*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。
1929年 4月 政策研究所 中野が主だったメンバーを集める。なにごとか? ![]() | |||||||||
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閣下の経歴はご存じだろうが、特に関東大震災の対策と震災後の復興にご活躍された。本来なら全員で葬儀に参列すべきであるが、そうもいかない。ご葬儀には代表が参列する。 ここでお亡くなりになった京都府に向かって黙祷したい。 黙祷!」 | ||||||||
![]() 解散後、中野は伊丹に話しかけた。 ![]() | |||||||||
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「伊丹さんは後藤閣下にどのような思いがありましたか?」
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「彼が考えていたように東京も生まれ変わりましたし、お名前が後世まで残ってご満足でしょう」
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「仰る通りです。残念ですが伊丹さんの名は残るとは思えません。でも伊丹さんはわざとご自身のお名前が残らないようにされているようです。でも伊丹さんの教えは永遠に残ります。 ところで伊丹さんは後藤閣下をいつも厳しい目で見ていましたね。あれはどうしてですか?」 | ||||||||
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「亡くなった方をどうこう言うのは礼を失すると思います。しかしあえて言わせていただきます。彼は親ソの左翼でした 第二次大戦前は日本が共産主義に甘かったこと、戦争に負けてGHQ統治下では容共であったことが、その後の日本に大きな悪影響をもたらしたと思います。第二次世界大戦後すぐに冷戦が始まっていたら、日本にサヨクは存在しなかったのですが」 | ||||||||
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「なるほど。彼は元老になりたかったようですが、なれなくて良かったということですか | ||||||||
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「失礼を重ねて申しますが、大地震対策とかその復興というのは行政です。行政なら主義思想がどうあれ能力があれば任せても良いでしょう。でも国家の未来を考える元老を任じてはいけません。 元老は社会主義であろうと自由主義であろうと、まず国益優先、扶桑国第一の人でなければなりません」 | ||||||||
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「なるほど、心に留めておきます」
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1929年 7月● ● ● アメリカ戦争省 ついにスペインで軍が反政府クーデターを起こした。その件でコメントが欲しいのだろう、ホッブス准将からお誘いがきたので、石原はホッブス准将を訪ねた。 ![]() | |||||||||
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「君が言った通り7月にクーデターが起きたな」
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「私の予言は当たるでしょう。これはお土産です」
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![]() 石原はスペインの重要拠点の航空写真の束を机の上に置いた。 ![]() | |||||||||
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「またか……すごいなあ。ミラー大佐、見てみろ、戦車とかトラックが詳しく見える。兵隊の人数だって数えられそうだ」
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「ドクター石原、この写真をいったいどのように撮影したのですか?」
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「私も知りません。扶桑国には超高空を飛べる飛行機があると聞きます。満州への輸送作戦をした飛行機をはるかに上回るものらしく、敵国上空でも見つからないのか、見つかってもそこまで上昇できる飛行機がないからなのか、日常的にスペイン国内を偵察していると聞きます。 でもどう考えても扶桑国からスペインまで飛べるはずがありません。私の想像ですが、たぶん大西洋上のどこかから飛び立ち、スペイン上空を飛行しているのではないかと思います」 ![]() * この当時、ほとんどの大型機は水上機だった。長い滑走路がなく、陸上機は大きくし難かった。
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「それなら大西洋を監視すれば見つかるかな?」
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「オイオイ、大西洋は広い。そう簡単に見つかるはずがない。 しかしこれを見ると双方の軍隊の居場所が一目瞭然だ。もちろん写真にしなくても飛行機から地上に指示すれば一方的な戦闘が可能だろう」 | ||||||||
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「将来の戦争はそうなるでしょうね。でも相手国も同じことをすれば振出しに戻りますね」
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「まっ、そのときにはいくら高空でも、そこまで上がれる戦闘機も作られるでしょう。 ところでスペインの現実は、クーデター側に付く兵士が少なかったこと、政府が支持者に武器を配ったことで、緒戦で片が付くどころかクーデター軍が押されているようですね」 | ||||||||
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「首謀者のフランコ将軍がカナリア諸島からスペインに上陸して反乱軍の指揮を掌握しましたから、また情勢が変わります」
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「世界各地から政府側に義勇兵が集まっているという。我国からも血気盛んな連中が駆けつけているようだ。有名人もいるが、彼らは義勇兵集めの看板なんだろう 国内の抗争ならすぐおさまるだろうけど、外国が支援すれば戦いを大きくし長引かせる」 | ||||||||
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「ドイツは既に武器支援をしていますが、8月には軍隊を派遣することを決めましたね」
