Back Numbers : 映画ログ No.47



【青 chong】四つ星
こんなにレベルが高い作品が映画学校の卒業制作なんて信じられない ! 在日コリアン作家の作品というとある決まった感じのトーンを予想して見る前から身構えてしまったりする場合もあるのだが、この作品は全然違っていたので、全く嬉しい裏切られ方をした。差別などが厳然として残る現実も描きながらも、基本的にはあくまでも軽快・前向きかつ笑いありのタッチの本作は、在日三世の作家・金城一紀さんの『Go ! 』などと同様に、もっとストレートで普遍的な青春ものの傑作として見ることが可能だし、その方が妥当だと思われるのである。無駄なシーンや台詞が一つとして無い、新人離れした演出力を擁する李相日(リ・サンイル)監督は、正統派のエンターテイメント作品をものする、次の世代の最も実力のある監督の一人としてほどなく頭角を現すようになるだろう。今回、朝鮮学校の生徒を演じた主要キャストの四人(眞島秀和、山本隆司、有山尚宏、竹本志帆)は、準備期間が短い等の理由で全員日本人になったそうだが(イメージに合ってて演技が出来てギャラの折り合いもつく人を短期間で探すのってそりゃあもう大変なのよ ! )、素晴らしい存在感を見せてくれた彼等の今後の活躍にも期待したい。
タイトル・インデックスへ

【青空】三星半
さすがにポルノ映画館に一人で行く度胸は無いので、ピンク四天王の一人といわれるサトウトシキ監督の映画も一般の映画館で上映された1~2本を見たことがあるだけだ。今回の映画は当初はピンク映画ということで企画されたものらしいが、始まり方といい終わり方といい、女性の立場からするとちょっと何だかな、という話になっているのは否めないと思う(“大して惚れていた訳でもない女”を“ただなんとなく”殺してんじゃないよな、オイ)。けれど、抜群に上手いという訳ではないが独特の節回しを持っている男性のとつとつとした独白で貫かれている本作は、下手に女性を主役にした作品よりははるかに説得力があったし、セックスしているか、町工場で働いているか、走っているかという肉体性に還元された表現との兼ね合いが、ピンク映画という枠組みを逆手に取ってこその手法に思われて、いっそ面白く映ったのだ。主人公の行き場のないの虚無感や行き詰まり感が突然、青空の見えるぽっかりとした空間のような不思議な開放感に行き着いた時、他ではお目にかかることの出来ないような独特の手応えが残った。
タイトル・インデックスへ

【アカシアの道】四星半
母親と娘との葛藤というのは、映画の世界の中では実は今まであまり語られてこなかったテーマなのではないかと思う。本当のことを言えば、私自身もあまり親子関係がうまくいっている方だとは言えないから、介護の問題をきっかけにして過去に渡る親との関係をもう一度見つめ直さざるを得なくなるという展開は、全く以て他人事ではない。今まで放置しておいた人生の大宿題を思いっきり突き付けられても、にわかにはどうしていいのかさっぱり分からない。でも現実というのはいつか必ずやって来るんだよね……かように軽いテーマじゃない話をきめ細やかに描写しながらも、一見さほど陰々滅々ともしておらず、不思議な明るさや軽やかさを感じさせる印象すらあるのだが、観終わった後にはやはり、永遠に何かの楔を打ち込まれてしまったかのようなはっきりとした余韻が残っていた。松岡錠司監督が創る恋愛ものとは私はどうも相性が悪いと常々感じていたのだが、こういったテーマでなら、人対人の微妙な関係性を描く手腕に定評のある監督の美点を、はっきりと見て取ることが出来た。特に30代以上の女性の方、あるいはそんな人をパートナーに持つ男性の方には、観ておいても決して損はしないと是非お薦めしておきたい。
タイトル・インデックスへ

【アタック・ナンバーハーフ】三星半
オカマであるがゆえにちゃんとした扱いを受けられなかったタイのバレーボール選手が、自分達でメンバーを集めてオカマちゃん中心のチームを作り、ついには全国大会で優勝したという実話を基にしたサクセスストーリー。ごく手堅い演出には意外性のようなものはあまりなくて、そのお約束な内容が良くも悪くも想像の範囲内だったのが少しもの足りないような気もしたのだけれど、彼等が結束を固めて一つ一つ勝利をものにしていく様子が、涙あり、笑いあり、感動ありのてんこもりな内容でストレートに描かれているのにはやはり好感が持てる。でも、エンドロールでモデルになった人達の実写映像を流すというのはどうかなぁ。ホンモノさんの色濃い存在感や迫力を前にすると、所詮本作は俳優さんが演じている作り物には違いないということを思い起こさせてしまいかねなかったりして……そうでもない ?
タイトル・インデックスへ

