Back Numbers : 映画ログ No.48



【あしたはきっと…】三星半
私はすっかり、三原光尋監督のこてこてお笑い路線の中毒になってしまっている。しかし、お笑いをテンポよく決めつつ劇場映画一本分の長さに持っていってしまえるというのは、実は相当な演出力がある証拠なのではないだろうか。さて本作は、かの系統とはうってかわって、ごく真っ当といえる青春モノである。ちょっとSFっぽい要素も入っているお話自体、どこかで見た断片の寄せ集めのような感じがするのは否めないし、全体的な雰囲気も、今時の話というよりはちょっと一昔前の学園ものの定番といった匂いがする。でもこれが手垢まみれでつまらない出来なのかというと、見ていてどうも飽きがこないというのが不思議なのだ。ヒロインの吹石一恵さんの演技は決してずば抜けて上手いといった訳ではないのだけれど、その溌剌とした存在感が十二分に引き出され、映画を爽やかで瑞々しい味わいにしているのである。それってやっぱり、三原監督の為せるワザなのではないだろうか。あなどれないお人である。
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【アタック・ザ・ガス・ステーション ! 】二つ星
しばらく前に【バッドムービー】なる韓国映画(今号に登場する【嘘/LIES】のチャン・ソヌ監督作品)を観て、どこの国でも若いもんの無軌道ぶりはあんま変わりゃしないなー、と思ったばかりのところ。「ガソリンスタンド襲撃事件」という名前の映画と来ればやはり、若者の虚無感が反転した暴力性をエッジの効いたスピード感でもって描いている映画なのかと……勝手に想像してしまったのがそもそも間違いだったという訳で。人物の配置や会話の調子、回想シーンや音楽の入れ方など、昔ながらのかなりベタな演出法で作られているという印象だし、中盤、室内のシーンが延々続くのも結構ダレたりする。私の見立てでは、テーマの取り方は多少今風でもその実は旧来からあるようなアイドル映画系、といった感じ。いかに韓国がニューウェーブ流行りなのだとしても、映画界の体質の全部がそんなにいっぺんにがらりと変わる訳はないよなぁ、なんて思ったりしたのだが。
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【アメリカン・サイコ】三星半
メアリー・ハロン監督はどこかのインタビューで、自分も80年代のニューヨークのあの馬鹿げた乱痴気騒ぎを少しは経験したことがある、と苦笑混じりに答えていた。かのバブル期の日本で、概ね冬眠しながら過ごしていた自分はもしかしてラッキーだったのかもしれないけれど、価値観の記号化が行き着くところまで行き着いて、人を殺すという極端すぎる行為以外に最早何のリアルな感情も喚起されなくなった心持ちなんて、私にはさっぱり解りはしない。だが、彼の喜劇性を冷笑している私自身とて、やはりこの物質主義社会の檻から抜け出す僅かな鍵すら見い出しようもなく毎日を過ごしていることに、大して変わりはないのではないか。作者は何故こういった資本主義の奴隷を特に“アメリカン”と称したのか、日本だって他の国だって似たような“サイコ”はいくらでもいるんじゃないのか、これからこの映画のことを思い出す度に、その言葉の意味を考えてみたいと思う。
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【アンチェイン】三星半
豊田利晃監督は、ボクシングというフィールドにあったある4人の人間を、5年に渡って追い掛けた。出来上がった映画は、純然たるドキュメンタリーというよりは、図らずも(図ったのか ? )彼等一人一人の“物語”を捉えたストーリー映画に近いものになったようだ。彼等の物語は、私自身が通過してきた物語と同じではないから、ここに映されている“心の鎖を解き放とうとする”それぞれの行為は、私にとっては必ずしもピンとくるものではなかったのかもしれない。でも、そういった異質感ごと、彼等という人間が存在することの力強さの証左なのではないかと思った。
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【幼なじみ】四つ星
「赤ん坊が生まれてくる……この厳しい世の中に。」主人公の二人のパパ達のこの科白に、この物語のエッセンスが集約されているのではないだろうか。人間は、少しずつ色んな経験を積みながら大きくなっていく過程で、同時に有形無形の色んな傷も負っていき、一人前になる頃にはすっかり傷だらけになって、取り返しがつかなくなっているものである。だからこそ、まだ傷一つ負っていない真っさらでぴかぴかな赤ちゃんを再生産することが、新しい希望になるのだ。それは、まだ全く形の定まっていない可能性をこの世に再び送り出す営為に他ならないからである。パブリシティで比重が置かれているように、本編には、幼なじみ同士の可愛い初恋が実ってよかったね、という側面も勿論あるのだろう。だが、私にはむしろこのお話が、ともすると生きていくのが嫌になってしまうようなこの世界に、あるかないかの希望を産み出してそれを周りの皆で守り育てていこうとする物語なのだと思えて、だからこそマジで泣けてきたのである。もしかすると、ここ数年来で自分の周りの人達の何人かが子供を持ち始めたという状況がなければ、このような実感は胸に迫ってこなかったのかもしれないが。(私自身は多分一生子供は持たないだろうから、尚更。)逆に、そういった御伽話を最もピュアな形で見せるためにこそ、このお話は一切の混じりっ気の無い純粋な気持ちを育んできた二人を主人公に据えた可能性すらあるのではないかと思われた。
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【ガールファイト】四星半