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「ソ連もスペイン共産党支援に軍隊を派遣するようだ。イタリアはフランコ側に4個師団を派遣だってさ、たまげたね」
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「スペインで戦ったソ連の部隊が間違いなくノモンハンに来ます。ソ連軍の装備と戦術をよく観察しておいた方が良い」
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「ドクターの言葉は必ず成就するようだ。心しておく」
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1929年7月● ● ● 政策研究所 休憩室で伊丹と幸子そしてさくらが、お茶を飲みクッキーをつまんで談笑している。とはいえ世間話ではないようだ。 ![]() | |||||||||
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「というわけでやはり戦争の科学というか戦争の数学を教えないとだめよ」
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「さくらのいうのはオペレーションズ・リサーチのことかな | ||||||||
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「そうそう、士官学校とか陸軍大学校に行く人は優秀なんだろうけど、学ぶのは戦略どころか戦術でもなくて戦闘なのよね。そんなんじゃなくて、いかに戦うかという前に戦争の目的を達するには、どんな方法が良いのかとかどの目標から攻撃すべきかという学問を学ぶ必要があるわ」
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「確かにね、それと同じか違うか分からないけど、兵器なども汎用にするか専用にするかという検討も必要ね。 考えがまとまっていないけど、職工というのは技能、つまり腕を磨くことに価値を置いている。でも自動機というのは技能を不要にすることが目的。そのときどういう判断基準で技能を必要とするものにするのか、技能を必要にしないものにするのか決めるのも重要よ」 | ||||||||
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「照準器などの改良は射撃の技能を不要にすることになるのか……そういう発想も面白いなあ」
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「ちょっと話をそらさないでよ。でね、そういう学校を作りたいんだけど、協力していただけません?」
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「オペレーションズ・リサーチの学校が必要なのか? そういう専門家は大勢必要ではないだろう。大学の研究者を集めてオペレーションズ・リサーチのチームを作り、そこで種々の作戦研究をするのが良いのではないか。教育したい人をそこに参画させればよい」
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「それだけでなく研究者が出した結論を信じて実行するように、指揮官たちに徹底しなければなりません。 でも私たちがこの世界に来て早19年、そういう教育はもっと早くから取り掛かっておくべきでしたね」 | ||||||||
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「そうでもないだろう。我々がここに来た19年前は、鉄砲をつくるにも現物合わせ方法だから、バラツキを抑える意味がない。ゆえに公差なんて概念がない。そんなとき戦術を理論的に考えようと言ったところで理解されるわけがない。 だから今まで公差・標準化・品質管理・品質保証といったことを基礎から指導してきた。そして対象者が理解したかを見極めて段階を進めてきた。ある手法が必要になる前に、教えようとしても受け入れる素地ができていない。 今では下士官や一般事務員も統計的手法をある程度理解しているし、計算尺も普及してきた。だから管理限界とかバラツキという考え方、その利用とかが理解できる。なぜ標準化が重要かなんて質問する人もいなくなった。それだけでなく日常の判断において数字で比較するとか総合的に判断することが身に付いてきたのではないかと思う。そういう条件が整ってきたからオペレーションズ・リサーチを導入できるんじゃないかな」 | ||||||||
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「そこがおじ様の偉いところね」
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![]() ドアが開いて中野が入ってきた。 ![]() | |||||||||
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「中野様、なにか?」
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「いや、ちょっとコーヒーを飲もうと思っただけだよ」
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「お父さま、お座りになって、コーヒーですね」
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「ハハハ、息子は二人いるが独身なので嫁もいないし、娘は初めてだ。なかなか可愛いものだ。ところでどんな話ですか?」
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「さくらがオペレーションズ・リサーチを教育すべきとのたまってたのです」
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さくらがみんなの分、コーヒーを淹れてきた。 ![]() | |||||||||
![]() | ![]() 「のたまうとは何です、私は孔子じゃありません、プンプン」 | ||||||||
![]() * 私の高校時代、生徒が大層立派な講釈を語ると、先生は「のたまう」なんて言ってバカにしたものだ。 | |||||||||
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「オペレーションズ・リサーチ……直訳すると作戦研究となるのかな?」
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「ずばりそうです。元々は私の世界で第二次世界大戦のとき、イギリスで輸送船団をドイツの潜水艦から守るにはどうしたらよいか研究をしたのが始まりです」
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「それって輸送船団の護衛をどうするかとか、航路をどうするとか、そういうことですか?」
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「そうです。いろいろな分野の科学者を10数名集めて、テーマを与え最適解を検討させました。 ![]() | ||||||||