【あの頃ペニー・レインと】三星半
キャメロン・クロウ監督も本編の主人公みたいに、15歳頃から『ローリングストーン』誌で記事を書いていたというのは知られている話。で、この映画はもろに、誰もが生涯に一作は創ることが出来るといわれる青春物語なのだと評しても、監督自身も別に否定もしないであろう。監督の目にはかの70年代は、この映画の中の時間みたいにキラキラ輝いていたのであろうか。ただ、実際の“ドカドカうるさいR&R”ツアーはもっと身も蓋も無いもので、もっともっとキタナいビジネスや打算や妥協やらが横行し、もっと生々しい屍が累々と横たわっていたことは誰もが聞き及んでいる話なのではないだろうか。映画を商品として手堅くパッケージングするためには、この後半の“結局それほど大事には至らず終わる御伽話的な展開”というのは正しい選択だとは思うのだが、うんと歳が若かったとはいえ実際に色々な現場を見て知っている筈の監督がその辺りをどう考えて作ったのか、ちょっと聞いてみたいところではある。
ところで : 一箇所だけ気になった字幕があった。ツアーの面子が「1984年には自由のない世界が来る」と言っていたのを、本編が1973年の話ということで“11年後”と訳していたのはいかがなものだろう。監督はかの時代にデヴィッド・ボウイの独占インタビューを取ったことで名を馳せたそうだし、実際に映画の中でボウイさんにちらっと言及してもいる。興味のある方はアルバムの『Diamond Dogs』を聴いてみて ! 無論、元ネタはジョージ・オーウェルです。
タイトル・インデックスへ

【イディオッツ】四つ星
異質なものに対して理解のあるふりをしながら巧妙に垣根を作ろうとする人々の偽善を、知的障害者の真似をすることによって暴こうとするなんて、それは相当趣味が悪い。中でも一番極端でしばしば感情のコントロールまで追い付かなくなるグループのリーダーを見ていると、そうしたエキセントリックなまでの(ある意味での)純粋さ、そしてその純粋さを無理矢理にでも貫こうとする傲慢さが、変人としていろいろな逸話の多いラース・フォン・トリアー監督本人とダブって見えてきてしまう。私も彼等の基準からするとしっかり偽善者の範疇に入る人間なのだろうし、彼等の行動様式や、純粋さを白痴性と結びつけて提示しようとする思考プロセスの、全てが理解できたとはとても言い難い。でも、こうしたエキセントリックさは誰の中にもあるとする主張には、頷けないじゃない。そんな諸々がドグマ95方式の直截な表現で綴られているのが、時には嫌悪感すらもよおすような印象を残しつつ、それでも登場人物達が段々いとおしく思えてくるようになるうちに、何かしら説得させられたような不思議な気分になってきてしまうのだ。それも監督の狙い通りなのだろうか。やっぱり食えない人である。
タイトル・インデックスへ

【花様年華】四つ星
私にとってのこの映画は、トニー・レオンがくゆらせるタバコの煙りのイメージ。あるいは、マギー・チャンの目にも鮮やかなチャイナ・ドレスのイメージ。二人とも、元が美男美女だというのに、これがまた5割増しくらいでかっこよく見えるんだな。抑制の効いた彼らの恋愛は、一見今までのウォン・カーウァイ監督の作品とは打って変わった静的な雰囲気ではあるけれど、ストーリー展開などよりは各シーンの空気感のようなものに重きが置かれている創りそのものは、やはり変わらないような気がする。なんたって英語の題名が『IN THE MOOD FOR LOVE』だもの。このシビれるようなたゆたうような“ムード”こそを、ただただ溜息をつきながら、心ゆくまで楽しむのがよろしい。
タイトル・インデックスへ

【ギター弾きの恋】五つ星
再婚後のウディ・アレン映画は、誰もが楽しめる伸びやかな作風の名作揃いなのだけれど、当代で5本の指には絶対入る名優ショーン・ペンを迎えて撮った本作にはひときわ、掛け値なしの傑作の薫りがする。派手好きで出たとこ勝負で自己中心的、でもそんな主人公を憎めないのは、彼の心根の純粋さにある種の美しさを感じるからだろう。そんな彼と何故かうまくやっていた彼女。そして小気味よく運ぶ無駄の無い話の構成に、最後には誰もがちょっとくらいはホロリとさせられてしまうに違いないあのシーン。もう何も言うことは無い至芸。取り敢えず観ておいて頂戴。
タイトル・インデックスへ

