Back Numbers : 映画ログ No.46



【異邦人たち】一星半
伝染病で隔離されたというリゾート島 ? を舞台に、根無し草みたいにふわふわな存在感のコスモポリタン達が邂逅する、夢幻的な時間の一瞬のきらめき、みたいなものが描きたかったのだろうか、これは ? しかしいかんせんのっけから、どこかこの世のものじゃないような、浮世離れした造形がなされている登場人物達の心情に全く入っていくことが出来ず、その島の独特な雰囲気の中に自分の身を置くことが、どうにも出来なかったのだ。こういったものが創りたいのかな ? というイメージを彷彿とさせるような美しいシーンはところどころに散見していたし、もしそのイメージの構築が完全に成功していれば、それは他に比べようがないくらい眩しい光景として心に焼き付いていたかもしれない、という予感だけはかろうじて感じられたのだが……。
タイトル・インデックスへ

【ギプス】四つ星
昨年から多くの傑作を送り出しているシネマ下北沢のビデオムービーシリーズ《ラブシネマ》の第5弾 ! 今回は【月光の囁き】等で卓越した構成力・新人離れした安定感を見せた塩田明彦監督が、ほとんど女性二人だけで、“愛情における権力関係”をテーマにしたという抜き差しならないドラマを展開させる。命令を聞かなきゃいいのに何故か断り切れず、どんどん深みに嵌まっていく二人の関係を、少しずつスリリングに、確実に紡いでいく手腕は、やはりお見事と言う他ない。偽のギプスをつけて周囲を振り回すミステリアスな女性を演じる佐伯日菜子さんはさすがの貫禄だが、言われるままになりながらいつしか相手を所有してやろうと思い始める女性を演じる尾野真千子さんの、一見ネガティブな存在感もなかなか負けてはいなかった。話の余韻の残し方も面白くて好きである。
タイトル・インデックスへ

【キャスト・アウェイ】四つ星
トム・ハンクスがまたアカデミー賞にノミネートですって ? ……しかしそんなうんざりした気持ちも、映画を観ると、なるほどこりゃ仕方ないわときれいに払拭されてしまった。途中の大部分を占めるのは無人島でのシーンで、一人ぼっちの毎日の中、とりつくしまもない孤独や絶望と戦いながら、石や木の道具を使い始め、食料を得、火を起こす術を獲得し、ついには島からの脱出を図るという過程を、セリフもBGMもほとんど無いところで自分一人の演技で見せ切るのだから、その圧倒的な力量たるや、これはもう生半可なものではない。途中の1年の撮影中断期間中に体形も見事にシフトさせ(その間にロバート・ゼメキス監督は【ホワット・ライズ・ビニース】を撮ってたんだそうな)、××みたいな汚ったないナリで4年の月日の経過を見事に体現してみせたトム・ハンクスは、なるほどハリウッドNo.1の称号に相応しい、紛れもないプロ中のプロである。で、これで話が終わりかと思いきや……ラストはかなり意外(賛否はあるかもしれないが)で、いろんな意味で考えさせられたとだけ言っておこう。ハリウッド大作の風体をしているけれどこれは、演出上の様々な掟破りに敢えて挑戦している、かなり意欲的な作品なのではないかと私は思う。
いよっ太っ腹 !! : トム・ハンクスは国際宅配便のフェデラル・エクスプレス(FedEx)の社員で世界中あちこち飛び回っているという設定。その荷物が満載されたチャーター便が海に落っこちてしまうのだ(この事故のシーンがまたリアルで迫力 ! )。しかしこんな使い方をよく許してくれましたよね、フェデックスさんてば。
タイトル・インデックスへ