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「そういうことが科学的に算定できるのだろうか? でもコンテキストから推察してその効果はあったのだね?」
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「もちろんです。戦争が終わってその考え方は一般に知られ、軍事だけでなく経営戦略とか営業活動とか在庫管理とか、あらゆる面で活用されるようになりました」
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「実用的で素晴らしい学問だと思うが、それを信じて実行した軍人たちもすごいね。科学者を尊敬して指示を信頼したわけだ。我国ではちょっと難しそうだ」
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「お父さま、命がかかっているからこそ、科学的な考えで最善な方法を決定しないといけません。 それに我国の士官や兵隊が科学者を信頼していないということはないと思いますよ。伊丹のおじ様だって不発弾対策とか水中の潜水艦発見方法などの指導をしてきたし、その結果 軍人の科学技術に対する信頼は醸成されています」 | ||||||||
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「なるほど、言われるとその通りだ。いや待てよ、さくらの言うように今までしてきたこともオペレーションズ・リサーチのひとつなのだろうか?」
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「品質保証はオペレーションズ・リサーチの一部門と考えても良いかもしれません 中野様が現れる前に、オペレーションズ・リサーチを20年前に教えようとしても伝わらなかっただろう、品質管理が定着してきた今だからこそ理解されるようになったということを話していたところです」 | ||||||||
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「なるほど、確かにそう言うことはあるね。20年前は、測定器も計算尺もなかった。あんな状況で互換性とか品質管理なんて言われてもピンと来ないよ」
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「というわけで、お父さま、オペレーションズ・リサーチの教育をしたいの」
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「今まで聞いた話の限りでは、私はオペレーションズ・リサーチの学校よりも、まずは実際にいくつかオペレーションズ・リサーチを行い、その成果を見せるべきだと思うね」
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「おやおや、中野様のご意見は伊丹の意見と同じですね」
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「おお、それではやっと伊丹さんの足下にたどり着けたか」
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「ご冗談はおよしください。今まさに二度目の世界大戦に入ろうとしています。ですから今からノモンハンにソ連軍が侵入して来たときの我国の対応とか、ドイツ潜水艦が太平洋を遊弋するようになった時の対処とか、どのような軍艦を建造すべきとか、艦艇の配置など検討しておくべきことは多々ありますね」
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「なるほどねえ〜、さくらもドクターになったことだし、この仕事をやってみろ。ただ教育ではなく学者を集めて実践すること。まずは企画書を作れ。必要なメンバーが分かるならその名前も。 伊丹さんと奥様はさくらを指導してください」 | ||||||||
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1929年8月● ● ● 政策研究所 幸子のチームと中野がいる。 お忘れになったでしょうけど、幸子の部下は何人もいるのです。 ![]()
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「今年の作況はどうなっている?」
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「最新の予測では東北地方は作況指数は65でした。全国平均では88です」
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「対策は農林省と打ち合わせんといかんな」
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「米がなければ芋を食うしかない、アッ、不謹慎なことを言ってすまない。 ともかく食うものがあれば飢饉は回避できるか」 | ||||||||
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「実は大きな検討課題があります。米穀取引所を廃止すべきです | ||||||||
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「そりゃ反対意見が多そうだ。今年だけというわけにはいかないか?」
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「米は金や銀と違い、食物しかも主食ですから、値段が乱高下するのは望ましくありません。米は過去何度も政府で統制してきた歴史もあります。今回の凶作を機会に廃止できませんか?」
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「まもなく大きな戦争になります。扶桑国としてはロシアとの戦争以来、25年ぶりの戦争で、統制経済になるでしょう。米相場でマネーゲームしてる場合じゃありません」
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「なるほど、少しずつ対応していった方がいいということか。 先ほどの話に戻るが、タイから輸入しても数十万トン足りないようだが、それはなんとかなるのか?」 | ||||||||
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「それだけでなく南洋でもココヤシやタロイモだったものが、最近は我国の影響でコメが主食になりつつあります。それはほとんど本土からの移出です。種々の状況からそこは米の代わりに芋というわけにはいきませんので……まあ数万トンですが」
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「農林省はタイの他にベトナムとラオスと交渉しています。それでも足りなければインドなどもありますし、最悪アメリカという手もあります」
