日時計 1999年4月 日記

本を読んでいるうち、いつのまにか日が傾いてしまっている・・・なーんて生活いいなア!

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990426(月)
  購入本: ハリイ・タートルダヴ   『精霊がいっぱい!』上・下   ハヤカワ文庫SF
    麻生芳伸 編   『落語百選 冬』   ちくま文庫
    マルロ・モーガン   『ミュータント・メッセージ』   角川文庫
  図書館本: 寮 美千子   『ノスタルギガンテス』   パロル舎

 朝から透き通った天気になり、ひんやりした空気がとても気持ちよい。日中職場構内を歩いていると、今まで目につかなかった桐の木に花が咲いているのを発見。桐の花はちょっと変わった形をしている上、とてもよい匂いがするのである。くんくんと息を吸い込んでみたが、やや離れたところにあったのと風向きのせいで匂わずがっかり。

 図書館から予約していた『ノスタルギガンテス』が入ったとの電話があり、帰りに回収。またも区内の図書館にはなく、都立中央図書館からの借り物である。この図書館はどうもカバーから何から身ぐるみはがしてしまうことになっているらしく、何を借りてもいつも惨めなやせ細った真っ裸のお姿で、透明なコーティングフィルムもはられていない。
 今借りている山尾悠子『仮面物語』は、他区からの借り物なのだが、この区では、カバーはもちろん、帯まで丸ごとコーティングフィルムがかけてある。
 わが区では、帯は取ってカバーの段階にしてフィルムをかけてある。
 装丁に帯まで考えられているもの、帯はちょっとけばけばしいからいらないというもの、色々あるので一概には言えないが、やはりせめてカバーだけは外さないで欲しいものである。

 寮美千子は未読だが、そういえば先日、古本屋のお買い得コーナーで『小惑星美術館』(パロル舎)を300円で買ったんだった。職場に置いてきてしまったので、購入本のところに書くのを忘れた。しっかりした造本のハードカバーでほとんど新本だのに、300円ではあまりにもかわいそう。

 借りたついでに、掲示板で知ったイルメリン・リリウス『ムッドレのくびかざり』をリクエストする。昭和42年と古いので見つかるかどうかわからないのだが、日比谷図書館の児童室に期待…。

 なぜか『仮面物語』のかたわら、佐藤亜紀『バルタザールの遍歴』再読中。おまけに今日買った『精霊がいっぱい』もちらっと見たら面白そうだし、これも図書館本の芝田勝茂『ドーム郡ものがたり』も読みかけているし…どうしよう!


990425(日)
  購入本: なし

 格別予定がなかったので、目覚ましをかけずに起床。9時半である。先に目を覚ましたおちびがTVをつけていたのでその音で目覚めた。それがなければもっと寝だめができたものを…。と言うのは嘘で、基本的にはいくら寝ても寝足りないと言うたちなので、寝だめというのは出来ないのである。

 仕方がないのでのそのそ起き出す。一旦起きてみればなかなか気持ち良さそうな天気なので、あれこれ洗濯する。ベランダに出てみると、日は既に高く輝いているが空気は澄んでひんやりしている。あんまり乾きはよくないかも、と思ったが、もうたくさん洗濯しちゃった後だった。

 あとはせっかくの晴れなので一切無視して外へ出たかったが、ぐっとこらえて懸案の家の中の片づけをして過ごす。しくしく。
 貧乏性なので、ものが捨てられない。洋服のように形があるものは特に捨てにくい。上の子たちの服はこのおかげでおちびのために役立っている。それがさらに着られなくなったものは、幸いにいとこの子供のために引き取られて行くのでヨシ。
 困るのは自分たちのものだ。Tシャツですら、なかなか捨てられないのである。スーツ類や、連れ合いの背広やコートなど、本当に困ってしまう。近所にリサイクル屋はあるのだが、男物の衣料はちょっと売れそうもないし、結構人気があるので品物を委託するのにも順番待ちなのだ。今日不要品の山が出来たから明日委託できるというわけには行かず、だいたい1〜2ヶ月先の日付を予約しなくてはならないので、まだ1回しか利用したことがない。
 意を決してTシャツなどいくつかゴミ袋に詰め込んで捨てたが、なんだか焼け石に水という感じである。ええい、連休はたんすと納戸(もともと「ウォーク・イン・クロゼット」という素晴らしい名前だったが、、いつの間にやら名前替え)の片づけをするぞう!ゴミ袋もたくさん買い込んであるし(買い込むのも癖なのだ)。
 そこへ、書類など仕事上の資料を実家に押し込む準備をしていた連れ合いが、「ところでこの本の山、本気でどうする気…?」答えは既に出来上がっている。「こことここの壁いっぱいに本棚を入れるの!トイレと廊下にも文庫本の本棚をつけるよ!」
 だが現実に口から出てきたのは「う〜ん、むにゃむにゃ〜」と半分聞こえないふりの生返事である。
 本当にどうしたらいいのでしょうねえ。


990424(土)
  購入本: 高宮いづみ   『古代エジプトを発掘する』   岩波新書
    東雅夫 他編   書物の王国8 美少年』   国書刊行会
      〃   書物の王国17 怪獣』   国書刊行会

 天気予報通り、朝から本降りの雨である。何もこんな日に降らなくても、と恨みつつ高校の保護者会に出かける。そもそも行きたくないので、起きてから時間が経つのが時計を二度見直すくらいに速く、その結果みごと遅刻である。
 駅では電車のドアがしばらく開いたままになっているので、空いているドアへ向かって歩き、さーてここに乗ろう!と決心したとたん、目の前でいきなりドアが閉まってしまいしばし呆然。もう、電車にも満足に乗れないおのぼりさん状態である。

 保護者会は、全体会ののちお昼を挟んで各クラスに分散。「軽食」が出ますと言う事前のお知らせだったが、ちゃんとしたお弁当が用意されている。
 普通の幕の内弁当の、ご飯部分がなんとカツサンド。一瞬目が点になってしまった。席について黙々と食べ終え、ついていたウーロン茶パックなど飲みつつあわてて資料に目を通していると、ガラガラと近くのドアが開いて、見知った顔がこちらを見てニコニコしている。あら、こんにちは、と言いそうになってから頭の中が急回転、どうしてこの人ここにいるわけ?そもそも誰だっけ!
 なんとそれは、10年前、保育園で年中クラスの時まで娘と一緒だった男の子のおかあさんだったのである。いや〜、クラスこそ違え10年経って同じ高校でまた同級生同士として巡り会うとは!向こうは、学校説明会や入学式の時にこちらを見つけていたのだそうだが、懐かしいー!
 でも帰宅後娘にこの事を話すと、目を丸くしつつも「誰それ?」と、ぜーんぜん覚えてないと言う返事。無理もないかもねえ。こんど古いアルバムを引っぱり出してみよう。娘、ふたことめは「かっこいい?」…知るか。

 ほんわかした雰囲気の担任によるガイダンスが済み、娘に厳命されていた「仲良し4人組」のおかあさんへのご挨拶である。「ナニちゃんと、カレちゃんと、ダレちゃんだからね、わかった、ちゃんと挨拶して知り合いになってきてよ!」なんて言われてきたのだ(どっちが親か)。その他数人で「じゃあお茶でも」と、ファミレスで情報交換会へと流れ、2時間ほどあれこれ。

 夕方池袋で連れ合いらと落ちあう。東武の旭屋書店では、エジプト学の吉村作治氏のサイン会とのことで、1時間ほど前から待つ人々の姿あり。けれどもその後、サイン会開始から30分ほど経ったころふたたびそこを通過したときには、手持ちぶさたそうな、やや不機嫌そうなおじさん(吉村氏だ)がいるのみ。カンケーない本にでもサインしてもらおうかと思ってしまったくらい。事前に知っていれば1冊くらい持参してきたのに。ちょっと嘘。

