日本の心 
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いつもご訪問あり
がとうございます。
私は自分を穏健であり中庸であると考えている。しかしトップページに日の丸を掲げているので、私を右翼だと思う方もいるらしい。一方お便りメールの中にはそれとは反対に、このホームページは不敬だとか、左だとか、もっと日本の心を持てなどと書いてあるのもある。
いったい私は、右なのか? 左なのか? 日本人なのか? 外国人なのか?・・・そんなことはないだろうが 
そんなわけで本日は、日本の心について愚考する。

日本の心とはなんだろうか? 日本人の心とはなんだろうか?
誤解を恐れないで発言するのが私のよい点である。(本当だろうか?)
私は、日本の心というのがあるのかどうか確信がない。日本の心とか日本人の心なんてのは実はないのではないか?と思う。
もし日本の心というのがあったとしても、それは俗に言われる、大和魂とか、天皇を敬うとか、そんなものではないと思う。
じゃあ、なぜ「日本人よ誇りを持て」などとタイトルを掲げているのか? とツッコミが来るのが目に見える。
それは、日本人とは日本に生まれてくると自然に日本人になるのではない。日本の心とは日本に生まれた人に自然発生してくるのではないからである。
だからこそ、日本人になりなさいと私は語っているのである。
人間は生まれたときは白紙状態である。日本人も中国人もない。赤ん坊から大人になるまでに、いろいろなことを刷り込みされて人格が出来上がる。スリコミが完了したときが大人になるときといってもいい。
その意味で血のつながった親よりも、幼少期に長時間一緒に過ごす学校の先生や友人のほうが影響は大きい。社会人になってからの上司や同僚、あるいは結婚して配偶者から受ける影響は小さい。
あなただって、配偶者にはお互いに研鑽し高めあう人ではなく、価値観が同じで安逸に過ごせる人を選んでいるのではないか?
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何言ってんです。
私に感化されたでしょ
「想像の共同体」という本がある。この本は、国家とは古来より自然に存在したのではなく人間が作ったものであり、国民ははじめから存在するのではなく国民に作り上げられたのであると語っている。
国家に限らす、人間だって同じである。人は生まれながらにして責任感とか、約束を守るような心を持ってはいないのだ。 人間というのは、こうあるべきですよと教えられることによって、そうなろうと努力し、なりきってしまうのではないか?
マンガ「家栽の人」で、主人公桑田判事は周りの人を「あなたはよい人だ、だからこうするよね」と言い聞かせそう思い込ませることにより、本人を動かしていく。当人が本当によい人かどうかは問題ではない。人を動かすとはそういうことなのだろう。
私の愛読書「宇宙の戦士」でも「人間には道徳本能など持ってはいない。訓練や経験を通じて道徳意識を身につけるのだ」とデュボア先生は語っている。
もちろん、ここでいう刷り込みとはおかしな思想とか宗教を信じ込ませることではない。
人間社会は約束事で成り立っている。日本には日本の不文律が連綿として存在している。特に日本は外国との交流が少なくある意味純粋培養されてきたといわれている。
日本に生まれ日本で暮らすからには、その日本の約束事を覚えお約束をまもらないと、浮いてしまうのである。そういう不文律・・・文化といっていい・・・を覚えさせることである。
実は先日、大阪に行った。お客様のところでいろいろと話をしたのだが、こちらの提案に対して、相手は「そうするのは大変だねえ〜」「わてらも忙しくてねえ〜」とか大阪弁でまくし立てる。
私は5月の鯉のぼりのように腹にいちもつのない、言行一致の人間なので「それならこうしたらどうですか?」「ここまでは妥協します」ということを話したのだが・・・
同行した方が私を止めて、「まあ、大変でんな」などと語ってそのまま辞去したのである。
オフィスを出た後、同行者曰く
「佐為さんは関東人だねえ〜、関西ではあれは了解したということなんですよ。ただ賛成ですと率直に言わないだけなんですよ」
あげくに「佐為さんは言い回しがアメリカ人だねえ〜」とアメリカ人にされてしまいました。
大阪弁とか東北弁というなまりの違いではなく、同じことを言っても同意しているのか、拒否しているのか理解するのは難しい。関西と関東のコミュニケーションには通訳が必要なようです。
日本人とか日本人の心というのははじめから姿かたちがあるのではなく、日本に住んでいる人たちが理想として思い描いたひとつの概念というかイメージであって、そうあるべしと教えられ期待されるものではないか?
そして、教えられた人はそのイメージを具体化しよう、そうなろうとして、その結果日本人になり日本の心を持つのではないか?