【ザ・セル】四つ星
人間の深層心理に分け入っていくバーチャル・リアリティもの、という設定の割には、サイコパスである犯人の心理の掘り下げ方はまことに通り一辺倒、ステレオタイプでかなり浅いような気はする。でもそう思ったのは後で冷静になって考えてみた時のこと。現代美術を始めとして、世界中のありとあらゆる素材に取材したんじゃないかしら、と思えるようなインパクトのあるビジュアル・イメージのオンパレードはただもう圧巻。体調がベストではなかった私は、ちょっと吐きそうな感覚を覚えてしまうほど、頭がくらくらしてしまった。ビジュアルをここまで凝ることで一本創り上げてしまえるなんて、それはそれで評価してもいいことなのではないだろうか。これは出来ればブラウン管よりも、映画館の大きな画面で見ることをお薦めしておきたい。
タイトル・インデックスへ

【サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS】二つ星
この映画でよかったと思うところを挙げてみよう。心から愛する孫を優しく見守る、可愛くて上品なおばあちゃまを演じた八千草薫さんは絶品 ! この映画の命脈は彼女の演技によってこそ保たれていると言っても過言ではあるまい。その八千草さんがあればこそ説得力があるのだが、安藤政信君の号泣シーンもなかなか見せる。そう運んでいくと、ある意味お約束のラストシーンもそれなりに美しく映り、本広克行監督が“今回は泣かせます”と豪語していたのにもそれなりの裏付けがあったのだなと納得できない訳ではない。それでは、この映画のどこがおかしいと思ったのか。真実を知るというのはどんな人間にとってもごく基本的な権利なんじゃないかと思うのに、周りの人間に自分の感情が筒抜けであることをサトラレ君本人に知らせないようにするという方法論に、根本的な疑問を呈する人が一人も現われなかったという点が解せない。私がその世界にいたのなら、逮捕されようが国のGDPが下がろうが“サトラレに真実を伝える会”のテロリストになっていたに違いないのに。サトラレ君を傷つくことから遠ざけようとしてよってたかって過保護にするという発想がいかにも今の日本的で、それがものすごく気持ち悪い。真実がどうであれ、本人が頑張って乗り越えるしかないのだよ。そんなんじゃ彼自身は本当に自分の人生を生きたことにはならないんじゃないの ? もしそれがどうしても不可能なのだとしても、周りに余計な労苦を強いるのではなく、普通は本人に対してケアをするという方向で事は動くでしょ ? そこのところのフィクション性を、金が絡んでりゃ人間何でも我慢するという発想で押し切ろうとするのも何か戴けない。また、サトラレ自身にとっての人生の意義というごく基本的なことについて考える人が、物語の中盤の時期になるまで誰も現われなかったなんていうのもマヌケな話で、サトラレの法案とやらが作られる時にそのことを誰一人問題にしなかったなんて、実際ありえないと思うけど。他にも、IQが180以上もあるような人ならばほっといたって真実に気付くんじゃないかとか、今更進路を変えさせるくらいならもっと早い時期に調整を試みていただろうかとか、いろいろあるけどとりあえず置いといて。総じて言えば、実写に起こすことを想定した場合にはあまりにも無理があり過ぎると思われるこの設定を、やはり私はどうしても看過することが出来なかったということだ。ただ、この前提に違和感なく乗っかれた人なら、構築されていく物語をそれなりに楽しむことも出来なくはないのかもしれないけれど。
タイトル・インデックスへ

【ザ・メキシカン】二星半
もともとこの脚本を書いた人、また少ないギャラでも出演を引き受けたというブラッド・ピットやジュリア・ロバーツの念頭には、ロバート・ロドリゲス(【デスペラード】)やタランティーノ辺りの作風があったんじゃないかと思う。しかしそういうタイプの映画って、えてしてお話自体は割とどうでもいいようなものだったりして、むしろキャラクターの造形や独特のテンポ、雰囲気の作り方などで味付けしてナンボなんじゃないのだろうか。なのに、ごく普通の撮り方でごく普通のスター映画を作ってて一体どーすんのよ。大体、強烈な日差しに砂埃の舞うメキシコというアクの強い土地柄を舞台にするのには(ステレオタイプなイメージですみません)、もっとやぶれかぶれなテイストが必要では ? いっそ無名の俳優さんを使うとか、でなければ主演二人の既に出来上がっているスターのオーラをぶっ壊して再構築するほどの冒険が出来ないようなら、こんな題材にはおいそれと手を出さない方が無難なんじゃないのかな。
タイトル・インデックスへ

