天国のお姉ちゃんへ
40代女性
あの日の朝、貴方はいつものように、「行ってきます。じゃあね。」と元気に家を出て行ったきり、何処でどんな状態だったのか何も伝える事も出来ないまま一人きりで行ってしまいました。
パパか らお姉ちゃんが会社に着いてないと連絡があってから一日中みんな で捜してやっと見つかったのが夜中の12時近くでしたね。変わり 果てた姿で、ママは地獄に突き落とされたような思いでしたけれど、一人でよく頑張ってくれていましたね。
あんな時間まで一人で淋 しい思いをさせてごめんね。一度は止まってしまった心臓を、みん なに会うまでと頑張ってくれたのでしょう、きっと。
それにしてもどうして貴方が…。その事を考えるといつも涙があ ふれて止まらなくなります。
脳の移植手術が出来るものなら、ママの脳でも何でもあげたいと 思ったし、いつかテレビで見た超能力者を病院に呼んでいいものか と本気で先生に聞いたりもしました。最後まで諦めてはいけないと 奇跡を願って手足を摩りながら一生懸命話しかけていたママの声聞 こえていましたか? 聞こえていたんですよね。だから熱が40度 以上に上がっても、血圧が計れない程下がっても、必ず快復してく れたんですよね。
あれだけ頑張ったのに最後は、ママが付いていな がら本当にごめんなさいね。でも4週間本当によく頑張ってくれま した。
今思うと、とても長くて、とても短い4週間だったけれど、 あれはきっとお姉ちゃんが看病という手段で最後の親孝行をしてく れたものと信じています。本当にありがとう。
近頃よく家族旅行に行きたいと言っていたのに実現出来なくてご めんね。門限がきびしくてごめんね。ママに似て方向音痴の貴方が 天国に行く道に迷っていないかしらと心配だったけれど一緒に行っ てあげられなくてごめんね。 21才という若さでこれから沢山の夢や希望があったでしょうに、何も叶えてあげられなくて、本当にごめんなさい。でもママは、唯一、お姉ちゃんとフ−ちゃんと3人でUP−BEATのコンサ−トに行けた事がとても良い思い出になっています。
埼玉会館で初めて広石さんを見て一緒に感動したあの日の事が、今もはっきりと脳裏に焼き付いています。あと氷室京介のコンサ−トと山田かまちの記念館にも一緒に行きたかったのにね。 天国でもきっと好きな音楽を聞いている事でしょう。そして今頃 は、天国でかまち君と出会って、一緒にHIMROCKでも聞きな がら、楽しい時を過ごしているかもしれませんね。 好物だった果物でも沢山食べてどうかゆっくり休んで下さい。 平成8年5月 ママより
国松警察庁長官及びオウム事件に携わった警察の方々へ
私は、21才になって間もない娘を亡くした母親です。最初に捜 査のその字もわからない私ごときが、この様な事を申し上げる失礼 をお許し下さい。
あの忌まわしい地下鉄サリン事件以来、世間、マスコミの間で、 オウム、麻原に対する連日のバッシング騒動たるものは、当然の結 果だったと言えましょう。
その為事有る度に取材の方々がやって来 られて口にする事は、決まって、オウムについて麻原についてどう 思うかという事でした。
この1年心痛のあまり一切コメントは避け てまいりました。でも言いたい事、聞きたい事は最初からずっと変 わらず、今もその事をいつも考えています。
それは、オウムについ てでも、麻原についてでもないのです。 唐突ですが、私は、地下鉄サリン事件は、警察が招いた人災であ ったと思えてならないのです。
まず、坂本さん一家失踪事件については、全く手懸かりが無い訳 ではなかったはずなのに、神奈川県警ではどの程度の捜査をしてい ただけたのでしょうか?
次に、上九一色村の住民の人達があれだけ訴えていた事に、山梨 県警は、どの様な調査、対策をしていたのでしょうか?
そして松 本サリン事件では、何故あの様な事態に陥ってしまったのでしょう か?
また「遺憾の意」発言は、どの様な意味合いを持つのでしょ うか? 生意気なようですが、私はいつもこの事を考えると悔やま れてなりません。
平成7年6月25日付朝日新聞で、「松本サリン事件から1年− 遺族の思い」という記事に、19才の息子さんを亡くされた親御さ んが「息子は訳も分からないうちに死んでしまった。こんな理不尽 な事があっていいものかと、この1年間早く容疑者を捕まえる事を 祈って県警に出向いた際、今でもはっきり覚えているが、この時松 本署の幹部は、もう二度とこうした事件は起きませんと断言した。 ところがこの3月20日に、11人もが地下鉄でサリンの犠牲者に なった。こうした体験をしただけに、県警の捜査については、不信 感を持っている。」と語られ、また、26才の息子さんを亡くされ た親御さんは、「息子は何も悪い事をしていない。いずれ結婚して 孫の顔も見られるかと楽しみにしていたのに命を奪われた。警察は この1年いったい何をしてきたのか。松本サリンを早く解決してい れば、地下鉄サリン事件は、防げたはずだ。
捜査ミスで、オウムの 犯行が拡大し、結局息子も犬死にになった。」と、そして23才の 息子さんを亡くされた親御さんも又、「横浜の坂本弁護士事件の時 にもっと捜査をしておけば、松本も地下鉄サリン事件もなかったはず。」と書かれているのを読んだ時私は、同じ年頃の子供を亡くし た親として全く同感で涙が止まりませんでした。
そしてこの怒りの 気持ちを誰に、何処に持っていったらよいものか迷いました。もち ろんオウムの麻原が一番悪い事はよくわかっていますが、一連のオ ウムの凶悪事件は、けっして短期間の間に起きた事ではありません。
坂本さん一家失踪事件から始まって、地下鉄サリン事件が起こるまで、約6年間という歳月があった訳ですから、何故もっと早く…、と思う私は、わがままで身勝手でしょうか? そこで国、行政も含めて、特に警察関係の方にお願いしたいので すが、この6年間、オウムに対してどの程度の捜査をして、いかに 対処してきたのかを国民の前に是非明らかにしていただきたいので す。それが無理な願いならば、せめて遺族の私達にだけでも納得の いく答えを示していただけないものでしょうか。そうでないと私は、いつまでもオウムに対して、麻原に対してという時点にたどり着く事が出来ず、筋違いな方向に向いてしまう自分が悲しすぎて哀れでならないのです。
どうかこの気持ちを、御自身に置き換えてお考えいただき、宜し く御配慮の程お願い申し上げます。
平成8年5月 最愛の娘を亡くした母より
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