Back Numbers : 映画ログ No.21



【アイス・ストーム】三星半
崩壊する家族は壊れるにまかせりゃいーじゃないの、と私なんかは思う(そして多分、90年代に生きる人々の何パーセントかはそう考えていると思う)のだが、それをそんなふうに切り捨てられなかった70年代当時の当事者の感慨めいたものを丁寧に映し取っていくと、このような映画になるのだろう。その描写のきめ細かさは非常に素晴らしいと思うのだが、しかしその丁寧さが、後半には多少冗長に感じられてしまったかもしれない。ラストの決まり方は見事だったのだが、しかし、人んちの不幸で我が身の在り様に目覚めるっていうのはちょっとどうかなぁという気もするんだが…… ?
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【愛を乞うひと】四つ星
母親なり、親なりというものは、えてしてただ愛情を与える側になることだけを要求されたりするのだが、親の側とてまた一人の弱い人間、「愛を乞うひと」なのである。親が自分を愛していたかどうかなんて、それは詰まるところは誰にも永遠に判らないのではないかと思うのだが(彼等とて自分にとってはいつまでも他者でしかありえないのだから)、この話では、望むような形での愛を得られなかったある人がそのいびつな記憶をどのように乗り越えていったか、どのように自分の体験に決着をつけようしたかが真摯に語られているように思う。(児童虐待云々というのは、中心的なモチーフというよりはあくまでもある親子関係の形の描写のひとつのようだから、この映画に児童虐待という病根を社会学的に掘り下げてみることなどを期待するのは、あまり有益な見方とは言えないだろう。)そしてそこには単に親と子の関係ということだけに留まらず、他者との関わりをどう考え自分の処し方をいかに見い出して行くのかという、人間関係における普遍的な命題も示唆されているのではないだろうか。
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【アンナ】二星半
アンナ・カリーナは過剰なまでに可愛いらしいし、セルジュ・ゲンズブールの曲はとってもかっこいい。この映像の中には、その手のフレンチ・テイストが結晶化していて、そういうのが好きな人には本当にもうこたえられない作品になっているのではないかと思う。しかしこれはある意味、アンナちゃんとセルジュ先生を引き立たせるためにだけある作品になってしまっていて(その後のセルジュ先生の、曲の雰囲気と女の子の可愛いさだけで押し切るタイプの映画のルーツはこの辺りにあるのか ? )、映画としてのダイナミズムというか、ストーリー的な起伏や抑揚には少し欠けているような気がするのだが……私は意識が遠ぉ~くの方に連れていかれそうになるのと、全編必死で戦っていたのだけれども。
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【生きない】三星半
通常はこのテのお遊びの入った題名は嫌いなのだが、予告編を見た感じ、プロットがなかなか面白そうだったので見に行くことにした。この物語の終盤の展開とは違い、本来は、生き続けていくことを志向する考え方と死を選ぼうとする考え方の間には決して交わることのない深い溝があるのではないかと思うのだが、その溝を一身に体現していたかのような、まるで死神みたいなダンカンさんの役どころこそがこの映画の白眉であり、ダンカンさんが一番表したかったところなのではなかったかと思う。例えば、映画全体が“死”の色彩を帯びているところに北野武監督の映画との類似点を指摘する人もいるのではないかと思うが、しかし北野監督が描く場合は、死とはカタルシスを伴った一種の突破口であり、現存する己れの存在自体への決別の儀式であったりするのに対して、この映画に描かれている死とは日々の生活の只中に内包されている行き場の無い諦念であり、人生の不条理に対して皮肉混じりに向けるしかないひねくれた冷笑そのものである。このひねくれ方こそが、一見師匠と似ているようで実は全然違っているダンカンさんの独自性であり、そこにこそこの映画の面白さもあるのではないだろうか、と思った。とにかく、こんな小難しくなりかねないテーマをさらりとブラック・コメディに仕上げてしまったダンカンさんって、さすがにただ者ではない。
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【犬、走る/DOG RACE】三星半
新宿・歌舞伎町界隈に生きる下司野郎と超下司野郎の、友情というにはあまりにも腐れ縁なお話。岸谷吾朗、大杉漣、富樫真の三人を始めとする俳優さんの演技は素晴らしかったし、【不夜城】の20倍くらいは“歌舞伎町 !! ”という感じはした。が、『喰う、寝る、生きる』のコピーにあるような、もっとプリミティブで猥雑なギラギラとしたエネルギー感を想像していたら違っていて、意外とライトであっさりとした印象にまとまっていた感じだったので、少し拍子抜けしてしまった。ビデオなどで見ればそこそこ充分に面白そうではあるのだが、崔洋一監督ということもあり、私は勝手にもう少し違ったものを期待してしまっていたように思うのだが……。
