審査員物語 番外編57 木村物語(その11)

17.02.09

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基にしております。また引用文献や書籍名はすべて実在のものです。

審査員物語とは

木村が認証機関に出向して3年が経ち、周りから一人前を越えてベテランとみなされるようになった。
俺ももうベテランだ
ISOで知らないことはない
今までの恨みはらさずに
おくものか

木村
ただ上司も周りの人の木村を見る目は、同期で出向した三木の評価とは違う。それは木村も感じていた。三木はいまだに、いや主任審査員になってからはなおのこと、ナガスネ流とは距離を置き、その審査基準は規格と常識に基づいていた。なにごとも常識で考えてどうなのか、論理的に考えるとどういう結論になるのか三木の行動原則のようだ。
それに対して木村の行動基準は三木と正反対でこれまた明確だ。先輩、上司に教えられたことそのものである。環境目的の完了までの期間が3年以内なので不適合です。環境側面は点数で決めなくちゃだめでしょう。環境目的のプログラムと環境目標のプログラムがないので不適合です。これは原因の除去じゃなくて不具合の除去だから是正処置と呼んではいけませんねえ〜、重大な不適合ではありませんが是正を求めます。
木村は日々そういう審査を行っている。

参考までに: ISO規格では再発防止処置を是正処置と呼び、不具合が起きたら是正処置をしろと要求している。しかし不具合の除去を是正処置と呼んではいけないという条文はない。社内でどう呼ぼうとそれは組織の勝手である。
実を言ってこれはたとえ話ではない。1995年頃、J〇Aの審査で、「修理」と「手直し」の社内の呼び名がISO規格の定義とテレコになっていたので不適合と言われたことがある。なぜダメなのか、あれから20年経った今でもわからない
そもそも日本語で修理と手直しの意味がISOの定義通りだったわけではない。
1994年版の翻訳のときに、「repair」に「修理」を、「rework」に「手直し」をあてただけである。面白いことに、1987年版のときは、「repair」は「補修」であり。「rework」は「(要求事項を満たすように)再加工」であった。
ちなみに広辞苑第二版(1969)では
修理:繕いなおすこと
手直し:不完全なところをちょっとつくりなおすこと
となっており、修理はあるべき姿にすることで、手直しはとりあえず使えるようにという意味合いである。創立がISO9000s制定よりも古い企業の規則で、語句の使い方が広辞苑を基にしていておかしくない。いや1994年版のJISZ9901訳は広辞苑の意味に反する誤訳だったのかもしれない。
なお最近の辞典では、修理を「壊れたものを直すこと」、手直しを「正常のものをより良くすること」と記しているものがあるが、私が子供の頃は前記の広辞苑の意味でしか使ったことがない。時代と共に意味合いが変わったのかもしれないが、社内の呼称がISO規格と違うからダメという理屈は理解困難だ。まさに事業活動が会社のためか、ISOのためかの踏み絵である。
長くなるので続きはこちら

先輩の審査員、特にナガスネ創立時からの古参審査員と一緒に審査するときは、ナガスネ流の判断基準で行うことが評価され、審査員チームの中でトラブルが起きることはない。企業側もめったにそういう判断について異議は唱えなかった。ならばこれが最善の方法ではないか、いや正しい方法である、木村はそう思っている。
年に何度か木村は三木と一緒に審査することもある。三木の方法は、ひとつひとつ規格に参照し考えるから効率が悪い。いや時間がかかるというわけではない。○×ではなく考えなければならないということだ。木村はときどき三木に、なぜみんなと同じ基準で審査しないのかと冷やかした。三木はにこやかにうなずくだけだった。
実際は三木も穏やかな性格ではない。古参審査員と規格解釈について激論しているのを何度も見たことがある。相手が取締役でも決して自説を翻さない。三木が朱鷺審査員とプログラムが二つ必要か否かで激論していたときは、社内で勢力を持つ先輩に、どうでもいいことで逆らうこともないのにと、木村は呆れた。先輩が二つ必要だというなら、口だけハイと言ってればいいじゃないか。一つでもいいという人と審査するときはそれなりにすればいい、面従腹背も処世術だと木村は思う。
ともかくナガスネを仕切っている古参審査員の受けがいいのは木村であり、三木は疎まれている。
じゃあ木村がまわりから好かれ尊敬されているかと言えばその逆だ。みな規格解釈で困ったり、審査で迷うことがあると相談相手に選ぶのは三木だった。なんと三木よりも先輩格、年長者でも三木に相談する人が多い。三木の天敵である朱鷺審査員や柴田取締役でさえ三木に相談している。そういう重鎮たちが木村に相談することはなく、想像さえできない。
木村も規格解釈で迷ったり、先輩の意見が理解できない時、あるいは審査でトラブルがあったときなどは、木村は三木の意見を聞いた。三木の意見は常に参考になるのだ。
もっとも木村は三木を尊敬していたわけでなく、便利な人、自動的に回答が出てくるATMかグーグルおじさんのように思っているだけだ。細かいことで偉い人に相談するのはちょっと気後れするが、三木なら何を聞いても恥にならないと思っている。

