Back Numbers : 映画ログ No.44



【愛のコリーダ2000】五つ星
学生時代に観た修正されまくりのビデオ版ですらポルノグラフィに対する認識を180度転換させてしまうのには充分だった、点数をつけるのもおこがましいほどの不朽の名作。人間という存在から性という側面を切り離してしまうことは出来ないのだから、セックスをする人間を真正面から描くことは、取りも直さず人間という存在を真正面から描こうとする試みに他ならないのだ。ほとんど全編セックスシーンの連続なので、あんまり生々しいのは苦手という人にまで無理には薦めないけれど、この映画を観るまでは、映画というものがどこまで到達することが出来るのかという地平をまのあたりにしたことにはならないのだと、私は思っている。
今回の上映に際して : 関係者の皆様の御尽力には最大級の敬意を表したい。が、ボカシを入れることが、画面の意味を醜く歪める破壊的な行為であるという事実に変わりはない。成人が観るものと格付けされている映画に、性器という誰の体にもついているものを映さないようにすることで、一体今更何の観念を“守る”ことが出来ると思っているのか。(むしろ、あるものをあるがままの姿で認めようとしない一部の人間のそのような在り様こそが、日本という国の状況を様々な側面で日に日に悪化させているんじゃないのか。)また、一部の人間の限られた知性が、総ての人間の知性の営みに恣意的に制限を加える権限があると、何を以て勘違いすることができるのか。映倫、頭が悪すぎる。
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【キンスキー、我が最愛の敵】三星半
勝新しかり、ジャック・ニコルソンしかりで、あんまりにも器が大きい俳優さんは扱う方にもそれ相応の器量が必要だから、特に後期になるとなかなかこれぞといった作品に巡り合えなくなってしまうきらいがあるのではないかと思われる。クラウス・キンスキーも、正にそんな規格外な俳優さんの一人ではなかったか。ということは、5回にも渡って彼をフィルムに収めようとしたヘルツォークという人も、並大抵のタマじゃなかったはずなのだ。愛と憎しみは同義語だっていうけれど、どちらとも呼べるような唯一無比の強烈な体験を、一つ一つ掘り起こして丁寧に辿りながら、歩く厄災、あるいは多大なる迷惑、あるいは二度と巡り合えないかけがえのない盟友でもあった彼のことを切々と語る監督の姿には、今はもう失われてしまった自らの人生の一部への郷愁が感じられる。あぁ泣けて仕方がないったら。
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【グリンチ】三つ星
ジム・キャリーって、何かを演じる度にその役は彼にしか出来なかったと信じさせてしまう希有な役者で、一作ごとにその確信をより深めさせていっているのが本当に凄い。で、今回もまたそういったふうにクリスマスが大嫌いなグリンチ君を熱演してくれているのだけれども、原作のエピソードを水増ししてその分冗長になっているまったりとしたお話のテンポには、彼の演技の勢いをうまく取り込みきれないままに終わってしまったような気が。フーなる生き物の住むフーヴィルなる村を丸ごと作り込んでしまった着想なんかは面白そうだと思ったんだけどなぁ。期待していただけにすごく残念。
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【恋の骨折り損】二星半
一応手堅くまとまってはいるのかもしれないから、古い時代のミュージカル映画がよっぽど好きな人には悪くないのかもしれないけれど、同様に若い男女の恋愛模様を描いたケネス・ブラナー監督の昔の作品【から騒ぎ】を思い出して、なんで今更こんなテーマの映画を作ろうとするのか分かんないな、という気持ちに私はさせられてしまったのだが。本作には、かつてのような瑞々しさは微塵もなく、恋が芽生える瞬間の初々しい息吹もまるで感じられない。監督は一度はミュージカルを作ってみたかった等々主張するのかもしれないが、傍目には、もうそういったリアルな情感を描き出すことが出来なくなってしまったが為に形式を必要とするようになったのだ、と見えてしまって仕方がなかったのだけれど。
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【サイレンス】二つ星
