*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基にしております。また引用文献や書籍名はすべて実在のものです。
審査員物語とは
「当社ではこの工場に先行して川崎工場が審査を受けることになっていて大分進んでいるようです。ときどき状況を伺っております」
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「川崎工場・・・そういえば半月ほど前に木村君出張したよな」
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「ハイ、ISO認証のためには何をしなければならないかのヒアリングを行いました。また今申し上げましたように定期的に状況の問い合わせを行って、入手した情報は工場内部に展開しております」
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「本社の・・ええと・・・トモなんとかという人から支援を要請してほしいという依頼が来ているんだよ」
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「友保さんですね。支援の要請ですか?」
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「そうだ、本社の人が工場に来て指導するには、形式的に工場が本社に対して指導をお願いしなければならないという。向こうはこちらを指導したいのだが、指導の要請を受けないとこちらに来れないという」
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「どうでしょうかねえ〜、今本社の友保さんは川崎工場の支援にかかりきりのようですし、私としても川崎工場の結果が出てから、ある程度認証準備の方法が固まってから指導を受けたいと考えていました。今は川崎工場も友保さんも試行錯誤状態ですから、へたに指導を受けて我々の準備作業が行ったり来たりとなることを恐れているのです」
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「その友保君か、彼からは本社内部で多数の工場を指導しているという成果を出さないと立場がないような話だ」
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木村は考える。友保にはちょっと注意したほうがいい。川崎工場の寺岡氏も友保は信頼できないとを言っていた。なによりも川崎工場のように指導するどころか勉強のために来ているようでは、こちらとして無駄な時間と手間ばかり食って困る。 | |||
「課長、どうでしょう、川崎工場が認証するまで様子を見るということでいきませんか。どちらにしてもウチはまだ時間的余裕があります。あまりあせっても・・」
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「実は本社から話があったというのを部長が聞いて、それなら早急にその友保氏の支援を要請しろと言いだして・・来週こちらに指導に来ることになったんだ」
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「えぇ、来週ですか。でもおいでいただいても何をするのでしょう?」
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「部長の話では、まず管理者を集めてISO9001認証の意義と準備についての講演をしてもらえという。木村君は、その段取りと友保氏と話を付けておいてくれ」
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木村は愕然として。いったい今時点、そんなことをしてもしょうがないだろう。時間の無駄、手間の無駄だ。とはいえしょうがない。 友保に連絡を取り、講演の依頼とその内容の打ち合わせをした。工場内に案内を出すと、急な講演についての苦情はバンバンとくる。木村はもう頭を下げるだけしかなかった。
宴席で、課長から部長指示で友保の言う通り実施すること、定期的に指導に来てもらうことなどの指示を受けた。木村はいうことを聞くしかない。 その後、友保は10日に一度くらいのペースで静岡工場に顔を出すようになった。そしていろいろな作業を指示するのだがそれらはすべて木村が川崎工場の寺岡から聞いたことの二番煎じだった。中にはやってダメだったとか、間違った指示だったと寺岡から聞かされたものもあるのだった。木村は実際に作業をしている寺岡の情報を基に仕事を進めたいのだが、課長は友保を信じており、それを素直に実行するようにと木村に命じた。 結果としてやり直しとか無駄に終わったことがいくつも発生したが、友保は課長に「木村さんが私の話をよく聞いていないためだ」といい、それを課長も部長も友保を信じた。 木村は胃が痛くなった。 そんな日々を過ごしていると、川崎工場の寺岡から電話があった。 | |||
「やあ、木村さん、お宅は友保さんのご指導をいただいているようですが調子はどうですか?」
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「全然よくないですよ。友保さんの指導を素直に聞けというウチの部長の判断で、友保さんにひっかきまわされていますよ。寺岡さんからお聞きしていた無駄なこととか失敗とか繰り返しています。まさに二の舞を演じているという感じですわ、 もう泣きたいです。胃が痛い」 | |||
「ウチも友保さんには泣かされましたからねえ〜。ウチではもう友保さんは出入り禁止にしたんですよ」