【ダブルス】二つ星
井坂聡監督といえば社会派のサスペンスが真骨頂という印象が強いし、ポスターやチラシ、予告編等のパブリシティも硬派な犯罪サスペンスを期待させる作りだったので、いわばすっかりダマされてしまったんだな。せめて、一昔前のラブコメみたいなタイトル・ロゴにおやっ ? と思った時点でこれはコメディだと気づくべきだったのに。でも、鈴木一真さんは実地になるとまるで弱いパソコンおたくという設定を遊び切れていないし、萩原健一さんの演技は中途半端にシリアスだったりするんだもの。基調とするノリがどこにあるのか定めきれず、乗り切れないままに終わっている感じ。そもそも、こういった題材が井坂監督の資質に合っていたのかどうかすら、私は疑問に思うのだが。このような今風の展開の逆転劇なら、堤幸彦とか石井克人、本広克行といったTVやCMの出身の、ある種冗談めかしたスピーディーな作風が得意な監督にオファーした方がよかったんじゃないのだろうか。
タイトル・インデックスへ

【チキンラン】四つ星
最初、アードマン・スタジオのクレイ・アニメにしては若干動きが粗いかなと感じた部分が正直あったのだが、セットやライティングなどのアニメーション離れした凝り様ときたらやはり相変わらずだし、何せ話の中身の方に引き込まれてしまうので、技術的な面についてはすぐに何も気にならなくなった。話の軽快な運びもさることながら、とにかく出てくるキャラが皆秀逸なのがいい。ニワトリ小屋(というよりまんま戦時中の収容所)からの脱走に何度も失敗して、時には絶望的な気持ちになりながらも決して諦めずに次の計画を練る勇敢なメンドリのジンジャーちゃんには真っ先にホレてしまったし、そこに迷い込むオンドリのロッキー君(フルネームはRocky Rhodes the Rhode Island Red Rooster : メル・ギブソンの三の線もイケる声の演技に注目 ! )をアメリカ生まれという設定にして、舞台になっているイギリスとの視点の違いを会話に反映させたりしているのも面白い。天然オトボケキャラのバブスの言動にはいかにもアードマン的なちょっとシニカルなユーモアのエッセンスがたっぷり込められていて、ここでもまた作者のイギリス魂の健在ぶりをアピールしてくれていたし、他にもインテリチキンのマック(スコットランド系 ? )、泥棒ネズミのニックとフェッチャー、オジサンかと思ってたら実はオバサンだった敵役のミセス・トゥウィーディなど、脇を固めるキャラも楽しい。果たしてニワトリ達は“頭の中の金網”を乗り越えて、無事自由の天地へ辿り着けるのか ? 後は観てのお楽しみということで。
タイトル・インデックスへ

【チャイニーズ・ディナー】四つ星
舞台はとある高級中華料理店の特別室、登場人物は3人、他に目立つものは拳銃と、水槽のアロワナと、次々にサーブされる豪華な中華料理くらい。たったこれだけのシチュエーションの中で、食への刺激に彩られた死の緊張感を全面に滲ませつつ(エンドロールで料理の名前が全部紹介されているところを見ると、料理自体も重要なキャストであると申せましょう)、殺し屋と殺されようとしている男の駆け引きのみを延々と展開して飽きさせないというのは、なかなかに凄い手腕だ。TV界で充分売れっ子であるという地点に安住しないで、こんな実験的な作品を敢えて創ろうとする堤幸彦監督の攻めの姿勢は、見ていて清々しい。
タイトル・インデックスへ

【どつかれてアンダルシア(仮)】四つ星
日本は世界で二番目にフラメンコが盛んな国だというし、スペイン人と日本人のメンタリティには何か近しいものがあるのではないかしらと常々思っていたのだが、まさかこんな形で証明されようとは夢にも思っていなかった ! 果たしてスペイン語に、ぼけ・つっこみ・どつきなんて言葉があるのかどうかは知らないが、お互いの骨肉をしゃぶり尽くしてまでもウケ狙いに走るという因業な道を邁進するお笑いコンビの愛と憎しみ、その姿の虚々実々たるや、主役を日本のどこかのお笑いコンビとすげ替えても、ほとんど違和感の無い映画が作れるのではないだろうか。巷で言われているおバカ映画と言うよりは、お笑いの闇をシュールに見据えたブラックコメディと言った方が正しいような気がするが、ツボにハマってしまった私はかなり長い間、忍び笑いの衝動から立ち直れなくなってしまった。しかし世界中でアレックス・デ・ラ・イグレシア監督くらい、新作を見る毎に何を考えているのますます分からなくなってくる人ってのもいないんですけども……。
タイトル・インデックスへ