社会が要求する様々な制約から全く自由で心理的な枷も一切無いとしたら、実際の女性は潜在的にどれだけのことができる能力があるのだろう、なんてこと、10代の頃にはよく考えたりしたもんだが(懐かしいなぁ)。この映画では、女性は一般的にあまりやらないと(現状では)されているボクシングというものに、ティーンエイジャーのヒロインがたまたま出会ってのめり込んでいく様が描かれている。だからといってジェンダーの問題の袋小路に入り込んだ辛気臭い話になっている訳では全くなく(とはいっても「女が何を」的な様々な偏見を押しつけられる場面は実に巧みに描かれてはいるけれど)、家庭内でも学校でも欝屈や不満を抱えてくすぶっていた彼女が、ボクシングを発見することによって自分なりの怒りの発露を見い出し、自分自身と向き合うことを覚えながら成長する物語になっているところこそが興味深い。(ちなみに、私自身の怒りの発露はフィジカルな攻撃性に向かうことはついぞなかったので、性別に関わらずボクシングなるもの自体、永遠に理解しきれない部分があるのではないかとは思うのだけれども。)やりたいことを見つけ、しかるべき相手との恋も得た彼女の顔に、真っ直ぐ前を見詰めた精悍ないい表情が立ち現れてくるのには目を見張らせられる。環境の要請と折り合いを付けながら、またしばしばそれと戦いながら、やりたいことをやってなりたいような自分になるというのは、今日誰にとっても重大な命題であるはずだから、この物語には実はどんな人も共感できる部分があるのではないだろうか。本作のカリン・クサマ監督(日系)は、アメリカのインディペンデント映画界の大御所ジョン・セイルズの弟子筋だとのことで、道理でキャラクターの立て方とか説得力のあるエピソードの組み立て方とか話の運びとか、エラく緻密でバランスがよく、気配りも効いていて上手いと思った。サンダンスのグランプリも当然の納得の出来。
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【彼女を見ればわかること】四星半
かのガルシア・マルケスの息子という特殊なネーム・ヴァリューで、映画界でのキャリア不足をそれほど補うことが出来た訳ではなかったろう。しかしロドリゴ・ガルシア監督は、よく出来た脚本を擁してグレン・クローズ、ホリー・ハンター、キャメロン・ディアスといったハリウッドの錚々たる実力派女優を何人も引き付けて、とても新人とは思えない円熟味のある演出力で、映画を見事に成功に導いた。全体の構成は、様々な生き方をする女性達の生活の一場面を切り取った5本の短篇のオムニバス。ある話の主人公が他の話にも少しだけ登場する仕掛けには、少しずつ関わり合いがあってもお互いそれ以上深く足を踏み入れることは滅多に無い、現代社会の人間同士の関係性を反映させているのだという。これらのさり気なく並立する人生の断片に、出演している女優さんの一人一人が誠心誠意命を吹き込んでおり、そのどれもが文句無く素晴らしい。中年以上の女優にはいい役が少ない、と言われているのは何もハリウッドに限ったことではないが、それがいかに宝の持ち腐れであり、世界の映画界にとって重大な損失なのだということを充分に分からせてくれるだけでも、この映画は大変貴重な存在なのではないだろうか。
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【クイルズ】三星半
“Quill”とは羽ペンのこと。このお話は元々は舞台用の戯曲だったのだそうだが、サド侯爵の実像に迫ろうとしたというよりは、あくまでも「表現の自由」というモチーフを描くためのダシとして虚構的・象徴的に彼を使い、ある一面を強調して創作したのだと言った方が正しいように思われる。『悪徳の栄え』を訳した渋澤龍彦などの熱心な紹介者を擁していたせいか、日本におけるサドのイメージは、もっと淫靡で残虐で、手に負えないほどの化け物じみたエネルギーを抱えた、人間なるものの不可解さを嫌というほど分からせてくれる唯一無比の作家、として定着しているように思われるのだが、しかしこの映画ではごく普通のポルノグラフィ作家の域をほとんど出ないような描き方しかされていないので、その辺りで肩透かしを食らったように感じる人も多いのではないだろうか。過激な性描写を武器に表現の自由のために戦う人というだけの掘り下げ方しか出来ないのでは……う~ん、そりゃ【ラリー・フリント】辺りとやってることが一緒じゃん。敢えてこの人を題材に持ってくるのに、それじゃあまりに勿体ないのでは。
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【クレーヴの奥方】三星半
御年92歳(現役の映画監督では世界最高齢と言われている ! )のポルトガルの巨匠、マノエル・デ・オリヴェイラ監督の作品はどれも、静謐な中にも純文学的な主題を豊かに感じさせる、クラシックな佇まいが印象的である。が、私はどーも昔から、文学的な色の濃い映画というのがあまり得意ではありませんで……動きの少ない画面に、科白にやたら比重が置かれ過ぎている作り(字幕を読むのに懸命で画面を見ている余裕が……)は一見したダイナミックさには乏しく、観る側はただ受け身でいるのではなく、主題を積極的に読み取ろうとする姿勢が必要になると思う。だが、そうやって頑張ってはみても、古典の世界に展開されればこそのお話を現代に置き換えるとなると……体裁のためにした結婚に愛が無いとか言って悩むブルジョワ女の苦しみなんて、所詮私に分かる訳がないというか、分かりたくもないというか。彼女の見識の不明瞭さを人類の苦難にすり替えられてもな、というのがごく正直な感想だったりして。
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【ジーザスの日々】四つ星
【ユマニテ】三星半
