異世界審査員9.上野登場

17.07.27

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。

異世界審査員物語とは

技術コンサルというお仕事はいつ発祥したのだろうか。品質改善とか作業改善とかいろいろなキーワードでネットや書籍を検索しても、見つかるのは戦後のものばかり。技術コンサルとして有名な西堀栄三郎も敗戦後に転身を図ってからのこと。
戦前、それも明治末期とか大正初期となるとまず見当たらない。そもそも作業管理についての研究とか指導したというケースが非常に少ない。
外国を見ても、フランスのファヨールは19世紀末だが、彼は作業というよりも経営や管理レベルのようだし、そもそも経営者だった。
アメリカで科学的管理法のテーラーが活躍したのは1911年以降、作業研究のギルブレスは1915年以降である(注1)。日本では、能率とか改善を唱えた上野陽一の活動は概ね1920年以降である。
ちょっと思い出してほしい、バーニャ付きノギスが欧米で使われ始めたのが1915年頃、日本で1930年頃でした(注2)。作業改善とノギスは直接関連ないでしょうけれど、工業のすそ野が一定レベルに向上すると管理や改善が可能になるのでしょうか。
つまりそれまで産業は条件整備が間に合わず、物を作る、物を売ることがやっとの時代であり、それを効率的に行うところまで進めなかったのかもしれない。言い方を変えればそういうことを要求する段階まで進んでいなかったのかもしれない。

ちなみに上野陽一は産業能率大学の創立者である。私は半世紀前、産業能率短期大学の通信教育を受けた。そこで会社の仕組み、仕事の仕組み、責任権限、改善といったことを学んだ。親や高校が教えてくれなかった、会社の基礎知識を学んだと考えている。産能短大で学んだことは、私のそれ以降の人生においていつも判断や行動の規範になった。
現代の日本において上野陽一がそれほどというか全然有名でないのが悲しい。少なくても西堀栄三郎以上の評価を受けて当然じゃないか?
そして日本の産業革命黎明期の改善とか作業管理の研究をしてほしい。それは今後の日本産業に役立つと思う。現代では大野耐一など世界的に名の知られた人もいるのだから、日本における作業改善、業務改善、品質改善といった歴史の研究と体系化を図ってほしいと願う。それがものづくり立国としての矜持だろう。

関係ないことだが: 上野陽一が作業能率を研究したのが1920年、私が産能短大(当時は大学ではなかった)で学んだのが1970年、そして今2017年。私が学んだのは作業研究の黎明期と現在の中間になってしまった。私がいかに古い人間か、もとい、私の人生は既に歴史になってしまったのだと感じる。


練兵場が竣工して伊丹は新世界技術事務所に戻ってきた。常傭の仕事はなくなったが、最近はいろいろな依頼がくるようになった。
真っ先に来たのは財閥系大手ゼネコンからのもので、練兵場建設の工程管理をみて大規模な工事における日程管理方法について講義をしてほしいという。吉本社長は伊丹君頼むよと言って伊丹に丸投げだ。
砲兵工廠の木越少佐からは遊びに来いと声がかかっている。仕事の話ならうれしいが、伊丹引き抜きの可能性もあり、ちょっと怖い。
そのほかに森広鉄工所や岡本染色などから話を聞いた中小の工場から、一度工場を見に来てほしいという声がいくつもかかっている。
吉本社長は当面はこういったコンサル業で食いつなぎ知名度を上げようという考えだ。
伊丹としてもそれに異議はないが、それなら吉本社長も自らコンサルをするか、逃亡した石田マネジャーの代わりを補充してほしいと意見具申した。吉本は、わかった、わかったというが、動いてくれるのかどうかいまいちわからない。
まあ急ぐ状況ではないから当面様子見のつもりだ。