 百貨店の催事場でアジア物産展のようなものをやっていたので、昨年目を付けていた巻きスカートを購入。あとはもっぱら食べ物方面。ココナツチップ(これはなかなかおいしい)、インスタント・トムヤムクン、それにカレーの「アジャンタ」の、名前はわからないがカシューナッツのスパイシー・フライなどを仕入れる。5月5日までやっているので多分あと1,2回行きそうかな。

 『怪獣』、『美少年』は、溝口大人@書物の帝国に教わって古書店から通信販売で購入したもの。新古本である。
 目次を見ると、『怪獣』の方に、クーゼンベルク「巨人」というのがある。内容はまだ見ていないが、巨人とは怪獣の範疇か?と、最近読んだ山尾悠子の同名短篇を想起し、う〜ん、やっぱりそうなのかなあ、そうなのかも、など首を傾げたり。


990423(金)
  購入本:なし

 きのう一日つらつら考えて、やっぱりSFセミナーに行こうと決めた。でも既に事前申し込みは終了しているし、連れ合いにはまだひとことも言ってないし…。

 きのう買った『スプートニクの恋人』は、買ってすぐに読み始め、一気読みという感じで先ほど読み終わった。買ってすぐに読むというのはこの頃では少なく、最近では例の『星ぼしの荒野から』くらいかも。

 よかった〜。まだ、感想が言えない。ただ、これを読んで、「これは自分のための物語だ!」と感じる読者が多いのではないか、と思った。私は、それを強く感じながら読んだ。
 筋に直接関係があるというわけではないが、195ページのこういう一節を目にしたとき、がーん!とした。(
あぶりだしです。未読の方はとばしてくださいね。)

(ここから引用始め)

 「理解というものは、常に誤解の総体に過ぎない。」

(引用終わり)

 なんでこれが「がーん!」か?なぜって、私のおまじないの言葉って「人生って、誤解と幻想からできあがっているのよ」なんだもの。おまじないとは言い換えればつまり、「私のささやかな世界認識の方法」なんである。こんなにほとんど同じ言葉で印刷されているのを見て、たまげた。

 村上春樹は、すごくファンというわけでは決してないのだが、独特の語り口がほかになく、思い返すと印象の強い作家である。エッセイ等以外の主要なところはいつのまにか大体読んでいることになる。この作は中でもかなり好きかも…。村上春樹がまた年輪を重ねたのを感じる。
 それにしても、どうして村上春樹はこんなにいつも袋小路で、行き場がなくて、どうしようもなく軌道が交わらないんだろう。あぁぁ、また読み直さなくっちゃ!

 『幻想文学』の東雅夫さんのページ「幻想文学企画室通信」が、牛込櫻会館内に発足した。これも、なかなかお役立ちなので、さっそくブックマーク。

 あしたはせっかくの第4土曜日で子供たちは休みなのに、娘の高校の保護者会なので朝から出かけなくてはならない。しかも、予報は雨。
 雨の外出は、ほんとうは濡れることを楽しむためにしたい。現実はなかなかそうはいかないのが哀しい。


990422(木)
  購入本: 村上春樹   『スプートニクの恋人』   講談社
    土屋賢二   『われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う』   文春文庫

 口内炎が悪化して、痛くてたまらな〜い。上くちびるのすぐ裏側なので、くちびるも腫れてかさかさになってしまった。今更効く訳じゃないのだが、溺れる者なんとかで、ビタミンB製剤を買ってきてのむ。
 きのうは、ぺたっと貼る薬をしっかり貼ってカレーを食べに行ったのだが、ばちが当たったか、今日はお茶を飲んでもしみて痛い、それなのに終業後、新人歓迎会なのである(惨)。もちろんまた薬を貼って行ったのだが、途中ではがれそうになり、料理といっしょに食べてしまいそうな事態にひとりであせって大変だったんである。
 職場近くの、家庭的な感じの活魚料理屋だったが、ホタルイカの刺身や、甘鯛の柏蒸し、若竹煮などなかなかおいしかった〜。痛みは冷酒でマヒしたか、味はきっちり堪能しました
(でも今はまたイタイの)。
 
帰りがけ新しい古本屋を発見、小さいが明日行ってみようっと。

 昼休みには安房直子『わるくちのすきな女の子』を読了。本屋では昨日見あたらなかった『スプートニクの恋人』をさっそく買う(地域振興券初使用)。
 この本屋で、佐藤亜紀『戦争の法』『鏡の影』を注文しておいたのだが、危惧していたとおりどちらも絶版という返事だった。特に前者は新潮文庫なのに、もうないとは。この本屋は文庫にはかなり強い店で在庫も多いから期待していたのだが、残念。


990421(水)
  購入本: なし

 なんだか今日はすることがいっぱいあって忙しかったじょ。でも昼休み、久しぶりに皆で外食をした。ときどき行くカレー屋である。ふたりいる料理人のひとりが何でもネパールの出身だということだが、今日がネパールのお正月なので特別メニューなのだそうだ。ここのランチは4種類のカレーバイキング+ナン+付け合わせほかで、マトン、チキン(肉、ゆで卵、レバーなどはいっている)、シーフード(辛い、なぜか茄子も入っている)、マイルド・チキン・キーマというラインナップに、普通のナン、ほうれん草入り緑色のナン、紅白まだらのサフランライス。中でも気に入ったのがつけあわせの「大根の辛いゴマ和え風」。拍子木切りの漬け物っぽい大根が辛そうな色に染まっていて、あえ衣がじつはゴマ。どうやって作るんだろう!ネパールは今頃お正月で、お正月もやっぱりカレーを食べるのかなあ、とは4月から新しく来た女性の言ったこと。

 桜は八重桜以外はほとんど葉桜になり、わずかに咲き残りの花びらをはらはら散らしている風ももう満開の頃の風とは違ってきている。
 見上げるとけやきの梢の新緑も、かなり量を増している。面白いのは、桜は木全体からほぼ一様に葉が芽吹きだしてくるのに、けやきは空に差しのばしている梢の先のほうから、刷毛ではいたように若緑が萌えてくる。それが次第に幹のほうへと遡ってきて、いつの間にか木全体が緑に包まれ、その頃には初夏の風が枝を揺らすのだ。入梅までの短い、けれど一年でいちばん大好きな季節。
 若い頃は、秋から初冬が好きだった。そのころはまだ武蔵野の面影を残す国立のほうに住んでいた。武蔵野によく似合う季節はやっぱり秋だ。武蔵野にはたくさんのけやきがあるので、私の原風景にある木はやっぱりけやきなんである。


990420(火)
  購入本: なし

 朝から気温が上がりそうな予感。職場では、大手を振って別施設に行く用事が2度もあったので、お散歩日和を堪能(と言うほどぢゃないけど…)。半袖一枚でも汗ばむほどの陽気で、風もなく、まぶしい日差しに小手をかざして歩く。いつの間にかどうだんつつじが咲き出しているのに気づいた。

 先日来の白緑色の八重桜の下をさまよっていると、やや年配の職員が花を見上げながら寄り道している。そのかたが、「これはうこん桜と言って珍しい種類だそうですよ」と教えて下さった。待てよ、桜なら左近、右近は橘のはず…。それで、「うこんって、鬱金て書くんですか?」ときくと「そうです、鬱金色なんですねえ」とおっしゃる。「皇居の東御苑には、御衣黄(ぎょいこう)という桜があって、それはほんとうに花が緑色をしていてちょっと見ると葉と見分けがつかないんです」とのこと、見てみたいなあ。
 しかし、鬱金色っていうのは植物のウコンから来ていて、黄色系の色のはずなんだがなあ。してみると、うこんは鬱金でなくやはり右近だろうか?う〜ん、謎。

 同行した卒研生が、自分は植物がぜんぜんわからなくって、というので、まさか〜と思いつつも「これはわかるでしょ」とスギナを指して訊くと「…うーん、わかりません」という返事。都会の真ん中在住だそうだが、ほんっとに知らないわけ!?そばにつくしが見あたらなかったのは彼にとって幸いだったかも。