そもそも、聴覚の世界というものはどうしたって視覚で表すことは不可能だと思うのだが、それをさて置くとしても。鋭すぎる聴覚に生活の全てを引きずられてしまう少年、という設定に違和感を覚えて、少々お話に着いて行きづらい気がしたのである。自分の感覚を大切にすることは大事でも、世の在り方を学ぼうと努力する姿勢が無いと、世界の中で自分が拠って立つ根拠さえ分からなくなって孤立してしまうに決まってるでしょ ? いかに天才といえどもフィールドワークは必要だし、少年には誰かがそのことを教えてやらなきゃいけないんじゃないのだろうか。その上で我が道を行くのは自由なのかもしれないけどさ。
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【三文役者】四つ星
不用意に本物の殿山泰司の映像や実写などをインサートすると他の部分との温度差が出来てしまう、画面のセンスにどうしても古さを感じてしまうところがある(それは欠点ではないと言われればそうかもしれないけれど)、殿山泰司と竹中直人のオーラは全然違うものだから竹中さんはどうしたって殿山泰司には見えない、等々、手法の上ではどうかと思ってしまった面は実際多々あったのだ。でも私は一つだけ勘違いをしていた。竹中さんが演じたのは実は殿山泰司本人ではなく、戦後の日本の映画史と歩みを共にしてきたタイちゃんなる一人の役者の魂、に他ならない。そして映画が終わる頃には、竹中さんや、他の役者さん達の演じる人間達の姿に、すっかり引き込まれてしまっていた。気がついたら、殿山さんや近代映画協会の積み重ねられた歴史(まだスタジオ全盛で独立プロには非常に厳しかった半世紀前からずっと自分達の映画を追求し続けてきた)を描くために集まってきた人達の脈々たる思い(1シーンだけ出ているハージー・カイテルズ(大杉漣&田口トモロヲ)にも御注目 ! )に、感銘を受けてしまっていたんだもの。ということで星半分くらいは、この映画に関わった総ての人々への敬意を表したおまけの意味も込めまして。
ついでに:殿山泰司さんは、同じ週に公開になった【愛のコリーダ】にも、すこぶる重要なチョイ役( ! )で2シーンほど出演なさっています。どうぞお見逃しなく。
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【式日】四星半
私がいなければこの世界はずっと綺麗、なんて類いの自意識過剰は10代のうちに済ませておくべきだ。主人公の“彼女”は10代なんだからしょうがないかもしれないが(かくいう自分も20代前半まで引き摺っていたけどね)。作品を創ることでしか外の世界との接点がない、なんて類いの逡巡も20代のうちに済ませておくべきだ。でも、“成長しきれない”と自らを評しつつ40歳前後になってもこの感覚を保ち続け、生々しく再現することが出来る庵野秀明という人は、表現者として考えた場合には、やはりとてつもない才能の持ち主なのかもしれない。誕生日の前日を永遠に生き続ける狂気に陥る寸前の“彼女”に、自身もまた日常から逃避しようとしている“カントク”が恋してしまう、という展開は、もしかすると安易なのかもしれないし、冷静に考えると何か気恥ずかしいような気がしてしまわないでもないのだが、物語上の作りもの以外の何者でもない彼等が一緒に過ごす時間を、どこか在り得る話だと感じてしまうのは、昔の古傷がジクジクと責め苛まれていることの証左である(若い人には今この場の感覚なのかもしれないが)に違いないのだ。コンクリート工場の街・山口県宇部市という地方都市の風景と“彼女”の秘密の世界を形づくる意匠を凝らしたセットとのマッチング、自然体な演技がなかなかハマっていらっしゃった岩井俊二さんとのコラボレーション(“カントク”と庵野監督は別人とは言ったってやはり重なる部分は多いだろうし、後半どうも風貌が似てくるのである)によって、この世界を造形してしまった力業というのはやはりとりあえず評価しておくべきだと思うのだが、あと一つ当然特筆しておかなくてはならないのが、原作となった小説を書き文字通り“彼女”を体現してみせた藤谷文子さんとのコラボレーション、という側面である。そもそも彼女がいなければこの映画は成立しなかった訳だし、そのうち自分でもさくっと監督なんぞをやっちゃっているんじゃないのかなぁ、これからがすっごい楽しみな人である……って、エ ? 世に言うスティーブン・セガールの娘って彼女のことだったの ?
