福本 武久
ESSAY
Part 1
 福本武久によるエッセイ、随筆、雑文などをWEB版に再編集して載録しました。発表した時期や媒体にとらわれることなく、テーマ別のブロックにまとめてあります。
 新聞、雑誌などの媒体に発表したエッセイ作品は、ほかにも、たくさんありますが、散逸しているものも多く、とりあえず掲載紙が手もとにあるもの、さらにはパソコンのファイルにのこっているものから、順次にアップロードしてゆきます。
わが小説の舞台裏……さまざまな出会い
初出:雑誌「新刊ニュース」(東京出版販売)1986年8月号  1986.08

 わが小説のバックステージ


 実在の人物をテーマにした長編小説をいくつか書いてきた。
 親しい友人たちほ、ぼくの顔を見ると、きまって、「おい、あれはどこまでが事実で、どこまでがフィクショソなのだ?」
 と、たずねかけてくる。
 かれらはストーリーを面白くするために、やたらフィクショソで味つけしていると思っているらしい。
 作品の出来栄えよりも、小説書きのバックステージに興味を持つのだからこまりものだ。
「フィクショソといえば、全部がフィクショソだし、事実といえば全部が事実だ」
 面倒くさそうにぽくが言うと、かれらはきょとんとしている。
 ぼくにしてみれば、そのように答えるしかないのである。
 もちろん事実にもとづく小説だから〈史的事実〉は踏まえているわけだが、できあがった作品のなかでは、はっきり色分けできなくなっている。
 小説書きとしてのぼくの興味は、あくまで人間にある。その人物が、人間として、いかに生きたかという一点につきる。取材や資料探しのときに、よく研究家にお会いするが、興味の持ち方がずいぶんとちがうなあと思う。
 研究の場合は、どちらかというと、解剖学的である。あくまで〈事実〉にもとづく分析に重点がおかれる。だから研究テーマというものは、視点さえ変えれば無限にあって、これで終わりというものはない。
 小説は一回性の形象作業である。その人物を生身の人間として、くっきり浮かび上がらせることに全力をあげる。
 年譜的〈事実〉などは、主人公の生きた足どりを追体験する手がかりにすぎない。むしろ血肉ある人物として、いかに蘇生させるかにウェイトをおく。そこにフィクショソの要素がからんでくるのである。
 対象とする人物を描き切るためにはダミーが必要である。ぽくは主人公とする人物の趣味・嗜好、生理感覚さらこはモノの感じかたから、さりげない癖にいたるまで、自分なりに理解しようとあれこれ思案をめぐらす。
 やがて、ぼくのイメージ化した主人公が体内に棲みついてしまう。すると、筆はひとりでに進みはじめる。
 あとは付かず離れずで、ダミーを追ってゆきさえすればいいが、あまり接近しすぎてはいけない。だからといって距離を取ってもいけない。後姿を見失ってしまうと、もう書き進めることができなくなるからだ。つねに適度の距離を保つには、かなりの集中力がいる。神経が疲れる作業である。
 小説を書いている間、自分では意識しないが、周囲の眼からは、異常にみえることがあるらしい。顔つきまでいつもとちがっているとさえ家人は言う。
 食べ物の好みが急に変わってしまったり、無性に人恋しくなって、やたらと電話をかけまくったりすることは、しょっちゅうで、急に涙もろくなったり、猜疑心が強くなったりすることもある。周囲の者は、ずいぶんと面食らっているようだ。
 そんなぼくを見て、一人ほくそえんでいるのは、編集担当者だけである。
 ナーバスになっているぼくを見るたびに、作品ができつつあるな……と、直感するという。それはやはり、ぼくの体内に別の人間が棲みついていて、折りに触れて顔をのぞかせるからだと思う。
 だから小説を書きあげたら、一時もはやく体内から出ていってほしい。ぼくがイメージ化した主人公なのだから、それなりに愛着もあるのだが、居座られてもこまる。
 はなはだ身勝手な言い分かもしれないが、ぼくの興味は、もはや別のところに向っているのである。
 そんなぼくの冷淡さは、講演の依頼を受けて、たちまち裁かれる。ぼくは執筆が終ると、意識的に取材ノートや資料のほとんどを処分してしまう。本になるころには、その人物について、すっかり忘れてしまっている。
 ひとたび体内から脱け出た主人公を呼びもどすには、ものすごいエネルギーが要る。
 それに年譜でさえ全く憶えていないから、会場で研究者の顔を見つけると、冷汗が出てくる。
 たかが小説書きが研究者の前で、もっともらしい顔をするのも、なんだか面映ゆい。
 ……小説書きは、雑文であろうがエッセイであろうが全部小説なんですよ。これからお話しすることも小説かもしれません。 ――
 だからいつも、こんな前口上で開き直ることにしている。
 もしかしたら、この一文も……


目次
思いがけない出会い
京都新聞 (1978.06.18)
センチメンタルなつぶやき
京都新聞 (1978.04.24)
ことばの知らぬ子を持って 模索する父親の位置
朝日新聞 (1979.03.10)
親と子に架ける虹
雑誌「こどもの季節」(ブラザーショルダン社)1979年5月号 (1979.05)
ともに生きるということ 国際障害者年″にあたって
雑誌「地域福祉」(日本生命済生会)1956年1月号 (1981.01)
ボランティアの喜びとは?
雑誌「刑政」(財・矯正協会)2001年11月号 (2001.11)
わが小説のバックステージ
雑誌「新刊ニュース」(東京出版販売)1986年8月号 (1986.08)
神明社の葭子歌碑
広報誌「ところざわ」(所沢市)1986年5月5日号 (1986.05)
集中力に感嘆 煙る海に哀愁
京都新聞 (1988.09.07)
あれから二〇年
月報「太宰治全集」(筑摩書房) (1998.11)
駅伝の歴史と駅伝競走の黎明
雑誌「てんとう虫」(株式会社アダック刊)2010 January (2010.01.01)

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