伊丹がゼネコン用のテキストを作っていると工藤番頭が顔を出した。
工藤番頭
「伊丹さん、ちょっとお話しできませんか?」
伊丹審査員
「どうぞ、どうぞ、」
工藤番頭
「ちょっとナイショなんですがね」
そういって工藤は会議室に伊丹を連れていく。
工藤は南条さんにお茶を二つ頼むよと声をかける。ということは長引く話なのだろうか。
南条さんがお茶を持ってくるとドアのカギを閉めた。それほど重大な話か?
工藤番頭
「以前、伊丹さんにこちらの人を育成したいというお話をしたことがありましたね」
伊丹審査員
「覚えています。工藤さんがISO規格を勉強しているとおっしゃってたから、工藤さんご自身がコンサルになりたいと思っていました」
工藤番頭
「ゆくゆくはそういうことをしたいという希望はあります。今日の話はそれとは別で、私の一族で優秀なのがいましてね、皇国大学に入り心理学を学んだのですが、それを生かして企業の作業能率を上げようと考えています。大学を出てからは横浜の専門学校で産業能率論というのを教えています。そいつを採用してもらいたいのです」
伊丹審査員
「皇国大学を出て産業能率論ですか、優秀なんですねえ〜」
工藤番頭
「いえいえ、こちらの世界でのことですから伊丹さんの世界からみたら・・
まあ、そういうことで社長に話してもらえないでしょうか」
伊丹審査員
「工藤さんが社長に話せばいいじゃないですか」
工藤番頭
「それらしいことは言ってみたのですが、石田さんにもう一度チャンスをやりたいということでした」
伊丹審査員
「へぇ!石田さんですって?  驚きですね。それには納得いかないなあ〜
混乱の極みにあったとき逃げ出して、ある程度落ち着いたらって!そりゃ虫が良すぎます。お断りですよ」
工藤番頭
「たいていはそう思いますよね、どうも社長はそういう意向のようです」
伊丹審査員
「まあ石田さんはないとしても、元々の発想が向こうの会社の仕事不足解消だったのだから、向こうから人を引っ張ってくるのがスジなのだろうけど、それが石田さんとは・・」
工藤番頭
「伊丹さん、我々から見たら向こうの人のために仕事を確保することにメリットはありません。この事業は上の方が受け入れを決めたので、私は最大限協力しています。しかし、この事業によってこちらの世界というか、この扶桑国が良くならないとうれしくありません」
伊丹審査員
「そのお考えは分かりますよ、というかそれが正論ですよね。
話を戻しますが、その工藤さんの推薦する人物に一度会ってみたいのですが」
工藤番頭
「来週でも講義のないときに来てもらいましょうか」
伊丹審査員
「そうしてください。私は一度社長に会って本意を確認しましょう。というか今聞いてみますわ、」
工藤番頭
「じゃあ、一旦解散としましょう」
また、ここで働かせて
もらうから
よろしく頼むわ

石田
石田である
伊丹は部屋を出て社長室に行く。ノックして返事が返ってくる前にドアを開けた。
応接セットで吉本社長と石田マネジャーが向かい合って座っている。
伊丹審査員
「あれえ!石田マネジャーどうしたのですか?」
石田は苦笑いをしながら言う。
石田マネジャー
「またここで働かせてもらうからよろしく」
伊丹審査員
吉本取締役
「私はずっと石田君に来てくれるように声をかけていたんだ。石田君もやっと決心してくれた。明日から出勤してもらう」

伊丹はいささかムッした。石田が来なかったのは一日二日ではない、もう半年以上経っているのだ。その間、慣れない世界で慣れない仕事をしてお金を稼いできたのは伊丹である。吉本も会社のお金の心配をしてきたとは思うが、伊丹がいなければとうに新世界技術事務所は潰れていた。
伊丹審査員
「社長はそれをよしとされるわけですか?」
吉本取締役
「エッ、伊丹君は反対なのかい?」
伊丹審査員
「当然です。石田さんはここに来たのは初日だけです。何ら貢献していません。
社長よく考えてください、今まで私が稼いできたのですよ。そしてなんとかこれからの見通しが立ったと思ったら石田さん登場ですか!
身勝手すぎる、私は石田さんの受け入れに反対です」
吉本取締役
「オイオイ、仲間じゃないか。快く受け入れるべきだろう」
伊丹審査員
「じゃあ、伺います。社長と石田マネジャーは、明日からどんな仕事をしてお金を稼いでくれるのですか?」
吉本取締役
「石田君には例のゼネコンへの講習を担当してもらう。そうだ伊丹君や、教育資料は早急に完成して石田君に渡してくれ。彼も予習をしておかないとね、
そうそう、それから砲兵工廠もこれからは石田君に担当してもらう。先方から顔を出せと何度も言われているので、明日にでも石田君を連れて木越少佐へ挨拶に行くつもりだ」
伊丹審査員
「そういったものはすべて私が考えて実行してきたことじゃないですか。
それを横取りして社長と石田さんがやるわけですか?」
吉本取締役
「なにか問題か?」
伊丹審査員
「そういうことを全部考えてやってきたのは私ですよ。私は納得できません」
吉本取締役
「君には新規顧客を開拓してもらうから」