【キング・イズ・アライヴ】二星半
クリスチャン・レヴリング監督による本作は、【セレブレーション】(トマス・ヴィンターベア監督)、【イディオッツ】(ラース・フォン・トリアー監督(今春公開予定))、【ミフネ】(セーレン・クラウ・ヤコブセン監督)に続く『ドグマ95』映画の第4作目。道を間違えたバスが砂漠の真ん中で迷ってしまい、助けも望めない情況の中で互いのエゴが剥出しになり、決して癒されることのない現代人の孤独が浮き彫りにされる、という設定自体は面白いんじゃないかと思ったのだが、う~ん……なんかこういう内省的というか、内側に向かってぼそぼそ喋っているようなタイプの映画って、私は年々受け入れがたい体質になってきているみたいだ。そういうのが大丈夫な人なら、色々と文学的な深読みをしてもっと楽しめるのかもしれないが。
※『ドグマ95』とは : 1995年に上記の4人のデンマーク人監督によって提唱された映画作りの一つの方法論のようなもの。最近ではジャン・マルク・バール監督の【ラヴァーズ】、ハーモニー・コリン監督の【ジュリアン】などもドクマ映画として認定されているようです。その規約には、セット撮影は行わない(全て実際のありものを使ったロケ撮影にする)、照明は使わない、サントラ禁止、時間と場所の解離は認めない、等々の色んな条項がありますが、そのココロは、ごてごてとややこしい約束ごとが幅を利かすようになってしまった昨今の映画作りの在り方を一旦リセットして、映画ってもっとシンプルに作れるんじゃないだろうかという地点に立ち返ってみよう、というところにあると考えれば充分なんじゃないかと思います。ところで、「なんでデンマークなの ? 」と思う人もいるかもしれませんが、古くは白黒時代の世界的な巨匠カール・ドライヤー、現在は【ダンサー・イン・ザ・ダーク】のラース・フォン・トリアーを生み出しているように、実はデンマークって結構豊かな映画文化の歴史を擁している国なのですよ !
タイトル・インデックスへ

【小説家を見つけたら】三星半
自分の行く末に迷っている男の子を導く年長者、というと、同ガス・ヴァン・サント監督の近作【グッド・ウィル・ハンティング】との類似がよく取り沙汰されるようだが、センセーショナルなデビューの後2作目を上梓していない作家&これから作家になろうかという若い男の子の組み合せは、しばらく前の【ワンダー・ボーイズ】なんて映画の設定ともちょっと似ている。ただし、マイケル・ダグラスがコミカルに演じた2作目を書けないプレッシャーに苦しむ作家とは違い、ショーン・コネリーが貫禄たっぷりに演じるこちらの作家は、確信犯的に隠遁生活を送るモノホンの“生ける伝説”。そんな偏屈な大作家がいつしか心を許す相手、という役どころを違和感なく演じているロブ・ブラウン君のまっとうな存在感にはなんたってすごく好感が持てるので、個人的には【グッド・ウィル…】よりもこちらの方が好きだなぁとは思った。のだが……彼を取り巻く様々な状況は所詮、白人の目から見て安全で都合のいいステレオタイプな黒人の描き方の域を出ていないのではないかとか(彼の住むブロンクスが危険な地域と言及されながらちっとも危険に見えないし)、F・マーリー・エイブラハム(【アマデウス】でサリエリを演じていたあの人だ ! )が存在感は素晴らしいのにエピソードが薄っぺらいせいで悪役として分かり易くなり過ぎてしまい、その分物語に深みを欠いてしまっただとか、クライマックスのシーンでは何で皆それを簡単に信じちゃうの ? といったふうな雑な印象が残るとか、正直もっと描き込んで欲しいと感じられてしまう部分がないではなかったのだ。その辺りが充分掘り下げられていれば、これは歴史に残るような名作になっていた可能性も充分あったのではないかと思われるのだが。惜しい。
タイトル・インデックスへ

【処刑人】三星半
原題の“THE BOONDOCK SAINTS”は“垢抜けない聖人”といった感じだろうか。こういう類型化はよくないとは思うのだが、ただ、タランティーノ以降のオフビート・バイオレンスの流れを組む作品だとは、よく評されているようである。何がこの映画の魅力かって、この世の悪を浄化する使命に燃える主人公の二人組だとか、その主人公達につきまとう問題児だとか、伝説の殺し屋だとか、てっきり悪役だと思っていたらもっとタチの悪い変人の役だったウィレム・デフォーとか、とにかく出てくるキャラクターが揃いも揃って立っていること ! ストーリーの転がし方などがかなり御粗末でその折角のキャラクターが生かしきれていない等々、はっきり言って欠点も凄く多い映画だとは思うのだが、それで捨ておくには勿体なさすぎるこのチャーミングさには一見の価値はあり !
タイトル・インデックスへ