 返却期限のことを思い出しあわてて安房直子を読んだり。また、『仮面物語』を読んでいてどこかかすかな滑稽感のようなものが拭えないのは各章のタイトルのせいか。


990419(月)
  購入本: なし

 先週の金曜日に「こいばな」とは何の略語かと書いたきり回答するのを忘れた。
 娘が「今日はいろいろこいばなとかしちゃって楽しかったよう」と言うのである。「こいばな?なんじゃそれ」と訊くと、「恋の話、略してこいばな!」他愛ないというかすごい言語感覚というか、言語感覚ないというか。

 土曜に図書館に行ったときのこと、ちょうどカウンターから書架の陰の死角になっているところへ回り込んで行くと、制服の女子高校生がふたり、床にぺったり足を投げ出して座り込み、まわりには炬燵の周りよろしく書架から引き抜いた本が十数冊も投げ出したり重ねられていたり。
 そこは編み物、洋裁、そして美容などのコーナーで、彼女らはそうやって「なんとかエステ」とか「足をこうして美しく」とかのタイトルの本を一心に引き抜いては放り出し、しているのであった。床はパンチカーペット敷きではあるけれど、まーったく公共の、しかも本を床に無造作に投げ出し、しかも自分らは、お行儀はともかくとしても人の邪魔になるかも知れないなんてことにはとんと無頓着の様子。ああいうのにはばちも当たらないんでしょうね。
 おばさんの本領を発揮して注意しようかどうしようか一瞬迷ったんだけれど、幸か不幸か、ちょうどその時本を頼んでいたカウンターから呼ばれたので、難を逃れたのであった。

 新装なった幻想的掲示板に、東雅夫氏に続き『幻想文学』の石堂藍氏が登場。ホームページの方にその関係の情報コーナーもできそうな感じでめでたい。

 先日(4月16日)の読売新聞に、「女人高野 室生寺のみ仏たち」の予告記事があった。昨年の9月の台風7号により、室生寺の可憐な五重塔が大きな被害を受けたのは記憶に新しいが、その復興支援のため、室生寺の国宝・重要文化財18点の出品により20日から上野の東京国立博物館でこの特別展が開かれるというものだ(6月13日まで)。
 高校の修学旅行の、自由行動日(と言ってもちゃんとスケジュールを出す)に行ったのがここだった。3月末から4月始めにかけてと言う変な時期だったが、下は晴れているのに室生寺の階段を上がって行くとお山は時として雪に包まれ、不思議な感覚。段々を上がって目の前に現れたこの五重塔は、小ぶりな美しい塔だった。台風の被害の様子を新聞で見たときは胸もつぶれるような気がした。心棒がしっかりしているので問題なく修復されるだろうとのことで、とりあえず一安心である。

 山尾悠子『仮面物語』1/3くらいのところまで。同時に読んでいらっしゃる方もおられるようで、嬉しい。本を語り合うということは今までほとんどしたことがないが、これ、はまると面白い!
 子供の頃、「まぼろしの白馬」だの「ナルニア」だの、絶対自分一人のものにしておきたくて、人になんか教えてやらなかったもんね。回りに読書傾向が同じ人があまりいなかったというのも事実ではあるが。でも、これこれはこういう世界で、と口に出して言ってしまうと、その世界の魔力が消えてしまうように思えてとてもこの世界の言葉では語る気がしなかったのだ。
 あるとき友だちが「アスランが云々」口に出して言ったのを聞いて、よくもまあ軽々しく向こうの世界のことを口に出せるものだと、心中穏やかでなかったのを覚えている…。


990418(日)
  購入本:なし

 一日体調が睡眠のほうに傾いていて、なんか不調。低気圧病かも。たいして本を読むでもなし、それほど家事をするでもなし、だらだら過ごす。でもこういう日もたまには必要…!同居人もアレ、とかコレとか予定らしきものを口にしていたが結局ゴミ捨てをして洗濯屋に冬物をガバッと出しに行ったのみ。そうそう、かぶとを出して飾ったっけ。

 代わりに今日は珍しくTVとヴィデオ鑑賞の日であった。午前中おちびの番組に続き「週間こどもニュース」、コソボ問題についてとってもわかりやすい解説をしていたのでへええとか言いつつ見る。この担当アナが最近集英社だったかからこの番組についての本を出した模様。

 つぎは、昨晩やっていた竹中直人のドラマ「坊さんが、ゆく」全3回の1回目。相変わらずの竹中直人であるが、彼のドラマだと共演者も彼に呑まれちゃうと言うか自然と演技がオーバー気味になって、それがマンガチックでまたそれなりかも。彼は声がいいよなあと言いつつ連れ合いとおちびとで見ていた。

 夕方見たのは、先日録画した香港映画「覇王別姫」である。このあいだ生の京劇「覇王別姫」を見て間もなく、BSで放映されたもの。京劇の方は、項羽が劉邦に例の四面楚歌状態になって負け、その際に后・虞美人が自害して果てるというものだが、この映画は、この演目を演じるふたりの京劇の役者が、中国の社会の大変動の中でどのように演じ、生き、愛したかを描いた大作である。長かった〜。でも非常に美しく切なく、文字通り食い入るように見てしまった。
 虞姫を演ずる役者の、幼いときの楚々とした美しさがもう何とも…。もちろん大人になってからのその妖艶なことにはただボーっと目を奪われてしまう。これは1920年代から1970年代までの話なので、虞姫を演ずるのは女形、つまり男性の役者。また中国語(北京語)の美しいこと!主人公たちの幼・少年時代はともかくとして、「天井桟敷の人々」をあちこちで彷彿とさせる。役者とその実生活のからみを描いている点で共通しているほかに、主人公の表情や感情に共通する部分がかなり多く見受けられた。これは、好印象としてである。いやはや、よかったあ。今度また京劇で項羽の出てくる演目を東京でやるようなので行こうかな、と思う。

 きのう出し損なった誕生祝いのシャンメリーを夕食の時に出して「お祝いにシャンペン飲もうね」というとおちびは「ハンペン〜?」だの「キャンペーン実施中です!」だのと言って笑わせてくれるのであった。きのう今日はなにかと「すごいね、5才だとこんなこともできちゃうね!」とか「おにいさんになったからこんなに食べられるんだね!」とか、だまし・おだてが利いたが、そろそろだめそう。まだまだ甘ったれの末っ子ぶりである。


990417(土)
  購入本: 平野啓一郎   『一月物語』   新潮社
  図書館本 芝田勝茂   『ドーム郡ものがたり』   福音館書店
    天沢退二郎   『オレンジ党と黒い釜』   筑摩書房
    山尾悠子   『仮面物語』   徳間書店

 午前中はまたも掃除したり洗濯したりおきまりの土曜日のノルマの消化(不良)。昼食には息子の好物の舞茸チャーハンを作ってお茶を濁すが息子はニコニコなのでよかった。連れ合いは昔の担当教授がリタイヤするといって集まりがあったので、昼前から留守、子供たちも食後それぞれ用事でいなくなるので、おちびを連れふらふらと自転車で買い物などに出る。
 いつもあまり行かないほうの商店街に行き駅前の本屋で『一月(いちげつ)物語』を買う。『日蝕』と離れたところにおいてあったのはなぜか?などと理由を考えると思わず笑えたりして。

 午前中図書館から『仮面物語』が入ったと電話があったので、真っ先に確保した。ほか、掲示板でお薦めいただいた『ドーム郡〜』『オレンジ党〜』もついでに借りたが、こんなに借りちゃって読めるかな?
 『ドーム郡〜』は閉架所蔵だったが、開架・閉架の基準とはどういうものなのだろう?
 新年度で新しく異動してきた年配の女性が、前からいる職員に細かく教えられて持ってきてくれるが、少なくともうちの区は司書がほとんどいないようなので、図書館に縁のない人はいきなり「整理番号が○○で」とか「閉架へ行ってください」とか指示されてもうろたえるだけのようだ。お互いに困っちゃう。
 天沢退二郎をまじめに何冊か所蔵していたのはエライ。そういえばよく借りる安房直子のすぐそばにあったのだった。気がつかないのは私の方であった…。