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【イヤー・オブ・ザ・ホース】三星半
クレイジー・ホースとはよく言ったもので、彼らの創り出すサウンドのうねりの中に宿るエネルギーは正に、果てしない荒野をどこまでもどこまでも駆けていく美しい野生の馬のようだ。ニール・ヤングに全く何の興味もない人にこの映画を勧めることはまず出来ないのだが(間違っても「ジャームッシュの映画だから」とかいうことで見に行ったりしない方がいいぞ)、そうでない人なら、とにかく身を任せて浸りきって戴きたい一本である。
すごく余談 : あの「馬年」のタイトル・ロゴって……なんて『ロッキン・オン』みたいなセンス ? そこで笑いを取ってどーすんのよ ! (え、それってマジな訳 ? )
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【裏町の聖者】二つ星
まぁトニー・レオンはほどよくやさぐれた味をよく出していたように思うし、お話の方もそこそこな線ではまとまっていたのではないかと思う。が、登場人物が少し多過ぎ、エピソードもたくさんありすぎて、ストーリーの交通整理でせいいっぱい、そこから先、登場人物の一人一人の内面を語ることまでには充分手がまわらなかったのではなかろうか。それより何より、下町の診療所の院長であるはずのトニー・レオン先生が、その下町の病院で自ら診察をしている描写がほとんどないところが、私はすごく気に掛かったのだが……こんな描き方では、この先生ってば実は裏町にいることが嫌で、本当はエリート主義的な生き方に未練たらたらなんじゃないの ? ? と思われても仕方がないのでは。まぁもしかして“裏町の聖者”というのは原題とは違っているのかもしれない、としてもだなぁ……。
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【キャラクター 孤独な人の肖像】三星半
素朴な疑問がふたつほど。どぉーして皆そこまで意固地になるのかなぁ(それがオランダ人気質、ということらしいのだが…… ? )んでもって、何で今のこの時代に、特に特徴的でもないような中途半端な昔を背景にしたコスチューム・プレイなのだろう ? まぁ面白かったから別にいいんだけどねぇ。
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【シティ・オブ・エンジェル】
他の人にはまた違った意見もあるのだろうが、私個人が映画に求めているものは、未だ見たことのない何かを見せつけられることだけであって、そういった要素の無い映画を作るのも見るのも、時間とお金の無駄だとしか思えないのである。そのような人間はそもそもこの映画を見に行くべきではなかったのだろう。でもこの映画の存在自体がどうしてもキモチワルかったので、そのキモチワルさが一体何なのか、この目で確かめたいと思ってしまったのだ。例えば、人々の心の呟きに耳を傾けみつめることしか出来ない天使の在り方とか、高いところからの俯瞰の視線、あるいは図書館を舞台に使うとか、元天使が見えない天使に向かって「そこにいるんだろ ? 」と話し掛けるなど、これらは私の中では全部【ベルリン・天使の詩】に帰する以外にありえないものだ。いかにヴィム・ヴェンダース監督の許可は得ているとはいえ、そのように敬愛する作品の一部の意匠を我がもの顔に使い回しているだけでも充分耐えがたい気がするのに、ましてや全体の雰囲気そのものまで丸々コピーして流用するなんてどういうつもりなのやら ? ここまで表層的なテイストだけを美味しく戴いてテーマその他は換骨奪胎してしまうのはある意味凄い技術力なのかもしれないが、ここには一体、創造性のカケラでも存在しているのだろうか。そんな映画を作る意味がどこにあると言うんだ !! 【ベル天】を全く見たことがない人が単なるラブ・ストーリーとして初めてこの映画を見るのなら、これはロマンティックで素敵なお話、ということになるのかもしれないし、既にそういった見方をしている人の感動に水を差したいという意図がある訳ではないのだが、しかし私の目から見るとこの映画は、ただ金儲けのためだけに存在する、グロテスクなレプリカ商品だとしか映らないのだ。これは私が大概嫌いな通常のハリウッド・リメイクよりも更に一層たちが悪い気がする。また断っておくが、オマージュなりパロディなりというのはそこに自分なりの解釈などを再構築することによって初めて成立するものであって、この映画はそういった代物ですらありえない。これだけの拒絶反応は、自分にとっての【ベル天】がいかに大切な作品なのかということの単なる裏返しなのではあろう。しかし、自分が映画を観ることの意義自体をここまで無化してくれる作品を、ヴェンダースは許しても、私は許容できないのだ。
