『ライアンの娘』について




ある男のことを思い出した
彼にどんな友達がいたのか、思い出すことはできない
(いなかったのかもしれない)
ある日 「海までついてきてくれ」と頼まれた
岩の岬で遠くを見つめ こんな話をした
「デビッド・リーンの風景は
いつもとてつもなく美しい
だが その美しさは結局何も語らない」
私の知らない映画に触れながら
男は私に語りつづけるのだった
荒い風が吹いて
ことばがちぎれながら海の上へ飛んでいった
「その美しさが語りかけるものは
人間の生活を少しもかえることができない
人間は相変わらず憎しみあっている
それでも美しさは ただ美しさだけを語りつづけている
それを思うと胸がはりさけるような気分になる
哀しくなる 切なくなる
すべての美しさは私たちのそばまでやってきた
こころにささやきかけている
しかし私たちはその声を聞き
その声にしたがうだけの理性を持たない」
私はどんなことばも返せなかった
言っていることがわからず
鴎を見ていた
冬のはじめの弱い光にひるがえる鴎を見ていた
美しさはどこまできているのだろう、
そんなことをぼんやり考えたことは覚えているが
あの日 たしかに私は
どんなことばも返すことができなかった
そして数日後 男は、その海で自殺した
まだ十七歳だった
もう二十年以上も昔のことである


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