では、日本人はかくあれと示すような本はないものだろうか?


「日本の心」  小泉 八雲 goodbetterbest
出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
講談社 4-06-158938-51990/8/101200全1巻

この本は2年ほど前、わが師Yosh様から推薦を受けて買いました。
小泉八雲なんて中学か高校の頃でしょうか? 怪談とか旅行記などを読んだ記憶がある程度でした。
torch.gif でも、中に収録されているお話のほとんど何かでは聞いたこと、あるいは読んだことのある物語です。
一番思い出のあるのは『生神様』である。これは小学校のときに『稲村の火』というタイトルで教科書に載っていた。津波が来るのを知った名主が刈り取った稲に火をつけて村人を救う話である。

一度目にこの本を読んだとき、私はこんなのはきれい事だ、ラフカディオハーンが思い込んだことを書いたに過ぎない。本当の日本人はそんなものではないと思い共感できなかったのです。
私は出張のときは必ずカバンにニ三冊本を入れていくのですが、あるときたまたま未読の在庫がなくサイズが小さかったのでこれを持って行きました。そして読み返し、ああ、これは教科書なのだと気付きました。すばらしい生きかたとかあるべき姿を示して、読んだ人にこうなるように努めなさいと教える教科書であったのです。
Yosh様、私の未熟さをお許しください。



「修身の教科書」  小池 松次 goodbetterbest
出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
サンマーク出版 4-7631-9655-32005/8/11400全1巻

修身というと、現代人からは時代遅れ、日教組の方々からは憎しみの対象でしかないようです。
しかしね、この本、泣かせます。
何の先入観もなくご一読されることをお勧めします。もし、どのお話にも感動せずに読み終えた方には本代を払い戻ししましょう。
この本は、ズバリ、子供たちに日本人はかくあるべしと教え示す教科書です。
学校や家で、こんなお話を聞かせて、あなたは立派な人になるのよ、なれるのよ、と教え諭せばどの子供も目を輝かせ、向上しようとするに違いありません。
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おっとその前に、学校の先生に、あなたは立派な先生になるのよ、なれるのよ、と教え諭さねばならないのかもしれません。 



本日の誓い

私は、
 よき日本人になることを誓います。




大国主命様からお便りを頂きました(05.12.03)
どうも、管理人さん。大国主命であります。
二宮金次郎早速、修身の教科書を購入し、15分で読み終えました。
小生、日本人としての心構えが全く出来ていなかったことに気がつきました。歴史を学んだだけでは、反日国に打ち勝てないと、考えさせられた次第です。
小生が卒業した小学校には、今も二宮尊徳像があります。
「報徳」という文字があります。昭和15年、皇紀2600年を記念して当時の村の有志たちがなけなしの金で作った銅像であります。
アメリカ侵略軍による破壊を免れるために、高く盛り土をし、百葉箱を上に建てカモフラージュしたのです。
昭和27年になって再び土砂を掻きだして、再び銅像を地上によみがえらせたのです。銅像の頭上には、わずかにへこみ傷がありますが、百葉箱を建てた後、暴虐にもアメリカ兵が試しにハンマーで深々と打ち込んだという話も地元のご老人より聞き及びました。
このようにして守り抜いた銅像は、小生のいや、そこに住む者たちにとっての至宝といって過言でありません。ただ、小生の母校も、過疎化によってあと10年で閉校とささやかれております。学び舎がなくなっても、二宮尊徳像と「報徳」だけは何が何でも死守したいと考えております。