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「えっ! 出入り禁止ですって!」
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「だって役に立たないどころか、間違いを指導する人に来てもらっても困りますよ。ご存知でしょうけど、彼が一度指導に来ると工場は本社に手間賃として1日10万と出張旅費を払うことになっているのです。お宅もでしょう?」
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「えっ、そうなんですか。知りませんでした」
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「ウチも知らなかったのですがね、指導を受けて2か月目だったかな、最初の月の費用請求があって気が付きました。まあ10万でも20万でも役に立つ指導ならお金を払いますが、彼はウチが審査員からいろいろ指導を受けているのを脇で見ているだけですからね。まったく寄生虫かたかりみたいなもんですよ」
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「そいじゃウチは来月から費用請求が来ることになるのでしょうか。参ったなあ、そんな予算取ってないですよ」
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「ウチで友保さんを拒否したもんで暇になったから静岡工場に付きっ切りになったんでしょう。アハハハハ」
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「冗談言わないでくださいよ。私としては友保さんを断りたいのですが、部長課長が入れ込んでまして・・」
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寺岡は最近の状況を教えてくれて電話を切った。寺岡の話を聞いて暗澹たる思いである。友保をこのままにしておいてはトラブルの元だ。だが部長や課長は友保を大先生と信じているから断ることは不可能だろう。 ●
更に三月後、川崎工場はISO9001の審査となった。木村は傍聴を願い出て了解された。審査会場の端に座っていて友保がいないのに気が付いた。寺岡に聞くと友保から審査陪席したいという話があったがそれを断ったとのこと。「役に立たない人にいてもらっても仕方ありませんからね」と寺岡は笑う。木村も愛想笑いをした。● ● 審査は滞りなく進み、指摘事項は重大も軽微もなく「認証を推薦する」という審査員の言葉で終わった。三月後、静岡工場でも同じ言葉を聞きたいものだと木村は思う。 川崎工場のISO認証後に静岡工場に現れた友保は、川崎工場の認証準備はすべて自分が取り仕切ったと公言し、部長や課長はさすが本社の友保氏と感心する。そして木村には友保の指示通りせよという。木村はますます胃が痛くなる。 まあISO認証準備というのは担当者の胃を痛くするが、木村の場合別の意味で胃潰瘍になりそうであった。実際に友保の指導は間違いとか勘違いがあり木村はその手直しのために工場各所に頭を下げて回るのも大変だ。 審査員は川崎工場のときと違い、静岡工場には一度だけやって来てあらまし確認し、それ以降審査日まで来ることはなかった。もう最初の段階を過ぎてISO審査とはいかなるものか、規格をどう読むのかということが知られてきたこともあるだろうし、静岡工場の準備状態を見て大丈夫だと見たこともあるのだろう。 まあ上を下への数か月が過ぎてとうとう静岡工場のISO審査の日となった。 細かいことを書くのも面倒だし読むのも面倒だろう。あらましだけを書く。 当時はまだ審査で現場の作業者に聞くということはあまりなかった。仕組みについては応対するのはISO担当者だし、現場の管理などは各職場の管理者である課長や係長が答えるのが一般的だった。 審査が始まった。 | |||
「まず認証規格を確認します。」
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注:当時はISO9001、ISO9002、ISO9003の三種があり企業はいずれでも選択できた。
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「ISO9001です」
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「わかりました。それでは認証範囲の確認ですが・・・・」
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「この工場で生産し欧州に輸出するものを認証範囲としています」
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「ええっと、先ほどの経営者ごあいさつでお聞きしたところによると、この工場で生産したものだけでなく、下請け企業で生産したものも欧州に輸出しているというご説明でしたね」
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「ハイ?」
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「そうするとこのマニュアルに記載された範囲では不足するように思えますが」
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「木村君、何をしているんだ、とんでもなく初歩的で重大なミスじゃないか」