伊丹は脱力して斜め上を見た。まったくこの二人は何を考えているんだろう。呆れたとしか言いようがない。

伊丹審査員
「今のお話を伺って気が動転してしまいました。ちょっと頭を冷やしたいので失礼します」

伊丹は事務所に行って工藤を探した。工藤は帳面をめくってソロバンをはじいている。
伊丹審査員
「工藤さん、ちょっとお話ができますかね?」
甘味処の旗
工藤番頭
「いいですとも、甘いもんでも食べに行きましょう」
二人は新世界技術事務所から数分のところにある、甘味処なんて吊り下げ旗が出ているところに入る。
工藤番頭
「おねえちゃん、お茶とあんみつ二つね、
伊丹さん、さきほどの社長との口論、声が大きくて外からも聞こえましたよ」
伊丹審査員
「工藤さんのお知り合いを雇う話までいきませんでした。もっとも石田さんが来るなら誰かを雇うはずはありませんね。
しかし呆れましたね。吉本さんは今まで深い付き合いはなく、彼の人となりというものを知らなかったのですが・・」
工藤番頭
「今まで伊丹さんが一人で頑張ってきたのに、さぞかしばかばかしいと感じたことでしょう」
伊丹審査員
「おっしゃる通りです。これから石田さんがゼネコンの担当だそうです。あげくにそのテキストを早く作って石田さんに提出せよと・・畑を耕して実がなるかと思ったらトンビにさらわれたと・・
今回の話はこちらの一族の了解を取り付けていることなのですか」
工藤番頭
「いやあ、そんな細かいことまで双方の同意が必要なんてことはありませんよ。吉本社長の裁量範囲でしょう」
伊丹審査員
「さきほど工藤さんはこの事業は我々の仕事確保じゃなくて、こちらの世界を良くするためだとおっしゃいましたよね」
工藤番頭
「言いましたね」
伊丹審査員
「そいじゃ私にこの事業の責任者にするようにお宅の一族に話をつけてもらえませんか」
工藤番頭
「なるほど、クーデターというか乗っ取りですな」
伊丹審査員
「工藤さんの考えからすれば、乗っ取りではなくむしろ正統性を主張できるでしょう」
工藤番頭
「確かに・・・しかし伊丹さんとしては向こうでの立場もしがらみもあるでしょうから、簡単にそうもいかないでしょう。それとも向こうの世界と縁を切るおつもりですか。
それと、このくらいのことで、こちらの一族が吉本一族と縁を切るとは思えません」
伊丹審査員
「そうでしょうねえ、吉本一族とのつながりは何百年もあるのでしょうし
しかしなぜ吉本社長は石田さんに入れ込んでいるのだろう?」
工藤番頭
「あれ、ご存じなかったですか。石田さんは社長の娘婿だそうですよ」
伊丹審査員
「へえ〜、それじゃ見捨てるわけにもいかないか」
工藤番頭
「まだお昼前です。仕事する気分じゃないでしょう。このまま横浜まで行きませんか?」
伊丹審査員
「横浜?」
工藤番頭
「言いましたでしょう。伊丹さんの弟子になりたいって言っている奴を見に行きませんか。多分、専門学校で講義をしているはず。本人と話をしてくれたらうれしいですね」
伊丹審査員
「そうですね、ウジウジしていてもいけません。ひとつ気分転換に小旅行としゃれますか」


汽車、汽車、シュッポシュッポ

1872年、新橋から横浜まで開通したとき53分かかった。それから30年後のこの物語のときは少し速くなっていただろう。ちなみに2017年は鈍行で22分である。
横浜駅で降りて10数分歩いて小規模な学校に着いた。