審査員稼業も板についてきた木村は余暇を有効に活用できるようになり、副業のISOコンサルも順調だ。審査員の賃金は出向前と変わらないが、最近はそれにプラスしてその半分くらいISOコンサルで稼ぐようになった。
そういえば三木は全然コンサルをしないという。休みの日は奥さんと一緒に買い物とか公園に行くのが楽しみだという。木村は単身赴任から静岡の自宅に戻ったものの、夫婦というよりも単なる同居人になり、休みに妻と何かすることもなく、ひたすらコンサルに励んでいた。
三木は元部長だったので出向した今も部長級の賃金だったし、木村は肩書は課長だったが実質ヒラであったので平社員プラスアルファの賃金で、その差は年収で300万以上になる。そういう情報はどこからともなく入ってくるものだ。同じ仕事をしていても経歴によって賃金が違うのはおもしろくないが、自分はコンサルを合わせれば三木以上稼いでいる。そんなことを考えると、木村は心中ニヤリとするのだった。ただそれは木村へのライバル意識なのか、過去の会社人生の不遇を跳ね返したということなのかわからない。


あるとき、木村は三木と一緒に結構大きな工場に審査に行った(第25話26話参照)。リーダーは阿賀野という古参審査員だ。
審査結果、環境目的と環境目標がひとつであって、それぞれの実施計画がないことを不適合とした。だが先方はその判定に納得せず、審査結果にサインしなかった。そういうことはめったにない。阿賀野審査員は判定委員会で自分の判断を通せると考えたようで、決裂したまま帰って来た。
翌月曜日から木村は別の審査に出張で会社に顔を出したのは木曜になっていた。
昼過ぎに三木が木村のところに話をしたいとやって来た。二人は小さな会議室に入る。

三木
「先週行った会社で、実施計画がふたつないといけないということで不適合にしたのを覚えているかい?」
木村
「ええ、もちろん。それが?」
三木
「月曜日に異議申し立てがあった。先方はISO-TC委員に問い合わせた結果、目的目標を実現する実施計画があるなら適合であるという見解を得ているということだった」
木村
「ええええ、そりゃ・・・・・、それでどうなったのですか?」
三木
「阿賀野さんは過去より社内の統一見解として実施計画が二つ必要であったはず、だから納得できないということだった。柴田取締役と山内取締役が他の認証機関に問い合わせたり、社内の権威に聞いたりしたが、結果としてその異議申し立てを受けて実施計画が二つ必要という論理を引っ込めた」
木村
「えっ、そいじゃ実施計画はひとつでいいということですか?」
三木
「私は以前からそう考えている。まあ古参審査員と審査するときはそれを肯定も否定もしていなかった。卑怯かもしれないが処世のためにもめない方が良いと思っていた。
もちろん自分がリーダーを務めたり一人で審査したときは、実施計画が目的目標を達成するのに十分かという観点でだけ見て、書き物が二つなくても適合にしている」
木村
「それで、ええと、今回のものは適合判定したわけですか。でもクロージングのときは二つないとダメだという理屈でしたよね。どう辻褄を合わせたのでしょう?」
三木
「まあ、言葉のあやというか、目的目標を満たすには今回提示されたひとつの実施計画では不十分だったので、そういう言い方をしたという解釈で説明した」
木村
「屁理屈をこねたということですか・・・しかし今後はどうするのでしょうかね?
三木さんはともかく、今まで実施計画が二つなければ不適合というのはウチの統一見解だったわけでしょう」
三木
「どうするのだろうね」
木村
「そんなあ〜、他人事のようなこと言わないで、まじめに考えてくださいよ」
三木
「私の本音を言えば、他人事だと思っている。
今までのようないいかげんな考えでは認証機関とは言えないんじゃないか。環境側面は点数でなければだめ、環境目的は3年以上先でなければだめ、そんなことを恥ずかしいと思っているよ」

木村は三木の言葉を自分への批判と受け取った。
木村
「でも多くの審査員がそういう基準で審査をしているわけでしょう」
三木
「多くの審査員がそう判断しているかどうか・・・どうだろうねえ〜、他の認証機関はそうでもないよ。BVQI社が出している『環境マネジメントシステムの構築と認証の手引き」を読んでごらん、目からうろこが落ちるよ」