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木村は後ろに座っている友保から怒鳴り声を浴びせられた。友保は川崎工場で審査立ち合いを許されなかったので今回はじかに工場長宛てに出席しますというメールを出してやってきていた。 | |||
「木村君、もうしょっぱなから重大な問題が起きてしまったじゃないか。どうしてこんな間違いが起きたんだ?」
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木村はアタフタとマニュアルをめくり審査申込書をめくったが、頭は真っ白で何も考えが浮かばない。 | |||
「ええと、この件について回答する時間をいただきたいと思います。とりあえず当方から依頼した認証範囲についての審査を進めていただきたいと思います」
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「了解しました。それでは各職場での審査を行います」
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木村が審査員をアテンドしてまず品質管理部門に行こうとしたとき友保の声が聞こえた。 | |||
「品質課長さん、あきれましたよ。一体木村君は何をしているのです。私が指導したことをやってくれないなんて、私をバカにしている。私は今から本社に帰ります」
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「そう言わずに審査のご支援をお願いします」
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「冗談じゃない。ボクが一生懸命指導していたのに木村君は対応してくれていない」
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木村は友保の怒鳴り声を聞いてヤレヤレという気持ちで審査員を現場に案内した。 ●
翌日のクロージング前の打ち合わせである。工場側は品質課長と木村、審査員の3名である。● 友保は昨日あれからすぐに本社に帰っていった。木村は逃げたのだろうと思う。 | |||
「審査結果、書類や文書の不備がいくつかありましたが、それらについては是正をしていただくということでよろしいですね」
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「是正完了後に認証するかどうか御社内部での会議にかけるということですね」
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「そうです。まあ是正と言っても文書だけですから10日もあればできるでしょう。ウチは受領すれば1週間くらいで処理いたします。登録証はイギリスから来ますので半月ほどかかるでしょう」
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「承りました」
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「それで認証範囲のことですが・・・」
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課長がお前の責任だという顔をして木村を見た。その瞬間に木村はアイデアが浮かんだ。 | |||
「ええと・・・それについては説明を失念しておりました。我々は静岡工場で製造したものの認証を受けようとしておりましてそれはISO9001で問題ないと思います」
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「でも外部で製造したものもここで検査をして輸出しているわけですね」
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「それについては今回の登録範囲外であると考えていただければよろしいと思います。確かに今回依頼した範囲には下請負契約者の評価や購入検査において完成品調達についてありませんが、それは今回審査を受けている認証範囲外と考えているからです」
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「わかりました。ということは欧州に輸出する場合、完成品購入分については別途ISO9003の認証を受けるということでよろしいですね」
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「いや、将来を考えるとISO9003という選択はよろしくないかと考えます」
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「というと?」
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「その工場から直に輸出することも考えると、委託先そのものがISO9001あるいはISO9002の認証をするのが筋ではないでしょうか。欧州の規制は輸出元がISO認証をしていることではなく、製造工場がISO認証していることが要求だったと思います」
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「ああ、なるほど、おっしゃる通りです。今御社がISO9003も含めて認証しても一時しのぎということになりますね。4.6.3c)項の要求から考えてもいずれは製造者に対してISO認証を要求することになるわけでしょうし・・いやおっしゃるとおりです。 では今回の審査結果、文書と記録に軽微な不適合がありそれの是正を確認した後に認証ということになりますね」 | |||