工藤番頭
「私は何度か来ていますので勝手は知ってますよ」

工藤は何も気にせずに校舎に入りいくつか教室の中をのぞいて、ああここだ、といいながら戸を開けて中に入った。
伊丹は大丈夫かと気になったがその後に続いた。

若い大学を出たばかりという感じの青年が講義している。伊丹は耳をすまして聞き入った。概要は現場管理の実践的なことであった。内容的には伊丹が学生時代あるいは社会人になってから聞いたことがあることばかりだったが、
上野
若いときの上野陽一に
似せたつもりですが
100年も前にそういったことを教えていることに驚き感動した。
仕事を命じるときは、作業者任せにするのではなく、目的を示し実施手順を教えないと期待した成果はでない、指導と管理が重要であると語っている。ちょっと染屋のことを思い出した。この青年ならあのときどんなことをしただろうか、見てみたいものだ。
また常に状況を監視して適切なフィードバックをかけろという。
「測定なくして省エネなし」なんて元の会社の同僚が言っていた。節電しようにも、どの設備がいかほど電気を消費しているかを把握してないとなにもできない。俗に温度設定を28℃にしろというが、それにどんな根拠があるのか伊丹は知らない。例えばエアコンとエレベーターや照明などの消費電力比較はどうなのか。エアコン温度を28℃にするのと、エレベーターを1基停止する費用対効果を考えたのか。室温を上げることによるプラスとマイナスは天秤にかけたのか。室温を28℃以下に設定すれば仕事がはかどり、残業が減るかもしれないとその同僚は言っていた。伊丹はそんなことを思い出していた。

二人が入ってから10分ほどでチャイムが鳴り授業は終わった。学生が出ていくと同時に講師が二人の所に歩いてきた。

上野
「伯父さん、驚きましたよ、どうしたのですか?」
工藤番頭
「アハハハ、すまん、すまん、伊丹さん、こちらが家内の甥の上野陽二です。陽二、こちらが先日話した伊丹さんだ。伊丹さんは改善などの指導をしている」

伊丹は上野陽二という名を聞いてハッとした。向こうの世界では日本の作業研究(当時は産業能率と呼んでいた)の草分けで、戦後も活躍した大御所ではないか。こちらは異世界とはいえまったく歴史の流れが異なることもなかろう。

上野
「これは光栄です。伊丹さんのお話は伯父から何時も聞いております」
伊丹審査員
「私こそ、能率研究の権威にお会いできて光栄です」
上野
「何をおっしゃいますか、権威どころか、そういう仕事に就きたいと希求している若輩に過ぎません」
工藤番頭
「ここではなんだ、お前はまだ講義があるのか?」
上野
「いや今日はこれで終わりです」
工藤番頭
「そいじゃちょっと話をしたいのだが」

