Back Numbers : 映画ログ No.66



【アカルイミライ】四星半

一言で言うと :
【CURE】【回路】の黒沢清監督の最新作。
普段はおとなしいがキレると手がつけられなくなる性格の雄二(オダギリジョー)は、同じおしぼり工場で働く守(浅野忠信)とは何故か気が合った。そんな二人の私的な空間にまで踏み込んでこようとする工場の社長の一家を殺してしまった守は、刑務所に収監されたしばらく後、謎の自殺を遂げてしまう。残された雄二は、中古品の修理屋を細々と営む守の父(藤竜也)と知り合いになり、そこで働くようになるが……。
すごくよかったところ(というかほとんどあらすじの私的な解説のようなものですので、できれば映画を観た後にお読みになることをお勧め致します) :
親切のつもりなのか、若い人と交流を持ちたいという意図なのかは分からないが、人のプライベートな領域にまであんなふうにずうずうしくズカズカと入り込んでこようとするオヤジなんて、私だって嫌だ。でも、普通はどんなに腹が立ってもなかなか殺すところまでは行かないものだけど、この映画の中の若者はなんてことのない調子で欝屈を発散させてしまって、その結果、二進も三進も行かなくなってしまう。で、たまたまタイミングが遅れてしまったもう一人の若者は、生き延びたというよりは、なんとなく死なずにいることになってしまったという感じ。
この生き残った方の雄二は、実は死んでしまった守以上に、今にも臨界点を越えてしまいそうな危うさを常に抱えながら生きている人なんだけど、この雄二が出会った守の父親は、また全然歩調の違う人生を生きている人だった。
守の父親は、妻にも子供にも見放されていて、端目にはかなりうらぶれて見える人間なんだけど、でも自分に与えられたわずかな領分と地道に向き合いながら人生に踏みとどまり続ける男ではある。雄二は結局はこの男から影響を受けることになるが、この男もまた雄二を通して、死んでしまった息子の人生の一端をほんの少しだけ掴んだような気持ちになる。でもそれは、毒を孕んだクラゲのように、決して本当には捕まえることの出来ないものだったのかもしれない。
かつて守が飼っていたクラゲは逃げ出して大量増殖し、暗闇に微かに光りながら、群れをなして海に向かう。この秘かに増殖する不気味なクラゲが、若い人の持っている悪意とも新たな生命力ともつかない名状しがたい何か、“アカルイミライ”そのものを象徴しているのかも知れない。こちらからはコミュニケーションを交わすことすら出来ないこのクラゲの群れを美しいと思えるかどうかが、この映画を面白いと思えるかどうかの境目なのかもしれない。
しれない、しれないばかりを連発してどうも本当に申し訳ありません。でもこれは実際、かなり捉えどころのない映画なんだもの。形になるかもどうか分からないようなこんな曖昧な何かを無理矢理描こうとしている監督も相当クレイジーなら、こんな登場人物達に実体を与えようとしているオダギリジョーさん、藤竜也さん、浅野忠信さんといった役者さん達も、相当懐の深い人達だと思う。
その他のみどころ :
THE BACK HORNの演奏するエンディング・テーマの『未来』は、書きおろしというだけあって見事なまでにこの映画にハマっている。
監督さんへの思い入れ度 : 75%
コメント :
今まで観た黒沢清監督の映画の中では、私は本作が一番好きかもしれない。
しかし、全き中年オフィス・ワーカーの私はこうも思ってみたりする。あーあ、あのコーコーセー達が荒らした事務所の散らかった書類、次の日に片付けるのが大変そうだなぁ……。私達はあの紙屑の山の一枚一枚の意味も、その意味の無さも多分知っているのだ。

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【アレックス】四つ星

一言で言うと :
【カルネ】【カノン】等の作品で物議を醸し出し続けてきたフランスのギャスパー・ノエ監督の最新作。エンドクレジットから始まって時間を遡りながら、ある“取り返しのつかない”(IRREVERSIBLE : 原題)悲劇が綴られていく。
真夜中のゲイクラブで、連れの人物(アルベール・デュポンテル)の制止も聞かず、ある人物を必死に捜して復讐しようとしている男(ヴァンサン・カッセル)。実はその先刻、男の恋人(モニカ・ベルッチ)が強姦されて手酷い暴力を振るわれ、無惨な姿になっていたのだった……。
個人的にスキだったところ :
激しい拒否反応を示す評も非常に多く見受けられるので、これはどれほど醜悪で目を背けたくなってしまうような映画なのかと戦々恐々としていたのだが、観終わってみると(私の感覚からすると)あまりにもまともな映画だったので、拍子抜けしてしまった。
この映画に寄せられる最も多い批判は多分、「このような暴力を敢えて描く必然性はどこにもない」「作者がセンセーショナリズムのため、または自分の創作欲を満たすためだけにこのような物語を恣意的に作り上げようとするのは傲慢だ」といったものなのではないかと思う。その意見自体には必ずしも反対ではない。大体が、映画やTVドラマなどの中で強姦を描く必然性なんて一切ないんじゃないかと常々思っている。それは、世界的な巨匠であるイングマール・ベルイマンが昔撮ってた映画にしろ、ジョディ・フォスターが主演して賞をいっぱい貰っていた映画にしろ、同じこと。だから、今更彼一人が必然性云々を取り沙汰される理由というのは、私にはよく分からなかった。
総てを元には戻らないような形に破壊的してしまう暴力は世界のどこかに存在している。だから作者は描こうとしただけなのではないかと思う(それが作者の創作エゴなのであれ)。そして、ひとたびそうした暴力を描くことになれば、それはこのような表現にならざるをえないのではないか。この表現に行き着いた彼の製作態度は非常に真摯で折り目正しいと、私の目には映った。
監督さんへの思い入れ度 : 15%
コメント :
映画の内容がどうこうという以前に、手持ちカメラ系のブレた映像が苦手な人は注意した方がいいかもしれません。映画の前半で酔っぱらってしまうこと必至 !

