Back Numbers : 映画ログ No.20



今月の一言 : 先日も少しだけ書いたように、私は決して予告編は嫌いではない。しかし、最近一部の劇場で20分以上も予告編を流していたりすることがあるのは、いくらなんでも勘弁して欲しいと思う。せいぜい15分以内が限度だろう ? 流したい情報がたくさんあるのは分かるが、私達は忙しい時間を割いて、あくまでも本編を見に来ているのだからね。

【ウェルカム・トゥ・サラエボ】三星半
さすがにマイケル・ウィンターボトム監督の作品だから、基本的なクォリティはすこぶる高い。が、やはり外の世界からボスニアにやって来て見た“現実”というのは、いかに悲惨な状況がそこに映し出されているとしても、本質的にどうしても、安全な所からやって来たお客様の視線が捉えたそれにならざるを得ないのではないか。そこのところにどうしても、今一歩の押し出しの弱さを感じてしまったのであった。
タイトル・インデックスへ

【SF サムライ・フィクション】四つ星
日本映画の歴史を語る時には、時代劇の存在は欠かすことは出来ない。その従来の時代劇の大きな特徴であった様式美と封建性(=時代劇というジャンルの成立は歌舞伎の存在に大きく依っている&歌舞伎は江戸時代に成立したから、封建社会の中での美意識がテーマにならざるを得なかったのである……だから相当長い間嫌いだったのだが)を全く削ぎ落とし、時代背景とコスチュームの一部を借用するだけ、というレベルに到達してしまった本作は、果たして本来的な意味で時代劇と呼べるのであろうか ? それでもこの“未来形の時代劇”は、21世紀にもチャンバラの世界が生き残る可能性があることを証明してみせたのだった。さて本編の方は、監督さんがビデオ・クリップ界の大御所ということなのでもっと形としてのかっこよさのみにこだわっているような映画なのかと思いきや、システムの枠組みと個人の能力の兼ね合いという今日的でシビアなテーマを実は扱っていたりする、笑える展開でありながらも一筋縄では行かない一本骨の通った作品だったので、正直言って驚いてしまった(……失礼)。既成の枠組みに収まりきれない剣士・風祭の「何故こうなる ? 」というセリフは泣かせるし、熱血漢ではあるが世間知らずのおぼっちゃま(バカ息子 ? )・犬飼が、一生逃れることが出来ないであろう自分の見識の限界の中で、それでもアツい青春を送っているのも感動的である。そして、すべてが見えているのに(あるいは見えているが故に ? )システムと折り合いを付ける方法を模索している溝口の存在は更に示唆的である。それぞれの個性を光らせることが出来る役どころを演じていた役者さんは皆素晴らしかったのだが、特に、下手すると没個性になってしまいかねない犬飼の役を抜けるような瞳でのうのうと演じていた吹越満さん、あのようにのっぺりとした役でアクの強い他の俳優さん達の向こうを十二分に張っていたのはまことに凄い、さすがだと思った。(この役が沈んでいたら、この映画の面白さはかなり損なわれてしまっていた筈である。)とにかくこれは、あらゆるバランスが絶妙に取れた抜群の面白さを持つ作品であった。
タイトル・インデックスへ

【オースティン・パワーズ】四つ星
「バカも休み休みYeah ! 」というあんまりにもおバカすぎるコピーに何だかミョ~にはまってしまったので、この映画を見に行くことにしたのであった。おバカな方向性を極めることで既成の枠組みを無化する、という姿勢は(それなりの面白さがあるのは分かるんだけど)あまり建設的ではないように思えるので基本的にはそれほど好きではないし、60年代ファッションという奴もどこがいいのかさっぱり分からないのにも関わらず、である。しかし、バート・バカラックを心のテーマソングにし、「僕達は自由が欲しかっただけなんだ」とのたまうパワーズ君てば、ただの突発的で脈絡の無いレベルのお笑いキャラクターとは一線を画して、なかなかツボを押さえているのでは(実際のフラワー・チルドレンの皆様が見たらどう思うのかは知らないが)。単に私がバカラックに弱いだけ、という説もあるのだが、ベタベタなギャグのオンパレード(絶対日本人の知り合いがいるに違いない“奇妙な果実”なシーンの作り込みは見事過ぎる ! )にも、とにかく最後まで笑い続けていたのは事実なのでございました。……でもさすがに2はもういいんだけど……作る気なのかなぁ ? このラストだと。
タイトル・インデックスへ