おまけ:新作映画の公開は普通週末からと相場が決まっているのに、本作の上映が12/7の木曜日という中途半端な日付から始められたのには、ちゃあんとワケがあったんですね。納得。
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【6ixtynin9<シックスティナイン>】四つ星
今まで映画が来たことのない国からの初めての映画、というとエキゾチズムなんぞに溢れた作品を無条件に想像してしまうのは、そろそろ治さなくちゃいけない偏見てものであるに違いない。本邦初公開のタイからの映画は、ヒロインの周りに死体が無造作にゾロゾロと増えていってしまう、でもどこかファニーな風合いのあるサスペンス。無駄が無く飽きない筋運びには思わず引き込まれてしまい、小道具などの使い方なども面白く、荒っぽい部分もあるとは言われるけれども、概ね洗練された都会的なセンスにびっくりさせられてしまう。今後の東南アジアからの映画の趨勢を占う意味でも、一見しておいてもよい作品かもしれない。
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【ジュリアン】三星半
ハーモニー・コリン監督の初監督作品【ガンモ】では、いわゆるスタンダードなストーリーテリングではふるいに掛けられて切り捨てられてしまう、形にならないノイズのようなものまでもそのままフィルムに取り込んでしまったかのような手法が印象的だった。けれども、今回の映画では、監督が独自の感覚でチョイスした素材(作りはしばしば凄く凝っている)をコラージュする、という手法は一見同じでも、その並べられた断片の中に物語らしきものがぼんやりと形をなしてきたように思われるし、そこに作者の感性そのものが定着しているというよりは、もう少し第三者的な、観察者としてのスタンスが立ち現れてきているような気がした。そのせいなのだろうか、前回はもっとダイレクトに神経細胞に切り込んできたように思われた作品世界のメンタリティに同調するのに、今回は多少の労力を要したようにも思われたのだか。それとも単に、たまたま映画を観た時に疲れていたせいだけだったのかしらん。
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【春香伝】四つ星
『春香伝』というのは、韓国では日本で言う『忠臣蔵』並みに誰もが知っている古典で、過去16回も映画化されたことがあるのだそうだ。で、今回イム・グォンテク監督は、もともとはパンソリの形式で発展してきた本作を人間国宝のチョ・サンヒョン氏(【風の丘を越えて】のものとはまた違う流派の方だとか)が歌うのを聞いて、彼の歌をメインに据えた形での映画化を決意したのだという。お話自体はどう転んでも古典なので、いくら主人公に新人を配して、原作の年令に近い男女の心情に迫った演出をしたのだと聞かされても(主人公にはベテラン俳優を配するのが通例で、今回の解釈はかなり画期的なものだそう)、例えば男が親の言うなりに恋人を置いて都へ帰ってしまうところなど、今の感覚では分かりにくい部分もやはり多々あるように思う。しかし、黄色を基調にしたまるで夢の中のような画面はあくまで美しく、件のパンソリは骨身にこたえるようにずっしりと聞かせてくれる。とにかくそれだけでも本作は充分観る価値があるに違いないが、新しい流れが顕著に出てきている現在の韓国の映画界の中で、敢えて伝統に則った作品を世に問うた監督の心情とはどういったものなのか、その辺りを慮ってみるのも面白いかもしれない。
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【ダンサー・イン・ザ・ダーク】三星半