【ドッグ・ショウ ! 】三星半
数あるペットの種類の中でも、犬というのは最も飼い主の思い入れが激しくなりやすい動物なんだそうな。そんな濃ゆい犬好きの人達の中でも、わが家の子がイチバン ! という身びいきが特に強い人々が全米から集まるのだからさぁ大変……言うまでもなくこれは、可愛いワンちゃんを見るための映画ではなく、そのワンちゃんを巡って狂奔する人間の方を観察する仕様の映画だ。それぞれのエピソードの寄せ集めといった感があったのは否めなくて、全体としての大きなカタルシス感があるともっと良かったかなとも思えたけれど、大手プロダクションによるウェルメイドのこなれたハリウッド映画じゃないこの低予算の映画には、普通の人々が暮らす生のアメリカの生活臭の断片が図らずも映し込まれていて、それがかえって面白く感じられたりしたのである。
タイトル・インデックスへ

【日本の黒い夏・冤罪】四つ星
Q.人権とは言葉だけですか。A.人権とは人類の要請に応じて発明された努力目標的な概念みたいなもので、だからこそそれを形にするための不断の努力なしでは、踏み躙られるのも実に簡単なのである。で、お互いの人権が保障されていて安心して住める社会に少しでも近付けていくためには、各個人が主体性を持って、周りの総ての状況を冷静に判断して対処していく努力をしなければダメだろうということ。映画の中のメディア・リテラシー(メディアの言ってることは絶対じゃない、ということを解析する方法論)の問題もそういったところに帰着すると思われるし、組織の中で言われるがままに仕事をやっていれば総ての言い訳になっていた時代はとっくに終わっているのだという点もそうであろう。組織なるものが人間にとってプラスになる方向で動くとは限らないし、どの道、組織の方は個人を簡単に切り捨てるんだからあてにならないんだしね。そういったことを日本に住む人々に印象付けた昨今の一連の事件の中で、特に風化させるべきではない松本サリン事件という題材を、ポイントを踏まえて誠実に形にしたというだけでも、本作には評価されるべき充分な理由がある。ただ、表現のセンスの古めかしさを感じる箇所がいくつかあり、特に今の時代の日常会話では使われないような言い回しが散見されたのは、いくら何でも少し気になったのだけれど。
タイトル・インデックスへ

【人間の屑】二つ星
言っちゃあ何だけど、自分がダメ人間だとしか思えなくてめり込んでいた時期というのは、私も相当長かったりした。で感じたんだけど、この監督さんってもしかして、自分のことを心底“人間の屑”だとか思ったことなんて、実は無いんじゃないの ? お話の流れ自体は割と町田康さんの原作に忠実に作ってあるようだけど、どうしようもない諦念のオーラを漂わせることが出来なければ、このテのお話は、ただひたすらへんちくりんで妙な方向に流れて行くだけだ。それじゃあこのテーマは語れまい。いっそ題名だけでも変えといた方が良かったんじゃないのかな ?
タイトル・インデックスへ

【パダヤッパ いつでも俺はマジだぜ ! 】三星半
落ちぶれた良家の子息がまた身を持ちなおして……というワンパタな展開にはラジニカーント御本人も煮詰まっているという話を、どこかで聞いたような気がする。ただ、今回はその辺のくだりは前半で終わり、後半は彼にフラレた女の復讐物語を中心に展開するところがちょっとだけ違うだろうか……でもどの道、そんなストーリーも取ってつけたような行き当たりばったりな感じで、【ムトゥ】などのよく練られた出来のものと比べてみると、見劣している感があるのは否めない。でも、案外スマートなラジニさんの立ち姿は相変わらずカッコいいし、どうせラジニさんが勝利を収めるハッピーエンドになるんだろうってことも分かり切っているのだし、そう思って見ていれば、どれほどお約束で御都合主義なシーンだとて「待ってました ! 」と盛り上がれるってもの。で、見終わった後には、こってりとしたそれなりの満足感が奇妙に残っているって按配。場内も、そんなこってり感を敢えて求めに来ているファンの人ばかりみたいで、これはこれで幸せな状況だったりして。
タイトル・インデックスへ