【仮面の男】三星半
【ギルバート・グレイプ】の頃から応援していたとはいえ、今やもうゲップが出るくらいメジャーになってしまったレオ君が出演する大作映画はもういい、という気分になっていた。しかし、今回脇を固めるのは、ジョン・マルコビッチ、ジェレミー・アイアンズ、ジェラール・ドパルデュー、ガブリエル・バーンと、揃いも揃って芸達者な、私の大好きな俳優さん達ばかりである。ううっなんて汚い商売なんだ、これでは見に行かざるを得ないではないか ! しかも全員見事なまでのハマリ役であって、これはひょっとして、かつて映画で描かれた四銃士の中でも最高の布陣なのではなかろうかと思わせた。でもって、私はひたすらその4人に重きを置いて見ていたせいか、何だかとっても楽しめてしまったのである。しかし周りの人の反応はすこぶる悪いんだよなぁ……そういう人達は多分、何のために出ているのかよく分からないジュディット・ゴドレーシュとか、ハリウッドの意味無しラストの法則によりひたすら笑えるギャグと化していた最後の15分の展開なんかを無視できなかったのでしょう。まぁその方が多分ノーマルな見方なんだろうなーとは思うのだけれども。
タイトル・インデックスへ

【河】三つ星
人間、言いたいことがあまりにも多過ぎると、必然的に沈黙してしまわざるを得なくなるのではないか。この映画は、登場人物たちの息遣いと歩く音以外にはほとんど何も聞こえないのではないかと思うほど音の少ない映画だったのだが、その音の無い行間に、蔡明亮監督の言いたいことがびーっしりと詰め込まれているような気がした。しかし、その監督の意識のレベルまで自分の意識を持っていき、監督の思いが凝縮された画面に根を詰めて見入ろうとするのは、一週間働いてくたびれきった身体にとっては、正直言ってちょーっとキツかったかなぁ。
タイトル・インデックスへ

【鬼畜大宴会】四つ星
この映画は70年代のある学生運動グループの内ゲバ(というか、思想闘争ではなさそうだから“ゲバルト”っていう言葉は使ったらいかんのかしら ? よく知らんのだが)を描いてはいるが、その実、そのような設定などは何でもよかったのであって、ただ閉ざされた組織の内部における暴力の有様を描くためにだけ便宜的に必要とされたのだろうかなぁ、と思われた。しかし、だからこそかの時代の思想的な背景などには全く言及する必要も無かった訳で、それ故に、大島渚にも若松孝二にも描けなかったような角度から、かの時代の組織内部のある種の力学の在り方を焙り出すことが、計らずも出来てしまったのではないかと思われる。よくぞこんな凄まじい映画を創ってしまったものだと思う。ただ、正視しているのが相当辛い映画であることも間違いないのだが。
ところで : この映画のプロダクションの名前としてクレジットされていた“松畜”って……“しょうちく”って読むのかなぁ、やっぱり。(う~ん、すんごい小ギャグだこと。)
タイトル・インデックスへ

【キリコの風景】四つ星
確かに、サラリーマンもやり込みすぎると、ある種の超能力が身に付いてしまいそうではある。その主人公の大切なひとに通じる、すべての風景こそがこの映画の本当の主役だということである。私はこの映画のシーンとシーンのつなぎ方が、何だか人の生理を逆撫でするハズし方を多用してあるようでとても気になったのだけれども、実はこれも「キリコ的風景」(物語に登場するキリコさんと、画家のデ・キリコのダブルミーニングなのだそうだ)を演出するためにわざと意図されていたことなのかもしれない。全くうまくは言えないのだが、何とも不思議な、でもユーモラスで心優しい雰囲気を創り出している映画だった。
タイトル・インデックスへ

【恋するシャンソン】二星半
昔【シェルブールの雨傘】を見た時に思ったのだが……歌でセリフを代用するミュージカルみたいな形式は、娯楽が娯楽として成立することで文化になりえるアメリカみたいなところ以外では、なかなか成功しないのではないかと。だってさー、大真面目であればあるほど、あの映画はギャグに見えてしまって仕方なかったんだけど。ところでこの映画は、フランスの大いなるシャンソンの世界の一部をアラン・レネのという大御所の映画の中にパッケージングして後世まで保存する、という目的でもあって作られたのでしょうか ? そこかしこに歌と“小粋な笑い”というやつ( ? )が散りばめられているのは見て取れて、出来自体は悪いものではないとしても、それ以上の何があるのかと言えば ? ? ? だから何なの ? というのが私の正直な感想だったのだけれども。
タイトル・インデックスへ

