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『ウディ・アレン追放』に思うところ

猿渡由紀氏の『ウディ・アレン追放』(文藝春秋社)を読了した。

私は、ハーヴェイ・ワインスタインは一生牢屋にいればいいと思っているが、ウディ・アレンに関しては、ミア・ファローと破局した当初から彼女の話が怪しいのではないかと疑っていた。今回この本を読んで、個人的にはますますその確信が強くなった。

勿論、いくら関係が冷え込んでいたとはいえ一応まだ恋人として付き合っていた女性の10代の娘に手を出した50代のウディ・アレン(当時)は完全に頭がおかしいし、いくら後にその娘と結婚して長い間仲良く暮らしている(少なくとも表向きは)と言ったって、そこの事実は一生糾弾されても仕方ないと思う。

ただ、これまでのウディ・アレンの映画を反芻してみる限り、確かに彼は若すぎるくらい若くてピチピチの才気煥発な女性が大好きだけど、恋愛対象はあくまでも対等な会話を楽しめるくらいには成長した若い女性であって、小児ではなかったんじゃないだろうか。
それに、本の中でウディの養子のモーゼス・ファローが指摘しているように、小児性愛者は常習性がある場合が圧倒的だけど、ウディは他にはそういう話を全く聞かないのだが。

本の中に、ミア・ファローの子供達の間にはどうやら人種や性別で序列があり、常に家事労働をさせられたり体罰や暴言を受けたりしていた子供もいるらしい、と書かれていたのはちょっと衝撃的だった。中にはこれを否定している子供もいるようだが、ごく一般的な兄弟姉妹の間でも家族や親に対する見方が一致しないことは往々にしてあるものだ。大事にされていた側の子供だったら、虐待を受けていた側の子供の言い分に鈍感でも特に不思議はない。少なくとも、ミア・ファローが優しく慈愛に満ちた母親だというのは彼女が作り上げようとしていた虚像で、彼女が支配していた家庭はある種の緊張感をはらんだ場所だったという証言があるならば、それを虚偽とは決めつけず検証してみる必要性はあるのではないかと思われる。

ここからは個人的な想像になるのだが、思うに、ミア・ファローにとってウディ・アレンは女優としてのアイデンティティを最大限満たしてくれる自慢の恋人だったのに、自分が哀れんで養女にしたはずのアジア人の子供にその彼を取られてしまってプライドをズタズタに傷つけられてしまったのではないだろうか。だから、ウディ・アレンにとってスン・イー・プレヴィンはまともな恋愛対象などではなく小児性愛的な対象として気まぐれに選んだだけの子供だというストーリーを喧伝しようとし、その話を更に強調するために幼い養女のディラン・ファローを誘導して嘘の証言をさせたのではないか。しかし、ウディとスン・イーが結婚してしまい、ウディがスン・イーを一人の女性として伴侶に選んだことが(少なくとも表向きには)証明されてそのストーリーが使えなくなってしまったため、ディランの証言だけが残って一人歩きをしてしまうようになったのでは。その後、ディランはいつしかその話を自分でも信じ込むようになり、後年、ローナン・ファロー(ウディとミアの唯一の実子だが、近年ミアは前夫のシナトラの子供かも?とか言い出しているらしい)がハーヴェイ・ワインスタインを告発しMeToo運動のジャーナリストとして名を馳せた後、次のターゲットとしてディランを担ぎ出したのではないだろうか。

昔、アメリカのドキュメンタリー番組で、にせの前世の記憶を信じ込んでしまった子供というのを見たことがある。だから、何かの理由でストレスフルな状況に置かれた子供には、他者に誘導された記憶を自分で増幅して信じてしまうと言う現象も起こり得るのではないかと考えている。そして私はそこに、ディランやローナン自身の承認欲求の問題が絡んでいるのではないかという穿った見方すらしてしまっている。

勿論、著者の猿渡氏も指摘している通り、嘘をついている側の誰かが決定的な告白でもしない限り、この件の真相は永遠に分からないのだろう。結局私の考えていることも憶測に過ぎないのだし、本当はウディ・アレンやスン・イーの側が嘘をついていてミア・ディラン・ローナン側の証言が全面的に正しいのかもしれない。
しかし、猿渡氏もミア・ファロー側の言い分が正しいと100%信じていたら、そもそもこの本を書いていなかったのではないだろうか。

このような現状を踏まえると、今のところ、公式上はウディ側の言い分もミア側の言い分も両論併記するしか方法がないはずだ。そう考えると、U-NEXTで配信されている『ウディ・アレン VS ミア・ファロー』のシリーズ(全4話)は、最初からウディ・アレン側が嘘を言っているという結論ありきの不誠実なドキュメンタリーだったと言わざるを得ない。一番問題だと思ったのは、現在はウディを全面的に擁護する証言をしている養子のモーゼス・ファローに関して、現在の証言はほとんど採り上げず、彼が子供の頃にウディに対して書いた絶縁状のような手紙の内容だけを使ったことだ。ウディ側に有利な証言をしている他の人々も、無視されるか、ナレーションベースで疑わしい証言者としてのみ採り上げられて、ほとんどまともに扱われていない。これは公平だとは言えないのではないか。
百歩譲って、このドキュメンタリーの製作者達が最初から最後まで完全にミア・ファロー側を擁護するという目的で作ったと言うのなら、この耳目を集めそうなタイトルは変更すべきではないだろうか。本作はウディとミアの対決には全くなっておらず、ウディは証言台にすら立たせてもらっていないから。

(2021年の半ば頃に書いた文章です。文中の敬称は省略しました。)


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