Back Numbers : 雑想ノート2020



映画の話じゃなくてすみません。

またやくたいもないことを書いてしまった。自分の成長の無さと文章の下手くそさ加減をひたすら残念に思う。それでも、この文はインターネットの海の中のどこかに放流した方がいいような気がするから、こっそり放流する。


今の日本の様々な問題の多くは、人権感覚の希薄さに由来しているんじゃないかという気がしてきた。

長時間の低賃金労働は外国人や女性を含む労働者を搾取し、疲弊させる。世帯収入が減少する上に、保育・教育予算が削減されるから、出生率がますます押し下げられ、格差が拡大し、国家財政が縮小し、様々な問題が更に拡大する。そして女性やこどもや外国人を含む弱者の切り捨てや弱者に対する暴力的言動の容認が問題を悪化させる。

あるいは、人間が住むことができる環境を破壊してはばからない企業が優遇され、我々から搾り取ったお金が注ぎ込まれる。

どれもこれも、「健康で文化的な最低限度の生活」を送り「個人として尊重される」という権利がないがしろにされているから起こることだ。その権利は、他者の尊厳を軽視しない限り、誰もが享受して当然の権利だ。

でも、多くの人がこうした状態に気がついていながら、その状態を少しでも改善しようと努力する政治家に投票するという行動を取らない。
ある人達は、テレビでよく見かけるというだけの理由で、外面がよく「やってる感」の演出だけが上手い中身スカスカの人物に投票する。
ある人達は、自分の属するクラスタが、そのクラスタに利益を誘導する人物に投票を要請した時だけ、言われるがままに投票する。
ある人達は、自分なんかが投票に行ったって何も変わらないと言い張って投票に行かない。
いずれにしろ、政治なんて自分がわざわざ頭を使って向き合うような事柄ではないし、そうするのはむしろ愚かな行為だと信じ込んでいるみたいだ。

日本の善男善女の皆さんは、安いお金でぼろぼろになるまで働かされて擦り切れても、目の前のことで頭をいっぱいにして感覚を麻痺させ、黙って与えられた環境に従うことが正しい道だと教えられ、それに粛々と従っているかのようだ。
何も考えずにいればそれ以上悪いことは起こらない、今まで何も考えなくても何とかなってきたから、これからもきっと何とかなるに違いない……残念ながらそれは事実ではない。でもそんなふうに思いたがるのは、一種の正常性バイアスなんじゃないだろうか。本当のことを考えるのはあまりに恐くておぞましすぎるから、頭が拒否してしまうんじゃないだろうか。

民草の一人一人が自分の権利について自覚してしまったら、民草を支配したい人々にとっては都合が悪い。だから彼らは、民草がそうならないように教育しようと虎視眈々と狙い続けてきたのだろう。難しいことを考えても面倒くさいことになるだけだから考えるべきではないというプロパガンダを流し続け、その代わりに頭を空っぽにする娯楽を注ぎ込み続け、洗脳しようとしたんだろう。
娯楽が悪いんじゃない。娯楽は心の疲労に効くし、たまに頭を空っぽにするのも悪いことじゃない。それに本当は、娯楽の中には頭を空っぽにするだけじゃない成分もある。でも、支配したい人々は、民草の頭を空っぽにさせたまま再起動しないように画策して、それにまんまと成功してしまったんじゃないだろうか。

でもこれからは、考えることを始めなければ。そうしなければ、支配したい人々が私達を死ぬまでこき使うのに都合がいいように作り替えてしまった社会だけが残ってしまう。そうなると、私達の後の世代はもう私達を許さないだろう。必要なことは必要だし、嫌なことは嫌だと声を上げなくては。小さな声でもいいし、「政治」なんかじゃなくていいから、自分の生活のことを話さなければ。あんまりにもひどいことばかり起こるので何を言ったらいいのか分からなくなってしまうけど、少しずつでいいから話し続けなければ。そうしなければ、本当は私達が今にも殺されかかっているのだという事実自体が無視され、無かったことにされてしまうから。
2021/04/19



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