【ゴダールのリア王】三つ星
私には今だに、ゴダールが映画史の上でどのように重要な人なのか、ということがはっきりと分かっていなかったりする。それはまるっきり私の勉強不足以外のなにものでもないのだが、しかし、ある時期以降のゴダールの、いんてりげんちゃー以外には用はない、と言わんばかりの作風には、どぉーも踏み込んで極めてみたいという意欲が削がれてしまうのだけれども。しかしアメリカに出資してもらおーがどうしようが、ゴダールはやっぱりゴダール映画以外には創れないし創るつもりもない、というのはある意味で非常に感動的ではあった。ただし、アメリカのプロダクションが出資してくれることはもう二度となさそうではあるが。
タイトル・インデックスへ

【スウィートヒアアフター】四つ星
私は基本的には邦題というものがあまり好きではないので、原題をそのままカタカナ表記した題名にもそれほど抵抗はないのだが、それにしてもこの題はちょっと意味が分かりにくいのではないか ? もう少し工夫した方がよかったような気がするのだけれども。さて、この題を無理矢理訳せば「その後、ここには甘い痛みだけが残った」といった感じにでもなるのであろうか。映画では小さな街に起こった辛い出来事が静かな記憶に転化していく様(または、静かな記憶にするべく葬った様、と言った方が正しい ? )が語られている。凝縮され、透明なまでに純化されているその痛みの描写はあまりにも美しい。これがエゴイヤン監督の本領かぁ、と本作を見て初めて、評価されている理由が分かったのであった(【エキゾチカ】の時はよく分からなかったので……)。しかしこんな、静謐という言葉がぴったりきてしまうような作品が、アメリカでアカデミー賞のいくつかの部門にノミネートされたというのにはかなり意外な感じがしたのだが。ひょっとして、“裁判で全ての真実が明らかにされるとは限らない”という部分が受けたのではないでしょうね……またうがった見方をしてしまってごめんなさい。
タイトル・インデックスへ

【ダロウェイ夫人】三星半
映画の中で描かれるヒロインの人生というものは、すべからくドラマチックなものである。ヒロインが「私は平凡な女よ」と言い張っている場合ですら、その平凡な人生のどの辺りにドラマ性を見いだし得るのか、ということに焦点が当てられるのが通例なのではないかと思われる。しかし先年公開された【アントニア】も手掛けたマルレーン・ゴリス監督の映画のヒロインは、当人たちも創り手の方も“平凡だ”と認識している人生の歩みを描写しているところがこれまでとは全然違っていて、「ドラマチックでなければ敢えて語られることなんて許されなかった」スクリーンの中の女性像の在り方に対して実は抜本的な転換が図られているのではなかろうか、と思ってしまった。こんな淡々とした手堅い作風の中でそんなことをやってしまっているなんて、それはひょっとするとものすごいことなのではあるまいか。内容に関して言えば、ダロウェイ夫人の人生自体には実際それほど共感も出来なかったのだが、ヴァネッサ・レッドグレイヴを始めとする俳優さんたちの演技などはとにかく素晴らしいので、じっくり観賞するには充分値する作品なのではないかと思われる。
タイトル・インデックスへ

【チェイシング・エイミー】四つ星
この映画を見ながら、アメリカの大学院に留学していた友人を訪ねて行った時のことを思い出していた。この映画は、アメリカに存在するある種の文化を担っている層の考え方や気分をとても的確に描写しており、かつてこのような部分を正確に描写した映画があまりなかったからこそ、特にそのような人達を中心に高く評価されたのではないかと思った。惜しむらくは、ラストが何だかすっきりと収まらなかったこと。そこまで自由な考え方の女の子を描けたのなら、もう一歩突き抜けて、自分自身も更に自由な考え方の持ち主になって彼女を理解し、うまくやっていく方法までも描けそうなものではないか ? とはいえ、この映画は監督自身の経験に深く基づいて創られたものらしいし、自分が彼女の最初の男であるべきだった(精神的に、ではなく肉体的な部分で)という発想から抜け出せなかったというところ自体も、結局ものすごくリアルな描写なのだということになるのかもしれない。何にせよ、これは今までちょっと見たことが無いようなタイプの面白さのある一本であった。
タイトル・インデックスへ

【ニューヨーク・デイドリーム】二つ星
この映画の予告編は、何か賞でもあげたくなるくらいすごくかっこよかった ! で本編の方もよくも悪くもいかにも自主製作、といった趣きの一本であった……が、生真面目な姿勢は買えるかもしれないとしても、この作品では逆にそれがあだになり、不条理というよりはあまりにも意味不明、ラストもいいオチがつかず、後味も悪いまま暗~く終わってしまった感じである。哲学的というよりは静かすぎて金城君やミラ・ソルビーノ、ジェフリー・ライト等の華を生かし切れなかったようで、勿体ないんじゃないかなぁと思った。
タイトル・インデックスへ

