Back Numbers : No.89~雑想ノート




映画【風立ちぬ】に描かれた二つ半の夢

(注意)この文章はネタバレを含みます。映画のストーリーを知りたくない方はお読みにならないで下さい。


宮崎駿監督の新作【風立ちぬ】は間違いなく名作でしょう。美しい夢を追うことは呪われた所業だけど、それでも人は夢を追いかけずにはいられないという、夢を追うことの業(ごう)を描いた映画だと思います。子供に見せたけど退屈していたと批判めかして書いていた人達がいましたが、そりゃこんなテーマがお子様に理解できる訳がないわよねぇ。まぁ分からないこと前提で子供達に敢えて見せておく分には差し支えないかと思いますが。

主人公の二郎さんは、美しい飛行機を作りたいという子供の頃からの夢にひたすら邁進します。このまま行けば日本は“破裂する”のであろうことも、自分の作る飛行機が戦争の道具に使われて多くの人命を奪うことになるのであろうことも薄々分かっていたのだと思いますが、彼は飛行機の夢を決して手放しませんでした。
更に、彼が愛した菜穂子さんという女性が当時不治の病であった結核に侵されており、空気のきれいな山奥の病院にいることが彼女の体には一番いいことだと分かっていても、彼女のためにすべてを捨てて田舎に隠棲するなどという選択肢を取ることは決してなく、ひたすら飛行機を作り続けました。仕事を最優先させるのが当時の男性としては常識だったのだと説明しているシーンも一瞬あるのですが、例えば現代であれば、このようなエゴが必ずしも受け入れられるかといえば、そうではないと思います。
夢を現実にする過程では、多かれ少なかれ何かしら犠牲になってしまうものがあるのだと思いますが、この映画で描かれているのは、それでも夢を追いかけてしまうほどに魅入られてしまった(あるいは呪いに掛けられてしまった)人々の呪わしい物語なのではないかと思います。
映画ではサラリとしか描かれていませんが、本質的には真面目で心優しい二郎さんが、自分のした行動について後から死ぬほど悔恨し苦しみ抜いたのであろうことは想像に難くありません。(想像できないという貴方は、省略や短縮が当たり前のように横行する最近の宮崎映画には全く満足できていなかったのではありませんか?)。それでも、夢に現れた菜穂子さんは彼に許しを与えて彼に“生きて”と乞い、この映画のキャッチコピーも、自分の行動もその因果もすべて噛み締めた上で“生きねば。”と言い放つのです。
なんて恐ろしい映画なんでしょう。
この呪われた主人公の姿は、アニメーションという夢を追いかけるために家庭をほとんど顧みることがなかったと宮崎吾朗監督に告発されていた宮崎駿監督の姿とまんま重なるように思います。この主人公の行動がヒロインによって許容されるという展開は駿監督の願望以外の何ものでもないと思いますが(笑)、実際の宮崎家の家庭の事情に口を挟むことができるのは監督の家族だけなので他人の我々には関係のないことですし、少なくとも、映画の中の菜穂子さんは幸せだったと思うので、映画としてはこれでよいのだと思います。

菜穂子さんは幸せだったのか?彼女は死ぬ瞬間に、大好きな人と愛し愛されて共に暮らした日々の記憶を思い返したに違いないと思います。そうした記憶を持つことができた彼女の人生は豊かで幸せだったと、恋愛経験に関しては全くスッカスカな人生を歩む私が断言させて戴きます。
そう、この映画は二郎さんの夢の在り方がメインに描かれている一方で、実は菜穂子さんの夢の在り方についても描かれているのではないかと思います。
菜穂子さんの夢とは無論、二郎さんのことです。
菜穂子さんは、幼い頃に目の前に現れて颯爽と助けてくれた二郎さんが“王子様”だったとはっきり言っていますよね。そして成長して再会した二郎さんもやっぱり素敵な人だった。菜穂子さんは二郎さんのことを心から好きだったんだと思います。
体を治してから結婚する、と言っていた菜穂子さんが意を決して都会で暮らす二郎さんの元にやってきたのは、病気がもう治らないことをどこかで悟っていたからではないでしょうか。二郎さんと菜穂子さんは祝言を挙げて、ほんの短い間だけ夫婦として一緒に暮らしますが、その行為が彼女の短い命を更に縮めるのであろうことを、彼女も周囲も分かっていたはずです。もしかして、自分が彼女の親であれば、本当は彼女にそんなことをして欲しくなかったかもしれない。でも彼女は、家族を悲しませても、他の何を犠牲にしても、彼の側にいたいと心から願った。それが彼女が囚われていた夢だったからです。そんな彼女の行動は、彼女が自ら選択した、自分の夢を勝ち取るための命懸けの戦いだったように思われてなりません。

しかし、女の夢って恋愛だけ?みたいな描き方をすれば私みたいなタイプの人間がぎゃあぎゃあ言うことは分かりきっているので、宮崎監督は、逞しく生き延びて自分の力で自分の夢を叶えていく女性として、二郎さんの妹の加代さんをチョイ役で登場させています。何て素晴らしいバランス感覚!
実際、宮崎アニメの中では働く女性は枚挙にいとまがないし、現実の世界でも例えば保田道世さん(ジブリアニメの伝説の色彩設計士)みたいな長年の女性の戦友もいらした訳で、監督は働く女性もそれはそれで嫌いではないというか、尊敬や敬意の念も人一倍あるのではないかと思います。
大変余談になりますが、私の母方の祖母は医師、父方の祖母は歯科医でした。二人とも跡取り娘という事情があったようですが、丁度加代さんと同じような時代に医学校へ行って免許を取り、戦争を挟んでずっと仕事を続けながら、私達の父や母、おじさん達やおばさん達を育てました。映画を見ながら私は、お話には描かれていない加代さんのその後の人生について、少し思いを馳せたりしました。


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