【ハンニバル】三星半
ルネサンス発祥の地、憧れの歴史と芸術の都 ! うーんフィレンツェに行きたいよーって、そういう映画じゃないってば。ロケ地にも調度にも撮影にもこだわりまくったに違いないゴージャスな画面は重厚でクラシック、美しくて格調高い。役者も概ね素晴らしい。サー・ホプキンスは言わずもがな、ジュリアン・ムーアのクラリスは最初の一分で違和感が吹き飛んだし、原形を留めないメーキャップなのに口調としぐさだけでそれと分からせてしまう変態億万長者のゲイリー・オールドマンはさすが。敢えて言うなら、クラリスのバカ上司のレイ・リオッタが、悪役として悪くはなかったけどもうひとひねりあってもよかったかな ? というくらいだ。でもお話の方は、あれをどうしました、それでこうしました、といった事実の羅列、まるで単純な作文みたい。前作【羊たちの沈黙】のような緻密な心理の駆け引きのようなものに欠けているのが、較べちゃいけないのかもしれなくてもやはりどうしても物足りなくて、私は途中ですっかり退屈してしまっていた。それでもラスト近くの件のザンコク描写(ギャーッ !! )で目が覚めた辺りで映画館を出るという仕組み。フックにはこと欠かない。噂が噂を呼んでやっぱりヒットするんだろうな、これ。
豚さんと映画を巡って : パゾリーニの【豚小屋】、10年くらい前のペルー映画の【豚と天国】、最近では【スナッチ】など、人を豚に食わせる話って映画の中では案外よく出てくるような気がする(実際に世界各地でなされてきた歴史があるってことなのでしょうか……)。他にも、豚そのものが主人公の映画だと宮崎駿監督の【紅の豚】や【ベイブ】、豚が題名についている映画だと今村昌平監督の【豚と軍艦】、サラ・ドライヴァー監督の【豚が飛ぶとき】、崔洋一監督の【豚の報い】、韓国のホン・サンス監督の【豚が井戸に落ちた日】(未見)など、結構あったりして。これが牛だと思い当たらないんですよね。豚の方が文学的な象徴性が高いとかそういうことがあるのでしょうか。それは何故 ? どなたか学術的に考察してみて戴けません ?
タイトル・インデックスへ

【ビートニク】三星半
50年代のアメリカのビートニク・ムーヴメントは、勿論リアルタイムでは体験してなくて後からその存在を知ったのだけれど、そういうものって何かのきっかけで感銘を受けて入れ込めるか否かだから、後づけでいくら“お勉強”してみたところで、時代の息吹も掴み難ければ、彼等がどういった感慨を共有したのか、その感触までははっきりと分かりづらかったりする。(あるいはこれが男性中心のムーヴメントだったことも関係しているのだろうか ? )しかし本作では、映像等の幾多の資料が駆使され、ムーヴメントを立体的に捉える様々な試みが為されていて、今まで見聞きした中ではまだしも、初心者にも示唆するところの多いテキストになっていたのではないかと思われた(多少の予備知識は必要で、必ずしも分かりやすくはなかったかもしれないが)。特に、ビートニクが60年代のヒッピームーヴメントの先鞭を付け、その後どのように歴史の中に解消していったか等の流れの解説はすとんと腑に落ちたし、また、ジョニー・デップ、デニス・ホッパーといった“反逆児”スターによるリーディング・パフォーマンスは、地の文の生の息づかいを感じさせてくれて圧巻だった。特にジョン・タトゥーロの『吠える』がいい。そこだけでも全長版を作ってDVDにでもしてもらえないものでしょうか ?
タイトル・インデックスへ

【ビジターQ】三つ星
ある男が居着くことによって、ある崩壊した家庭が不思議な絆を取り戻す、という展開を、かのパゾリーニの映画【テオレマ】の逆回しになぞらえた人がいるという。おおなんて高尚な。確かに中盤のまったりした雰囲気はちょっと似ているかも ? 私がイメージしたのはむしろ世紀末版【逆噴射家族】。援助交際的近親相姦、家出にいじめに家庭内暴力、クスリに殺人に屍姦までと、モラルも何もかもが既に極北にまで行き着いている容赦のない展開が、いかにも今の時代に似つかわしいというか、三池崇史監督らしいというか。しかし終盤、内田春菊さんの母乳(第3子の御出産直後だったと思われる)がよっぽど物珍しかったのか、それでこのハチャメチャな話を収集しようとしてしまった感があるのはちょっと待て。確かに画的には滅多に見られないモンだとは思うけど、母乳なんて単に血液が漉されただけの液体に過ぎないじゃん。今更、女体や母性の神秘性やらで世界が救われるんなら世話ないわい ! 三池監督の作品群の中でも一、二を争う怪作になることが必至であろうこの問題作のエンディングとしては、ちとフック不足では。
タイトル・インデックスへ

【不確かなメロディー】四つ星
忌野清志郎さんは、今の日本に一緒に生きて下さっているというだけで充分にありがたい人間国宝級のお方なので、その演奏するお姿や、ミュージシャンとしての心情を吐露するインタビューの様子などが収められているというだけで、もう充分に嬉しかったりして。昔『ドカドカうるさいR&Rバンド』という名曲があったけど、特に昨今ではバンドマンとしての在り方に自覚的な清志郎さんが、気の合った仲間と大好きなツアーに出て大好きな音楽を思いっきり楽しんで演奏している姿には、見ている人間を浄化するほどの圧倒的でまっすぐなオーラが漲っている。映画のスタイル自体はあくまでも実直でハデハデではないし、三浦友和さん(清志郎さんと高校の同級生だとか)のナレーションも朴訥としているけれど、そんなマジメな風合いこそが今の清志郎さんの姿勢にはぴったり合っている感じで、見てると段々馴染んでくるのが心地よい。後はただもうトランスあるのみ。ああ幸せ。
タイトル・インデックスへ