長編デビュー作と、カンヌ映画祭でグランプリを取った第二作目(ちなみに : カンヌの最高賞はパルム・ドールで、グランプリは次席になります)が本邦初公開となったブルノ・デュモン監督は、哲学教師などの前歴がある人で、映画は出身地である北フランスのバイユールという小さな街をベースにして撮影され、キャストもその街でスカウトした素人の人を使っているのだそうだ。今回観た2作では、バイユールのだだっ広くて静かな風景が湛える寂莫とした感じや、そんな風景を見るともなしに見つめながら何かしら考えているようなゆっくりとした長回し、といった特徴が共通しているように思われた。【ジーザス…】の方は、仲間とつるんでうるさいバイクを乗り回す以外ろくにすることもなさそうな若者(仕事も無いみたい)が主人公。普段は優しくて気弱な面も持っている彼が、あまりにも無知でお馬鹿な人種差別によって、街に住むアラブ人の青年をリンチして死なせてしまうという筋書き。最後の涙は悔悛の情か、それとも行き詰まった状況に陥った自分を憐れんでいるのか。こういう子ってヨーロッパのみならず、日本にも世界中のあちこちにもいっぱいいるのではなかろうか。【ユマニテ】の方は、性と死と「人間の人間らしさ」を巡る実証的考察、といった趣き。長回しが前作以上に強調されているのは(意識が遠のく危険性が増していそうなのにも関わらず)決して嫌いではなかったけど、でも何を一番言いたかったのか分からなかった部分も正直あったので、降参してパンフを購入してみたら仰天。主人公の警部補が何があっても表情一つ変えないで、ギョロ目でその場をじっと見詰めているのは、どんな酷いことでも受け入れて許容する姿勢の表れなんですと ? うーん、そんなふうには受け取れなかったというか、演者が何を考えているか分からないタイプのお笑いの系統(Mr.ビーンみたいなのとか ? )が連想されて仕方なかったのは、ひたすら私の感性が鈍すぎってこってすか ? (それじゃ話が分からない筈だ。)しかし、画面いっぱいの大写しの女性器(ぼかしが入っていなかったらそれがどう見えて何を連想させられるだろうと懸命に計算しなければならないのは、全く無駄な労力以外の何物でもない)が劇中二度ほど出てくる辺りが、まるで地獄への入り口でも想像させるみたいで、人類の悲劇がセックスに集約されていると言わんばかりの視点が見え隠れしているかのよう。それっていかにも、肉と魂を切り離した解釈を押し進めがちな西洋文明的な色の濃い、ちょっくら昔風の作品群を思い出させたりした。でもそういう考え方は、性も死も渾然一体と受けとめ、文化の中に了解事項として折り込んできた日本の伝統的な考え方とは馴染みにくい部分もあるんじゃないのかなぁ。そんな訳で、今更そゆことを言うかね、的な感覚を【ユマニテ】には少し抱いてしまった分、現代的なテーマが比較的分かりやすい【ジーザス…】の方が個人的には好きかなぁ、などと感じたりした。
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【シーズンチケット】四つ星
【ブラス ! 】のマーク・ハーマン監督の、またまたイギリスの地方都市の人情悲喜劇もの。お決まりと言えばそうなのだが、悪さをしていても何だか憎めなくて、絶望的な環境にもウェットになり過ぎない主役の男の子二人の凸凹コンビの存在感がとにかく抜群にいいので、一見の価値はありだと思う。どれだけ悲惨な状況でも、まるで神様の冗談みたいな救いがところどころで忽然と立ち現われてくるのがユーモラスで、結構好きだ。
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【JSA】四つ星
韓国と北朝鮮の軍事境界線・板門店で起こった銃撃事件の真相は……。韓国では【シュリ】を越えるヒットになったという本作は、題名にもなっている共同警備区域(Joint Security Area)のみを舞台としているから、大スパイ活劇だった【シュリ】よりは案外密室サスペンス的な色合いが濃い。ひょんなきっかけから仲良くなった南北の兵士達が交流を深める姿が微笑ましいのだが、彼等はこの先どうなってしまうのだろうという漠然とした不安感に、空間的な拡がりが限定されている緊迫感をうまく絡めて、最後まで一挙に持っていってしまう手際がお見事。国対国のシステムに引き裂かれる個人達というドラマは、本国の人達が見るのとはきっと温度差があるのだろうけれど、それなりに胸に迫ってくるに違いない。
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【ショコラ】三星半
チョコレートは私の第二の主食である。確かにあの甘さには、心を痺れさせ何も考えられなくしてしまう中毒性の魔力が宿っていると思う(だから理屈っぽい思考を停止させたい時にはよく効くのだ)。そんなチョコレートをフィーチャーした本編は、いかにもラッセ・ハルストレム監督らしいスウィートなおとぎ話。久々に文句無く魅力的なジュリエット・ビノシュを見せてくれたし、全体的に決して悪くはないんだけど、ジュディ・デンチお婆様の娘がほとんどいきなり何の前触れもなく改心しているところとか、放火の犯人の処遇が全然腑に落ちなかったところなど、繊細で細心な出来栄えが当たり前な監督にしては少しばかり詰めが甘いのでは ? と思われた箇所が数ヶ所あったのが、何だか気になってしまったのだが。何せハーベイ・“シザーハンズ”・ワインスタイン率いるミラマックスの作ったもんだからなぁ……なんて思ってしまったりしたのは偏見というものでしょうか。(ミラマックスは良質の外国映画の大量買い付けなどで大きくなった会社ですが、映画の輸入の際にはほとんど必ず自分達流の編集を施したので、そんなボスの意向を気に入らない一部の監督さんやファン達は、彼に“シザーハンズ”=ハサミの手(ジョニー・デップ主演の映画を参照)なる渾名をつけたそうです。)
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【Stereo Future】四つ星