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【“BEAT”】一星半
それぞれの世界で一流であるところの人が初めて映画監督をする、という場合には心から応援したいと、私は基本的には考えている。それぞれの領域でひとかどの人物である人達はやはりそれなりの何かを持っているはずだから、もしかしたらそれが映画というメディアと幸福な化学反応をして、何かとてつもないものを出現させる可能性だってあるのではないかと思っているからだ。(例えば北野武という人だって、もともとは“映画監督”とは考えられていなかったということは記憶に留めておいて戴きたい。)しかしこの映画は、その私の精一杯のひいき目を以てしても、救い出すにはちょっと厳しすぎたのである……。一番問題だと思ったのは、宮本亜門さんがどうしてこの映画を作りたいと思ったのか、また作ってみようと考えたのかが、こちら側に全く伝わってこなかったことだ。説明的なモノローグが多過ぎる、等の技術的な問題などもたくさんあるのかもしれないが、しかし誰も“新人監督”に出来上がった技術力なんて期待していないし(どのみち、今、技術だけの映画で客を呼べるのはハリウッドくらいのものだろう)、監督が描きたいものがはっきりと見えているならば、多少の稚拙さにはには目をつぶろうという気にもなるものだ。しかしプロットは絵に書いたような紋切型だし(All the women are the hookersならAll the men are the rapistsかい ? 何じゃソラ)、ストーリーもどこかで聞いたことがあるようなお話の寄せ集め以上のものには見えず、そもそも、何故ベトナム戦争時代の沖縄を現在取り上げなければならないのか、その意図が見ていてもさっぱり分からない。これでどうやって見る側に感銘を与えられるというのだろう ? 多少救いがあるとすれば、内田有紀さんが思ったよりは良かったことくらいだが、私の好きな真木蔵人さんや永澤俊矢さんを使ってこの映画とは……あまりにも勿体無いとしか言いようがない。
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【プライベート・ライアン】三星半
確かにこの映画の戦闘場面の描写は凄い。残酷すぎる、という感想を抱く人もあるようだが、かつて読んだことのあるノルマンディー上陸作戦の体験者の話などから考えてみるに、これは綿密なリサーチに基づいたかなり正確な描写だと考えていいのではないかと思う。(実際にノルマンディーを体験した方々などは、この映画の戦闘描写を絶賛していると聞く。)今までの戦争映画における数多くの戦闘場面を凡庸なものにしてしまったという風評は、全然大袈裟なものではないだろう。そして、このように凄惨を極める戦闘場面とか、トム・ハンクス氏を始めとする俳優さんたちの迫真の演技を見て、戦争とはなんて時間と人的資源を無駄にする愚かしい行為なのだろう、という感慨を抱くのが、日本の人ならば普通の反応なのではないかと思う。確かにこの映画の中心の部分となっている戦場での場面は、戦争という行為に関わることの虚しさを描いていると解釈することは可能だし、スピルバーグは事実そういう部分も描きたかったのではあろう。しかし、その中心の部分をサンドイッチみたいに挟み込んでいる、ある退役軍人の現在の姿を描いているシーンの存在意義や、劇中のいろいろなセリフの意味をよく考え直してみて欲しい、この映画は、戦争をすること自体には決して反対していないはずである ! 戦争というものは、アメリカという国が自らの価値観を守り抜くためにはどうしても遂行せざるを得ない必要悪であり、かの戦争こそは、アメリカがそれほどまでに尊い犠牲を払ってまで“正義のため”に戦ったからこそ紛れも無い聖戦でなのである、いや、アメリカの行う戦争はすべからく“正義のため”に遂行される“正しい戦争”以外の何者でもないではないか……(言うまでもないことだが、アメリカは未だにベトナム戦争の経験を消化しきれてはいない)。そう言いたいのでなければ、全編の結論であるべきラストの部分であのジョン・ウィリアムズの勇壮な音楽がこれ見よがしに聞こえてきたりはしないだろう ? 今回ほどあのジョン・ウィリアムズ節がムカついて聞こえたことはない。私は全ての戦争という行為を愚かしいことだと考えているので、この映画の描写がいかに真に迫っていると言っても、どうしてもそれ以上は評価する気になれないのである。一体アメリカという国が、国際情勢が非常にキナ臭くなってきている今のこの時期に、自らの現在の地位を築く礎になった大本の戦争に焦点を当てた映画を作って何を再確認しようとしているのか、私達はもっとよく考えてみたほうが良いのではないだろうか。少なくとも、この映画を単なる反戦映画だと考えて中途半端に持ち上げたりしている場合ではないだろう ?