【ブラックボード 背負う人】三星半
イラン・イラク戦争で学校が破壊されて黒板を背負って歩いた先生達の話は、実話をベースにしているという。実際、様々な問題が後ろに透けて見えるエピソードはどれも興味深い(脚本はサミラ監督の父でイラン映画界の大御所の一人であるモフセン・マフマルバフ監督が書いているそうだ)。ただ演出自体は、観る側にまで肉迫しようと画面の向こう側から切り込んでくるような、監督オリジナルの力のようなものにはちょいとばかし欠けていたんじゃないだろうか。その辺りが見ていて少々気になったのだが。
タイトル・インデックスへ

【ベーゼ・モア】三つ星
人殺しを重ねる女の子二人の逃避行を描いたフランス産のロード・ムービー。それまで何かに散々痛めつけられてきた筈の彼女達は、だからこそ、いかにも彼女達のことを理解したふうに振る舞う人々を一切拒絶して、互いに似たような魂を持つと確信した自分達二人だけで道を行こうとする。それは映画を見る人達に対しても同じように作用して、中途半端な分かった振りなど全く寄せ付けない取っつき難さになっているんじゃないのだろうか。そこには自ら屹立しようとする潔さがあり、そんなある種の凛々しさがカッコよく見えたりする場合もあるんだろうけれど、何せ私とて彼女達の破壊的な衝動を完全に理解したとはとても言い難いし、そんな程度で適当に評価する真似をしてみたところでかえって失礼になりかねないような風情があるからなぁ……。
タイトル・インデックスへ

【ボクと空と麦畑】二星半
グラスゴーの空は、ひたすらに暗い。真面目に、誠実に、創られている作品だというのは分かるんだけど……成長期の少年というテーマは女性であるラン・リムジー監督にとっては新鮮で探求しがいのあるものだったのかもしれなくても、今までに幾つとなく創られた同様のテーマの物語との違いがどこにあるのか、傍目から見ると分かりづらいような気がしてしまったのだが。
タイトル・インデックスへ

【火垂<ほたる>】四つ星
ここで惚れてほしいと思った時に惚れてくれ、こんな言葉が欲しいと思った時にその言葉を言ってくれ、迎えに来て欲しいと思った時には迎えに来てくれ、時にはヒステリックに拗ねてみせるのも許容し、最後にはその人にとって一番大切なものすら破壊して差し出して、彼女のために自らを変革してみせることも厭わない男-そんな人、女性なら誰でもある意味理想なのではないだろうか。永澤俊矢にしか演じられないようなこんな器のでかい奴、しかし現実の一体どこにそんな都合のいいオトコがおるかいね。そして特に後半、ヒロインの中村優子さんの顔が河瀬直美監督の顔にどんどん似てくるような気もして、もしかしてこの映画自体、監督にとっての壮大なお人形アソビなのではないか、という気すらしてきてしまったのだ。実際、この映画に登場する田舎の自然や都市の街角の風景、そして、燃やし尽くすと同時に生命を育む様々な火の表情の、息を呑むような美しさも含めて、この映画のどこを切ってもそれは監督の心象風景や自意識の投影であり、監督の分身であると言えるのではないかと思う。しかしそのようなお遊びは、実は今までの映画の歴史の中で、男の監督さんが女優さん(時には男優さん ! )を理想通りに動かしていくらでも似たようなことをやってきたはずで、ただ、それだとあんまりにもあからさまで気恥ずかしいから、普通は作劇術のような色々な理屈を持ち出し、一般的な映画的概念のようなものを身にまとって武装しているだけだ。でも彼女はそんなことをせず、総てをそのままに映し込むための独自の方法論を選ぶ。そうして生じたあんまりなナマナマしさに、ある人は拒否反応を示し、ある人はそんな独りよがりなところが嫌だと言い、またある人は、テンポよく展開する昨今の作劇のセオリーに則らないところを冗長と見るだろう。私自身とて、理性で感情をぶった切ることによって何とか生き残ってきた人間だから、彼女のように自分の感情を周りにそのままぶつけることが出来る気持ちは永遠に解らないのではないかとは思う。プロフッショナルな商業映画の在り方とは対極にある、自主映画の発展形としてのこのような在り方を欠点として指摘すれば、いくらでもあげつらうことができるだろうし、実際こういう創り方は今日び流行らないことだろう。でもそれだけのことで、同じフィルムという素材を扱いながらこれだけの生々しい空気感や息遣いを持たせることが出来る力、自分の感性を衆人環視の下に晒け出すことが出来る能力、そうして得られた映像に潜むこれだけのエネルギーを全部切り捨ててしまうことも、何か違っているような気がする。少なくとも私は、無視してしまうことが出来なかったのだ。
タイトル・インデックスへ