【スナッチ】四星半
主な登場人物だけでざっと15人以上、6~7組のアヤしい人々が入り乱れて怒涛のように展開するなんて信じられない構成 ! (ブラッド・ピットが主演であるかのような宣伝がなされていたが、敢えて言うなら本作では、主な登場人物はみぃ~んな主人公なのです ! )一見した表面的なフォーマットは【ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ】を踏襲しているけれども、その実、前作をきっちりパワーアップさせたシロモノを創り上げてしまったガイ・リッチー監督という人はやっぱりスゴイ。だって、今回彼は正にこういう映画を創ることを周囲の誰からも望まれていたに違いない、と予想されるからだ。この仕上がりのカンペキさを見るにつけ、この人はまだ才能のほんの片鱗しか見せていないんじゃないだろうか、なんてそら恐ろしい気分にすらさせられてしまう。この映画をけなすのは、この世界の独特のセンスがもともと体質に合ってなくてそんなに楽しめないタイプの人か、完璧なものを見せられたら見せられたで何かしら文句を言ってみずにはいられない人かのどっちかだな、きっと。でも監督の映画を初めて観るという方は、こんな評すら頭から消し去ってとにかく一切の先入観念を切り捨てた上で、ただこの圧倒的な流れに身を任せてみるのがいいと思います。要は四の五の言ってないで素直に楽しみゃいいってこと。
タイトル・インデックスへ

【W/O】三つ星
かつて学部外者ながら東大駒場寮に住んでギャラリーをやっていたという(壊される前の駒場寮問題は話に聞いたことがあるだけだったのだが、そこまで無国籍的なアジールと化しているとは知らなかった)、長谷井宏紀監督が舞台挨拶に来ていた。御本人はこの映画が、アート・ドキュメンタリーと呼ばれることも実験映画的と呼ばれることも嫌だと言っていた。でも端から見た限りではそうとしか見えないこの映画を、どうしてそう呼んではいけないのか、あんまりよく分からなかったのだが……自分が自分にとってオリジナルの唯一の存在であって、この世の他の何者とも簡単に関連づけられたり、安易にカテゴライズされたくない、といったことなのか ? う~んそれって……若いよなぁ……なんて言ったらまた怒られるんだろうなぁ。ともあれ、自分がこの世に存在すること自体が許されているのかどうかとか、自分で自分のことをアーティストだと思うことは果たして間違ってないのかとかいった点で、迷わずにいられるなんてこと自体が、私は羨ましいわいね。
タイトル・インデックスへ

【ツバル】三つ星
モノクロの映像(色味の加工はされているけれど)、水や船のイメージなどからか、往年のジャン・ヴィゴ監督の【アタラント号】みたいな映画を、見ながら思い出していた。本映画の独特のスタイルには、そういった昔の名作のテイストの再現が意図されているのだろうか ? しかし、かつての映画では初々しさや善良さとして映っていたものも、今のこすっからい世の中の文脈の中に置いてしまうと、必ずしも美点として映らなかったりして。もっと平たく言うと、この世間知らずな主人公のナイーブさみたいなものを延々と見てるのは、かなりイタいというか苦しかったのだ。それは、受け取る側のスレまくったパーソナリティの問題も勿論あるのだけれど。
タイトル・インデックスへ

【東京攻略】三星半
のっけから新宿の裏通りで繰り広げられるトニー・レオンのアクション・シーンを“カッコイーっ !! ”っと思ってしまった時点で、既にジングル・マ監督の術中にどっぷりと嵌められてしまっていたワケだ。で、有能な美人の部下を何人も率いるトニーの伊達男ぶりに対して、ケリー・チャンに片想いする2.5の線のコミカルな味を披露するイーキン・チェンも今回はなかなかステキに映ったし、またまたヘンな役を怪演している阿部寛さんも予想してたよりはるかにがっぷりストーリーに絡んでいた感じ。設定等には結構行き当たりばったりなところも見受けられたけれど(その設定だとトニー・レオンの日本語はやはりもうちょい何とかすべきだったよな(笑))、道路規制があるはずなのにこんなのどうやって撮ったんじゃ~ ! と言いたくなる程東京のあちこちをアクロバティックに駆け抜けて、最後には墨田川でボート・チェイスまでしてしまう、ただひたすら面白いものを撮らんがためのフットワークの軽さにはもう脱帽。娯楽作としてのツボが押さえられていて、たっぷり楽しませてもらってお釣りがくるという意味では、これはなかなか悪くない映画だと思われるのである。
タイトル・インデックスへ