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【ウェルカム ! ヘヴン】三つ星

一言で言うと :
やって来る魂の激減のため危機に瀕している天国は、起死回生の策としてあるボクサーの魂を手に入れるため、天界で有名なクラブ歌手のロラ(ビクトリア・アブリル)を地上に送り込む。それを聞きつけた地獄も、美人のウェイトレスのカルメン(ペネロペ・クルス)を地上に送り込んだのだが……。スペインのアグスティン・ディアス・ヤネス(【死んでしまったら私のことなんか誰も話さない】他)の監督作品。
かなりよかったところ :
やはりなんと言ってもビクトリア・アブリルとペネロペ・クルスの共演、これに尽きる ! 日本では最近ペネロペ・クルスばかりが有名になってしまったけど、ビクトリア・アブリルも、かのペドロ・アルモドバル監督の作品で何本も主役を張っていたようなスペインの大スターなんでございますのよ ! 役柄的にも、ビクトリアの方が美人系、ペネロペの方がマッチョ系とちょっとひねってあるのが面白い(普通だったら多分逆になるでしょう)。ペネロペがマッチョ系というのには実は意外なオチがあってちょっとのけぞりましたけど……。
その他のみどころ :
他にも天界の責任者役にファニー・アルダン様、地獄の責任者役にガエル・ガルシア・ベルナル君が出ているのは見逃せない……役柄的に必ずしも合っているのかどうかはちょっと別なのだが。
ちょっと惜しかったところ :
天国と地獄の鞘当て、という発想自体は面白いと思うんだけど、それが思いつきの域を出ていない。天国ってどういうところ ? 地獄ってどういうところ ? という観念に大した吟味がなされておらず、その引用の仕方がいい加減で行き当たりばったりなので、お話の底が浅く見えてしまう気がする。荒唐無稽なファンタジーこそ基本設定がしっかりしてないと、見る側はその世界に入っていきづらいのではないのだろうか。
コメント :
ラストに出てくるある写真は【夜になるまえに】のハビエル・バルデムさんでないの ? と思ってIMDbで調べてみたら、クレジットはされてないけど出ているらしいのでやっぱりそうみたいだ。この使い方は結構笑ってしまいました。写真が出てくるのはほんの一瞬なのでどうぞお見逃しなく。

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【オーファンズ】三つ星

一言で言うと :
真面目一方の長男、血気盛んな弟達、脳性マヒで車椅子生活の妹。母親を亡くした4人のきょうだい達の、お葬式が終わるまでの一日余りの様子を描く。
監督のピーター・ミュランは、ケン・ローチ監督の【マイ・ネーム・イズ・ジョー】でカンヌ映画祭の最優秀主演男優賞の受賞経験も持つ俳優。本作に続く監督第二作【MAGDALEN SISTERS】は、昨年のベネチア映画祭の金獅子賞(グランプリ)を受賞した。
かなりよかったところ :
お葬式の手順を真面目に貫こうとするあまり、きょうだい達に対して冷徹過ぎるほどの態度を取る長男。ちょっとしたいざこざからお腹を刺されてしまったというのに、ろくな手当もせずにほっつき歩く次男。そのせいで過度に逆上してしまって相手の男を殺してやると息巻く三男……どうして皆、そんなどこかしらネジのずれたような行動を取るのかというと、それぞれが母親の死をうまく受け止め切れなくて、ぽっかり穴の開いたような空虚な気持ちを抱えていたからという訳。映画を観ている最中にはなんだかよく分からなかったけど、後になってよくよくそんなふうに考えてみると、ちょっと奇妙な印象しか抱けなかった彼等の行動が、何だかとても人間臭くて愛おしいものに思えてきた。
ちょっと惜しかったところ :
でも、ぱっと見の第一印象では、きょうだい達の心の動きが掴み切れなくて、かなり分かりにくかったかもしれない。
個人的にニガテだったところ :
親の死というものに対する感情は全世界共通のものではなくて、それぞれのケースで千差万別なのではないかと思う。監督は、実際に母親を亡くされた時に抱いた気持ちからこの映画の着想を得たというけれど、そんな監督の経験は、私自身が親の死に際して得た経験とはかなり違っていたかもしれないし。なのにそんな説明をすっ飛ばし、いきなり主人公達の哀しみがごく普遍的なものであるかの如く話を始められてしまっても、ちょっと困るかなと思った。
コメント :
この映画の舞台になっているのは、監督の出身地でもあるグラスゴーの街なのだけれど……溢れんばかりの気持ちを抱えているのにそれを素直に表すことができずに、ちょっと意固地でひねくれた行動に出てしまう、というのはスコットランド的なメンタリティのなせる業なのでしょうか。

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【カンパニー・マン】二つ星

一言で言うと :
ある会社に産業スパイとして雇われた男(ジェレミー・ノーザム)は、仕事先で知り合ったエキゾチック美女(ルーシー・リュー)から驚くべき陰謀の話を聞かされて……。日本でもカルト的な人気を博した【CUBE】のヴィンチェンゾ・ナタリ監督の最新作。
かなりよかったところ :
やはり映像にはこだわりのある監督さんなのだろうか。ここは気合いを入れて撮ったのかな、と思われるようなかっこいいショットが随所に見られた。
あまりよくなかったところ :
まずは邦題があんまりよろしくなかったのかもしれない。“会社人間”と言ったってこんな嘘臭い“会社”がどこにある ? ……と思ってしまった時点で、お話にかなりついていけなくなってしまったような気がするので。
【CUBE】みたいにあらかじめ全くの異世界として構築された架空の世界なら、見る側もある程度すんなりと受け入れることが出来るのかも知れない。けれど、こんなふうに中途半端に現実を模している設定だと、リアリティの無さが弱く映ってしまうだけで、だから一体何なのよと思ってしまわずにはいられないのだ。
大体が、わざわざ産業スパイになりたいと思ったり、(このお話では)魅力的というよりは変わった人にしか見えないルーシー・リューを口説きたいと思ったりする主人公の気持ちが、そもそも分かりづらいというか。本編自体が一種のシュミレーションのようなものだとするならば、観客をゲームをする気にさせなくては、まずはお話にならないのでは。
コメント :
公開当時あれほど評判だった【CUBE】ですが、閉所恐怖症で計算恐怖症の私は、実は未だに見ていません。多分、永遠に見ることはないでしょう……一生トラウマになりそうなんだもん。

