●児童文学散歩ミニガイド●

 第2回 大正の児童文化・開花の薫りを夢みて−目白から池袋を歩く

 大正時代は、児童文化の黄金時代といわれています。デモクラシーの自由な空気のなかで、童謡・童話などを中心に掲載する子供のための雑誌が次々に創刊され、作家・画家・詩人など、一流の芸術家たちによって、現代にのこる名作が次々に生みだされました。

 今回の児童文学散歩では大正期の代表的な児童雑誌「赤い鳥」、絵雑誌「子供之友」に関わりの深い、東京・豊島区の目白から池袋までを歩きます。

 今から90年近く前、作家・画家・編集者たちが、熱い思いを抱いて児童文化を作り上げたこの地を、たどってみたいと思います。

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← 東京・豊島区のJR目白駅から池袋駅の間の散歩マップ
(作成は2001年2月28日)



 報告その1 鈴木三重吉が馬で毎朝訪れた、深沢省三の家 ●深沢省三・紅子の略歴はココをクリック●

 コースの出発地、目白駅に降りる。目白駅は改修工事中で、駅前は雑然とした感じ。駅を出て右手すぐに、学習院大学がある。その真向かいが女子校の「川村学園」。大正11年ごろ、ここには赤い鳥の画家・深沢省三が住んでいた家があった。

 「赤い鳥と鈴木三重吉」(赤い鳥の会編)に掲載されている、深沢省三氏を囲んでの座談会(紅子夫人、与田準一、柴野民三、水野春夫、福井研介が出席)は、赤い鳥時代の三重吉の人間像がくっきり見えるようで面 白い。
  「今の学校(川村学園)が建つ前の古い古い、まるでお化け屋敷みたいな、おっかない家を借りて住んでいた」という深沢夫妻のお宅に、鈴木三重吉が馬(!)で毎朝早く訪れ(朝の散歩でしょうね)、お茶を召し上がって帰っていったという。
  まだ若く貧しい画学生であった深沢夫妻は、差し上げるお茶の工面にも苦労していた。ある日とうとうお茶がなくなって、紅子夫人が三重吉におそるおそる梅干しと白湯を出したら、これを「うまいなー」といって飲んでいたそうだ。
  実は、三重吉先生は酒乱で有名なお方なのである。
  しこたま飲んで「きさまっー、かえれー」と作家や画家にからんでたような話が色々出てくる。飲み過ぎた翌朝の「白湯と梅干し」。きっとほんとにうまかったのにちがいない。

赤い鳥の画家・深沢省三が借りていた家があった場所(現・川村学園−写 真左手)。JR目白駅前から撮影。
写真右手の学習院に馬場があり、鈴木三重吉は毎朝カッポカッポと深沢宅へ馬で訪れ、お茶を飲んで帰っていった。


 報告その2 「赤い鳥」の息吹をたずねて ●「赤い鳥」の概説はココをクリック●

 さて、時代は雑誌「赤い鳥」ができた頃に遡る。
 1918(大正7)年7月、その後の児童文学を一変させた雑誌「赤い鳥」が創刊された。
 児童雑誌「赤い鳥」は、鈴木三重吉の自宅・北豊島郡高田村大字巣鴨字代地3559(現・豊島区目白3-17-1付近)で創刊される(1918(大正7)年7月)。目白・池袋付近は当時、学習院、豊島師範(現・東京学芸大)、立教、成蹊などが次々に設立された文教地区で、赤い鳥社と三重吉の自宅は、この地を転々としていたようだ。
  今回は、目白近辺での2回目の居住先、赤い鳥社兼三重吉宅のあった地、高田町3575(現・目白3-18-6・千種画廊)を訪れてみた。

 目白駅を出て川村学園を背に、目白通りを歩く。通り沿いには、紀子さまが青春時代にお二人で入られた喫茶店などもあるらしい。おお、こんなところにまでBook-offがある−などと歩いていたら、道を行き過ぎてしまった。曲がる道は、駅からほんとにすぐの1本目の小道である(上の地図参照)。
  通りを一本入ると静かな住宅街が続く。レンガで舗装された道沿いに、目指す「千種画廊」があった。画廊は閉まっていたが、ここには、写 真のように「赤い鳥社・鈴木三重吉旧居跡」の碑がしっかり立っていた。

 千種画廊をあとにしてまっすぐ行くと左手に、立派な築地塀の「目白庭園」がある。回遊式の小さな日本庭園で、暖かい日の日なたぼっこには最適。そして、庭園内には数寄屋造りの茶室「赤鳥庵(せきちょうあん)」が建てられている。「赤い鳥」ゆかりの地ということで平成2年に建てられたもので、庵の中には鈴木珊吾(三重吉のご長男)氏の筆による額がある。

 「千種画廊」前に立つ「赤い鳥社・鈴木三重吉旧居跡」の看板


 目白庭園内の「赤鳥庵」。お茶会などにも使用できるそうだ。

 報告その3 坪田譲治の旧宅・「びわのみ文庫」


 門には「坪田 」の表札がかかっている。
 垣根の奥の玄関前には「びわのみ文庫」
  の看板が掲げられている。

 目白庭園から、西武線の踏切を越えて住宅街をしばらく歩き、「上がり屋敷公園」(普通 の公園)角の四辻を右に曲がったところに坪田譲治の旧居「びわのみ文庫」がある。 坪田譲治ももちろん「赤い鳥」ゆかりの作家の1人である。