きっとハリウッド映画に毒されているんだろうと思うけど、アメリカの裁判といえばそりゃあもう、重箱のスミを針でこれでもかというくらいつつき回し、少しでも相手に不利な証拠を集め倒して自分に有利になるようにもっていくエゲツないまでの骨肉の争いになると相場が決まってるってもんでしょー、普通 ? なのに何だこれは、最低限の事実関係すら明らかにしようとしないまま、自分を陥れた相手との口約束を頑なに守ろうとしてみたり、誰に言ったって分かるワケがないような独りよがりな理屈の説明をしてみたり。そんなのどうぞ死刑にして下さいと言ってるようなもんじゃないか、このお話が曲がりなりにもアメリカを舞台にしてると言うのなら、その行為は善良というよりはあんまりにも愚かし過ぎるんじゃないの。また、息子を守ろうという理由で覚悟して死を選んだというならば、自分で選んだはずの己れの行く末に対してどうしてそこまで怯えるのだ。(ビョーク自身はもっと超然としたキャラクターを考えていた、という話を読んだりもしたのだが。)他にも、金に困っている人にわざわざ貯金の話をしたりするのも、そもそも金を銀行に預けないのはどうしてなのかも分からないし、こんな死刑の在り方自体、あまりにも現実離れしていて作りものめいて映る。映像的に見ても、これはどうしたってアメリカなんかじゃなくって、ラース・フォン・トリアー監督が頭の中で作り上げたヨーロッパ辺りのどこかの架空の国の話なんじゃないの。そう考えた方が総ての点によっぽど得心がいく。多分監督は、限界ぎりぎりの状況でミュージカル仕立ての白昼夢に逃げ込むヒロインを描ければそれでよくって、その為だけに設定もストーリーも何もかも、いわば適当にこしらえ上げただけなのではないだろうか、と穿ちたくもなってくる。しかしそれでも、それまでの色味の無い世界から一転して繰り広げられる色鮮やかなミュージカル・シーン、そこでのビョークの絶唱には、誰しもエモーショナルな部分を掻き立てられずにはいられないことだろう。そんな新しい形のミュージカルを提起したというだけでも、この作品はそれなりに評価されてしかるべきではある。ただ、最終的にこの映画にどれだけ感動できるかは、結局ミュージシャンのビョークとどれだけシンクロできるかの度合いによるのではないのだろうか。
おまけその1:この物語の諸悪の根源であるヤツは、某国の大統領にどうもよく似ている気がする。名前もビルだしな。
おまけその2:ミュージカルが大テーマのこの映画。稀代の名作【サウンド・オブ・ミュージック】をまだ見たことがない人は、予習してから行くと更に楽しめるかもしれません。
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【DEAD OR ALIVE2/逃亡者】四つ星
終映後、前のと較べると割と普通の終わり方だね、などと話し合っていたカップルがいた(この映画をカップルで観に来るっつーのが凄い)のだが、これ以上壊しちゃってどうすんのよ、というのが私の率直な印象。前作は途中までの展開は割とまともで最後に来て一挙に弾けていたのに較べて、本作は途中の道行きの方こそ飛ばしまくり。凄惨で非情な暴力とコミカルなお笑いの対比、子供時代への郷愁、妙な小道具やカラクリへのこだわり(その日の遅い夕食にきつねうどんを食べたくなってしまったのは言うまでもない)、等々、今までの三池作品のあらゆる要素を集大成的に全部ジューサーに突っ込んで、エキスを絞り出し吐き出しているかのよう。これではせめて起承転結の筋書きくらいははっきりしてないと訳が分からなくなってしまっていたに違いない。この味の濃さは、三池崇史監督の(特にVシネ系の)作品を見慣れている人にはこたえられないだろうけど、今まで一本も観たことがないという人にいきなり薦めるのは確かにちょっと厳しいかもしれない。だから、どうしても観たい人だけを集めてレイトショー公開するのは順当なのかもしれないんだけど、黒スーツの立ち姿が超カッコイイ力兄ィ&軽みのある演技に一層の深化が感じられる翔兄ィ&この先どうなってしまうのか分かりゃしない三池監督の最強トリオの渾身のおアソビを、観ずに死ぬのは勿体ないってもの。
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【ナトゥ 踊る ! ニンジャ伝説】二星半