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【ケミカル51】三つ星

一言で言うと :
サミュエル・L・ジャクソンが企画に惚れ込んで自らプロデュースまで買って出、香港出身のロニー・ユー監督を迎えて撮った一作。
かつて薬理学者になる夢を断たれた天才調剤師の男(サミュエル・L・ジャクソン)は、自らが調合した究極のドラッグ“POL51”を片手に、ロスの犯罪組織を裏切ってリヴァプールに飛び薬を売り込もうとした。が、ことはうまく運ばない。成り行きでつるむことになった地元のチンピラの男(ロバート・カーライル)はちょっと頭がイカれ気味だし、おまけに男の元恋人の女殺し屋には命を狙われて……。
かなりよかったところ :
ヒッピー世代崩れのアメリカ人のドラッグ調合師と、度を越したサッカー狂でアメリカ嫌いの典型的イギリス人。この二人の役柄はサミュエル・L・ジャクソンとロバート・カーライルにぴったり ! 特に、ちょっとナサケナイ風情が何故か女を惹きつけてしまうというロバート・カーライルお得意の役どころは、久々に堪能させて戴きました。
あまりよくなかったところ :
折角こういう脚本なのだから、やっぱりこの映画は、アメリカとイギリスの文化の差異というところにスポットを当てなくては面白くならなかったのでは。もっと笑わせてもらえそうな箇所はいくらもありそうなのに、どれもこれもちょっとピンぼけな印象になってしまっているのが誠に惜しい。香港出身のロニー・ユー監督の起用はアクション・シーンに主眼を置いてのことと想像するが、ここはやっぱり、イギリス流のひねくれたユーモアを解する(となるとやっぱりイギリス人の)ちょっとトンがった若手監督なんぞを誰か物色して起用するべきだったのではないだろうか。ロバート・カーライルの昔なじみという役柄で折角リス・エヴァンスなんかも出てるのに、彼の位置付けも中途半端になってしまっていてちょっと残念。
コメント :
一部の雑誌に書いてあった“Formula51”というのはアメリカ公開時の題名だったようで、映画の冒頭にも出ていた“The 51st State”というのが本来の題名みたい。これは、“イギリスはアメリカの51番目の州です”という自虐的な意味を持つ言葉。80年代に一部で流行ったThe Theというバンドの名曲『Heartland』にも似たような歌詞が出てきてましたねぇ。でもって差し当たり、日本は52番目の州といったところなんでしょうかしら。

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【13階段】三星半

一言で言うと :
刑務所の刑務主任・南郷(山崎努)が、ある弁護士から依頼されてある死刑囚の無実を証明する仕事を引き受けたのは、かつて死刑に立ち会った際、自分の押したボタンで死刑囚が死んでしまったことが、ずっとしこりになって残っていたからだった。南郷は、喧嘩ではずみで相手を死なせてしまい3年の刑に服役していた三上(反町隆史)を助手に選んで調査を開始するのだが……。高野和明原作のミステリー小説の映画化。監督は、これまでに【ココニイルコト】【ソウル】を手掛けてきた長澤雅彦。
かなりよかったところ :
主演の山崎努・反町隆史の二人のみならず、彼等に仕事を依頼する弁護士の笑福亭鶴瓶、冤罪かもしれない死刑囚の宮藤官九郎、かつて南郷が殺してしまった死刑囚の宮迫博之、三上が殺した相手の父親の井川比佐志、彼等が知り合いになるホテルの支配人の大杉漣、南郷の部下の刑務官の寺島進、etc.……出てくる俳優さんの演技が、揃いも揃ってみんな素晴らしい !
どんでん返しの連続のストーリーは飽きさせないし、ツボを押さえた的確な作りになっているのではないかと思った。
個人的にニガテだったところ :
やはりどう転んでも明るい話ではないから、一歩引いたような暗めの演出で推移しているのは決して間違ってはいないのだろう。ただ、ここまで押さえなくてもいいんじゃないかなぁ、という微妙な違和感が、個人的には終始付きまとっていたのも事実だ。
例えば、状況の説明の仕方とか話の持って行き方とか……監督の演出の細かいクセやリズムのようなものが、私個人の好みとはどうも微妙に噛み合わないのだ。一番端的に感じたのは、南郷の娘(田中麗奈)という役柄の設定の仕方。(彼女の役はそれほど必要ないんじゃないかと私は思う。)あと、クライマックスの音楽の使い方だけはどうしてもダサくってイタダケなかった ! なので、申し訳ないですが星を少しばかり落とさせて戴きました。
コメント :
【デッドマン・ウォーキング】を観て以来、私は完全に死刑反対論に与するようになりました。人間が人間を“正しく”裁くことなんて、所詮できやしないのではないかと思うからです。

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【ストーカー】四つ星

一言で言うと :
ミュージック・ビデオ・クリップのクリエーターとして活躍するマーク・ロマネクが、脚本も自ら手掛けて監督した劇場用長編映画の第一作。
大型スーパーストアのスピード写真現像コーナーで働くサイ・パリッシュ(ロビン・ウィリアムズ)は家族も友人もいない孤独な男だったが、いつからか、ある常連の一家の幸福そうなスナップショットの中に自分の姿を重ね合わせ、自分がその一員になったかのような空想に耽るのが秘かな楽しみとなっていた。しかしその一家が本当は見かけ通りに幸福ではないことを知った時、彼のストーカー行為は危険な方向にエスカレートしていくのだった……。
かなりよかったところ :
いわゆるMTV出身の監督さんって、ビジュアル的には見どころがあるけれど中身はもひとつ、という人が多かったように思うけど、【マルコビッチの穴】のスパイク・ジョーンズや【ヒューマン・ネイチュア】のミシェル・ゴンドリーの一派がのしてきた辺りから、ちょっと風向きが変わってきたような気もする。このマーク・ロマネク監督も、もともとが映画監督志望だったらしくって、安易な企画に飛びつくことなく満を持して映画デビューを狙っていたという印象。自ら手掛けたという脚本もひねりの効いたものだったし、演出も奇をてらうことなく手堅い感じで好感が持てた。(やっぱり映画を大切に考えてくれている人の仕事っていいよなぁ♪)
現像を依頼されたスナップ写真から他人のプライバシーを覗く、という観点を思いついたのがまず業あり ! そこに長年独りだった男の孤独さを重ね併せて一種の狂気にまで発展させていく、という発想が見事。そして今更言うのも何だけど、この主人公を体現するロビン・ウィリアムズが……もう文句のつけようもなく上手いのだ。きっと他の誰が演じても、ごく普通のおじさんのごく優しそうな表情の下から捉えがたい異常さとどうしようもない哀れさが滲み出す、なんて芸当をこんなにもリアルにはやってのけられなかった筈である。
ちょっと惜しかったところ :
脚本のプロットはよく出来ていたのだけれど、ナレーションや会話のいくつかで、いかにも話を進めるための便宜的に挿入した感じの説明的すぎるような部分がなきにしもあらずだったのが、少し惜しかった。
個人的にニガテだったところ :
しかし、このおじさんの孤独さが真に迫っていればいるほど、思わず目を逸らしたいような気持ちに駆られてしまっていたのもまた事実。正直言って、まともに正視しているのは大変辛かったです……。
コメント :
これがデビュー作なら上出来なんじゃないだろうか。次回は更に練り上げたよい作品を期待して待っています !