 午前中に、有里さんのページが更新されているのを見つけ、「たおやかな狂える手に」の最後の5行について読ませていただいた。ううむ、わたしも石のところはSFMのほうがいいと思うぞ。でもわざわざ訳し直してあるのは、前のが意訳に近かったとか? 帰路、実家によって捜したところ意外に簡単に「たおやかな狂える手に」収載のSFM1993年12月号が見つかったので、よかったー。最後のページには誤訳もあったようだ。他、全体にちょこちょこ直してあるのが散見される。またゆっくり見比べようかな。やはり原文が欲しいところである。

 ものどものリクエストに応じ、すてーき屋でおちびの誕生日の会食。でもおちび本人のリクエストって、「お子様ランチ!」だったのだ…。びいるを飲んだせいか帰宅後睡魔におそわれ討ち死に。


990416(金)
  購入本:なし

 ちゃり通(自転車通勤)の通り道の小さな曲がり角に、ライラックの茂みがはりだしているので、自転車を止めて匂いをかぐのが朝夕の日課。
 先日の白緑色の八重桜は今が盛りだが、今日通りがかると、部分的にほんのり桜色が差しており、じつにいい感じ。

 朝、洗濯物を干すのにベランダに出ると、下方の白いはなみずきがほころびかけているのに気がついた。おちびが生まれた病院は昔の武家屋敷の跡地だとのことで、都心なのに構内に広い庭と湧き水による池があり、産科の病室からはまるで別荘のような眺めを楽しむことができる。池では亀が日なたぼっこしていたり。彼が生まれた頃は、木々が芽吹きだし、ちょうど咲き残りの桜と白いはなみずきが盛りだった。

 そういうわけで明日がおちびの誕生日、きょうは一日早く保育園で誕生会をしてもらい大ニコニコである。その帰り、保育園の隣の小学校から、上の子供たちがお世話になった音楽の先生と家庭科の先生が出てくるところに出会った。「わあ、ひさしぶり!いくつになったの?」と、タイムリーなご質問に、ますます笑みの深まるおちび。「5しゃい…!」すると音楽の先生は、「ハッピバースデイトゥーユー♪」と「たんたんたんたんたんじょうび〜♪」を歌って下さったんである。
 この先生はうちの娘と同い年のお嬢さんがおられるくらいの年頃の方で、授業に絶大な人気があるのだ。ピアノ、キーボード、リコーダーからハーモニカ、さまざまな楽器を駆使して、いまはやりの元気な曲を自分でどんどんアレンジして、合奏を楽しませてくれる。歌の指導でも、歌う心、歌う愉しさを存分に体験させてくれる。音楽指導の才能っていうものもあるのだなあと、この先生を見ていると思う。私も小学生時代こんな先生に出会いたかったよ!

 山尾悠子「破壊王―夜半楽」(奇想天外1980年5月号収載)読了。30ページを越す長さの、読みでのある作品だった。炎に包まれる都、一転して深山のたたずまい、滝壺のさま、沼に現れる蜃気楼…等々の描写の美しさを堪能した。最近の『幻想文学』54号収載の「傳説」を想起させるラストであった。う〜ん、どうしてこれを「硬い文章」「硬質な文章」と言うかなあと首を傾げる。たしかに漢字・漢語は多いけれど。今手持ちの未読作品はあとひとつのみ。

 そう言えば『オットーと魔術師』を図書館にリクエストしたのだが、なんだかなさそうな雰囲気である。『仮面物語』もないのかしらん。上記の奇想天外誌の裏表紙見返し部分に載っているのが、この『仮面物語』発売の広告であった。作者の写真も出ているが、文庫版の『夢の棲む街』裏表紙の写真のほうがずっとよく撮れていると思った。
 広告と言えばその頃まさに次々と発売されていたサンリオ文庫の広告も、奇想天外誌に見ることができて興味深いというか後悔ほぞをかむというか微妙なところ。

 今日のトップの「チャリ通」が自転車通勤(通学)を指すことくらいはおわかりだろうが、ではこれはなんの略でしょう。
 「こいばな」   回答はあした!


990415(木)
  購入本: 田上八朗   『皮膚の医学』   中公新書

 上記は、副題が「肌荒れからアトピー性皮膚炎まで」とある。今日本屋でこれを見たとき、思わず手がでてしまった。
 手の湿疹が、ひどいのである。指先から手のひらまでがその範囲なのだが、特に指先のあかぎれ状態がつらい。いま、左右の人差し指と中指の第1関節から上、親指の一部ほかにあかぎれその他があり、鉛筆や箸を使うのにも不自由。なにせものを持つのに、薬指と小指と手のひら、という状態なのだ。手を洗うことすらも痛くていや。薬をつけてはいるのだが、なかなか…。指先が腫れてしまっているので、大げさに言えばときどきノイローゼ状態!痛いよう。そんなわけで、溺れるものは何とやらではないが、一筋の救いの光がえられないかなどと思って購入。うう、昔の人はえらかった。ひびやあかぎれにもめげず掃除、洗濯、料理…。でもこの手で不用意に料理したら食中毒になっちゃうかも?

 きのうに続きSFマガジン1997年12月号「ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア特集」を読む。okkoさんの4月9日の日記にも言及があったが、今日読んだアリス・シェルドン名義で書かれた「SFとファンタジイを書く女」は、必読。彼女の作品を読む重要な手がかりになると同時に、私も先日の日記にちょっと書いたけれども、彼女がいまの地球の状況に対していかに危惧と哀しみを持っているかが述べられている。それに加え、社会がどういう風に男性原理で動いているかをある程度認識している女性なら共感しつつ読むだろうが一方男性にはわかりにくいかも知れない記述がちりばめられている。
 このエッセイでは「どうして物語をーSFをー書くのか?」についてや、男性名で作品を発表してきて女性であることが公表されたあたりの事情、心境が明かされているのだが、そこに、地球とその社会についての非常に女性らしい認識と危惧が、たっぷり盛り込まれている。女性からの視点の、といった方が誤解がないかもしれない。作品との関連に限れば、新しい発見と言うよりは作品を読んで感じられたことを改めて確認するという感じもあるが、もっと広い意味での彼女の世界観を把握できたように思い、彼女に対し女性としての連帯感を抱いてしまった。自殺に至る事情も納得できてしまうような思いすらする。
 彼女が女性であることを既に知っているせいか、どの作も非常に女性らしい…明らかに女性の手になるものと感じられるのは、時代が今だからか。やはり時代より少し進んだひとだったのだろうと思う。

 一方で『もてない男』を読んでいるのだが、ちょっとあなたティプトリー・ジュニアでも読んで勉強しなさいと言いたくなってしまう、まったく。この「でも」は、まえがき中の「ソープランドにでも」に対応していたり。


990414(水)
  購入本: スティーヴン・ミルハウザー 『三つの小さな王国』   白水社

 きょうは軽装で出勤である。昨日ほどではないが、室内では暑くて窓を開けて仕事。昨日のような大風が吹かずおだやかだが、夕方空模様はあやしくなり帰宅後雨が降った模様(と、連れあいの報告)。

 代理購入した本を発送しに郵便局へ行き、またもその足で古本屋によると、どうもサンリオがまた増えているような気が…。前にも見たようなラインナップであるが、あれまた仕入れたのだろうか?なのにわたしの探求本はいずこ!
 以前から目についていた『三つの小さな王国』を救出する。これは以前図書館で借りて読んだもの。