前作の【ナトゥ】はもっとインド映画の土壌にちゃんと則って創られていたところがキッチュで好きだったんだけどな。今回も舞台はインドだとはいえ、ベースはもう完全に日本映画であると感じられ、その中にインド映画の面白そうな要素だけをいわば適当に剽窃して掻き混ぜたもの、という印象が強くなっていた。そんな中にむりやり忍者なんかを登場させたりする大森一樹監督の器用なアレンジを、日活無国籍アクション風として評価する人がいたりしても分からないではないけれど、いかんせん、例えば向こうの人達の圧倒的なプロフェッショナルなダンスシーンなどと並べてみると、『ウリナリ』のメンバー達のあまりの素人っぽさ、学芸会っぽさが際立ってしまい、ガクーンと見劣りがしてしまっていけない。かなり踊れるはずのナンチャンも、今回は本格的なダンスシーンが少なかったのが残念だったしね。テレビのイベントものとして考えれば、それなりに退屈もしなければファンサービスも十分になされているからそれでOKなのかもしれないけど、私が映画にわざわざ求めるものは、あくまでそういったテレビ側の事情とは少し異質な何かなんだよな。
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【PARTY7】四つ星
やたらかっこいいオープニング・アニメーションを見て、あ、これも【鮫肌男と桃尻娘】みたいに本編に入ったらペースダウンしちゃうんじゃないのか、まずい ! と思ったのだが杞憂でよかった。それぞれほとんど自分の世界に自閉しちゃってる7人+αの強烈なキャラが、郊外のホテルという密室の中でお互いヒステリックなまでに緊張を高めていくのを見ながら、思わず催してしまう引きつった笑い。これは今の時代の日本、あるいは東京限定ですらある、ウルトラ内輪な世界の産物なのではないか。これで星4つというのは少しオマケかなという気がしないでもないけれど、この内圧の高~い世界は中毒性が強く、忘れられない印象(トラウマ ? )を残してしまうのもまた事実だろうと思うので。特に、本編では既にトリックスターと化している我修院達也氏 ! ちょっと出番が少ないんじゃないの ? せめてもう1シーンくらい見せて欲しかったんだけど !
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【初恋のきた道】四つ星
張芸謀御大の繊細なワザが随所に炸裂した、大変に初々しくて可愛らしい、いい映画だったと思う。けど、会場に何人かぐじゅぐじゅになるまで泣いていらっしゃた方々を見た時には少し驚いたかも……うーん私にはとてもそこまで。故郷を思う気持ちなんぞは最初から皆無にしても、素直に人を好きになるような瑞々しい気持ちすら、既に擦り切れてしまっているってことなのね。わびしい。
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【バトル・ロワイアル】四星半
一種の戦争としての殺し合いというアプローチに持っていきたがる監督に対して、原作ではもっとゲームとしてのアプローチがなされているとする製作・脚本を手懸けた深作健太氏との間には葛藤があった、といった話を読んだりしたのだが、映像にする以上は、この殺し合いは肉体を通した表現にならざるを得ないのだし、そうすると監督のアプローチは決して間違ってはいなかったと思われる。むしろ、そういった血肉の通った表現を今の社会情況とダイレクトに重ね合わせたからこそ、この映画はこれだけ強い感銘を与える作品になったのではないだろうか。この映画は人を殺し過ぎなのか ? しかし、根本的な設定として取り違えちゃいけないのは、彼等のうちのほとんどは何も好き好んで殺し合いを始める訳ではなく、頭のおかしくなった大人達によって定められた訳の分からない法律によってそうせざるを得ない状況にいきなり放り込まれてしまう、という点だ。そして彼等は、それぞれの葛藤の中でそれぞれの方法を採ろうとするに過ぎないのである。