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【刑事〈デカ〉まつり】一つ星

『NOと言える刑事』(監督=青山真治)『スローな刑事にしてくれ』(監督=市沢真吾)『さよなら地球刑事』(監督=奥原浩志)『霊刑事』(監督=黒沢清)『だじゃれ刑事』(監督=佐々木浩久)『アメリカ刑事』(監督=高橋洋)『忘れられぬ刑事たち』(監督=篠崎誠)『特殊刑事』(監督=西山洋一)『刑事VS刑事』(監督=廣木隆一)『引き刑事』(監督=堀江慶)『夫婦刑事』(監督=万田邦敏)『モーヲタ刑事』(監督=山口貴義)(順不同)

一言で言うと :
一人あたりの上映時間は10分以内、主人公は刑事で、1分間に最低1回のギャグを入れること、という制約の下に12人の監督が競作をしたオムニバス。青山真治、黒沢清、篠崎誠、廣木隆一といった、一般の長編映画で一定の評価を受けている監督もメンバーに加わっている。
あまりよくなかったところ・個人的にニガテだったところ :
ごめんなさい。正直に言いますが、私は12人の監督さん総ての作品を見た訳ではありません……だって、見てるとあんまりにもくだらないのですぐに強烈に眠たくなってしまって、根性で頑張って目を覚ましてみても、やっぱりくだらないのでまた目を開けていられなくなってしまう……の繰り返しだったんだもの。
今後が期待されている人も含め、かなり錚々たる面子が監督として集まっているので一体どんな映画なのかと思いきや……これがもろ、高校や大学などの映研のノリ。しかも、ギャグにしろ何にしろそれほど質が高い訳でもなく、はっきり言って完全にアマチュア・レベルの内輪受けの世界。
場内には、お寒いギャグも進んで笑ってあげている優しい人々(もしくは本当に内輪の人々)もいたみたいで、そういった人達なら、作者の人達の映画ごっこを暖かく見守ってあげるという、学芸会みたいな楽しみ方も出来るのかもしれない。だが、私はそんなに優しくないし、そんなにヒマでもないのだよ。
コメント :
大体が飲み屋での与太話から始まった企画だということだし、このような作品に対して本気で怒ったりするのも、シャレが分からないということになるんだろう。本人達が楽しいのなら別にそれはそれでいいんだけどさ、でも内輪の楽しみという目的だけならプライベートビデオ上映会で充分じゃない ? 一般の劇場を借りて、一般の客から金取ってわざわざ公開するこたないだろう。この際、お金は寄付してあげるから、貴重な時間を返して欲しい。そうやって、作り手が何かを勘違いしているような日本映画だから一般の客がついてこれなくなっちゃうんだよ、なんてことを言わせないで頂戴よう。

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【T.R.Y.〈トライ〉】三星半

一言で言うと :
井上尚登原作の同名の小説を織田裕二主演で映画化。監督は、エンターテイメント作品を多く手掛ける大森一樹。
20世紀初頭、清朝末期の上海。詐欺師の伊沢修(織田裕二)は革命組織の幹部(ソン・チャンミン)に見込まれ、日本陸軍から武器を騙し取ることを依頼される。だが騙す相手の陸軍の東中将(渡辺謙)は一筋縄ではいかない男。伊沢は“唯一の切り札”を頼りに、中国人や韓国人などの詐欺師仲間らを巻き込んで大胆な賭けに出る……。
かなりよかったところ :
日本・中国から北はロシアまでを股に掛け、大舞台の物語が展開する。キャストもインターナショナルで、しかもなかなかの巧者揃い。織田裕二が音頭を取って事前に打ち合わせを重ねたというだけあって、いろいろな言葉が飛び交うお互いの台詞のタイミングもばっちり合っていて、違和感なく溶け込んでいたのはかなり見事だと思う。ちなみに、織田裕二の中国語の台詞まわしは日本人俳優としてはトップレベルの上手さだと、中国語のインストラクターの人が言ったとか言わないとか(ホントかな ? )。
ちょっと惜しかったところ :
しかし、この描き方ならもしかして、わざわざ上海まで出掛けて撮影せずとも、うまくすれば国内だけで撮ることが出来てしまったのではないだろうか。激動の時代を背景にした折角の大仕掛けな物語も、それ以上の拡がりや膨らみを見せず、結局は内輪のコン・ゲーム(騙し合い)の話に終始してしまうので、どうにもスケール感が感じられないのだ。また、ほとんどの要素が出揃ってしまう中盤以降は、お話の展開自体も少しダレてしまうような気がする。
また、登場人物が多過ぎるのか、それぞれのキャラクターが活躍する場面を充分に盛り込み切れていない感じもした。原作ではどうなっているのか知らないが、私だったら、最低3~4人は人物を削って、その分のエピソードは他の人物に少し振り分けたりして統廃合すると思うのだが。これでは、折角の豪華なキャストが活かされなくて勿体ないじゃない。
コメント :
結果はどうあれ、海外のキャストやスタッフとがっぷり四つに組んで質の高い“エンターテイメント作品”を創り上げたい、という意図や意気込みだけはそれなりに感じられたような気はするので、星半分はおまけしておきたい。
しかし、その“エンターテイメント作品”を見ながら思ったのだが……織田裕二の考える“エンターテイメント作品”というのは、とにかく織田裕二がカッコよく映っている映画のことを言うのではないのだろうか。でも、彼の演技には少し独得の癖があるというか、ありていに言ってちょっとクサくないですかねぇ。

