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第二回 : 目からウロコが落ちた映画、の巻

そんなこんなで多くの映画を見るようになってからは、それはもう手当たり次第にいろんな映画を見た。
世の中はバブルとかいう時代の真っ最中だったにも関わらず、映画は斜陽産業と言われ続け、映画人口はどん底にまで落ち込んでいた。しかし当時の東京には、今では老舗と言われるようなミニ・シアターがいくつもオープンしつつあり、また、雨後のタケノコみたいに大量発生していた多くのビデオ屋も、それぞれが経営方針を模索している最中であった。そのビデオ屋に押され苦しくなったと言われ始めていた名画座ですら、当時はまだ経営を続けているところが多くあった。つまり、過去の映画を観るのにも、同時代に作られつつある映画を観るのにも、当時の東京はそれなりに有効な環境だったのである。※1
私自身の状態は最悪で、かの狂乱の時代の何がどう華やかだったのやら、個人的には全く記憶するところがない。学校へもろくに行かず、人にもろくに会っていなかった。それでも映画だけは観続けていた。心身のコンディションと相談しながら、一番ひどい時には、映画館で3本見て帰って家でもビデオを3本見るといった生活すらやっていたことがある。正直に告白すれば、心身が崩壊してしまっていた当時の私は、映画を観ることだけでようやく“外”の世界との微かな繋がりを保っていたのである。

さて、そんな頃に映画館で観た一本に、パトリック・ボカノウスキー監督という人の【天使】という映画があった。
既に開演時間に遅れてしまっていたため、暗くなっていた館内に静かに入っていくと、暗闇の中、吊り下げられた人形をフェンシングの剣で執拗に何度も突き刺している不気味な人物が、前方にぼうっと浮かび上がってきた。
(一体なんなんだこれは !? )
……その後もその映画には明確なストーリーらしきものはついぞ現れず、ただ人のイマジネーションを掻き立て、不安に陥れるような不思議な映像のシークエンスが、次々に立ち現れては消えていくのみだった。
( !? )( !? )( !? )
目からウロコが30枚くらい落ちた気がした。
こんなのも映画なんだ。映画って何をしてもいいんだ。本当に自由なんだ。
この映画を観た時の衝撃は、今でも忘れられない。

この映画を観た後は、ますます映画というものにのめり込むようになっていった。
あるいはそれは、自分が人間社会にまがりなりにも適合するための、リハビリテーションのようなものの一種なのかもしれなかった。

人間が映画を観る動機は様々なのだと思う。ただ私は、生きる価値なんてまるっきりどこにも見当たらない空っぽの自分を満たすために、人類のイマジネーションの結晶である映画という名前の夢を必要とした。
それは楽しい夢なのかもしれない。あるいは悪夢なのかもしれない。ただ、自分の中の断裂の記憶が消えてしまうなんてことがない限り、まるで夢を食べ続ける獏のように、私は一生映画というものを必要とし続けるのだろう。
私は映画に中毒しているのだ。


今月の映画 :
【天使】 1982年 仏
どちらかというと、実験映画といったものに近い作風。これは、人間が天使を見る瞬間の解釈についての映画なのだと私は思う。
しかし、今この映画を新たに観るとなると、その重苦しさが少し前時代的なものに感じられてしまう可能性もあるだろう。もしかするとこれは、芸術なるものが経済的な原則とは全く別のところに存在するなどと主張しても誰も鼻で笑ったりしなかった、幸せな時代の最後の頃に属している映画なのかもしれない。


……さて、暗めの話題はこれっくらいにしといて。
次回からは、が今までに観て好きだった映画のお話などを中心にお送りしていきます。


補足 :
※ 1 : ビデオ屋もその後淘汰が進んでいったが、名画座の方は有名館も含めて多くが閉鎖を余儀なくされ、最近ではめっきり数が少なくなってしまったのは御周知の通りである。過去の作品をある程度まとめて見ようとするとビデオ(やDVD)等のメディアは圧倒的に便利なため、私自身も完全にビデオの方を多く利用した……つまり、名画座の衰退に黙って手を貸していたクチだ。責任逃れはしない。ただそんな私でも、都内最後の洋画3本立ての名画座だった三鷹オスカーで観た【大地のうた】三部作(サタジット・レイ監督)や【ミツバチのささやき】(ビクトル・エリセ監督)の美しさに圧倒された記憶は、体のどこかに確かに残っている。誠に勝手な言い草なのだが、過去の名作の手触りをスクリーンで確かめる機会を恒常的に提供してくれる名画座という装置の存在を欠いている現在の東京は、映画的な環境が真に充実した都市だとはとても言えないのではないだろうか。



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