蛇足ですまんが ! : 戦争をする者はいつだって自分の側が正しいと思っている、という意味合いにおいて、この世に“正しい”戦争なんかありえないだろう。いかに第二次大戦中のドイツや日本の考え方が明らかな誤りを多く含むものだったとはいえ、物理的な力を以て相手を押え込むという考え方を同じくしていた以上、(時代的に言っていかに他の選択肢を考えることが難しかったとはいえ、)“勝利した”側も根っこは同じであったであったと言えるのではなかろうか。しかし、思想的な是非は物理的に保持する力の大小によって決められるものではないだろう ? (第二次大戦ではたまたまドイツや日本が負けたから良かったようなものの、もし勝っていたらどうするつもりだったと言うのだろう ? )人類に残されている僅かな生存の可能性を自ら握り潰してしまうような原始的な問題解決の方法論は、20世紀辺りを最後にしてはもらえないものなのだろうか ?
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【ベル・エポック】三星半
しかしテレビ局は何故に、かつて自分たちが追い落としたはずの映画なんていうジリ貧のメディアに手を出して、製作なんてものを買って出てみたがるのであろうか ? 自社で流すコンテンツの確保のため、なんて話はまま聞いたりはするのだが、それにしてもよく分からない。でもまぁこの映画は、いかにもテレビに出てきそうなとれんでーどらま的な素材を扱いつつ、なおかつテレビとやはり違った質感を確保しているということで、正にフジテレビが製作するのに打ってつけな映画だったのではないかと思われる。しかして、私にはこの映画は、凄く面白い部分と全然面白くない部分がすぐ隣り合わせに同居しているように感じられた。ずばり言って面白く感じた部分とは、鷲尾いさ子、篠原涼子、鈴木京香らが演じていたキャラクターの部分で、面白くなかった部分とは、石田ひかり、白島靖代らが演じていた部分であった。つまり原作で“仕事と自分”というものがかなり大きなテーマになっているのを反映してか(『YOUNG YOU』はいつも立ち読みですいません)、やはり仕事と自分自身にどう折り合いを付けようかと葛藤していたキャラは面白く感じられ、そうでない描かれ方をしていたキャラは薄っぺらく感じられてしまったようなのである。特に石田ひかりの演じた主人公の綺麗さんには、編集者として培われたキャリアや実力、それらに裏打ちされたプロ意識やプライド、仕事を抱える上での悩み等々など原作では欠かせない要素が微塵も感じられず、腹立たしさに近いものまで感じてしまった。とれんでーどらまならばこれでOKになるのかもしれないし、例によって原作にあるテーマを求めてしまうのは間違いだということにはなるのだろうが、それならば、主役以外のキャラの方だけに仕事なんてテーマを中途半端に覆い被せる必要なんて無かったのじゃないだろうか ? 私がもともと松岡錠治監督の描き出す女の人の像とはあんまり相性がよろしくないことを考えれば、今回はかなりいい印象が残った部分も多かったのではあるが、だったらあと一歩をきっちり詰めて欲しかったよなぁ、と心底思ってしまったのだ。
一部の男性キャラについて : 筒井道隆君は原作の「音無君」とは全っ然違ってはいたんだが、まぁこれはこれで良かったかな。田辺誠一さんはさすがに、とれんでーどらま系ならびったりハマるんだなぁと、感心することしきり。
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【夢翔る人 色情男女】二つ星
ポルノ映画を製作する人々っていうのは時々ありそうなテーマだとはいえまぁ面白いかなと思ったし、レスリー・チャンは異様に色っぽかったんだけど、全体のお話としては少しとっちらかってしまったような気がするかなぁ。
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【ライブ・フレッシュ】四星半
アルモドバル監督の映画といえば何たって【アタメ】が今までで一番好きだったのだが、この映画にはそのテーマを引き継いで更に発展させているような勢いがある。純粋過ぎるが故にエキセントリックな方向に突っ走ってしまう人間を描かせたらアルモドバル監督はピカ一だと思うのだが、本作にはそんな人間が5人も出てくる上に、その5人に実に複雑に絡み合ったドラマを展開させるのである。そのドラマをさばく手腕はかつてないくらいに見事であるといえよう。やはり風評のように、アメリカへ去ってしまったバンちゃんの身代わりに見い出したリベルト・ラバル君の存在にインスパイアされた部分が大きかったのか。とにもかくにも、としては大満足 ! だった一本であった。
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