 表紙にティプトリー・ジュニア特集という字のついたSFマガジンが手許にあったような気がしてごそごそ捜してみると、97年12月号がそれだった。ほかにクリスマスSF競作と銘打ち、ジーン・ウルフとコニー・ウィリスの作品が載っている。クリスマス本『ドゥームズデイ・ブック』が頭にあってこれが目につき買ったもの(と思い出した)。ティプトリーの方は未読だったので、ぼちぼち読み出した。また他の作品をまとめて読み直してみたくなる。

 昼休みから『もてない男』を読み始めたが、引っかかるところ多いぞ、これー。まだ初めの章の途中であるが、この著者、ちょっと既成の価値観に必ずしもとらわれていないつもりでいて、実はものすごくどっぷりつかっているんでないか?それと確かに確信犯的な書き方ー読ませよう、買わせようという意図によるーをしている感じ。積極的に好感は感じない。


990413(火)
  購入本: 季刊 『文藝 夏号』   河出書房新社

 朝出かける頃になり日が射してきた。24℃くらいにまで気温が上がると言う予報通り、職場に着くとすでに汗ばんでいる。
 今日は同じキャンパス内のやや離れたところまで2度ほど行き来する用があったので、風は強かったもののしばし初夏のような日差しを堪能。途中、桜の大木のトンネルがあるが、今年は満開の時期に通り損なったのが残念だ。
 かわりに珍しい八重桜がちょうど満開である。かなり大きい木で、普通は八重桜と言えば濃いピンク色が相場だが、これはなんと緑をふくんだ乳白色なのである。そう、白いあじさいといった感じの色か。名札はくくりつけられてはいるが単に「サクラ類」とあるのみ。近くの木には「サトザクラ」とか「ソメイヨシノ」とか詳しく書いてあるのだが、これはわからなかったに違いない。一体何という種類なのだろう。
 これがぼってりと咲いているところはまるで森の中の一角というイメージ。通り道からはややそれているのだが、わざわざ木の下まで行って、風で落ちた花房はないかと捜す。ちょうど咲ききったばかりなので、この風にもかかわらずまだ落ちていない。あしたなら少し拾ってこられるかも知れない、忘れずに見に行こう。

 昼休み〜夕食後、『星ぼしの荒野から』読了。10編いずれも、すばらしくティプトリー・ジュニア。一番好きなのは…う〜ん、「スロー・ミュージック」だろうか。<河>のイメージ、終末近い(地球上の)人類文明の残骸、最後の3行につらなる最終ページが涙が出るくらい美しい。「おお、わが姉妹よ、光満つるその顔よ!」(これ、「顔」じゃなくて「貌(かんばせ)」じゃなかったっけ?何かと混同しているのかも。)も好き。現在と未来がめまぐるしく入れ替わる。めまぐるしいのはもっぱら現在の方だが。「星ぼしの荒野から」、「たおやかな狂える手に」と彼女らしく雄大なスケールを堪能する。
 「たおやかな〜」は出だしからこれ読んだことあるぞ、と思い、
AMEQさんのところで調べると、SFマガジン93年12月号(448号)初出のようだ。SFMは毎号買っているというわけではなく、ときどき目についた時、しかも翻訳物が多いときに買うくらいなのだが、この号は珍しく買っていたという訳か。これも最後の3行が決まり。う〜〜ん、引用したいんだけど、未読の方にお気の毒なのでしない。私もあこがれてます、ずっと。だから必然的にSF読み始めたんだなあ。スターウォーズ公開時に初めて2つの太陽が地平線に沈む光景を見て、うわぁ〜!と思ったもの。胸の中でずっと抱いてきたイメージが、ああやってリアルに視覚化された(しかもちょっとしょぼいシーンだったからよけい等身大に感じられた)のは、大感激だった!
 というわけで、私の呼び声もどこかで誰かに届くかも知れない、このイメージって無意識に持っていませんか、SF読みの方々!


990412(月)
  購入本: なし        
  図書館本 安房直子   『夢見るトランク』   講談社
      〃   『わるくちのすきな女の子』   ポプラ社

 楽しそうに高校に通い始めた娘は、今日から水曜日まで富士山の方とかでオリエンテーション合宿である。最近はあちこちの学校でこういう行事があるらしく、おかあさん同士で顔を合わせると「うちも」「うちも」と言う。ナンテ贅沢なッ!
 金曜に初めてお弁当を作って、今日つくると次は木曜日まで放免。いきなり連日のお弁当じゃなくてよかったー。
 もう一つ発見、彼女の学校は事前の資料によると土曜休業なし。ところが、実は事実上第2,第4土曜休みであるという連絡が回ってきたのだ。ほんとによかったー。土曜日の朝寝坊はもうできないのかと観念しかけていたところだったのだ。
 賑やかな娘がいない上に連れ合いは泊まりなので、なんだか淋しい夕食だ。献立もすごく淋しいケド…。娘の去ったあとには「いないあいだにこれを録画しておけリスト」が残されており、3日分だぁっと書き出してある。今も
(実はおねえさんが大好きな)長男は、「ええーっ、こんなに連続でとれっていうのかよー」とせっせと録画セットをしてはついでにTV鑑賞という役得を堪能中。

 きのう実家に寄った際に本棚をあさって、安房直子『南の島の魔法の島』、『誰にも見えないベランダ』(講談社文庫)を発掘。単行本とはまた違ったラインナップのようだ(って、これもむかし買ったのに読んでない本)。ほかに溝口大人のご推薦、マーヴィン・ピーク『死の舞踏』(創元推理文庫)を持ち帰る。ピークも、以前の発行当時、例の黒い背表紙のやたらに分厚い3部作をちゃんと買っているのだが、あまりの厚さに畏れをなして、老後の楽しみにと発酵させてあるのだ…とか。最近『タイタス・グローン』の再刊が出たようだ。ただし背表紙は黒くない。
 それにしても
東京創元社のホームページは何であんなに使いにくいのでしょう!本を読んだり探したりしない人が作ったのかな!と疑ってしまう。山名田さんのお作りになった早引きマップが便利だが、これがあってもやっぱりどうもね。

 ティプトリー・ジュニアは少しずつ進行中。彼女はわたしにとってはごく正統的なSFという位置づけの人である。と言っても、なーに根拠があるというわけではない、私にとっての正統と言うだけの話だが。というわけで、久しぶりにSFらしいSFを堪能している。それにしてもどこかしらで地球の(人類の)破滅につながるものばかりなのは私の方の感じ方の問題か(じつは私、怖くてたまらないのだ、大げさに言えば地球の行く末が)。


990411(日)
  購入本: 西崎 憲 編   『英国短篇小説の愉しみ3 輝く草地』   筑摩書房
    J・L・ボルヘス   『ボルヘス怪奇譚集』   晶文社
    M・オンダーチェ   『イギリス人の患者』   新潮文庫
    小谷野 敦   『もてない男』   ちくま新書

 この間コンタクト、めがねを新調して取りに行くという連れ合いと一緒に、わたしもイカレ気味のめがねを新調しにビックカメラへ行く。結局今のと似たようなフレームを選んだ。ふちなしで、しかもビスがごく目立たないもの。めがねはこれから汗をかく季節は特にうっとうしいのだが、どうも私はコンタクトアレルギーらしく、何度チャレンジしても1,2週間経って慣れるはずの頃になると、かゆくてかゆくてはめることすら難しくなる。仕方なくあきらめてめがね…。

 17日に5才になるおちびのプレゼントなど仕入れたり(ウルトラマンガイアグッズ)、靴、文房具などを買い、おきまり本屋(池袋東武百貨店旭屋)へ。
 某MLなどで話題の『もてない男』は今日初めて目にした。新刊かと思えば今年1月刊行であった。同時に刊行された『俳句専念』なんかは発売時からよく見ているのにこちらはちっとも目にしなかったのは、題名の御利益か店頭から消えるのが早かったのだろうか。すでに4月10日第5刷とのことだ。

 帰り際池袋東武デパート地下で片隅にひっそりだんご屋があったが、連れ合いが、たぶんこれがだんご3兄弟のモデルになった築地の市場内のだんご屋だという。だんご3兄弟との関係はまったく謳っていないが、見るからにおいしそうなのでしょうゆ(4こ刺し)とこしあん・粒あん(3こ刺し)を買う。帰宅後さっそくお茶にしたが、このだんごがおいしい!奥ゆかしさが、またいいじゃありませんか。また食べたいおいしさであった。

 夕方、気が進まないながらもやはり行かねばと都知事選の投票など。


990410(土)
  購入本: なし

 連れ合いがひとりで起き出す気配、まもなく「行って来るよ〜」との声。「ふぇ〜」と返事すると「テニスだよ、じゃあね」とドアの閉まる音がする。そう言えば9時から4時間、区のコートが取れたと言っていたようだ。歩いてほんの5分ほどの所に区のコートがあって、連れ合いは子供の同級生のお父さん仲間と、月に何度かテニスをして運動不足解消に努めているのだ。今日は子供たちも休みで誰も起きない…。しばらくしてようやく目が開いて文字通りよろよろ起き出すと、すでに10時近い。おお久しぶりに12時間も寝てしまった!