【ハイ・フィデリティ】四つ星
ジョン・キューザック、ジャック・ブラック、トッド・ルイーゾの“おたくレコード店員三人組”は、これはこれでいかにもアメリカ的なおたくの姿をよく表しており、何せ笑えて秀逸だと思う。でも、内輪の熱狂的なセクトを作る方向に向かう傾向のあるアメリカとちょっと違って、原作では伝統的な階級社会であるイギリスが舞台になっているので、話の筋にある“センスの無い人間を差別化して自ら新しい階級を創ろうとする”ような行為にはもっとシニカルな意味が込められているような気がする。だから、この映画が原作通りシカゴではなくロンドンを舞台にしていたら映画のトーンは全然変わってしまっていたのではなかろうか。その可能性についてはやっぱりちょっと考えてみずにはいられない。ともあれ、その辺はいつか原作を読んで検討してみることにして……実際観ていて一つ疑問だったのは、中年になっても地に足が着かず自分のことしか考えていない(うっ、痛いっ ! )未熟な自己中男の主人公のどこらへんがカノジョから見捨てられずにいるのか、今ひとつよく分からなかったところ。(男の監督さんがダメ男を主人公にして作ると割とありがちなんだけど。)でもこれを“何だコイツ”とケーベツする方向ではなく“しょーがねーなー”と溜息をつかせてホンワカした笑いに包み込んでしまう線にさりげなく落とし込んでいるのは、若いのに既に超ベテラン俳優であるジョン・キューザックと、これまた何を創らせてもハズレの無いスティーブン・フリアーズ監督の巧みな計算によるものなのだろう。やはり今回もついつい魅入らせられてしまった。手堅くていい仕事なんじゃないかと思う。
タイトル・インデックスへ

【フリークスも人間も】三星半
ぱっと見は、ブルーフィルム(昔のポルノ)のクラシックなテイストに、トッド・ブラウニング監督の【フリークス】を少しマイルドにしたものを掛け合わせて、悲劇として端正にまとめてみました、といった印象。で、インタビュー等を読んでみると、あまりにそのまんまなことが書かれていたのが何だかな。アレクセイ・バラバノフ監督は、共産主義時代以降スタジオシステムが崩壊してしまったロシアで映画を撮り始めた世代の監督さんの一人で、「ゲルマンやソクーロフ以降の若い世代には大した才能は育っていない」と嘆く国内の保守的な評論家筋にもめげず、色々と試行錯誤を繰り返しながら映画を撮り続けるための新たな方向性を探りつつあるのだという。その果敢な姿勢には大いに敬意を表したいと思うのだが、ただ、私ごときに見透かされる程度のネタの組み合わせに終始しているだけならば、大マジアート映画を標榜するには確かにちょっとひねりが足りないような気はするのだが。ともあれ、芸術主義と商業主義がせめぎ合い、独自の様相を呈している感のある現在のロシアの映画界の一端を垣間見るには、本作はなかなか面白い映画かもしれないと思われるのだが、いかがなものだろう。
タイトル・インデックスへ

【見出された時~『失われた時を求めて』より】三つ星
そういえば学生時代には、マルセル・プルーストが好きな人とかたま~にいたっけかなぁ……で、こういう映画の出来の良し悪しは、やはりそういう人にこそ評してもらうべきであろう。お貴族様チックなゴォ~ジャスなライフスタイルはともかく、主人公が日々考えていることの内容というのも、ひたすら鼻先のことしか目に入らない私の今日この頃の生活実感からはあまりにも掛け離れているようで、残念ながら筆者には、その世界の奥行きに分け入っていくことが全然出来なかったのだ。そもそも、失われた時の大部分は永遠に捨て置きたいと思っているところにしてからが、個人的にはネックになっているような気もするし……。
タイトル・インデックスへ


ご意見・ご感想はこちらまで


もとのページへもどる   もくじのページへもどる