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【裸足の1500マイル】四つ星

一言で言うと :
オーストラリアで、アボリジニの子供を混血児であると称して家族から引き離し、施設に強制収容して白人社会に適合させるような教育を受けさせ、長期的にアボリジニ文化の壊滅を図るという、戦前から1970年代まで実際に採られていた“隔離同化政策”の全貌が、最近明るみになった。1931年に、この政策によって家族から引き離されたアボリジニの3人の少女が、施設を脱走して親元までの1500マイル(約2400キロ)の距離を歩いて帰った、という実話を基にした小説を、ハリウッドで活躍を続けてきたオーストラリア出身のフィリップ・ノイス監督が故郷に戻って映画化した。原題の“RABBIT PROOF FENCE”は、少女達が帰り道の目印にした、大陸を縦断するウサギよけフェンスのこと。
すごくよかったところ :
2400キロと言ったら日本列島が縦断できてしまうほどの距離……年端も行かない少女達が、執拗な追手の追跡を交わしながらそんな距離を歩いて帰っただなんて、何て凄いお話なんだろう ! オーストラリアの広大な大地を舞台に、このお話を真正面から演出すれば、それだけでもう観る人に感銘を与えるのは必至なのではないだろうか。
ちょっと惜しかったところ :
本作では主に少女達の逃亡劇の様子を中心に描いており、彼女達が母親と引き離された時にどういう気持ちになり、またどういう心の経緯を辿って脱走することを決心したのか、という辺りは割とあっさりやり過ごしているというか、あまり深く突っ込まずに最初から既定路線として話を進めているように思えた。しかし、逃亡の活劇的な部分より、彼女達の細かな心の動きの中にこそ、この政策で同じような扱いを受けてきた多くのアボリジニの人々のメンタリティが集約されるのではないだろうか。だから個人的には、そちらの方をもう少ししっかりと描いてもらいたかったような気もした。
コメント :
本作では、ウォン・カーウァイ監督作品などのカメラマンとしてお馴染みのクリストファー・ドイルがカメラマンを務めているのだが、いきなりどうして、と思ったら、彼も元々オーストラリア人だったという御縁だったんですね。知らんかった。

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【バティニョールおじさん】四つ星

一言で言うと :
パトリス・ルコント監督の【タンデム】など、俳優として豊富な出演キャリアを持つジェラール・ジュニョの監督・主演作。
第二次大戦中のナチス占領下のパリ。同じ建物に住むユダヤ人一家の検挙に図らずも手を貸すことになってしまった肉屋のバティニョール(ジェラール・ジュニョ)は人知れず悔恨の念を抱き、一人ひょっこり元の家に戻ってきた一家の次男坊(ジュール・シトリュック)を思わず空き部屋に匿ってしまう。が、他の住民達も次第に怪しみ始めたというのに、次男坊はいつの間にかいとこの少女達まで連れてきてしまう始末。そしてついに彼等を匿いきれなくなった時、バティニョールは子供達をスイス国境まで連れていき国外へ逃がしてやることを決意するのだった……。
かなりよかったところ :
ナチスに擦り寄ってうまく取り入ろうとする人もいれば(おじさんの娘婿候補の似非作家のキャラってば絶品です ! )、おいしいところだけを都合よく戴いてちゃっかり生活するのが賢い生き方だと思っている人もいる。一方、そんなやり方にはどことなく違和感を覚えるような人もいれば、そんな風潮にも時の権力にも全く賛成出来なくて秘かに地下組織に与したりする人もいる。この映画は、そんないろんな人達が複雑に入り交じって日々の営みを続けていたのであろう当時の時代の状況を、非常にうまく切り取って再構成しているように思う。
わがバティニョールおじさんは、政治的なポリシーはあまり無さそうだけれど、根は善良で実直な人。でも要領はあまりよろしくなさそうで、人より半歩後れを取っているといつも妻にどやされ続けている……そんなごくごく普通の庶民派のおじさんが、御立派な理念や大上段に構えた正義のためなどでは決してなく、あくまでも個人的な心情からリスクを冒す決意をするところがドラマチックなのだ。
次男坊は利発で繊細な少年だけど、やっぱりコドモだなぁと思わせるようなシーンも多々あって、おじさんは手を焼きながらも、ますます彼のことを見捨てられなくなっていってしまう。おじさんと次男坊は、時には反発し合いながらも次第に心を通わせていく。シリアスな時代状況を背後に滲ませながらも、あくまでも人間同士の関わり合いを物語の中心に据えて、時にはユーモアも交えつつ温かい視点で描いているのが秀逸だ。
コメント :
歴史を本当に変えていくのは、こういった個人的な気持ちから発せられた小さな決意の積み重ねなのであって、勇気というのはそういうことなのではないのだろうかと思った。