 遅い朝食(らしきもの)を済ませ、買い物など。自転車で出ると間もなくぱらぱら雨である。パンなど買って帰るとすぐに姉が花ダイコンをかかえて現れる。彼女は新宿御苑のそばに住んでおり、いまそのあたりには花ダイコンが盛りだという。うす紫色の花はみずみずしく、花屋で見かけるような、白いブリキの花生けに投げ込むと、部屋はいっぺんに春の風情だ。

 この所、手のいわゆる主婦湿疹がまた悪化して、指先などがあかぎれ状態である。洗い物どころか炊事、洗濯は言うまでもなく、洗髪もつらく、鉛筆や箸もまともに握れない状態。ゴム手袋をしての料理なんて本当に情けないものだし、身の回りのことにいかに指先が大事か、痛さともどかしさにときどき爆発したくなってしまう。すとれすだぁ。生協で買った挽肉(豚、牛あわせて1s)もしばし手つかずだったので、連れ合いが久しぶりに息子を動員して得意の餃子を作ることになった。ああ良かった。でもキャベツ、タケノコ、ニラ、ネギなどで増量した1s分の餃子はなかなかな量だった…死にそう。

 某氏より山尾悠子「巨人」のコピーを頂いて、さっそく読む。ああこの人ってやはりこういう別世界を作る能力にかけては抜きんでたものがある!しばしば見られる光の洪水には、必ず音なき音楽が伴っている。そして、予想に違わず山の向こうに天に向かって伸び上がって行く巨人のイメージ。うう〜ん。

 『星ぼしの荒野から』10作中5作までを読み終わった。私自身が持っているある種の終末に向かって転落して行く地球への危惧を、いやが上にもかき立てられてしまう。


990409(金)
  購入本: なし

 きのうから末っ子が具合悪いが、幸いに午前中連れ合いが在宅だったのでとりあえず最低限の仕事を済ませに出勤。あ〜あ、こんな穏やかな天気の日に休みを取るというのにどこにも出られないなんてぐわっかりだぁ。帰宅すると、朝気持ち悪いと吐いたおちびは丁度元気を取り戻しつつあるところでひとまず安心。入れ替わりに出かけた連れ合いが医者の順番を取っていってくれたので、11時半過ぎたらたら出かける。

 平日の昼間はお年寄りの検査等が多いらしく、待っている人数の割に時間がかかり、結局終わったのが1時であった。待っているあいだにいつもと変わらぬ元気を取り戻したおちび、診察室から先生がどこかへ出ていったのをめざとく見つけて戻ってくるのを待ちかまえている。戻ってきた先生に手を振る彼を見て、先生「みたところ元気そうだね…!」おちびは、というよりこの先生は皆に好かれているのだ。どこがどう飛び抜けていい!というのではないのだが、その普通さがなかなか得難いのだ。

 ものを訊いてきちんと受け答えしてくれる、そう言う医者はなかなかいない。これは何々ですか、と訊くだけで、いやそうな顔、めんどくさそうな顔、そんなことも知らないのかという顔、押しつけがましい顔、義務だから答えると言わんばかりの顔、などなどが常と言って良いくらいである。しかしこの先生は、普通にものを言って普通に答えが返って来る。心配事を口にすると、ちゃんと聞いて受け答えをしてくれる。いわば当たり前のことを当たり前にしてくれる。この医者にかかり始めの頃感激して連れあいに話すと、しばらく聞いていた連れ合いが「それが普通ってことだね。」と言うので一瞬「普通なんかじゃないよ、すごくいいよ」と反論しそうになったが、いや、確かに普通のことをちゃんとしてくれているのだと気がついた。今まで出会った他の医者たちのほうが、当たり前のことをいかにやっていないか、ということなのだ。
 ようやく診察が終わり「ばいばーい」と手を振るおちびに、目を細めて手を振り返す先生の御利益か、それっきりすっかり病状は回復してしまった。

 午後おちびはたいくつしてビデオ三昧、わたしはそこいらを片づけたりしていたが、どうも不調。これはどうも間違いなく寝不足がたまってきたものらしい、起きている気力もなくおちびといっしょに9時半過ぎ眠りの国へ引き込まれるのであった。

 山尾悠子「童話・支那風小夜曲集」読了。


990408(木)
  購入本: なし

 夕方おちびの保育園から電話あり、きのうちょっとおなかの調子が悪かったがやはりおやつあとから発熱し38℃だという。ううう。迎えに行くとおでこにひえひえをぺったり貼って元気に鏡なんか見ている。「先生にたのんでそこに絵を描いてもらいなさい」と言い置いて荷物を取ってくると、鏡文字で「だんご」なんて書いてあり、病人、鏡を見ては喜んでいる。思ったよりずっと元気そうだったが、きのうに引き続き医者に行くと、さすがに「あたまがいた〜い」とか言ってだっこ。この時38.5℃だものなあ。
 ようやく帰宅して素直に横になる重病人であった。

 あしたから娘のお弁当が始まる。ただでさえ朝の苦手な私はこれからを考えると戦々兢々である。と言うか、夜早く寝さえすれば早朝の雰囲気は大好きだから早起きは一向に苦ではないのだけれどなあ(誰だってそうか)。すっかり遅寝の癖がついてしまったので困っているのだ。

 ティプトリー・ジュニアは三つ目までさしかかった所。


990407(水)
  購入本: 北野勇作   『昔、火星のあった場所』   新潮社
    佐藤哲也   『イラハイ』   新潮社
    重松清   『ビフォア・ラン』   幻冬舎文庫
    クリスチャン・ジル   『女優アルレッティ 天井桟敷のミューズ   フィルムアート社

 昼休み、懸案の郵便局での振り込みを済ませ、向かいの古本屋にちょっと用あり。代理購入本を押さえに…。そうしたら溝口大人@書物の帝国が古書眈々堂で売り飛ばしたとおぼしき上記のファンタジーノベル大賞関連作ほかがあったので購入。アルレッティは天井桟敷くらいしか知らないが相当に好き(もうひとりの女優マリア・カザレスもいい!)。「天井桟敷の人々」は思い出すとたまらなくまた見たくなってしまうな。(この項脚色あり)

 緑が勝ってきた桜に続いて海棠がさかりである。初冬のさざんかとこの時期の海棠の花びらの質感と色がよい。早くもつつじも咲き始め、あとははなみずき、ふじ、野ばら、と毎日目が離せない。
 つつじと言えば、上の子たちが幼かったとき、「あ、つつじが咲いたね」というと彼らは「つつじってなに?♪めーりさんのつ、つ、じ〜♪」と歌い出したのでずっこけた思い出がある。
 もうひとつ。ラーメンの「れんげ」であるが、娘がだいぶ大きくなってから…小学校高学年か、その名前を忘れてしまい、一所懸命考えた結果「…すみれちょうだい」と言ったのも語り草。いまもひょっと口から出てしまうみたい「すみれ…じゃなくって、れんげちょうだい」。

