が始まり、それが紆余曲折を経ながら現在まで至ることになってしまったのである※5

ちなみに、当時全然理解することが出来なかったかの映画だか、その後いろいろな映画を見まくるに及んでやっとなんとなく悟ったのは、ゴダールの映画は別に分かる必要なんてないのだ、ということであった。分かりたい人は勿論その努力をすればいいんだけど、彼自身、自分を強烈に信奉するごくごく少数のいんてりげんちゃーだけが分かればいいというスタンスの作品しか創ろうとしないじゃないの。きっと私みたいな観客は、最初からお呼びじゃないに違いない。


今月の映画 :
【戦場のメリークリスマス】 1983年 日=英
【戦メリ】についてはここではとても書き切れないような気がするので、また何かの機会があれば、ということで。
【ゴダールのマリア】 1984年 仏
【ゴダールのマリア】は、ゴタールの片腕だったアンヌ・マリー=ミエヴィルが監督した短篇【マリアの本】と、ゴダール自身が監督した【こんにちは、マリア】の二本を併せて公開したもの。【マリアの本】の方は、“カラを割って生まれ出る直前の”思春期の女の子のもがき、みたいな感覚がよく表現されている好編で、当時ですらなかなかいいなと思った記憶がある。が、その直後に来た【こんにちは、マリア】と内容的にどういう関連があるのか、全然よく分からなくて、ただでさえ分からなかった映画がますます理解不能になってしまった、という次第である。(この二本はもともと別物だから特に関連があると考えなくていい、というのが、何年も後に分かったオチだったんだけど。)


補足 :
※1 : よく考えると、私が通っていた小学校の通学路には、何故かポルノ映画のポスターを週替わりで貼っていた雑貨屋さんがあった。ということは、ポルノ映画の上映館はその頃まだ町にあったのかもしれない(もしかすると、日活ロマンポルノの番組か何かだったのかもしれない)。どちらにしろ、おおらかな時代だったんだなぁ。今更ながらびっくりしてしまう。
※2 : 十代の時に辛うじて見たと記憶している映画は、と一緒に見に行った【アニー】とか、マッチファンのいとこの女の子に頼まれて一緒に行った“たのきんトリオ”主演のジャニーズ映画とか。あとはアニメを何本かと、何故か【未知との遭遇】。【未知との遭遇】は、何を言わんとしているのか当時ぜ~んぜん分かんなかったことだけは、よく覚えている。
※3 : その時の【戦メリ】は、金子正次さんの【竜二】と二本立て。その時点で【竜二】を見たかどうかはよく覚えていないのだが、どちらにしろこの映画は、当時は本当に古臭くてくそくだらないというイメージしかなかった日本映画も、モノによるとなかなか面白いのかもしれない、と気付かせてくれる最初のきっかけの1つとなった。
※4 : 当時は“小劇場ブーム”というやつだったんだけど、演劇の方は本当に数えるほどしか行っていない。芝居の方が映画に較べて単価が高かったし、席もわざわざ日時を決めて事前に予約しておかなければならない(しかもブームだったため、どの舞台のチケットも非常に取り難かった)、というのが、好きな日時にふらっと行けばよい映画と較べて面倒臭いと感じてしまった記憶がある。それに、フィルム一本持っていけば世界中のどこででも上映が可能で、保存さえしてあれば前世代のものでも直接体験することが出来る映画に較べて、演劇は影響を伝播し得る時空間が非常に限定されている表現形態なので、映画の方が普遍性があるんじゃないか、と思ってしまったのも一因。でももしかして、何かのきっかけがあれば演劇の方に傾いていた可能性だって無かったとは言えないかもしれない、と思ったりすることはある。
※5 : イギリスのジュリアン・テンプルという監督さん(その頃【ビギナーズ】などで売り出し中だった。近作では【ヴィゴ】などがある)が、当時のインタビューで似たようなことを言っていた。彼も、ゴダールの映画を見て全然分からなかったのにショックを受けて、映画を見まくるようになったんだって。やっぱりそういう人、いるんだよねぇ。



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