映画を観ながら真っ先に抱いたのは、どこかのスノッブな街のオシャレなエコ・ショップといったイメージ。でも、都会人にありがちな楽観的に過ぎるエコロジー的発想で世界が救えるとはとても思えないし、私は地球環境の行く末にはもっとずっと悲観的だ。しかしだからと言って、いたずらに暗い未来ばかりを見つめて落ち込んでしまったところで確かに得るものは何もないことだろうし、中野裕之監督が日々(多分)実践しているように、ある種の決意を秘めつつ“ピース”で“ファンキー”に生きていこうとするのも、それはそれで覚悟の要ることなのかもしれない。stereo=ありがちな、でもすぐそこに立体的に見えてくる未来。バカバカしくも、懸命に生きていこうとする毎日。観終わった時には何故か、つめたくて美しい清水を味わったような気分になっていた。
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【セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ】四つ星
好きな監督の刺青を彫れというのなら、右腕にルイス・ブニュエル、左腕に大島渚って入れて頂戴ね♪ハリウッドの黄金時代の巨匠セシル・B・デミルと“DEMENTED”(=脳みその腐った)の名、またB級のBの字を併せ持つ過激な映画監督セシル・B・ディメンテッド(スティーヴン・ドーフの迫真の演技 ! )とその過激な仲間達、及び、最初は嫌々でも徐々に自分の真の姿に目覚める誘拐されたハリウッド女優(メラニー・グリフィス)が、自分達の映画を撮るためになりふり構わず繰り広げる戯画化されたテロリズム。その無軌道な戦いぶりには「映画がそんなに好きなのか !? 」という本作の傑作キャッチコピーがついつい口を突いて出てきてしまうが、それは、有形無形のどんな圧力にも屈することなく創りたいものを創り続けるという行為のために捧げられた、ジョン・ウォーターズ流の聖戦の形象化に他なるまい。彼等の名言の数々は全て額縁に入れて飾っておきたいくらいだが(“安易にハリウッド・リメイクを作ろうとするな”が最高 ! )、監督の両親からの“オマエなんかが監督になれる訳がない”“たかが映画だろう”攻撃には死ぬほど笑い、かつ泣いた。親なるものはしばしばそうして、子供の創造力を根こそぎ枯らしてしまおうとするもの、それこそ人類のクリエイティビティの究極の敵に違いないとは、なんちゅうスルドい指摘。
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【SELF AND OTHERS】四つ星
舞台挨拶にいらしていた佐藤真監督は、この映画は必ずしもドキュメンタリーという訳ではないとおっしゃっていた。1983年に36歳で亡くなった写真家・牛腸(ごちょう)茂雄の写真を見つめた時に得た言葉に出来ない感覚を、そのまま映画にしてみようとしたものなのだと。その感覚とは一体何なのか、言葉にしてみるのはやはり難しいが、作品中に出てきた牛腸氏自身の“一見ごく普通に見えて、その実、ぎりぎりのところで成立している写真”といったような言葉がヒントになるだろうか。私の感覚では、その場に存在している総ての粒子が孕む過去と未来の可能性を残らず内包している写真、といった感じになるのだが、これは人によって受け取る印象も勿論違っていることだろうから。実際のところは是非皆さん御自身で、この映画か写真集を一見して確かめてみて戴きたい。
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【タイタンズを忘れない】四つ星
この映画を観てからというもの、テーマソングとも言うべきマーヴィン・ゲイのデュエット曲『Ain't No Mountain High Enough』(=越えられない山は無い)が耳に着いて離れない。70年代のアメリカの人種統合政策で同じ高校のアメフト部の所属になった黒人と白人のチームメイトやコーチ達が、様々な困難を乗り越えながら互いへの理解を深め強くなっていくというストーリーは、登場人物一人一人の問題もうまく絡ませながら全体としてのお話も盛り上げていく、バランスのよいプロットがとにかく抜群に上手い。あまりにも根が深くてにわかの解決が困難な社会問題を、これだけ見事なエンターテイメントに昇華させることができる技術は素晴らしいの一言。自分がアメリカ在住のアメリカ人で、日常的に様々な人種問題を目のあたりにしながらこのお話を見たとしたら、このお話にどれだけのリアリティを感じるのかは分からないけれど、全然違う国に生まれ育って住んでいる人間がこの映画を見る分には、もっと単純にただひたすら感動していても別に差し支えないんじゃないかと思われた。しかし今号の【トラフィック】もそうだけど、こうやってアメリカの社会問題ばかりにそんなに詳しくなってどうすんだという思いが、ふと胸をよぎったりもしたのはどうしてくれよう。閑話休題。この映画に出演した若手俳優さん達は揃って今後の活躍を期待されていることだろうと思うけれど、彼等を差し置いても今回特に注目しておきたいのは、コーチの娘役で映画の狂言回し的な役割を的確に演じていたヘイデン・パネティエリちゃん本国では有名なTVドラマなどの出演作が既に何本もあるプロフッショナルなのだそう(【バグズ・ライフ】や【ダイナソー】などにも声で出演しています)だが、もしかしてこれから、ハーレイ・ジョエル・オスメント君並みに名を馳せる可能性もあるかもしれなかったりして。
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【DOWNTOWN81】四つ星