そんな一人一人の姿がこの種の映画としては驚くほど丁寧に描かれ、むしろ一人一人にきっちり筋道を持たせて死なせている(原作ほどではないだろうが、時間の制約を考えれば相当健闘している方だろう)のであって、だからこそ、究極的には国というシステムによって殺されてしまっている彼等の無力さの虚しさや哀しさが際立つのである。そもそも、高過ぎる失業率ゆえに死を選ばざるを得なかった主人公の父親に物語らせているように、切ったはったじゃないにしろ、“勝ち組”だの“負け組”だのって形での食い合い、殺し合いは既に推奨されているのだ、この国では ! ヨーロッパのような社会的セーフティネットの概念も稀薄なら、アメリカの如くに新参者にもそれなりのチャンスがあったり失敗した者に巻返しの機会があったりする訳でも無い、既得権者に有利なばかりで、後はうまくタイミングよくシステムにのっかって、まんまと金を得た者だけがいい目を見るという、もっと残酷な事態が、現実では進行しているかもしれないのだ。そんな現実に相対して監督が想起し、重ね合わせたものこそ“国なんか信用するな、大人なんか信用するな”という信念であり、その根幹にあった、戦争という不条理な暴力の経験だったのだ。彼等の作ったバカバカしいシステムを掻い潜って生き延びて、いつか変えてやれ。15歳の人にこそ観て欲しかった、という監督の気持ちがよく分かる。なんだ、すこぶるまともな映画じゃん、これ。国会議員のセンセイ方は、一体何を声高に批判したがっているのだろう ? まさか、こんな架空のお話をフィクションとして鑑賞できないほどの低~いレベルの教育しか子供達に与えていないのだと公言したい訳でもあるまいに ? それとも、彼等がテロリストにでもなってしまいそうなエンディングが許せない、システムを否定的に捉える視点が許せない、どんな法律であれ制度であれ国の作ったものには絶対に逆らうな、って意味なのか ? それならばまだ、権力の側の人が言いそうなことではあるけどね。
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【パリの確率】三星半
子供を作るか作らざるべきか、子孫を残すか残さざるべきか。ううむそれって、大っきくなった人なら誰もが一度は悩んでおくべき大命題なんじゃないの。(子供は出来てしまうもの、という説もあるけどね。)で、いつものセドリック・クラピッシュ監督なら、こういったテーマをご町内的なスタンスの作品に仕上げるのはお手のものだったはずなのに、未来の子供達と出会うという設定のせいか、何かがまかり間違ってSFになってしまったんじゃないのだろうか、この場合。砂に埋もれた街と砂漠の動物達とローテク機械が印象的な“未来のパリ”の風景(あの空飛ぶタクシーに乗りたいよう ! )や、二十代のロマン・デュリスの息子が白髪バサバサでよれよれのジャン・ポール・ベルモンド御大という異色のキャスティング、様々な要素がミックスされ未来的ながら何か懐かしさも感じさせるアヴァンギャルドなサントラ(超好み♪)等々はインパクト大で、この映画のこのスタイルが今後もたびたび言及されることになりそうな予感は充分に感じられる。ただ、そういったスタイルのインパクトに較べると、お話の方はあまりにも淡々としたタッチで抑揚に乏しいままに流れてしまったみたい。一番の焦点であるべきの主人公の心情の変化まで砂に埋もれてしまったみたいに分かりづらく、結局、お話の内容とスタイルの強度が必ずしもそぐわずに解離してしまっていたみたいに見えたのが、少し残念だったかな。
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【パン・タデウシュ物語】三星半