 昨晩、安房直子の『白いおうむの森』収載の「鶴の家」をぱらぱらっと見ていたら、この間読んだときには格別引っかからなかった最後の所の「もようのまったくない、空の色のお皿に。」と言う文が、何か果てもなく怖く感じられてきた。
 春子は何も感じず「しあわせのお皿」とだけ思ってこわれたお皿のかけらを大事に取ってあるのだろうか。安房直子の怖さのひとつは、うまく言えないのだけれど、現実の安穏な生活と隣り合っている底なしの空虚を感じさせるところにあるのだが、この「もようのまったくない、空の色のお皿に。」もじつはそれなのだと感じられてならない。こういうのって私が抱いている「ホラー」のイメージとは違うのだが、やっぱりhorrorと言っていいのかも、と思い直したり。(ぢつは「ホラー」と聞くと即座にホラー映画みたいなイメージが浮かんでしまって、食わず嫌いに近いのだ。とっつきがホラーホラーしていないのはいつの間にかという感じで読んではいるのだが。)

 山尾悠子のほかティプトリー・ジュニア『星ぼしの荒野から』読中。


990406(火)
  購入本: 川島誠   『夏のこどもたち』   マガジンハウス
  図書館本 服部真澄   『骨董市で家を買う』   中央公論社

 娘の高校の入学式である。9時集合の彼女は、同じ中学から合格した友人と一足先に満員電車に乗るべく出発。出がけにドアを閉めつつぱっと顔がほころび「チョー緊張しちゃうよ、フフッ!」と言う彼女は、いつになくふと幼い子供の顔であった。われわれ(私と連れ合い)は10時集合なので悠々到着のはずが、電車が遅れて5分ばかり遅刻した。格別大したイベントもなく訓辞とかブラスバンドの演奏とか。到着した際、受付を始め会場の体育館までの2,3カ所に生徒たちが案内に立っており、そばには教師らしい大人が付き添って指示などしている。生徒たちは「おはようございま〜す!」「おめでとうございま〜す!」とにこやかに会釈する。ところが、この教師らしき大人たちが、ひとりとして挨拶をしないのだ。われわれと目を会わさないよう極力知らん顔。校長その他の有り難〜いお話も興ざめ。
 終了後合流した娘は、「もう友だちができた」だの、「うちのクラスかっこいい男の子何人もいたよ」だののご報告で、「うわあ、高校生活チョー楽しいかも知れない!」と大ニコニコである。よかったね、陳腐だがよく遊びよく学べ!

 新宿で昼食にする。連れ合いが、高島屋10階にある点心の店、台北・鼎泰豊(ディン・タイ・フォン、豊の字は実際には旧字体)へ、「包子がおいしいんだけど、混んでてだめかも」と言いつつ引率するが、お上りさん都民の私はいつもながらここはどこ状態でずるずると後を追うのみ。ようやくついたそこにはずらあっと椅子に座る人の列が店のずっと向こうの方まで延びている。「あきらめ〜」と言って通り過ぎようとする連れ合いを、「せっかく来たのに二度と来られない」と引き止めて待つこと30分。お薦めの包子(パオズ)と饅頭のセット、餅米の包子、野菜の餃子、スープ2種などを注文する。この包子が、お、おいしい!うん、これはまた行きたい味!それに引き替え饅頭は餡のも肉のもいただけません。いやー、平日でこの混みようだから、私が来られる土、日はちょっとむりでしょうね。と言うか来る気がしないな。

 満足したのちはとりあえず池袋へ寄って2,3用を済ませる。さっきからPHSがしょっちゅう鳴ってはしゃべりまくっている娘は一足先に帰宅。連れあいとのんびり帰るが、最寄り駅を降りたのち普段のぞいたことのない古本屋に寄ってみた。SF関係は基本的にナシ。連れ合いは荒俣宏ほか数冊、私は上記川島誠を購入。そんなことをしている間に一旦降り止んでいた雨がまた降り始め、いい具合に散りかけていた桜もこれですっかり見頃を過ぎてしまった。

 たまにのぞくもう一つの古本屋は「火曜日閉店」にがっかり。しかしその200メートルほど先で最近閉店したらしい小さな書店のシャッターに一枚の貼り紙。先ほどの火曜休業の古本屋が別な店名でここにもう一つ古本屋を開業するとのこと、グッド・ニュース!

 朝、返却しそびれていた本(1冊だけほかに紛れてしまい期限切れ)を返しに寄った図書館の、新着図書の棚にあった『骨董市で家を買う』は、電車の中や昼食の待ち時間に読んでいたが、著者とその妻が本当に平和島の骨董市で、廃屋になっていた福井の古い民家を買って東京に移築し引っ越すまでの顛末記である。
 著者は『龍の契り』を書いた作家なのだそうだ。読んだことはなくて題名しか知らないが、確かに文章は快調、内容の面白さにつられ、夜までに読んでしまった。施工主である「妻」を上手に登場させてやや第三者的、幾分フィクション風味の記述で、なかなか面白かった。終わりの所で、さんざん苦労して品川に移築なった民家に決定的に欠けているものは、家の「品格」である、と「妻」に言わせている。何葉かの写真を、「いいなあこんな家」と思って見ながら読んできた私だが、そう言われて写真を見返すと確かにそんな気がしてくるのは不思議。けれどもこの「妻」、あまりにこの家が居心地良すぎて仕事がはかどらない、と言っているそうだから、やはり新建材たくさん、一月かそこらで完成してしまうぺらぺらの家には比べがたいものがあるのだろうなァ(よだれ)。


990405(月)
  購入本: J・ティプトリー・ジュニア   『星ぼしの荒野から』   ハヤカワ文庫SF
    長野まゆみ   『賢治先生』   河出書房新社
      〃   『耳猫風信社』   光文社
      〃   『上海少年』   集英社
    フォレスト・カーター   『リトル・トリー』   めるくまーる
    『母の友』 5月号   福音館書店

 昼休み早めに郵便局に行くがすでに15人待ち。さっさとやめて向かいの古本屋にひっかかり長野まゆみ以下を買う。ここで長野本を見たのは初めてである。どれも新古本のようできれいだ。これら4冊はいずれもほぼきっちり定価の3分の1、1割引券と合わせ1600なにがし。文庫よりやすいかな(ダイジマンさんごめんね)。サンリオはまだたくさん残っておりしばらく前に見たときからほとんど動いていないと思われる。

 パンや、銀行、新刊書店と行脚し、職場構内の桜を愛でつつたらたら戻るとお昼を食べる時間が10分もなーい!あせってぱくつくのであった。

 明日は娘の入学式なので、早めに寝ようかなーなどと思いつつネット徘徊をしていると、真夜中ちかく大阪方面から、朝掘りのタケノコが新幹線に乗ってやってきた。こりゃーすぐに茹でねばなんめい。と、急遽茹でている最中なんである。

 先日、連れ合いがビデオ/テレビブースターなるものを試しに購入。VHF/UHF/FM波のブースターである。うちはテレビはほとんど見なくて(子供は見てる)FMを流しているのだが、おととしここに越してきて以来、とにかく電波が悪い。テレビのアンテナから取ったり室内アンテナを張ったりいろいろしても、だめ〜。エアチェックもする気を失い、FM雑誌も買うのをやめてしまった。連れ合いがなんだかぶつぶつ言いながらこれをつなぐと、おっ、見違えるようにクリアな音じゃありませんか!いいぞいいぞ、さっそくエアチェックだ!というわけでFMファンも買ったんだった。

 タケノコが茹だる間に巡回していると有里さんところが元気に更新!祝・現役復帰!