アートという言葉にまだ生の息吹が宿っていた1981年のニューヨーク。見て知っている筈など勿論ないのに、これほどまでに懐かしい気持ちにさせられるのは一体何故だろう。思うに、私が上京した当時の東京が、かの地でカッコイイとされていたものの影響の余波が丁度及んで来ていた頃合いだったからではなかったか。一応ジャン・ミシェル・バスキアを主人公にしたストーリーらしきもののあるフィクション仕立なのだが、撮影から20年を経てやっと映画として完成した本作は、当時の空気をそのまま封じ込めたドキュメンタリー的な面白さの方が、何と言っても断然際立っている。特に、かのトーキング・ヘッズやB-52'sなどを育てた当時のクラブシーンのライブ映像がふんだんに収められているのは、80年代ブームとやらを騙るなら外すなかれ ! の激コア必見ものだ。立花ハジメさんらのプラスチックスが『Copy』を演奏しているのにものけぞったけど、私の今のマイブームはキッド・クレオール&ザ・ココナッツやね。
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【ディスタンス】五つ星
今号に登場する山本政志監督を天才とするならば、本作の是枝裕和監督は超秀才といったところではなかろうか。自らがその時々にテーマとすることに常に真摯で、明晰な方法論を以て作品にアプローチする姿勢は、60年代生まれ(筆者と同世代なのさ)の監督さんの中でも最も共感できる一人かもしれない。オウムの事件をモチーフに、加害者側の遺族を中心に据えて描いた本編の解説を読んでみると、被害者性だの加害者性だのといったコムツカシイ単語が出てきて、一瞬何のこっちゃと思ってしまうかもしれない。でも要するに、人間は全き被害者であることも、また全き加害者であることもありえなくて、一人の人間の中にはその両方の面が存在していて、置かれたシチュエーションによってそのどちらに映る場合もありえるということ。そういう振り幅を本来誰でも持っているのだということを、監督は、役者にその場で即興的な演技をさせて生の反応を引き出すことによって肉体化させようとする。(各人向けの設定は予め作り込んであるが、全体の筋書きの俯瞰は監督の頭の中にだけあって、役者はそれぞれの人物の視点の範囲内で手探りで演技をしていたのだそうだ。)意思を通じ合うことが不可能になり、お互いが傷つけ、また傷つけられる幾多の状況の再現は、カタルシスのそれではない、苦い涙が思い出されて泣けた。ディスタンスのディスは、ディスコミュニケーションのディスに見える。人間はいかに理解し合えないものなのだとしても、そのための努力を一切拒絶して自閉に向かわせるものは、宗教に限らず間違っているものなのだと思う。科白が聞き取りづらいところがあっても、運びが分かり難いところがあっても、またよしんばこの物語が、日本語の会話における互いの距離感の文化を知る者同士のジャーゴンであったのだとしても構わない。定型の撮り方に納めようとしない手法が下手をすると綻びにすら見えかねなくても、その未完成形に見えるところにこそ、永遠に終わりのない発展形を感じさせてくれるのだと思う。そして観る側もまた、永遠に完成され得ないのだ。早くこの映画はDVDにならないかな。繰り返し何度も観て、観る度にまた考えてみたい。
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【東京マリーゴールド】四つ星
小澤征悦さんは、いわゆるつるんと垢抜けた俳優顔でないところが、本当にその辺の会社で働いていそうなサラリーマン然とした風情にぴったり。一年後に恋人が留学先から帰ってくるのが分かり切っていながら彼女を作ってしまうような、白黒はっきりしない馬鹿な男(必ずやってくる結果を考えることを避けて通って、挙句人を傷つけてしまうのが馬鹿じゃなくてなんなんだ)なんて個人的にはなるべく御免蒙りたいものだけど、でも現実にはゴロゴロしてそうなそんな奴の、普通に優しくて普通に賢くて普通にズルい感じがうまく表現できていたのではないかと思う。そんな中途半端で煮え切らない関係を自らよしとして飛び込んだ田中麗奈さんの、繊細かつ生き生きとした表情が、二人が重ねていく限られた時間を瑞々しく映し出す。これが、市川準監督お得意の都会の風景描写と渾然一体となって、他にはない独自の時空間を醸し出す。場面場面の漠然とした空気感のようなものを捉えることにこそ重きを置く監督の作風は、物語の起承転結がそれなりにはっきりしていないとかなり曖昧な印象を残してしまうこともままあるのだが(市川監督ほどうまくいった作品とそうでない作品の落差が激しい人もいないんじゃないかしら)、今回のこの作品ではうまく成功していると見た。よかったよかった。
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【トラフィック】四星半
メキシコの警察官のベニチオ・デル・トロ、アメリカ政府の麻薬取締最高責任者のマイケル・ダグラス、麻薬シンジケートのボスの妻キャサリン・ゼタ・ジョーンズをそれぞれ中心にした3つの別々の物語を並行させて進め、しかもそのそれぞれに更に多くの人々のサブ・ストーリーを絡ませるなんて、全く信じられないくらい複雑なことをしている筈なのに、そんな抵抗感や押しつけがましさを感じさせずにすーっと受け取らせてしまうのは、ひとえにスティーヴン・ソダーバーグの練りに練られた変幻自在のテクニックのなせる技だろう。これらの物語が佳境に入ると同時に、アメリカ社会に巣食う麻薬問題の全体像が3Dで朧気ながら浮かび上がってくるという仕掛け。全編、この神業と贅沢な俳優の使い方に唸らせられるばかりの、あっという間の2時間半。
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【ハムナプトラ2 黄金のピラミッド】三星半
実はまだ前作を見ていないのだけど、最近とみにブレンダン・フレイザーっていいなぁと思うようになってきたので、まぁこっちが先でも差し支えないかと(笑)。勿論、終始ぽかーんと眺めてればいいような掛け値なしの冒険活劇ではあるのだけれど、凝りに凝ったSFX映像の洪水にはそのうち感覚がマヒしてきてしまって、最早何がどう凄いのやらよく分からんくらいの一種のトリップ状態にまでいってしまうところが、これまでに無かった境地といえばそうなのかもしれない。話があまり動かない中盤が個人的にはちょっとだけツラかったかな。他に見所なのは、プロレスラーのザ・ロック氏扮するスコルピオン・キングのキモチワルくも見事な造形など。(彼を主役にした次回作の構想まで進んでいるとか。)勇ましくも逞しいレイチェル・ワイズもポイント高かった。
