Book Guide for 1999

第壱回 「来たるべき文学を嘘ぶくためのミステリ」

1. 「マリイ・ロオジェの秘密」(E.A.ポオ、春秋社ポオ全集、創元推理文庫ポオ全集など)

あるジャンルが袋小路に入ったように見える時、 人はその端緒に戻る。ポオは推理小説というジャンルの始祖であり、 よくあることだが、このジャンルに対する最初のパロディであった。 我々は未だ、マリイ・ロウジェを見たことはないし、 これからも見ることはできない。 一つの名前として、彼女は論理の中で玩弄される。


2. 「僧正殺人事件」(ヴァン・ダイン、創元推理文庫)

「コックロビンを殺したのはだあれ」から始まる 童謡の見立て殺人事件、飛び交う数式(なんとリーマン幾何の)、 チェスの駒を置いて帰る泥棒。 狂気の連続殺人事件に、無双の博識にして美術評論家にして 畏るべき美貌の持ち主にして、ポーカーとフェンシングの名手、 はかり知れぬ心理学の知識を持つ探偵ファイロ・ヴァンスが挑む。 「本格派」と言われるゲーム的推理小説の雛型のように言われるが、 このオフビートぶり、異様なまでの過剰さを見よ! 犯人の心理造形などオフビートを通り越して、 悪夢のような未来を覗くようだ。


3. 「火刑法廷」(J.D.カー、ハヤカワミステリ文庫ほか)

ミステリは論理的な解決がなくてはならないし、 この「火刑法廷」はきちんとそう書かれている。 しかし、同時にこの小説はホラーでもあるのだ。 徹底的に計算された彫刻が、焔に照らされて、 壁に出来たその影は悪魔の形をしている、 そんなアクロバットがここにある。 ミステリにとどまりながら、読者が視線を変えると、 そこに何の理性も論理も通用しない恐怖小説が立ちあらわれるのだ。


4. 「墜ちる天使」(ウィリアム・ヒョーツバーグ、ハヤカワ文庫)

ハードボイルドとオカルト小説をミックスした反探偵小説としての怪作。 脱構築という言葉を発するのも恥ずかしい時代になったが、 ハードボイルド、探偵小説というコードが徐々に混乱しながら、 最終的にはまったく非合理な解答に至り、 読者の期待はあまりにもあっけなく爆破されてしまう。 虚構の中のお話ということで許可される魔術主義が、 やはり虚構ではあるが論理的現実還元的であるミステリの中に登場するだけで、 暴力的なまでにモダンを踏みにじってしまう。 この見え見えの安易さから目をそらせてはいけない。


5. 「競売ナンバー四十九の叫び」(T.ピンチョン、国書刊行会)

長い間、正体不明だったためか、MIT の物理学者チームの ペンネームだという噂まであったアメリカ現代文学の巨匠、 ピンチョンの代表作だが、 これは推理小説だと思って読まないと絶対にその真意が分からないと思う。 主人公の主婦イーディパはありとあらゆる所に、 謎の手がかりを見出してしまう。 ありとあらゆるものを解釈し、背後に謎をかぎつけてしまう、 イーディパの視線は「探偵」のものである。 手がかりが次々あらわれ、トライステロという謎にいたる、 可能性と解釈は無数に散りばめられるが、 構造的に無解決のまま、心理的な解決、達成のないまま、 我々は宙づりにされてしまう。 ここでは文学というジャンルに対して、 ミステリの手法を用いることで、 なにかとんでもない事件が起こっている。


6. 「キングとジョーカー」(ディッキンスン、サンリオ文庫)

パラレル英国(山口雅也がオリジナルではない) の国王が探偵というようにディッキンスンはヘンな設定と主人公で、 ミステリらしいが、ミステリではないものを語ることが好きだ。 「緑色遺伝子」とか「ガラス箱の蟻」「盃の中のトカゲ」など、 全て怪作ぞろい。 シリーズ探偵であるピプル刑事にいたっては、 どんどんボケがすすんで、最終的には老人ホームで活躍するといった、 オフビートぶりだ。しかもほとんど事件が起こらなかったりする。 どうにも凄いと思うが、やっぱり良くわからない作品たち。


7. 「冬の夜ひとりの旅人が」(イタロ・カルヴィーノ、松籟社)

ポストモダンは書くことそのものを、または読むことをそのものを、 題材にする。 この小説(なのかどうなのか)は、始まったはよかったが、 いきなり中断された小説たちの第一章の集合であり、 この謎故に知りあうことになる「男性読者」と「女性読者」 をめぐる序章がそのまた各章についている。 我々は謎を解く探偵の視線で、解釈の欲望に突き動かされて、 次々と欲求不満のまま第一章を読み続ける。


8. 「虚無への供物」(中井英夫、講談社文庫)

我々にはまだ「虚無への供物」がわからない。 「虚無への供物」以降、そのオマージュが幾つか書かれたし、 現代の講談社ノベルズのアバンギャルド路線にも、 深い影響を与えていることは間違いないが、 どれも「虚無への供物」以上のものではない。 繰り返して言うが、「虚無への供物」は未だ読まれてはいない。 多分、「虚無への供物」以降の全ての日本の反探偵小説路線は、 全て歴史的に消えさった後、「虚無への供物」だけが、 その代表として残るであろう。


9. 「黒死館殺人事件」(小栗虫太郎、創元推理文庫など)

やはりこの本を挙げないわけにはいかないだろう。 ミステリからモダンだけを抜きさった残りの周辺を、 奇怪なまでに巨大な建築物に仕立てあげたまさにバロック。 脅威の怪作である。 もう、唖然とするしかない。


10. 「バベル-17」(S.ディレーニイ、ハヤカワSF文庫)

究極的に問題は言語である。 「バベル-17」はスペースオペラ SF にして、謎の言語を追うミステリにして、 哲学の書である。 宇宙人相手の戦争で知った謎の理想的完全一般言語「バベル-17」 を、暗号破りの天才、女流詩人リドラが追う。 「言語、それは宇宙から来たヴィールス」(バロウズ)を地で行く、 目も醒めるような言語問題小説。


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Keisuke HARA, Ph.D.(Math.Sci.)
kshara@mars.dti.ne.jp