ナポレオンの時代の、ポーランドの小貴族シュラフタの姿(その後苦難の歴史に直面することになる)を描いた『パン・タデウシュ』は、ポーランド気質の根っこを余すところ無く伝えるロマン主義叙事詩の傑作として本国では知らない人がいないほど有名なものなのだそうだ。そんな作品を、御年70歳を越える誰もが知る巨匠アンジェイ・ワイダが映画化した本作は、監督がこれまで何度も言及してきた祖国ポーランドへの深い想いを込めながら、でものびのびと楽しみながら創っているのがよく分かる、突き抜けたような開放感のある出来栄えである。ただ、かような文学の素養がちっと足りない私めは、たくさん出てくる登場人物の相関関係を追っ掛けているだけで結構精一杯で、あんまり楽しめなかったのがかなり勿体なかったかも。ということで、この星の数自体はそんなにあてにしないで下さいね。可能なら予習をしていった方がいいと思うけど、何度も観ることが出来ればその度に味わいが深くなる、映画表現としての確固たる普遍性を擁している作品なのは間違いないと思うから。
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【ヤンヤン 夏の想い出】四つ星
この邦題は、もしかするとホウ・シャオシェン監督の【冬冬の夏休み】辺りとイメージをダブらせたかったのだろうか ? もしそうだとするとそれは姑息にして決定的な間違いだと思う。だって少年は登場人物の一人にしか過ぎないのだし、物語自体も、少年の目から語るといった構造には全くなっていないのだから。これはごく普通のある家族を、一人一人に起こる出来事や心の動きをじっくりと追いながら描いたお話である。一つ一つがどれもあまりにもその辺にありそうな出来事なので(一部を除いて)、目を引く派手さはほとんどないのだけれども、だからこそ、ごく普通の市井の人々の生活や、その良識の中に宿るシンプルな美しさが光り、さりげなくもじんわりと染み入ってくるのだ。私には、本作は監督の映画の中で一、二を争うくらい好きな作品になったかもしれない。ところで、イッセー尾形さんの演じるキャラって、脇役なんだけど凄くよかったな。幅広い趣味と教養と、人間的な魅力と懐の深さを持ち、仕事の上でも理想を求める日本人ビジネスマン。これからの時代はこうじゃなくっちゃね、やっぱ。
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【夜の蝶/ラウル・セルヴェの世界】三星半
一作ごとに全く違ったテクニックで凝らされた趣向、厳しい風刺をたっぷり含んだ内容。ベルギーのアニメーション作家ラウル・セルヴェの作品が本格的に公開されるのは本邦初とのことで、う~んこりゃ短編アニメ好きの血が騒ぐぜ ! 一本一本がそれぞれに印象的な作品ばかりだったけれど、特に、幻想的なシュールさが美しいんだか気味悪いんだかよく分からなくなってくる【夜の蝶】、プロパガンダの跋扈する現代社会への皮肉が痛烈な【語るべきか、あるいは語らざるべきか】などが、個人的には印象に残った。皆様ももし御覧になる機会がありましたら、それぞれに好きな作品を吟味してみて下さいね。
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【私が愛したギャングスター】三星半
以前サディウス・オサリバン監督の【ナッシング・パーソナル】を観て、アイルランドに深く根ざした方という印象を受けたのだが、同国に実在した大泥棒をモデルにしたという本作にこんなアメリカ人やら何やらの国際色豊かなキャストを使うことに対して抵抗感は無かったんでしょうかしら ? しかしまぁ、頭のいい人の役がすごく似合うケヴィン・スペイシーはこの主人公にはぴったりだし、実際、楽しめる仕上がりになっているからそれでいいのだろうけどね。彼の人となりや人生観、姉妹二人を妻にしちゃってるファンキーな家族関係とか、仲間との関係とか、大胆な泥棒の手口とか、いくつもある切り口はそれぞれとてもチャーミング。だが、そんなたくさんのエピソードの一つ一つをもっとじっくり観たいという気分になってしまったからこそ、全体としては残念ながらちょっとだけ食い足りない印象が残ってしまったのではないだろうか。
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