ということで木村はタスクを果たしたのだが、その木村の活躍は認められなかった。課長は不適合があったのは木村の不適際であると考えていて、認証したことは当然というか特段難しい課題ではなかったと認識していた。 また審査のときの木村の説明を聞いた本社の友保は、それは自分が考えて木村に教えたことだと語った。それがまわりまわって木村の上司の耳に入り、木村の評価は下がる一方だ。 そんなことで木村はやる気がない。 ISO認証して二月ばかりして木村は課長に呼ばれた。どうせろくなことではないだろう。 | |||
「今回の人事異動で木村君には関連会社である駿府照明株式会社に出向してもらうことになった」
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木村は一瞬耳を疑った。異議を唱えようとする前に課長の話はまだまだ続いた。 | |||
「実を言ってISO認証では非常に残念だった。本社からは友保君の指導に従わず不適合を出したという苦情が来ている」
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「それは・・・事実と違います」
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「何を言っているんだ。なんで本社の指導を素直に受けなかったのかと私は部長からお叱りを受けている。本社の友保君は言われた通り実行してくれれば問題がなかったものをと嫌味を言われてだねえ〜 あのさ、今回のISO認証指導として本社には150万も払っているのだぞ」 | |||
そのあとの言葉は木村は聞こえなかった。友保は良いとこ取りの卑怯者だ。問題が起きれば逃げるし、成功すればその功は自分にあるという。俺は無実の罪をかぶせられて追放か。もうこの会社ではおしまいだなと木村は思う。 ●
半月後、木村は出向した。静岡から在来線で1時間半、駅から更に8キロあり、通勤するのは大変だ。引っ越すとなると、子供たちは高校進学を目の前にしていて転校したくないというし、パート勤めしている妻も引っ越しを嫌った。● ● かくて木村は工場の近くにアパートを借りて単身赴任と相成った。ISOも木村の起死回生の機会になるどころか更なるダメージを受けただけ。人生はこんなものだと思うものの、いつか友保に恨みを晴らしたいという気持ちはある。 |
おばQ様 審査員物語番外編49を読んで思い出した事がありますのでお便りします。 私は平成3年に社会人として働き始めましたがその次の年にISOというものを知りました。当然、社会人になったばかりで品質に関する知識などまったくありませんでした。 そこへヨーロッパで物を売るために必要だという理由でISO9001を取得するという指導がありました。 私はその時Y県にあった会社に勤めておりました。 当時の記憶ではF社が日本で最初に取得したと言っていたと思いますが記憶が曖昧です。そのF社から指導を受けてISO取得を目指すということで活動が始まりました。その一連の活動の中で印象に残っている事をお伝えします。 当時、MTBF(今はもう死語かもしれませんが・・・)用のデータとして設備のチョコ停の回数を記録していたのですがその記録用紙の記載方法について大幅に変更しました。 @ 名前はサインにする。→印鑑はダメ A回数記録は縦棒4本に横棒1本にする。→正の字はダメ また、方針は名刺サイズのプラスチック板に印刷されたプレートを全社員が常時携帯することを必須とされました。 ほかにも手順書についての指導もありましたが、ちんぷんかんぷんだった事を覚えています。 社会人に成りたての僕はこれがISOなのかとびっくりした記憶があります。 審査員は外国人でしたがその周りに大勢の日本人が取り巻いていて上よ下への大騒ぎだった事を覚えています。 今考えるとなんて馬鹿な事をしていたのかと思いますが初期の頃は取得を目指す側が要求事項などを理解できずに進めていたような気もします。 毎回更新を楽しみにしております。 今後ともよろしくお願いいたします。 |
Y様 毎度ありがとうございます。 平成3年に審査を受けたとおっしゃると、私より1年先輩になります。最初に認証した企業に指導を受けたとは、まだ先行事例が少なく大変な苦労をされたことでしょう。何事も先行事例が積み重なると真似ればすみますからね。 当時は審査側も受査側も、暗中模索、五里霧中、出たとこ勝負の試行錯誤でしたねえ〜(遠い目) 私もY様がおっしゃったことを一通りたどった記憶があります。今から見るとアホらしいの一言ですね(脱力です)。 私のつまらない経験ですが、「市場クレームの記録がない」と審査員がいうので、「市場クレームはありませんでした」とこたえると、「中身がなくてもファイルがないと不適合だ」と怒鳴るので、目の前で新品のキングファイルの背表紙に「市場クレーム」と書きました。それを広げて「過去、市場クレームはありませんでした」というとOKになったという、アホというかバカというか?? 「名刺サイズのプラスチック板」 ええ!それはすごい、私の場合、審査員にカードを作れと言われたのでしょうがなく、夜中にA4サイズに表裏プリントしてハサミで切って数百枚作りました。翌朝審査員が来るまでに配りましたが、あれに何か意味があったのでしょうか?? その1年後、タイで審査を受けたときは方針なんて周知すればよいんだとなにもしませんでした。まあ最後の最後に社長が気弱になってA3サイズの紙にプリントして壁に張り出しました。それも3か所だけでしたけど。 もし25年前に戻れるならもう一度審査を受けてみたいですね。当時なら天下無敵になれるかも! |