【ミート・ザ・ペアレンツ】三星半
アメリカンコメディは日本でどの程度許容され得るのか ? アメリカならここで場内大爆笑、のためにわざわざ取ってあるんだろうと思われる間でシーンと妙な雰囲気になってしまった箇所が時々あったとか、主人公がここまで不幸の釣瓶打ちになるのがちょっと気の毒に思えたとか、最後もあまり何も解決しないままに適当にカタがついてしまうのが何となく解せなかったとかいったところが少々気になったのだけれど、でもどれも致命的な欠陥という訳ではなく、全体としては十分楽しめるのだから、この映画はまずまず及第点だろう。ただ立っているだけで“こいつはいい奴に違いない”と思わせてしまうのと同時に“でも何だかちょっと情けない”感を演出することが出来るベン・スティラー君の存在感無しには本編は成立しなかったはずで、これからますますノシてくるに違いない彼には、今後とも要注目だ !
タイトル・インデックスへ

【モレク神】三星半
異様な緊張感と空虚感に包まれた、ヒトラーと愛人エヴァ・ブラウンの最後の日々。ヒトラーが愛憎も弱さも抱え持つ一人の人間(特異な人ではあるかもしれないが)だったからこそ、そんな人間が引き起こした出来事の結果の重大さがあまりにも恐ろしいのであって、彼が理解不可能な悪魔か何かだったということにしてしまうのは、人間を死滅に追いやる愚かさが今の世界のそこかしこにだって存在しているという事実を覆い隠してしまう可能性があるという点において、誤っている。この映画について細かく吟味するには現在の私はあまりにもお勉強が足りないので、また何年か後に再トライする機会があればいいのだけれど、ともあれ、映画のコンセプトがはっきりと見えやすい分、今まで観たソクーロフ作品の中では意識を失って沈没している時間が最も短くて、ソクーロフという作家に少しは興味が出てきたような気がするのが、私にしては画期的だったかもしれない。
タイトル・インデックスへ

【山の郵便配達】四つ星
ほとんど人の往来も無い険しい山道を3日も掛けて郵便配達。そこに待っている人がいるから。名も無く、貧しく、美しく、見返りも求めずにただなすべきことを淡々とこなす父親の姿は、まるで修業を積んだ仙人か何かのように気高くて尊い。緑深い自然を背景に、家族の歴史をフラッシュバックさせつつ描かれる道行きの中、そんな父の仕事や人生への理解を深めていく息子。こんな話が感動を呼ばない筈が無い ! こういった価値観は激しくアジア的だと思えて、一抹の懐かしさを感じてしまったが、それは実はアジアに限らず、極端な資本主義に侵食される前の世界の在り方だったのかもしれない。こんな非効率的な筋道を、それに付随するものごと切り捨てていってしまうのが、きっとケイザイハッテンという奴なのね。でもそれを“忘れかけていた大切な何か……”とか言って無責任に称揚したりするのも、捨て去ったことにも理由があったのを見ないようにする欺瞞のような気はするのだが。
タイトル・インデックスへ

【連弾】四つ星
お金持ちで生活費は全部出してくれる専業主夫の旦那が家事から子供の世話から何もかもやってくれるのに胡坐をかいて、自分は7つ年下の愛人(しかも北村一輝 ! )をこさえて挙げ句の果てに離婚とは、ホンマにいい御身分やのう。そぉんな恵まれた立場にいるワガママ女がイヤミに見えてしまったらこのお話は死んでしまう訳で、そんな彼女を可愛く、パワフルに、そしてなんとなく共感すらできてしまうキャラクターとして演じた天海祐希さんのコメディエンヌぶりは特筆もの ! 彼女といい、二人の子供達といい、ピアノの先生役の及川光博サンや他のキャストの皆さんといい、竹中直人監督の人を見る目はさすがに慧眼と言えよう。この万全の布陣と監督の演出のアンサンブルの醸し出す独特の間の面白さこそがこの映画の真骨頂で、話にオチらしいオチがつかないのがちょっと弱いかなとも感じたけれど、思えば竹中監督の映画はどれも、ストーリーラインよりは雰囲気そのものの味を楽しむタイプの作品だったというのは、今に始まったことじゃないんだよね。
タイトル・インデックスへ


ご意見・ご感想はこちらまで


もとのページへもどる   もくじのページへもどる