Back Numbers : No.13~雑想ノート



今月は喪中です……。

個人的に忙しかったりした事情はさておき、今月はどうしても、どうしても文章が書けなかった。何が原因かと考えてみるに、あれしか思いつかないのだ……伊丹十三監督の自殺。私自身、決して自殺ということを否定する人間ではない筈なのだが、でもあれだけはどうしても釈然としない。本当に自殺だったのか ? 誰かに殺されてしまったのではないのか !? 私には警察の発表もマスコミの報道も信じられない。もしこれがプロの仕業なのだとすれば、警察やマスコミが簡単にかぎつけるような証拠が残るようなやり方をする筈がないじゃないの ! もし私が勘ぐっているように、本当に誰かに殺されてしまったのだとすれば、言論の自由を非合理な手段を以てして封殺しようとする人々がまかり通るような日本の将来は明るくないのではないかと思ったし、また本当に自殺だったのだとしても、伊丹監督ほどの実力もピカイチの大御所を鬱にしてしまうほどの日本の映画界の将来は、明るいわけはない。どちらにしろ私は、夢も希望もないような、とても暗い気持ちになってしまい、その痛手から未だに立ち直っていないようなのである。
折しも、松竹の某専務が辞めさせられた、というニュースが入ってきた。私は、彼の映画的センスも、いかにもプロデューサーっぽいというポーズにこだわるだけのその方法論も全然信用していないが、しかし彼の言うとおり、松竹という会社の屋台骨は“元々傾いていた”のであり、その任に当たっていた人間を切れば解決する問題ではないのは明白である。また彼が言われているように本当に“問題だらけ”のプロデューサーであったとしても、そんな問題人間を抑えるだけの力もなく今まで放置しておいたということ自体、今の松竹の会社としてのビジョンの無さ、力の無さ、組織の老朽化を如実に物語っているのではないか。彼一人を辞めさせて喜んでいる場合じゃないだろう !? それで言うに事欠いて“大船調の復活”だと !? 山田洋次という天才を一人擁しているからと言って、そんなんで二十世紀も終わろうとしている激動のこの時代を乗り切れるなんて本気で思っているのか。ましてや山田監督だって永遠に生きている訳じゃないんだぞ。
去年たまたま【失楽園】や【エヴァンゲリオン】が当たって調子こいている東映だって(大体これは2本とも外部製作である)、金さえ出してもらえばどんな映画にでも手を染めるわ、良心的に創られたいい映画を買い叩いていい加減な興行をするわと、ロクな噂は聞かない。東映映画のナサケナイポスターを見るにつけ、松竹の泥仕合を見るにつけ、そこに感じるのは、映画が日本でかつて華やかであった時代の、夢の残りカスをありがたがっている人々の存在ばかりである。映画が大昔にもたらしていた華やかさへの愛があるばかりの、映画自体への愛のない映画会社なんてさっさと滅んでしまえ !! ついでに、提灯持ちのいい加減な報道しかできないマスコミも。
年末からこの方私が思うのは、伊丹監督と一緒に、“日本映画”という枠組みもこれでもう本当に死んでしまったのではないのだろうか、ということである。最早たまたま世界の中の日本という土地で創られている映画があるばかりで、日本映画という言葉自体は既に無意味だ、とは、以前から言われていたことではあるのだが。


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