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【ボウリング・フォー・コロンバイン】四つ星

一言で言うと :
1999年4月20日、アメリカが旧ユーゴのコソボに最大規模の爆撃を敢行したその朝、コロラド州リトルトンのコロンバイン高校では生徒の少年2人による銃乱射事件が起きて生徒12人と教師1人が死亡、犯人の少年達も自ら命を絶った。何故アメリカでだけ、銃によるこれほどまでに凶悪な事件が起きるのか ? でっぷりとした体格と野球帽がトレードマークのドキュメンタリー作家マイケル・ムーアがその謎に迫るべく、ユーモアに溢れながらも辛辣な突撃インタビューを次々と敢行していく。
昨年のカンヌ映画祭で審査委員長のデヴィッド・リンチが絶賛し、わざわざ“第55回記念特別賞”なる賞まで作って与えたという曰く付きの作品だ。
すごくよかったところ :
預金をすると本物の銃をタダでくれる銀行の従業員(そんなものが実在するとは ! )、168人が死亡したオクラホマ州連邦政府ビル爆破事件の共犯者テリー・ニコルズの兄ジョン・ニコルズ、全米ライフル協会の会長チャールトン・ヘストン、はたまた、銃社会に対する揶揄を込めたスタンドアップ・コメディを披露するクリス・ロック、保守的社会を攻撃する猛毒アニメ『サウスパーク』の作者マット・ストーン(何とコロンバイン高校の出身者だった ! )、その歌詞が青少年に悪影響を与えたとしてアメリカ中から非難を受けたマリリン・マンソンなどなど、彼の取材対象は実に幅広く、そのツッコミはあくまでも鋭い。そこに登場する人々の裏に透けて見える様々な事象の断片に、問題の本質が少しずつ浮かび上がってくるのが見事だ。
個人的にニガテだったところ :
でも言っていることの論点自体は、私的にはそれほどまでには目新しいものだとは感じられなかった。前評判の高さのためちょっと事前に期待し過ぎてしまったのかもしれないが、この点では昨年の【チョムスキー9.11】なんかの方がずっと刺激的だったようにも思う。しかし【チョムスキー…】の方は基本的に氏の講演の様子がほとんどなので、どちらの方が映画的にダイナミックで一般的により遡及しやすいかと言えば、それは圧倒的に本作になるだろうけれど。
その他のみどころ :
題名の『ボウリング…』は、犯人の少年達が事件当日の朝までボウリングに興じていたことに由来する。少年達が聞いていたマリリン・マンソンを禁止するのならなぜボウリングも禁止しないのか ? という作者の主張もユニークだが、アメリカ人のメンタリティに占めるボウリングの位置づけというのを【ビッグ・リボウスキ】や【キングピン/ストライクへの道】などの例も引きつつ紐解けば、それだけで何かの論文が一本くらい書けてしまいそうな気がする。
コメント :
多くの人が言及していることだけど、本作の数多の登場人物の中で、マリリン・マンソンのコメントが一番冷静で本質をついているように見えるというのは興味深かった。
アメリカは様々な恐怖感を煽ることで成立している社会なのだという彼の指摘は、多分正しい。というか、どの社会の中にも恐怖感というものは何らかの形で必ず存在していて、それとどのように向き合っていくかというところにそれぞれの社会の特質が表れるのじゃないだろうか。ちなみに日本人の場合は、思い切り近視眼的になって恐いことには気がつかないフリをするというのが一般的なんじゃないかと思う。社会の成熟の度合いとしては相当低いことは言うまでもない。

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【ボーン・アイデンティティー】四つ星

一言で言うと :
マルセイユ沖の海上に意識不明のまま漂っていた男(マット・デイモン)は漁船に救出されるが、自分の素性について何一つ思い出せない。体に埋め込んであった銀行の口座番号を唯一の手掛かりとして辿っていくうちに、どうやら自分は堅気の人間ではなく、しかも何者かに追われているらしいということが分かってきた……。ヨーロッパを舞台に展開するマット・デイモン主演の新感覚スパイ・アクション。
かなりよかったところ :
マット・デイモンがアクションに開眼 ! という面を売りにしているように見受けられるけれど、それよりも、何ヶ国語も話せてそれぞれの国のシステムに精通していて当たり前だわ、刻々と変わる状況下でも瞬時に高度かつ的確な分析力が求められるわで、スパイって超頭よくないと絶対に務まらないのね、というところをみっちり描き出していることの方に、むしろ新鮮な驚きが感じられた。この映画は、マット君の芸域をアクションの方にも拡げつつも、彼をインテリ役に完璧に嵌まる役者として再定義しているものであるかのように、私には思われた。
ストーリーも息をもつかせぬ展開でお見事。娯楽作としては、大変バランスも良くよく出来た映画だったように思う。
個人的にスキだったところ :
ヒロイン役のフランカ・ポテンテ(【ラン・ローラ・ラン】他)の評判があんまり芳しくないのだが、結構好きだな、と思ったのは日本で私だけなのかしら ? ここで色気バリバリのモデルさんみたいな女優さんが出てきても凡庸で変わりばえのしない印象になってしまうような気がしたし、どこの国に連れていかれても生き延びていけそーな彼女の逞しさがリアルでいいじゃないの。ちょっぴりゴツイ系同士で、マット君とは意外とお似合いなんじゃないかしらとも思ったし。
コメント :
マット君を追いかけ回す指令を出す悪役のクリス・クーパー氏に注目なさった皆様、氏が主演している【真実の囁き(LONE STAR)】という映画を是非ビデオ屋で捜して御覧になってみて ! これは私の大好きなジョン・セイルズ監督の日本未公開作品(どうして???)なのですが、【アメリカン・ビューティー】【遠い空の向こうに】などとはまた一味違った氏の渋い魅力が堪能出来ること請合いです !

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【僕のスウィング】三星半

一言で言うと :
自らのルーツであるロマ(ジプシー)の在り様をテーマに撮り続けてきたトニー・ガトリフ監督の最新作。ロマの女の子スウィングと白人の男の子の、ひと夏の初恋が描かれる。
すごくよかったところ :
トニー・ガトリフ監督の映画では、ロマ音楽の独得なサウンドがいつも重要な要素になってくる。今回は、ロマ・サウンドをルーツに持つジャズ・ギタリストのジャンゴ・ラインハルト調のサウンド(マヌーシュ・スウィングというのだそうです)が主人公。ごく普通の生活の場でのごく普段着の集まりの中で、いきなり始まってしまうセッションの見事さには、度肝を抜かれてしまう。
かなりよかったところ・個人的にニガテだったところ :
大きくなったら絶対に男泣かせになりそうだけど今はまだ無邪気なスウィングちゃんと、夏の間だけおばあちゃんの家に預けられている男の子の、純粋な心の触れ合いが美しい。……とか言うべきところなんだろうな、ここは。しかし、【初恋のきた道】の時も何だか怪しかったんだけど、どうやら私の中からは、初々しい初恋のみずみずしい記憶、なんてものはすっぽり抜け落ちているみたいなのである。なので、このようなお話を見ていても、何だか気持ちがいっこうに動いてくれないようで……。
コメント :
ロマの人々の生活の断片と、少年と少女の初恋の物語。この二つのモチーフが、この映画ではうまく融け合って美しい形をなしていると思う。思う……んだけどなー。今一つ入り込んでいけない自分が悲しい。