990404(日) 下界はやっぱり花見

 予想以上の洗濯物の堆い山(ご存じ解体新書ばり)。洗えども洗えどもなくならず、干すところがなくなってやめた。天気もはっきりしないし。気の毒に連れ合いは鴻ノ巣(埼玉)に仕事関係の不幸があって肌寒いなか朝から出かける。

 だらだら洗濯と片づけをしつつ日記の更新など。

 午後も3時を回って、ゴミ捨て、クリーニング屋などの用足しに、おちびと、暇している長男を誘って出かける。日も射してきて午前中よりずいぶん暖かくなり、出ついでに花見。小学校の校庭の桜の下を通り、それに隣り合う石神井川沿いは、延々と桜色の雲である。そこらの桜の名所よりずっと見応えがあるかも知れない。満開をやや過ぎて、花びらの散り具合もちょうど頃合いだ。きのうが肌寒かったせいか、川沿いの遊歩道は思った以上の人出である。みなのんびりのんびり歩いている。おちびは花の形のまま落ちているのを、「あった、あった!」と、つぎつぎ拾って喜んでいる。風にさらわれたのを追いかけて行く姿は本当に絵に描いたよう。長男も照れくさいのか先を歩きながらもちゃんと桜のある公園を選びながら歩いているようだ。そのうち珍しく持っていたケータイがぶるぶる震え、連れ合いがついそこまで帰ってきているというので落ち合ってたらたら帰る。
 娘は友だち2,3人と新しい制服の見せっことかでお留守。みんなそんなことするのだろうか?

 スキー中に読み終えた『童話物語』は、登場人物の言葉遣いのきたなさにどうにも閉口。現実の世界が舞台であればどうと言うこともないが、やはり現実と地続きでない別世界にはこの日常そのものを持ち込むよりほかのやり方を取って欲しかった。終わりの方に出てくる「童話」という言葉の意味に疑問も。
 作品そのものではないが帯はやはりよくない。「エンデ+クロウリー+宮崎駿 
を連想させる」云々、は安易でしょう。それと新聞広告、表紙カバー折り返し部分の「きわめて性格の悪い少女ペチカ」というのも難あり。けっしてそうではないのだから。こうしてケチをつけるのも作品自体が面白かったからで、ものがたり好きなひとにはおすすめである。ただこの類のものはどうしても大御所『指輪物語』との類似や関連を感じずにいられないのでソンかも。またもや善と悪の戦いなのが食傷…。

 『青猫屋』はかなり気に入った!いいじょ、これ。歌の解説部分に『鏡の国のアリス』を思い出したり。

 留守中に、ネットで注文した山尾悠子の作品が出ている1978〜80年頃のSFマガジン「奇想天外」誌がいくつか届いており、年代順に読み始めている。やはり日常の世界が舞台になっているのでない方が彼女らしさが遺憾なく発揮されるように思う。


990403(土) 雪が降った!と思う間もなく帰還

 朝一面の雪景色に、スキー場に来た甲斐があった!と喜ぶ一同である。昨夜はうちともう一組しか泊まり客がなく、以前はこんなことはなかったのになあと不況の風を感じる。さっそく荷物をまとめてゲレンデへ!足腰が痛いと騒ぐ娘を含め他の3人はさっそくリフトで上の方へ去って行く。おちびはまたまた暴走したいのだが、今日はさすがに朝から人が多くてちょっとひやひやもの。
 以前はコブコブの第2ゲレンデへ行くリフトがこの超初心者向きの長い長い奥志賀第一ゲレンデの上からでていたので、ここは本当に初心者しかいなかった。ところがしばらく来ないうちに第二ゲレンデへ行くリフトが第一ゲレンデの下からでるようになってしまったため、上級者もこのたらたらコースを通るようになり、彼らが足慣らしにビュンビュン通り過ぎるので、混んでいる日には初心者にはなかなか怖いものがあるのだ。
 そんなわけでもう次回にはおちびにも少し曲がり方を教えないと危ない。止まるのと、転んだときの起き方はまあ何とか。さっさと長男に1級を取ってもらって(昨年2級を取った)、ご指導願いますか…。母はお散歩スキーに転向だあ。

 なんだかんだで、昼になりもう帰る時間である。ペンション専属(?)のケーキ職人の焼いたケーキをおみやげに、帰路に就く。オリンピック道路ができたため、湯田中に立ち寄りにくくなり温泉饅頭が買えないと宿のご主人に言うと、オリンピック道路の湯田中付近の「道の駅」と言う施設を教えていただき、そこで首尾良くお饅頭などをゲット、ついでに軽くおそばを食べる。この施設は何でも建設省が補助金を出して観光地の道沿いに安心なトイレ、休憩所と物産店を提供するというようなものらしい。そういえばロードマップにも「道の駅」と言う名は散見するなあと思う。

 多少の混雑を見るのみで、6時には満開の桜の中、無事帰着。さっそくひとりウルトラマンガイアを見てご満悦のおちびであった。うう、ごくろうさん!

 「今浦島」状態を回復すべく久しぶりにサイト巡回は忘れない私。山のような洗濯物だが、どうやら余り天気には期待できない日曜のようである。スキーはまあ大したことはできなかったが、いっぱい本が読めてそれなりの休暇だったかな!


990402(金) ペンギン滑りにおつきあい

 またまた暖かい日。出発前に電話したときには、2,3日前に夜−11℃くらいに気温が下がり雪も締まっていますよ、と言うことだったのだが、ちょうど暖かいサイクルに出くわしてしまったようだ。今日はショートスキーをはいておちびの相手をする。これ、軽いし、取り回しは楽だし、おもしろい!でもジャンプってどうやってするの?要・研究。おちびのペンギン滑りも堂に入り、なかなかなスピード狂らしさを発揮。ゲレンデも週末を控えて入れ替えにあたるのか、朝から人もまばらで、自爆するほかには危ないものもないので嬉々として滑るおちびである。
 怪しい天気だったのが、ちょうど昼から雨に変わってしまい、運動不足の私と娘、おちびは早々にあがる。連れ合いと長男はしばらく上の方に行って頑張っていたらしいが、まず連れ合いがリタイヤ、ショートスキーに替えてふたたび出ていった息子もびっちょりになって3時過ぎあがる。はやばやとお風呂に入り、夕食までのんびり『星虫』の続き、読み終えてさらにスペルシンガーサーガの最終巻『困りものの魔法の楽器』に突入。暗くなる頃までに外は雪に変わっており、さすがに雪山らしくもう既に屋根には雪が積もり始めている。今晩一晩降って明日止んでくれると帰るときに路面の心配もないのだが、など虫のいいことを言う連れ合いである。
 食後、遅くなって『困りもの〜』も終わって少々読みかけだった『白い霧の予言』にとりかかる。相変わらずの雪、携帯不通もあいかわらず。


990401(木) ようやくスキー場

 9時半頃奥志賀へ向かって出発、12時少し前にペンション着。いつも同じ頃に来ているのだが、いつにもまして雪がない!お日さまはのどかに照り、山はやや霞んで、春だようとのんびり横たわっている。路肩を示す積雪量を表示した棒も空しい。昨年でさえ、志賀一ノ瀬をすぎ奥志賀の手前、焼額にさしかかったところで路面凍結のためツツーとスリップして怖い思いをしたのに、ああ今年は路面はからりと乾いている。奥志賀へ野鳥観察か、と言った按配。

 昼食をとり、まずはゲレンデへ。私はおちびを連れて一番下の第1ゲレンデでたらたら。上の息子は私が買ってもらったはずのショートスキーを嬉々として自分の靴に合わせてしまう。連れ合い以下、ひとしきりおちびのご指導をして、3人で上の方へ行ってしまった。おちびは本物のスキーをはくのは初めてだが、じきに慣れてペンギン滑りで楽しんでいる。リフトに乗っていても汗ばんでくる。

 食後『青猫屋』一気に読了。ペンションにおいてある本の中に岩本隆雄『星虫』(新潮社文庫)を発見、読みかける。
 連れ合いが何度か携帯電話が繋がるか場所を変えて試すがまったく駄目。昨年は場所によりオッケーだったのにどうしたこと?


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