【ピンク・フラミンゴ<特別編>】三星半
私はエログロくらいまでならなんとかなるのだが、スカトロだけは昔から生理的にど~ぉしても駄目なのである……しかしこの映画は最早古典でもあることだし一回くらいは見ておかなくてはならないだろう、ということで、今回は意を決して見に行ってみることにした。ラストにある問題のシーンは思った以上のナマナマしさで、やはりその後思い出してはうなされてしまうことになったのだが、その他のシーン(の方が圧倒的にメインのはずなのだか)の印象は、マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』をアメリカのポップ・カルチャーに正しく継承させてジョン・ウォーターズ監督独自のユーモアを加えたような感じ ? であろうか。文学表現がどこまでも自由であり得ることをサド侯爵が証明してみせたように、この作品は映画がどこまでも自由であり得ることを証明してみせた一本であったからこそ、その徹底した描写が一部で高く評価され続けてきたのではなかろうか、と思った。
タイトル・インデックスへ

【フレンチ・ドレッシング】三星半
私は最近かなり、阿部寛さんが好きになった。単なる二枚目の地位に安住することなくいろんな役柄に果敢に挑戦する姿勢から、俳優としてやっていくカクゴみたいなものがすごく伝わってくるからである。その阿部さんが変態教師の役を務めているのが本作である。いかにも自主製作みたいな質感で、セリフの一部等が聴き取りにくかったのが引っ掛かったのだけれど、三人のとてもノーマルとは言えないほんの一時の関係性が、宝石のような時間に転化していくさまの表出がとても素晴らしい。瑞々しい、なんて言葉をつい使いたくなってしまうような感じが残る映画だった。
タイトル・インデックスへ

【ボンベイ】四つ星
この映画のマニラトナム監督は、昨年公開された【インディラ】のスハーシニ監督の旦那さんだとのことで、娯楽映画の形式の中に社会的なメッセージを盛り込む、というタミル語映画圏の一派の中心人物の一人だということだ。この映画では、インド映画の標準形である3時間という時間枠を生かし切り、前半は大河メロドラマで観客の気持ちを思いきり引き付け、政治的メッセージ色の強くなる後半の宗教暴動のシーンにドラマチックになだれ込む、という形になっている。(上映後、どこかのおにーさんが「これ、前半と後半で全然別の映画じゃん ! 」と言っていたのを聞いた。すごく言えてると思うが、でもそれは監督が計算ずくでそのように創ってあるのだと思う。)またそのメッセージも、“僕達はヒンドゥーでもイスラムでもなく、同じインド人なのだから、争うのは無益だ”と、非常にシンプルで分かりやすく、主人公の家族の置かれている状況と相まって、力強く胸に響いてくるのである。なんて見事な手腕であろう ! インド映画のポテンシャル、基礎体力の高さをまた一つ見せつけられた気がした。
タイトル・インデックスへ

【マドモアゼル a Go Go】三つ星
最近見た雑誌に、昔見たこの映画がすごく印象に残っているという誰かの話が載っていたので、何とはなしに見に行くことにした。(ちなみに、当時のタイトルは【女の望遠鏡】だったそうな……何じゃソラ。)うーん、かの時代のおっされーなフレンチ・コメディが好きな人にはばっちりストライクな一本なのではないでしょうか。私はひたすら、彼女達の化粧の濃さ(香水の匂いもきつそうだ)と、お色気担当のジェーン・バーキンがいかにも中身からっぽそうに描写されている加減ばかりが印象に残ったのですが……もともと60~70年代ファッションにほとんど興味が無い私の付けたお星様の数は、あまりお気になさらないで下さい。
タイトル・インデックスへ

【ミミ】三つ星
【カルネ】を観た時確かに、この話は女の子の側から見たらどうなるのだろう ? とは思ったんだよねー。しかし、【カルネ】の裏表を反転させたようなどこにも逃げ場が無い閉塞感のようなものを期待していたら少し違っていて、どちらかというと彼女が置かれている状況の表面的な説明に終始してしまったような気がするので、主人公の女の子の内面描写を勝手に期待してしまっていた私としては、どうも食い足りない感じが残ってしまったのだ。別にこれはこれで悪いということはないのだろうが、せっかく女の人が監督していることだし、どうせなら、性的なものを孕んだ未知の世界そのものに対する、あの年代の女の子が抱えている漠然とした重苦しい恐怖感のようなものを、もっともっとうっと来るくらいに盛り込んで、観る人に叩きつけて欲しかったかなぁ、なんて思ってしまったのだが。
タイトル・インデックスへ


ご意見・ご感想はこちらまで


もとのページへもどる   もくじのページへもどる