大国主命様、すばらしい!
私の小学校にも同じような二宮金次郎像がありました。
今はどうなったのでしょうか?
しかし大国主命様の地では、尊徳像を守るためにかようなことをされたとは真に涙でございます。
日本のこころは自然発生的あるいは自発的なものではないと思います。
だからこそ、我々は日本のこころを伝えねばならないと思うのです。
お互いにがんばりましょう。


萬太郎様からお便りを頂きました(05.12.13)
萬太郎です。
本日、『修身の教科書』を会社の帰りに買おうと思いました。
前から読もう、読もうと思っていたのですが・・・。

日本人の心・・・「母国を思う心」と言い換えてもいいのかな? と、ふと思いました。
一方、半島の人は複雑でしょうね。母国と思いたいけど、別の食える国に行きたい、というジレンマ。もっとも、その半島が良いという人もいるのだから、「蓼食う虫も好き好き」ですね。
まは、アサピがなんと言おうと、半島よりは日本のほうが断然いいです。

さて、午後の仕事も前向きにがんばってまいります。 m(_ _)m

萬太郎様、毎度ありがとうございます。
どこに生まれようと、自分の故郷が最高と思うであろうし、どこに移り住んでもこころのあるところだと思います。
日本に生まれれば、日本の状況・・・経済であろうと、政治であろうと、治安であろうと・・が悪くても、やはりそこが一番好きであるはずと思います。
自分が生まれた国をおとしめることが大好きな人、大好きな新聞、大好きなテレビ局・・いやはや、驚くというか困り果てます。
おっしゃるとおり、前向きにがんばってそいつらを叩きのめしましょうか 


萬太郎様からお便りを頂きました(06.02.12)
萬太郎です。ひさしぶりにお便りします。
先週、なんとか環境ISOの審査(「認証機構」による…審査)を終え、あらためて「環境ISOってなんだ?」という疑問、「せめてこういう取組みは必要かもしれない」という方向性なり、を感じることができました。
おっと、今日はISOの話ではありません。
左為様のサイトで知った「修身の教科書」の話です。
いつだったか、サイトの中で紹介されていた「修身の教科書」。買おうと思っていながら、なかなか購入しなかったのですが、先日、近くの図書館で見つけました。2回読みました。で、「修身」のどこが軍国主義につながるのか? という素朴な疑問を覚えました。
萬太郎は中学生の時、共産主義の社会科の教師から「修身という科目が軍国主義を助長した。だから戦後、廃止された」といった事を教えられました。でも、それを納得し、信じたわけではありません。幼少の頃から母親の寝物語として「修身」の本の中に書いてあった内容を聞かされていたし(その頃はもちろん、「修身」という言葉は知らなかった。今回読んでみて、母親に聞かされた話がいくつか見当たり、「ああ、修身で覚えた内容を聞かしてくれたんだなあ」と思いました)、成績優秀だった叔父が、褒美として毎年、修身の教科書を学校からいただいていたことなどを聞かされて育ちましたので・・・。
とはいっても、心のどこかに「修身」に対する偏見を作ってしまったことは否めません。教師の存在恐るべし、です。
で、今回、2回読んでみました。驚きました。
「軍国主義」? そんな片鱗はどこにも感じることができませんでした。(-_-;)
まともな教科書ではありませんか。できることなら、小学生の時にこんな教科書で勉強をしたいと思いました。
悲しくなりました。どこが軍国主義なんですか!? まともじゃないですか。世界の中で笑われない国際人をめざそう。尊敬される日本人になろう。と、書いてあるだけではありませんか。(ー~ー)
今回読んだ本は、数ある「修身」の中からのダイジェスト版のようなものらしいので、もしかしたら「軍国主義」を植えつける性格をもっていた部分もあるのかもしれません。全て読んだわけではないので、そのへんはなんともいえません。でも、今回読んだ限りでは、まともな教育を日本はしてきたのではないかと思います。まあ、戦時下では富国強兵の色彩が強い内容になっていたこともあるかもしれません。でも、もしそうであったとしても、それは一時的なことでしょう。基本は、世界に恥じない日本人を育てるための教育として使っていたと思います。
萬太郎は現在、いくつかの勉強会のサークルに所属していますが、本日もサークルの勉強会があって参加してきました。
その勉強会の中で、この「修身の教科書」をPRしてきました。「借りてでもいいです。買ってもいいです。とにかく読んで下さい。そして、子どもに、孫に、将来の日本を担う若い人に読ませて下さい」とPRしました。
世界の国々から笑われないように、尊敬されるような日本人になるように、小さいうちから教育しなければなりません。40年前にこの本を読んでいれば、萬太郎ももう少しまともな日本人になれたかもしれませんね。
(^_^;)
風邪が流行っています。ご自愛下さい。
左為様のご健康とご活躍をお祈りいたします。m(_ _)m