 1890(明治23)年岡山生まれ。早稲田大学在学中に小川未明に師事。1918(大正5)年に、豊島郡高田町大字小石川狐塚866番(現・豊島区西池袋2-32-20)に住み、その後1927(昭和2)年「赤い鳥」に童話を書いて鈴木三重吉に師事する。
 「私は先生(三重吉)によって童話を書くことを教えられた」と坪田氏は随筆にのこしている(「太陽」1979年3月号)。この随筆を読むと、うーん、やはり三重吉先生は酒乱である。しかし、童話に対する真摯な姿勢はどんな時にも揺らがない。坪田氏をはじめ、各作家の原稿が毎回三重吉の手で校閲されていたらしく、その厳しい姿勢こそが児童文学を芸術の域まで高めた根源であったのだろう。

 坪田譲治が自宅の一角を開放して、子供のための児童図書館「びわのみ文庫」を開館したのは1961(昭和31)年。翌年には坪田が主宰する童話雑誌「びわの実学校」を創刊し、執筆活動と次世代の児童文学の芽の育成に携わる生涯をおくった。坪田氏が「赤い鳥」に童話「ビハの実」を書いたのが1935(昭和10)年。坪田氏がまだ若い時、写 真の坪田邸内にびわの木を植えたところ、人から「びわの木は不吉だ」という注意を受けたが、坪田は「びわの木に負けるものか」とかえって闘志を燃やした。そして「びわの実」は坪田邸になくてはならない木になったのだという。写 真の坪田邸の「びわのみ文庫」は今は閉ざされ、ちょっとさみしい感もあるが、その「びわの実」の坪田の志は平成の現代にも引き継がれている。

 写真下の「びわの実ノート」は坪田の門下生、あまんきみこ、今西裕行、沖井千代子、砂田弘、高橋健、寺村輝夫、前川康男、松谷みよ子、宮川ひろが参加する同人誌。
  同人の先生方や童話作家・画家の寄稿のほか、新人の投稿童話も掲載されている。定価(本体800+税)発売はポプラ社。購入のお問い合わせはポプラ社(03-3357-2211)へどうぞ。


 報告その4 自由学園と「子供之友」 ●「子供之友」の概説はココをクリック●

 「婦人之友」「子供之友」「新少女」の3誌を発行していた羽仁吉一・もと子夫妻は、1921(大正10)年、高田町雑司ケ谷(現・豊島区西池袋2-31-3)にキリスト教信仰に基づいた自由教育を行う女学校「自由学園」を創立。
  フランク・ロイド・ライトの設計による美しいデザインの校舎が婦人之友社のすぐ横に建てられ、「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」をモットーに、机上の学 問ばかりではなく、学校や寮の生活の中で自ら働き、自ら治めることで、学び・学び合う学校がスタートした。

 びわのみ文庫から自由学園までは、歩いてほんの数分。写真は自由学園の明日館講堂。木枠を斜めに組みあわせた、ライトのデザインによる幾何学模様の窓は、当時のそのままにのこされているようだ。自由学園は1934(昭和34)年、南沢に移転しているが、写 真の「明日館」の講堂では現在も友の会などの活動を行っている。
 この向かいにある明日館は、自由学園発祥の学舎だが、残念ながら現在は工事中。97年5月に国の重要文化財に指定され、99年1 月より保存修復工事が行われている。工事期間4年で、完工のあかつきには見学可能になる、とのことです。

  自由学園明日館講堂の隣、同じ敷地内に婦人之友社が建っている。最近は児童書はあまり出されていないようだが、「子供之友原画集1-3」(竹久夢二・武井武雄・岡本帰一)、「3びきのこぐまさん」(村山籌子・作、村山知義・画)、竹久・武井・村山のポストカードなどは今も入手できる。婦人之友社ホームページはこちら
 翻訳者・作家の矢川澄子氏(夫君は故・澁澤龍彦氏)の母君は自由学園の卒業生。その1つ下の学年には、村山籌子氏(村山知義氏の夫人で童話作家。
JULA出版局から「村山籌子作品集」(村山知義画)が出版されている。これも素敵な本です)がいたという。矢川氏は学園の生徒ではなかったが近隣にいたことから、明日館に出入りしたり、「子供之友」のグラビアなどにモデルとしてかりだされていたそうだ。


自由学園「明日館」の講堂。窓のデザインがモダーン。


婦人之友社


 報告その5 豊島区立郷土資料館から池袋駅へ

 婦人之友社をあとに、池袋駅の方へ向かうと、ちょうどメトロポリタンホテルの前に出る。その近くの池袋消防署(防災館)の隣に、豊島区立郷土資料館(豊島区西池袋2-37-4 勤労福祉会館7F 03-3980-2351)がある。
 郷土資料館は 勤労福祉会館のビル7階のこじんまりしたフロアにあり、池袋のヤミ市や1930年代に池袋モンパルナスと呼ばれた芸術家村「長崎アトリエ村」の模型が常設展示されている。そして、今回の参考資料にも用いた1991年の特別 展図録「こどもの再発見−豊島の児童文化運動と新学校」は、ここで入手することができる。


 第2回の散歩の取材・執筆にあたっては、以下の資料を参考にしました。
 参考資料  ●「こどもの再発見−豊島の児童文化運動と新学校」豊島区郷土資料館編●「「赤い鳥」と鈴木三重吉」赤い鳥の会編/小峰書店●「国文学解釈と鑑賞」1998年4月号●「太陽」1979年3月号●「びわの実ノート」第12号/ポプラ社●「幼年絵雑誌の世界」中村悦子著/高文堂出版社●「ユリイカ」1997年9月号/青土社●「幻想文学」第24号/幻想文学出版会●「日本児童文学史研究」鳥越信著/風濤社  ほか

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