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【マルグリット・デュラスのアガタ】三星半

一言で言うと :
生涯に映画も何本か手掛けたフランスの大作家マルグリット・デュラスが1981年に監督した作品。
若い頃近親相姦の関係にあり、今から永遠に別れようとしている兄と妹が、かつて共に夏を過ごした海辺の別荘で想い出を語り合う。現在の冬の風景の上に被せられる二人の会話の声は、マルグリット・デュラス本人と、デュラスの36歳下の恋人だったヤン・アンドレアのものである。
すごくよかったところ :
冬の海辺の人気のない寂しい風景は、まんまマルグリット・デュラスの心象風景でもあるのだろうか。【インディア・ソング】が“退廃感”を形にしたような映画なら、これは差し詰め“寂寥感”を形にしたような映画だと思った。
延々と映し出される風景にナレーションを被せる手法(主人公と思われる二人も一部画面に登場するが)は、本作を一種の映像詩のような作りにしており、その荒涼とした中にも他人を寄せつけない気品がある独得の風情が非常に美しい。デュラスとヤン・アンドレアの交互に繰り返されるナレーションの音節が、また音楽のように心地よい。
その他のみどころ :
時々画面に出てくる主人公の二人の、お兄さんの方を演じているのはそのまんまヤン・アンドレアさんだそうですが(本物はこんな顔をしていらっしゃったのね)、妹さんの方を演じているのは当時多分40歳ちょっとくらいだったビュル・オジェ。ちなみに当時のデュラスは60代後半だったと思うが、声では出演しながらもそのイメージ映像では自分よりずっと年の若い女優さんを使ったのは一体どうして…… ? などと色々つい考えてしまう。
監督さんへの思い入れ度 : うーん、うーん、うーん……とりあえず25%で。
コメント :
昔【インディア・ソング】などを観た際には、そのあまりの緩慢さに死ぬかと思ったものだったが、最近こういったタイプの映画をとんと観なくなったせいもあり、久々に観ると面白いものだなぁと思った。個人的にはかなり気に入ったのだけれど、さすがに一般受けはしないだろうなーと思い、その分、少しだけ点を下げさせて戴きました。

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【壬生義士伝】四つ星

一言で言うと :
新選組に新規入隊してきた南部藩(岩手県)出身の吉村貫一郎(中井貴一)は、異様に金にがめつく、寄るとさわると家族や故郷の自慢話ばかりしているような男。隊の中堅・斎藤一(佐藤浩市)はそんな吉村の武士らしからぬ様子を苦々しく思っていたが、その剣の腕前の凄まじさだけは認めざるを得なかった。そんな彼等もやがて時代の波に飲まれていき……。浅田次郎原作の小説を【コミック雑誌なんかいらない ! 】【秘密】【陰陽師】他の滝田洋二郎を監督に迎えて映画化。
すごくよかったところ :
愛する家族や故郷への強い思い、それ以上に、骨の髄まで武士だったってこと。この映画は一にも二にも、吉村貫一郎という人物のキャラクターの面白さ、その独得の美学とも言うべき矜持の美しさを堪能するべき映画なのではないかと思った。
人によっては、物語の前半では家族のためにありとあらゆる努力を払おうとしていた吉村が、どうして後半は軍隊と心中することになってしまったのか分からない、と評していたりもした。しかし、まずは滅私奉公して仕える主君のようなものがあって初めて自分も存在し得る、というのがかつての武士のメンタリティの根幹ではなかったか。家族のために一度は主君を裏切って、二度は裏切れないと思い定めた吉村の心の振れ幅こそが、注目するべき部分だったのではないかと思う。彼のその二度目の主君選びが結果的に正しかったかどうかは別だけど、あの時代の渦中にあっては、どちらの生き方が正しいのかと決めてしまうなんて、誰にとっても難しいことだったに違いない。
この吉村のキャラクターを掘り下げるいわば狂言廻しのような役割を担っているのが斎藤一だ。吉村を演じる中井貴一も絶品だけれど、このちょっとやさぐれちゃってる斎藤を演じる佐藤浩市も、実にかっこいい。この脂の乗り切った二人の演技を見逃すのは、あまりにも勿体ないだろう。
あまりよくなかったところ :
かように、途中まではかなり号泣モードで見入っていたのだけれど、映画が終盤になってくるのに従って何だかちょっと冗長だなーと感じ始めてしまった。原作ではどうなってるのか知らないが、映画的に言うならば、吉村が無謀を承知で官軍に突っ込んでいく辺りがやはりクライマックスになるのでは。ここから後があんまりにもだらだら続くものだから、それまでの熱が醒めてすっかり冷静になってしまった。吉村自身の話ももっと簡単でいいだろうし、ましてや他の人の後日談なんて、もっと削ってしまっても構わないのではあるまいか。
コメント :
一つ解せないことがある。『壬生義士伝』はもともとは、先頃亡くなった相米慎二監督が生前手掛けていた最後の企画だったはず。なのにどうして、今回のこの映画のパブリシティでは相米のソの字も出てこないの ? 監督が亡くなられて後、主役になるはずだった役所広司氏の降番劇などもあり、相米監督が当初創ろうとしていたものと、その後製作サイドが作ろうとしたものがかなり違ったものになったのであろうことは想像に難くない、けれど、それはそれとして、一片のリスペクトくらいは示されてしかるべきなのでは。そういう姿勢がちゃんと見えてこないことには、今回の映画を作った人が下手すると企画ドロボーにすら見えてしまって、何だか気持ちよくないのだよ。