萬太郎様 毎度ありがとうございます。
修身の教科書は何度読んでも、心が洗われるというかすがすがしい気分になります。
本には元気付けてくれる本、気分を高揚させる本、嫌な気分にさせる護憲主義者の本などいろいろありますが、これは神社におまいりしたときのようなこころよい緊張感を感じます。
修身が廃止されたのは軍国主義とは関係ないのではないでしょうか?
修身とは日本の心を持たせる物語であるのなら、それこそ日本の心を失わせるために廃止したのではないでしょうか?
それがアメリカと戦後民主主義者、共産主義者の目的が合致して・・・ということではないのかな?と推測します。
もちろん私は歴史的経過を調べたわけではありません。あくまでも推測です。
でも、これからでも復活することはできます。
日本の心を取り戻すために


日出づる国の平社員様からお便りを頂きました(08.03.25)
正しい日本人はどっち?
ごぶさたしております。今日も、日本人とはどうあるべきかを考え過ごしています。今、櫻井よしこ氏の「日本よ、つよき国となれ」と小池松次氏の「修身の教科書」を同時に読んでいます。
つまらないことですが、せっかく読書しておりますし・・できれば私の私生活において役立てたいと考えます。上記の「日本よ」と「修身」に書かれていることを実行した場合、日本人として正しいか考えてみました。
(問1)弊社の営業が、法人天下り関係者A氏から「今まで世話してやったのに、恩を仇で返すのか」と言われたそうです。下記は日本人として正しいと思われる対応を記述したものです。あなたの意見を述べなさい。
(答1-1)「日本よ」を参考にしたなら、相手の威嚇(恩を仇・・)に屈することなく、当該法人を通さずには仕事ができない仕組みであることを非難し、相手の譲歩を引き出す。(現実には私はクビになるでしょうね!)
(答1-2)「修身」を参考にしたなら、どんなに罵られても、「今に見とれ!」の精神で頭を下げ続けガマンに我慢を重ね、立派な人間を目指す(笑)。

この問の場合、私的には「修身」を参考にした方が武士というか・・親父というか・・将来背中が大きい人になれるように思います。比べる本が違いますか?もっと早く言ってください。

日出づる国の平社員様 お便りありがとうございます。
いや、この世は義理と人情、しがらみとからみあって生きていかねばなりません。まあ、一筋縄、いえ一筋に生きていくことなんてできそうありません。
しがらみと打って変換しましたら「柵」となりました。
ここは「修身」の精神と「日本よ」の意図を汲んで、やわらかくしたたかに意志を通すということでいかがでしょうか?
できっこない!なんて言わないで、できっこないのをやり遂げないとこの世を生きていけません。

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