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【ハリー、見知らぬ友人】三星半
ブラック・コメディだという触れ込みを多く聞いたのでそのつもりで見てたんだけど、自分の思い込みで他人の生活にずうずうしく侵入してこようとする奴の話なんて、私には全っ然笑えない領域だ。話としてはよく出来ていると思うけど、快か不快かと問われれば思いっきり不快だし、私にとってはこんなもの、純然たるホラー以外の何物でもない。でも、この不愉快(不可解)極まりないような存在こそが人の世の不条理そのもののメタファーなのかもしれず、そんなところにも一片の真実が含まれている可能性はあるのかもしれないという辺りが、実は遠大なるオチだったりするのだろうか。
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【ハロルド・スミスに何が起こったか ? 】三つ星
ポール・トーマス・アンダーソンの【ブギーナイツ】やスパイク・リーの【サマー・オブ・サム】、はたまた去年のシンガポール映画の【フォーエバー・フィーバー】など、70年代の様々な事物を、当時のディスコ・ムーヴメントを核にして再構築してみる映画って結構いろんな傑作があるように思う。(最近アバやビー・ジーズのベスト盤に食指が動いてしょうがないのは一体誰の陰謀だ !? )で、パンクなどの他に、超能力ブームやニューエイジなんていうおニューな要素を加えてアレンジしてみたのが本作だと思うのだが……それぞれのアイディアはそれなりに面白くても、全体的には今一つまとめきれなかった感があるのがちと残念。クライマックスのディスコのシーンの振り付けが【サタディ・ナイト・フィーバー】そのまんまなのは一応見せ所ではあるのだが、かの時代のトラボルタがいかにカッコよかったのかということばかり思い出させてしまうのは、もしかして逆効果だったのでは ? でも主役のマイケル・レジー君と、15年くらい前のジュリエット・ビノシュを彷彿とさせるローラ・フレイザーの、なかなかうまく行かない初々しいカップルが可愛いらしくて好印象だったので、一応及第点はつけておこう。
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【ふたりの人魚】三星半
中国の第六世代といわれる監督さんの作品って、実はまともに見るのは初めてかもしれない。主人公の目線で貫いた撮り方は斬新だし、思いの外シャープな語り口は、異国といっても同じ空の下の同じ時代を生きているのだなぁと感じさせてくれる。でもキミの女の話なんて私にはどうでもいいっちゃいいことなんだよね、といったところが、個人の内省的な視界以上の拡がりの無いこのテのお話の遡及力の限界なのかもしれないとも、同時に思ったりもしたのだけれど。それまでの“ストーリー”を封じ込めて“記憶”に変換させてしまう、ラストの仕掛けは印象に残った。
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【ベレジーナ】三星半
かくしてスイスは王国になりましたとさ。国家を成立させること自体に苦心惨憺してきたというスイスなる国と、そのために課せられる厳格な義務の元で暮らしているスイス国民のアンビバレントな関係が、“全てのスイス人は国家にとって危険人物である”てな本末転倒のセリフに代表されるようなブラック・ユーモアをもって綴られているのは興味深いと思った。しかしそれを表現するためのお話の方には今一つ入り込み切れなかったというか。高級娼婦なる職業は、もっと世知に長けていなければ勤まらないんじゃないかしら。いくら戯画的な描き方だと言ったって、カマトトも大概にしなはれ、このヒロイン。
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【ベンゴ】二星半
フラメンコは、伝統的にアラビア文化の影響を受けていたアンダルシア地方の歌や踊りに、ロマ(ジプシー)の芸能が入り込んで成立したものなのだそうだ。とすると、自らロマのルーツを持ち【ガッジョ・ディーロ】などの作品を創ったトニー・ガトリフ監督の新作にはぴったりの素材に見える。確かに、フラメンコの有名ミュージシャンをフィーチャーしたという音楽は物っ凄い迫力で、見ているだけで圧倒されてしまいそうになる、のだが……そんな折角の演奏すらぶつ切れにしてしまうように不作法にインサートされるお話の方が、あってもなくてもどっちでもいいようなシロモノというか、はっきり言って演奏の邪魔に思えてしまうくらい。これならいっそ、カルロス・サウラ監督の【フラメンコ】の野外版みたいなドキュメンタリーみたいなのを最初から目指した方がよかったのではなかろうか。
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【ホタル】三星半
どうして、今のこの時代に元特攻隊員の話なんだろう ? というのは、外部の人間から見てると分かりにくいんじゃないかと思う。まず【鉄道員<ぽっぽや>】のスタッフと健さんありき、という企画だから、話が後づけになっちゃったりするのは仕方なかったんだろうけど。とはいえ、戦後延々作られてきたそのテの話の中では、過度の被害者的ナルシズムに陥ることなく、いかにも今の時代らしい節度を持った視野から作られていて、田中裕子さん演じる妻との夫婦愛をうまく絡めた演出とも相俟って、隅々まで作り手の誠意を感じさせる出来にはなっていると思う。でも、いろいろ入れ過ぎてピントが定まらなくなってしまっているという意見があるのもまぁ分からんじゃないような。あと、映画の対象年令を少しでも下げるために無理矢理入れたんじゃないかなぁ、といった感じの若い人との関係が、あまりにも理想的に描かれ過ぎているところも、少し気になったけど。