上野が会議室に案内する。

工藤番頭
「陽二よ、先だってのこと俺が働いている新世界技術事務所で修業をしたいって言ってたが、あれは今も変わりはないか?」
上野
「できるならぜひともと考えています」
工藤番頭
「正確に言えば新世界技術事務所というのは能率改善ではなく品質改善を指導しているのだよ。まあまるっきり見当違いでもないか。
それと実は今ちょっとゴタゴタしているんだ」
上野
「ゴタゴタって何ですか?」
工藤番頭
「開設して半年だが今まで苦労してきた伊丹さんをないがしろにしているってことだ」
上野
「伊丹さんがいなければ会社は動かないのでしょう?」
伊丹審査員
「そんなことはありません。困ることは困るでしょうけど」
工藤番頭
「どうだ、お前、伊丹さんと二人で事業を始めるつもりはないか?」
上野
「ぜひとも、伊丹さんのそばで仕事をしたいです」
伊丹審査員
「工藤さん、私が独立したとしてお宅から支援が受けられるのでしょうか?」
工藤番頭
「支援というと?」
伊丹審査員
「新世界技術事務所と同様のことですよ。施設の確保、工藤さんや南条さんのような方の手配、顧客の紹介、
もっとも私はこちらの事業から出た利益を向こうの世界にもっていくという考えはありません。私が食べていけて、この世界の進歩に貢献出来たら満足ですが」
工藤番頭
「奥さんがいるでしょう?」
伊丹審査員
「こちらに来た時も申したと思いますが、近々家内もこちらに来るつもりです。実を言って家内には正直に仕事のこと、異世界のこと、おっと、上野さんの前でよろしいのかな?」
工藤番頭
「いずれ彼には説明しなければなりません。大丈夫です」
伊丹審査員
「そうですか、安心しました。まあそんなことも話しましたが、家内は日常生活が不自由でもこちらで暮らしたいということでした」
工藤番頭
「どうしてでしょう?」
伊丹審査員
「向こうの社会はあまりにも忙しい、ゆっくりした時間で生きていきたいのでしょうね。
私自身、猛烈社員でして寝る以外は家にいませんでした。もう子供たちも巣立ってしまいましたが、小さなときに一緒に遊んだ記憶がありません。これが幸せな人生とは言えないでしょう」
上野
「それじゃ能率を上げようとするのはまずいことなのでしょうか」
伊丹審査員
「うーん、自然の摂理として高効率を目指すのが必然でしょう、それに背を向けることは敗北でしょうね。そもそも人生というか生きていくことってスタティックではなくダイナミックなのだと思います」
上野
「ダイナミックとは?」
伊丹審査員
「私が思うだけですから信じないでくださいよ。私たちの暮らしというものは個人でも国家でも、地面にしっかり立っているわけではない。例えればボートに乗って激流を川下りしているようなもので、ボートから降りることはできず岩にぶつかったり転覆しないようにひたすら櫂(オール)で漕いでなくてはならないようなものかと」
上野
「なるほどだからダイナミックか・・」
工藤番頭
「最近『不思議の国のアリス』という本を読んだのですが(注3)、『その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない』とかいうセリフがありましたね。読んでも意味がわからなかったのですが、解説に『生き残るためには変化し続けなければならない』とありました。走り続けるを変化だけでなく、努力とか改善とかいろいろ解釈できるでしょうけど・・・あれと同じですな」
伊丹審査員
「そういう社会にいるわけですから、改善とか能率向上を図らない人や社会は生存競争に負けてしまうように思います」
工藤番頭
「じゃあ伊丹さんの奥さんはどうなのかってなるのだが?」
伊丹審査員
「50年間忙しい生活をしてきたから、残りの20年くらいはのんびり生きても罰は当たらないかと。私自身も、もう猛烈サラリーマンをやめてもよいでしょう。言ってみれば隠居暮らしですよ」
工藤番頭
「伊丹さんと私で社長ともう一度話し合ってみましょう。もし吉本、石田の二人でやっていくというならたもとを分かつのも仕方ないでしょう」
伊丹審査員
「そのとき私はこの世界に来れるかどうかの問題が生じます」
工藤番頭
「二つの世界をつなぐ橋はいくつでも架けることができます。それはいいのですが、心配なのは吉本率いる新世界技術事務所と伊丹率いる新しい会社が競合することですね。餃子でも饅頭屋でも、本家だ元祖だっていう争いは珍しくありません」
伊丹審査員
「市場が大きければ問題は起きないでしょうけど、現在のようにお客さんがいないと問題ですね」
工藤番頭
「ここで悩んでも仕方ありません。社長と話してみましょうよ。
そいじゃ今日はこれで帰りますか。夕方までには事務所に戻れるでしょう。うまくすれば今日社長がつかまるかもしれません」


二人が事務所に戻ったのは5時前だったが、吉本社長と石田さんは既に帰っていた。
伊丹はあの二人はやる気があるのだろうかと不満だった。

うそ800 本日の懸念
ISO小説からカイゼン物語になり企業犯罪小説になってしまいそうな気がします。
なんとか最終的にISO物語につなげなければ・・・

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注1
「科学的管理法」F.W.テーラー、1961、産能大学出版部
注2
「ノギスの起こりと変遷」、(株)ミツトヨ、2017
注3
ルイスキャロルが「不思議の国のアリス」を書いたのは1869年であるが、日本で「アリス物語」として翻訳されたのは1908年で、まさにこの物語の時期である。
続編の「鏡の国のアリス」のほうがそれより早く翻訳されていたという記述があった。

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