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【黄泉がえり】四つ星

一言で言うと :
九州の阿蘇地方で死んだはずの人間が甦るという現象が発生した。地元出身の厚生労働省の役人・平太(草なぎ剛)は現地を訪れ、再会した昔なじみの葵(竹内結子)らと調査を開始する。しかし甦りの人間が次々と増えているにも関わらず、葵の亡くなった婚約者(伊勢谷友介)は何故か復活しないままだった。やがて平太はある真実を知ることになるのだが……。梶尾真治原作の小説の映画化。監督は【どこまでもいこう】【月光の囁き】【害虫】などの作品で確かな手腕を発揮してきた塩田明彦。
すごくよかったところ :
かなり数の多い登場人物を巧みに動かし、それぞれのエピソードを適宜に膨らませることによって、やり方によっては安っぽくて胡散臭~い話になってしまう可能性だって大いにあったはずのSFが、しっかりと見応えのある物語に組み上げられていたと思う。さすがは塩田監督、手抜かりのない出来栄えです !
個人的にスキだったところ :
淡々とした性格の主人公(正にくさなぎ君にぴったり ! )が思わず激昂してしまうシーンが、彼が本当は迸るような気持ちを内に抱えていることを垣間見せてくれていて良い。こんなシーンがあるから、映画終盤に出てくる“一瞬でも気持ちが通じ合えれば……”なんていう、下手すれば思い切りクサくなってしまいそうなフレーズも、泣かせる台詞として立ち現れてくるのだ。
昔亡くした兄とバイト先の未亡人の旦那(哀川翔様 ! )が同時に甦ってしまって嬉しいやら悲しいやらよく分からない、というフクザツな役どころを演じた極楽とんぼの山本圭壱さんが、とっても味があってよかった。
ちょっと惜しかったところ :
特に前半、BGMが少しうるさすぎるなぁと感じるところが多々あった。
RUIさんによる後半のライブシーン(柴崎コウさん演じる彼女自身も登場人物の一人になっている)は悪くなかったけど、しかしいくらなんでも3曲は多過ぎるんじゃないの ? 一体何のタイアップなのかは知らないが、そんなので映画全体のバランスを崩してしまったとしたら、元も子もないだろう。
監督さんへの思い入れ度 : 75%
コメント :
そういえば【リング】も同じ映画館で見たなぁ、なんて思い出したのは、映画館の外の列が【リング】の時と同じような場所まで延びているところに並ばされたからだ。(ちなみに私より列の後ろの人は立ち見になっていた。)上映中は、皆、食い入るように画面に見入っている空気が伝わってきたし、観終わった後の場内の雰囲気もすこぶるよかった。ん ? これはもしかするとかなりのヒットになる ? そんな予感がバリバリしたのだが、果たしてどうなりますか。
しかし、くさなぎ君の映画がこれだけうまく形を成したのを見るにつけ、中居君がまた少し気の毒に思えてきてしまった。彼の演技自体は決して悪くなかったのに、森田芳光監督があんなタコな映画を作るなんて一体誰に想像できただろう……。

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【猟奇的な彼女】四つ星

一言で言うと :
韓国で、インターネットの掲示板への書き込みから拡がって一大ブームにまでなったという実話を元にした映画。
地下鉄で酔っぱらってふらふらになっている女の子(チョン・ジヒョン)を助けた大学生のキョヌ(チャ・テヒョン)。彼女は顔は可愛くて、基本的には正義漢なのだけど、色々とはた迷惑だわすぐ人を殴って凶暴だわの強烈キャラ。最初は関わり合いになりたくなかったのに、そのうちどんどん巻き込まれていってしまったキョヌは、彼女が実は何か深い悲しみを抱えていることに気づくのだが……。
かなりよかったところ :
猟奇的、というのは日本で一般的に使うようなおどろおどろしい意味ではなくて、一風変わった、くらいのニュアンスになるのだそうだ(最初に日本に紹介された時につけられた仮題が、そのインパクトの強さのためにそのまま流通してしまったようである)。根はまっすぐで素直なんだけどその表現の仕方がちょっとストレート過ぎる、という“彼女”のキャラクターは、とてもユニークで生彩を放っている。顔が可愛いければなりふり構わずどんな迷惑行為をしても許されるの ? というニュアンスが無きにしもあらずだったところだけは、ちょっとだけ気になったんだけど。
嫌だ嫌だと言いながら彼女の言うなりになってしまい、最後には抜け出せないくらいに嵌まっていってしまう、今時の軟弱で優柔不断な、でも優しいキョヌ君のキャラクターが秀逸だ。いくら彼女がユニークだからって、そのキャラクターの魅力は彼女一人ではそこまで引き立たないのであって、彼とのコンビがあって初めてお話が生き生きと動き出すのだと思う。
おかしな二人の言動に大笑いしながら、終盤はハラハラさせられてホロリとさせられる。定版の作り方と言えるんだろうけれど、これは非常にうまいと思う。これを楽しめないという人は、そりゃあもうお気の毒としか言い様があるまい。
ちょっと惜しかったところ :
画面自体は少ぉし古めかしいタッチだなぁという印象を受けた。
コメント :
本作のもともとのお話をインターネットに書き込んだという原作者のインタビューというのを読んだのだが、裏話の方は正直言ってかなり幻滅させられてしまうようなシロモノであった。ま、現実とはそうしたものなのだろうか。現実を昇華させて結晶化させた“物語”の方が現実よりずっと美しいというのは、世の習いなのかも知れない。

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【レッド・ドラゴン】四つ星

一言で言うと :
トマス・ハリス原作の“ハンニバル・レクター”三部作の第一作『レッド・ドラゴン』の再映画化。物語は【羊たちの沈黙】の前日譚にあたる。前回は1986年にマイケル・マン監督によって映画化され、【刑事グラハム/凍りついた欲望】という邦題で公開された(ビデオタイトルは【レッド・ドラゴン/レクター博士の沈黙】)。
すごくよかったところ :
本作の主人公は、レクター博士(勿論アンソニー・ホプキンス様 !! )を一番初めに逮捕した一種天才肌の捜査官(エドワード・ノートン)で、後のお話の展開は、ごく大雑把に言えば【羊たちの沈黙】と似たような感じ ? 捜査官が追うことになる連続猟奇殺人事件の犯人にレイフ・ファインズ、彼が心を許す職場の同僚にエミリー・ワトソン、捜査官の上司にハーヴェイ・カイテル、彼等を追い掛けるゴシップ誌の記者にフィリップ・シーモア・ホフマン、等々、これでもか ! と言わんばかりの豪華なキャストの確実な演技力の競演できっちり盛り上げ、サスペンスの興奮を最後まで持続させる。これは非常に手堅くよくできた、面白い映画だと思う。(少なくとも【ハンニバル】よりは断然出来がよかったのは間違いないところだろう。)
ちょっと惜しかったところ :
ただ、敢えて難点を挙げるとするならば、本作ではレクター博士と捜査官の心理的な攻防戦の部分を、かなり表面的にあっさり流してしまっているような印象を受けた部分だろうか。【羊たち…】のどこが印象深かったかって、やはりレクター博士が協力を仰ごうとする捜査官個人のトラウマをじんわり解剖していくプロセスの何とも言えない淫靡さにあったのではないだろうか。本作でも博士と捜査官は一応いろいろと対決はしてはいるんだけど、それは決して人間の心理の深~いとこころまでには降りてこない。見ていて通り一辺で何か物足りないのだ。
コメント :
名だたる名優の皆様の大健闘にも関わらず、【羊たち…】と較べてしまうと、これも結局、普通の娯楽作に見えてしまったような気がした。シリーズの新作が作られれば作られるほど、【羊たち…】がいかに名作だったかということの証明にしかならないなんて、一体どういうことなのよ ?

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