参考までに: この本はISO14001について書かれた本の中で最高のものである。寺田さんを含めISO-TC委員などの書かれた解説本などより価値があることを保証する。
著者の土屋さんとは面識はないが、他の認証機関と審査でトラブったとき、メールで問い合わせたことがあり、丁寧なご教示をいただいた。考えもまっとうで人格高潔とお見受けした。

書名 著者 出版社 ISBN 初版 価格
環境マネジメントシステムの構築と認証の手引き
土屋通世 システム規格社 4901476068 2004.12.17 1800円

木村
「ええっ、つまり三木さんはウチの規格解釈を見直すべきだということですか?」
三木
「見直すべきだではなく、見直さなくてはならないと考えている」
木村
「柴田取締役もそうお考えになったのですか?」
三木
「そうではないようだ。あの人は事なかれ主義、長いものに巻かれろ主義だから、問題が忘れ去られるのを待っているだけだろう」
木村
「私は過去ナガスネ流の考えで審査してきましたが、これからどうしたものでしょうか?」
三木
「それは私が考えることじゃない。私は審査員になってから、いやその前からナガスネの規格解釈に疑問を感じ、主任審査員になってからは、常識的というか当たり前の考えで審査してきたつもりだ。その責任はすべて私にある。
木村さんがナガスネ流で審査してきたのは木村さんの判断であり、その責任は木村さんにある。これからどうするのかも木村さんの責任だよ」

木村はあまりものを考えることは好きではない。コンサルも決まりきったことを教えているだけだ。その会社の特質などを考慮して指導することなどしたことがない。それにそんなことをしていたら数をこなせない。
三木の言葉を聞いて嫌味だなあと思う。


今日、木村は審査がない。CEAR主催の講演会に行く予定なのだ。ナガスネからも2・30名聴講に行くようだ。開演は13時だが出勤して2時間も仕事をすると続々と退社していく。移動と早お昼を食べてちょうどなのだろう。木村も11時過ぎには会社を出た。
王子駅を降りてハンバーガーを食べる。審査は時間との戦いなので、木村は移動中はファーストフードを食べることが多い。

講演が終わったのは16時だ。講演の中身はいつも似たようなもので正直わざわざ行くまでもない。暇つぶしとみんなの話題についていけるためだ。今日はいつもより早く自宅に帰れるかなと思うと少しウキウキする。
さくらホールを出て改札に向かう人々の中に見覚えのある姿を見つけた。あまりいい思いがないので、木村は知らん振りで通り過ぎた。しかし向こうも木村に気が付いたようで声をかけられた。
友保さん
「おーい、木村君じゃないか、元気かね」
友保ともやすであった。
友保を忘れた方はこちらを
コーヒー コーヒー
木村
「あっ友保さん、こんなところでお会いするとは奇遇ですね。友保さんもISO審査員になられたのですか?」
友保さん
「いや定年後に審査員になろうかと考えているんだ。木村君は?」
木村
「私は数年前にナガスネに出向しまして今審査員をしております」
友保の目の色が変わった。
友保さん
「それはすごいね、ちょっとその辺でコーヒーでも飲みながら話を聞かせてくれないか」
木村は断ることもできず、コーヒーショップに入った。
友保さん
「木村君の頃は工場の環境管理課長などはISO14001の審査員に出向できたらしいね。今は部長級以上じゃないと出向できないと聞いている」
木村
「いえ、課長が審査員に出向できたのは相当前のことで、私のときはもうだめでしたね」
友保さん
「ほう、じゃあどうしたの?」
木村
「ウチからナガスネに取締役を出していますね。つてを頼ってその方に審査員になりたいとお願いしたのです」
友保さん
「ほう、今ウチから行っている人は誰だろう。まあ調べてその方の同期の人からお願いしてもらおう」
木村
「審査員が特にいい仕事ってわけじゃないです。結局肉体労働者ですし、昇進はありませんし。
友保さんが関連会社に出向できるならその方が良いのではないですか」
友保さん
「だんだんと関連会社も中高年の出向者を受け入れなくなってきている。もちろん出向できないわけじゃないけど、以前に比べたらどんどん条件が悪くなってきた。
僕も出向しないかと言われているのだけど、話を聞くとなんと社宅管理の仕事なんだぜ。品質保証一筋で20年もやってきたのに」
木村
「友保さんはISO9000でしたよね。審査員になるにしても品質ではないのですか?」
友保さん
「今は品質の審査員は飽和している上に供給過剰と聞いている。環境ならそれほどではないというんだ。一応両方の審査員補には登録しているんだが」
その後少し雑談をして別れた。