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【マレーナ】四つ星
よく考えてみたら、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品って、【ニュー・シネマ・パラダイス】以外で心から良かったなぁと思った記憶があまり無いんだよね。でも、昔のネオ・レアリスモの時代の名画のような、大地の豊かさを感じさせるちょっとふっくらとした色気たっぷりの女優さんとか(ヒロインのモニカ・ベルッチは少し太ることを要求されたのだそうだ)、子供をパコパコとよくはたく【自転車泥棒】のお父さんのような親父とかいった、いかにもイタリア映画らしいニオイを彷彿とさせる本作は、そこそこまとまった出来上がりだったような気がする。(でもこれぞイタリア映画だって感じがなぁんかしなかったのは何故なのかよく分からないんだけど。)とはいえ、キレイだというだけで周囲からあまりにも理不尽な扱いを受けるヒロインの運命(戦争未亡人だというのに)は、見ていてどうにも釈然としないし。主人公の少年も、いくら見つめるだけの高嶺の花の初恋の物語だとはいえ、本当に見てるだけでほとんどナンにもしないのはあんまりにも歯痒いし。で、あのラストの一年後とかいう部分の展開はあまりにも嘘臭かったので、無かった方がよかったんじゃないかと思ったりしたのだが。
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【ミリオンダラー・ホテル】三星半
世界はこうあるのが正しいと、日々ワールドワイドに喧伝・流布されて強化されつつあるアメリカ社会のスタンダード。そんなメインストリームにどうしても乗り切ることの出来ないアウトローの人々の吹き溜まりや、そんな猥雑な世界にも奇跡的に宿る愛の美しさや優しさ(う~ん、言葉にするとどうも……)を、ヴェンダース監督は描きたかったのではないか。そのコンセプトはよく判るような気はするのだけど、結果そこに現われたのは、あくまでも監督の解釈によって創出された一種独特な異空間でしかないように思われた。これがどうしても“アメリカ”なるものには見えてこないところが……困ったなぁ。
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【みんなのいえ】三星半
三谷幸喜の笑いの演出は絶品だ。俳優の起用もどんぴしゃり。後半の家具修理のくんだりはちょっともたついたような気もしたけど、総じてテンポよく、お話は充分に面白かったのは確かだ。だけど私なら、あんな現場のことに明るくないような勉強不足のデザイナーも、自分勝手に暴走してこちらの意向を勝手に捻じ曲げてしまうような大工さんも、ぜえったいに雇わないけどね。いくら親孝行とか言ったって、20畳もある和室なんてどうしろっちゅうの、大枚はたいて一生住むんだぜ。そんなことになっても誰にもキツいことを言ったり切り捨てたりする展開にならないのは、きっと三谷さんが凄く優しい人(で家の一件や二件軽く建てられるお大臣)だからなのだろう。だけど私は優しくない人間なものだから。優柔不断な態度で周囲の“みんなの”の意を汲みつつ“ガマン”と“妥協”で着地点を図るという、いかにも絵に描いたような日本的決着方法に、過去のそのテのトラウマが逆撫でされてしまい、一面すごぉく嫌な気持ちにもなってしまったのだった。
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【メトロポリス】三星半
今、たまたま個人的に第 ? 次の手塚治虫ブームがやって来ていて、特に70年代辺りに青年誌で掲載していた作品を中心に読み耽っている。今更ながら氏の題材の幅広さや想像力の奥深さには驚くばかりだが、この時期に『ブラック・ジャック』と『三つ目がとおる』をそれぞれチャンピオンとマガジンに週刊連載していたっていうんだから……う~ん、その仕事量の膨大さも、やっぱり尋常じゃない。さて本作の原作は戦後間もない1949年に描かれたというから、『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』よりも前、その後のマンガに決定的な影響を与えたと言われる革新的な手法の数々もまだ確立されていないごく初期の頃の作品なのだそうだが(ちなみに、フリッツ・ラングの【メトロポリス】は当時はまだ見れなかったので、題名とスチール写真のイメージだけを拝借したということだ)、今回の映画化では、その昔風の絵柄を現代風に翻案し直して、その内容の普遍性と斬新さを敢えて今の世の中に問うことが目的なのだという。CGを多用した現代的なメトロポリスの造形に併せ、ヒゲオヤジ、ロック、ハム・エッグ、アセチレン・ランプなどの懐かしいキャラの面々、そしていかにもかの時代の少年冒険漫画の主人公然とした主人公のケンイチ君の絵柄も、総てトータルに再構築。結果、当初の狙いは大変うまく出たのではないかと思われる。のだが、それぞれのシーンの空気感を大切にするあまり、演出に必要以上の溜めが多すぎたのではないか ? と感じられたところが気になったのだけれど。全体的にもう少しアップテンポな方がストーリー自体に集中できて、ロボットと人間の関わり合い方というテーマにもスンナリ入れてより核心に迫りやすかったんじゃないかなぁ、などと思われたりしたのだが。
ところで蛇足ですが : “ロボットと人間の関わり合い”というテーマなら、『火の鳥』の「復活編」を是非お薦め致します。ロビタ君の“集団自殺”のシーンが今でも心に残っています……(泣)。
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【誘拐犯】二星半