2週間ほどして木村は山内取締役から声をかけられた。
山内取締役
「おい、木村よ、友保って知っているか?」
木村
「品質保証部の友保さんですね」
山内取締役
「おお、知っているのか。どんな奴なんだ?」
木村
「私は彼といろいろありましたんで、コメントするには不適です。駿府のISO9001認証にも関わりましたから、駿府の大野部長に問い合わせてはいかがですか」
山内取締役
「なるほど、木村の評価はそういうことか。そいじゃ大野に聞いてみるわ」

だいぶ経って山内と木村が飲んだとき、友保の件は断ったという。その話はそれっきりであった。
友保も人を踏み台にして自分がのし上がることばかり考えずに、相手を助けようとすれば良かったのにと木村は思う。そうすれば周りの人が助けてくれただろうに。だが、自分の生き方も友保と五十歩百歩であることには思い至らなかった。

うそ800 本日の回顧
1990年代、企業の人にとって審査員は雲の上の人であった。もちろん規格解釈について議論をしたり、判断に異議を唱えることに躊躇することはなかったが、自分が審査員になれるとは思わなかった。農民が一揆を起こせても、サムライにはなれないってのと同じだ。
2002年以降、職場が変わると、知り合いとか同僚とかが審査員になっていくのが珍しくなくなった。だから私も希望すれば審査員になれる状況だったし、それどころか認証機関からお誘い(ヘッドハンティング)も受けた。変な話だがその頃になると審査員になりたい気も薄れていて断ったけど、
驚いたのは企業側でISO担当していて審査員の横暴、不勉強を愚痴っていた人が審査員になると、以前おかしいと忌み嫌っていた解釈で適合/不適合を判定したり、コンサルをさせろと売り込んだりするのを見たり聞いたりしたことである。まさに変節、転向、改宗、裏切りである。
そういう姿を見て、私は彼らを批判するよりも、今まであいまみえた審査員たちも初めからおかしかったのではなく、審査員稼業をしているうちに感覚というか考えがおかしくなってきたのだろうと思うようになった。となると、おかしな規格解釈をするのは、解釈を間違えているからではなく、審査を時間内に終えるために割り切っているからなのだろうか。そしてお土産やお出迎えを当然と受けたのは傲慢だからではなく、感覚がマヒしたからなのだろうか?
ともあれ私は審査員にならず、そういうことをしなかったことを幸運だと思っている。そういう立場になってもしないと言い切る自信はないから矜持とまでは言わないけれど、

うそ800 本日の回顧 2
本文中の「参考」からの続きである。
そもそもrepairとreworkはISOの定義が一般的なのだろうか?
まあrepairとreworkはISO8402で定義していたから、規格の言葉で話すときにその定義を使用することに異議はない。ただISO規格がいかなる定義をしようとも、社内でそれに従わなければならないという理屈もなかろう。
ISO14001の2015年改定で附属書A.2に
「この規格では、組織の環境マネジメントシステムの文書にこの規格の箇条の構造又は用語を適用することは要求していない。組織が用いる用語をこの規格で用いている用語に置き換えることも要求していない」
という文言が盛り込まれた。偉大なる()吉田敬史さんのご意見でそうなったという。
私以外に、審査員に規格を掲げて「審査員の仰せである、上意なるぞ」と言われて頭に来た人が多かったのだろうと思う。

ちなみに:


上意とは上位者の意思を示すもので、書面の書き始めは「下す」から始まるそうで、封書には本文と同じく「下」と書くのだそうだ。
同様に、下々からお願い申し上げる場合は中身が「口上」とか「上書」となり、これまた同じく本文の書きだし一文字を取って「上」と書くのだそうだ。
ちょっと考えると殿さまが出す文書が「上」で、下々が願い出る文書が「下」となる気がするが、そうではない。

上記のようなものだけでなく、JIS翻訳するとき日本語の意味と違って使ったということは多々ある。2004年改定のときの「配慮」「考慮」「考慮に入れる」などは寺田さんの講釈を聞いても全然わからない。ああいったものは旧来の日本語(漢語?)を当てはめようとせずに、主語述語のある文章で明確に表現しなければ、読んだ人の認識を統一することはできない。
関係者のほとんどが日本語訳しか読まないのだから。結果としてそれが審査員のバラツキを生み、最終的には認証の信頼を失したのだと私は考える。
ISO認証の信頼性低下は審査の現場で起きたのではなく、ISO規格をJIS訳したときに始まっていたのだ。とはいえいまさらそんなことを言うまでもない。すべてのものは日本に入ってくると日本化されてオリジナルとは変わってしまう。仏教、キリスト教、品質管理、だからISOも当たり前だ。
ISO規格がグローバルスタンダードと自称しても、それがそうであり続けるわけがない。OINKならぬOINJ(only in Japan)だ。いやJapanizeという辞書に載っている単語があった。

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