やたら銃撃戦ばかりが目立つ展開(拳銃の音ばかりがまたやたら大きいんだわ)に、ぼそぼそと話されるセリフ。う~ん、それって私にとっては二大鬼門なんだけど。折角今、脂の乗っているベニシオ・デル・トロ君が出ていても、久々にお目に掛かるジュリエット・ルイスが妊婦役を熱演していても、他にも沢山出てくる様々なキャラ達にも、その相互の意外な関係にも、ほとんど興味が持てなかったものだから。これはもう自分とは相性が悪かったのだとしか言いようが無い。あいすみませんです。
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【LIES/嘘】四つ星
過激なセックスシーンが全体の3分の2以上を占めるという前評判に釣られてか、満員に近いくらいの場内にやたらおじさんの姿が多かったように思われたのは気のせいか。しかしこの映画は、生半可な考えで迂闊に見に行ってしまったりしたらかなり公開することになるのは必至だろう。自分の処女を捧げた芸術家Jのセクシャル・ファンタジーの暴走を、限界を顧みようともしないで体ごと受けとめようとする高校生Y。初めて身も心も完全に満たされるということを知り、Yにどこまでも溺れていくJ。そんな二人の関係性の深まりが身も蓋もなく赤裸々に綴られていく様は、まるで新しい時代の【愛のコリーダ】を見たような気すらした。しかしこの題名がどうして“嘘”なのだろう ? と思っていたら、その訳は一番最後に判明する。愛の思い出だけを抱いて残りの人生を脱け殻のように過ごさなければならないなんて、こりゃなんて残酷な悲劇なの ! 涙すら滲まない、情け容赦の無い乾いたタッチがたまらない。ただ、映画自体を相対化して作り物であることを意識させるために入れたという撮影ドキュメントや演者のインタビューのシーンは、あまり成功していなかったかも。たかがお話とタカを括るにはあまりにも鮮烈で強烈な中身だから、観る者はどうしたって引き摺り込まれて、物語に入り込んでしまわざるを得なくなるのだから。
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【リトル・ニッキー】三つ星
ヘビメタオタクでとっちゃん坊やで何故か顔が一定方向に曲がっている ? 魔王の末息子の主人公ニッキー君とか、その母親がうるさいくらいのキャピキャピ・ギャルの天使であるという設定とか……無理すれば笑えないこともないかもしれないんだけど、面白いかどうかのツボがどうも微妙にズレていて、結局、やっぱりよく分からないようなギャグのオンパレード。また、アメリカのテレビとか見てないと分からないんだろうなといったようなネタも多く、これは主にアメリカに暮らしている人々に向けられた内輪向けのお笑いなんだ、と思っていたら、本国でもあまり受けがよろしくなかったらしいというのはどういうこっちゃ。でも、一瞬SFXか ? と思ったくらいのスマートさにびっくりした魔王役のハーヴェイ・カイテルと、その長男のイジワルでズル賢い兄役のリス・エヴァンス(【ノッティング・ヒルの恋人】でヒュー・グラントのルームメイトを演っていた彼と同一人物 !? )がちょっとだけカッコよかったので、少しオマケをしておこう。今回、リス君のフィルモグラフィを調べ直していたら、色んなタイプの映画に驚くほどイメージの違う役柄で大挙出演していることが判明。【ノッティング…】の時にも各方面から注目されていたけれど、この人はこれから本当に伸していくことだろう。あと、悪魔の気配を嗅ぎ取って一人騒ぎまくる盲目のヘンな神父役を嬉々として演じているQ.タランティーノにも御注目。
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【リムジンドライブ】四つ星
日本に数多いる映画監督さんの中で一人だけ天才の称号を捧げるとしたら、私は迷わずに山本政志監督を選ぶ。【てなもんやコネクション】以来の“アホは国境を越える”という一大テーゼを掲げた無手勝流を標榜しているように見えて、実際は画面の上で起こることの全てを隅々まで計算に入れてフレームのなかにぴたりと納めてしまうなんてワザが易々と、しかも本能的に出来てしまう(ように見える)恐るべき御仁なのだから。何年か前に文化庁の海外派遣研修員としてニューヨークに渡った時、あの掟破りを一体どこの役人が選んだんじゃ ! と誰もが仰天したものだが、その後、現地で独自の人脈を元に(「アホは世界中に生息している民族」、なんだって ! )自分でプロデュース、渋谷の現役コギャルをマンハッタンのど真ん中に持ってきた映画を、あらゆる国々の出身のスタッフと一緒にいつもと変わらない調子であっさり創って、またも易々と国境を越えてみせようとは……常識なんてスルリとかわしてしまうファンキーさ、やっぱりこの人の感覚は図抜けている。とはいえ、ここのところの監督の映画は、(どれもが畢竟のケッ作ではあっても)監督本来の実力からするとまだまだ軽~いジャブであるようにも思われる。さーこの勢いに乗って、今度という今度こそは【熊楠】だ !
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【ロスト・ソウルズ】二つ星
【シンドラーのリスト】以降のスピルバーグ作品の撮影監督を何作も務め、監督の信頼も厚いヤヌス・カミンスキーの初監督作品だけあって、画面はすこぶる綺麗で重厚感がある。が、そもそもキリスト教圏の悪魔という概念自体が日本在住の私らには必ずしもピンとくるものではない上、話の展開もぶつぶつと断片的で不親切というか、説明不足でかなり分かり難いような。オチも何だか弱くって、全体的にパンチに欠けた印象が残ってしまったのが残念。雰囲気自体は決して嫌いじゃなかったんだけどねぇ。
trivia : ヤヌス・カミンスキーって【ピアノ・レッスン】【彼女を見ればわかること】のホリー・ハンターの旦那さんなのだそうです。びっくり。
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