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「アメリカだって! オイオイ、アメリカ人が米を食うのか?」
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「欧州でもアメリカでも、米は作っていますし食べますよ。食べ方は白米のままでなく炒めて付け合わせとかサラダとかいろいろです」
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「そうそう、満州の南部では米を作っていますね。ノモンハン支援を要請されたとき、米を買いたいという話をすればお互いウィンウィンでしょう」
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「なるほどもうすぐ満州でも砲声が轟くだろう。我国に支援要求が来たときの交渉ネタだな」
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1929年 9月● ● ● 政策研究所 | |||||||||
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「ブルネイで石油が発見されたんだって?」
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「10年前にこの時期に発見することにしようと決めていました。予定通りということで、 それに伴いいろいろ交渉事があります。ブルネイ王室とは基本的に採掘権を我国が購入すると話を付けています。ただ向こうとしては石油精製の施設などをブルネイに設置して雇用を創出してほしいなど要望がありまして…」 | ||||||||
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「採掘できる量は、我国の石油使用量のどれくらいの割合になりますか?」
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![]() | ![]() ブルネイの産出量は正確ではありませんが600万キロリットルくらいかと思います ですからブルネイと本土産の石油だけでは到底足りません。しかし安全保障上ものすごい価値があるでしょう」 | ||||||||
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「現時点輸入できているなら、ブルネイの石油は温存しておくべきだな」
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「パラオとかサイパンで石油が取れたらよかったですね」
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「残念ながら、島のでき方からいってその可能性はないようです」
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注1 | ||
注2 |
ネットでググると、池田信夫を始め高橋洋一など多くの人が同じことを言っていた。もちろん「軍事力は戦争を抑止できない」と語る人もいる。 だが「戦争を防ぐのは軍事力だ」と「軍事力は戦争を抑止できない」は逆の関係ではない。軍事力があっても敵国が攻め入ることを予防できないかもしれないが、相手を押し戻すことは可能である。 100歩譲っても「軍事力があれば戦争を抑止できることもある」のは間違いない。そして「軍事力がなければ戦争を抑止することは不可能」なのも間違いない。護憲論者は詭弁が得意だから騙されないように。 ![]() | |
後藤新平に限らず、明治大正時代の大物には結構サヨクが多い。共産主義者というのではなく、ソ連に我国の情報を漏らしたりソ連の宣伝などしていた。そういうことは、思想信条の自由とは違うれっきとした犯罪だ。 ノモンハン事件で日本軍の前線指揮官だった小松原道太郎中将も陸軍の情報をソ連に流していたと言われる。もっとも彼の場合は主義主張ではなくハニートラップ ❤ にかかったらしい。いやしくも軍人ならハニートラップにかかったら、上官に報告し辞職するのが筋だろう。 ![]() 常々、不思議に思っていることがある。日本にはホントの社会主義者とか共産主義者はおらず、中国の家来とか北朝鮮の家来しかいないのではないかということだ。 中国とソ連は大戦争をしているし、中国とベトナムも軍隊による小競り合い(大競り合い)を何度もしている。中国と北朝鮮だって相手国との道路を交通規制したりして競合関係にある。彼らは共産主義なら同志という甘い考えではなく、基本的に国益重視であり国粋主義なのである。 しかし日本の社会主義政党、共産党は尖閣は中国のもの、竹島をさしあげろ、慰安婦は実在した、南京虐殺はあった、沖縄は中国領土などなど、彼らは共産主義者や社会主義者ではなく、中国の手先か北朝鮮の利益代表としか思えない。 皆さんはどう思われるだろう? ![]() | ||
注4 |
元老と元勲は別物である。 元老とは天皇に助言をする職であり、正式に任命される。明治から昭和にかけて通算10名ほどいた。 一方、元勲とは法で定められたものではなく、明治維新以降に国家発展に尽くした人たちをマスコミや世間がそう呼んだ。 近年では中曽根康弘も元勲と呼ばれている。彼が偉いとは思えないが、引退後もマスコミに持ち上げられていろいろと発言していた。中曽根よりも功績があった池田勇人や岸信介は、マスコミに嫌われたせいか元勲とは呼ばれない。池田勇人は首相引退後すぐになくなったこともあるが… ハトポッポも菅直人も野田佳彦も元勲と呼ばれる可能性は……ナイナイ ![]() | |
注5 |
スペイン内戦に参戦した有名人としてはヘミングウェイ、アンドレ・マルロー、オーウェルなどがいる。 ヘミングウェイはそのときすでに「日はまた昇る」「武器よさらば」を書いていて有名作家だった。 ![]() | |
注6 |
私はオペレーションズ・リサーチについては1970年頃に能率短大で概論を習っただけだ。 下記を参考にした。(出版年順) 「おはなしOR」森村英典、日本規格協会、1983 「OR事例集」日本オペレーションズ・リサーチ学会、日科技連、1983 「オペレーションズ・リサーチ入門」河原 靖、共立出版、1987 「入門オペレーションズ・リサーチ」松井泰子他、東海大学出版会、2008 「経営戦略全史」三谷宏治、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2013 「新兵器・新戦術出現」三野正洋、光人社文庫、2016 ![]() | |
注7 |
各種手法の関係は分類する国・人によって多様であり、どれが正しいというわけでもない。そもそもがより改善をする手法を求めた結果であり、生物の進化のように1種類のものから分岐したわけではない。 ここでは「おはなしOR」でIE⊃OR⊃QCとあったのを参考にした(p.21)。 ![]() | |
注8 |
米穀取引所とは実物を売買するのではなく、先物取引所である。産業が発達する前は大きな商品と言えば米であり、その先物取引が大きなビジネスだった。これで大儲けした人も大損した有名人も多い。米が統制されるようになった1942年に廃止された。 ![]() | |
注9 |
史実の昭和15年頃の我国の石油使用量は500万キロリットルでその内7%が本土産であった。 このお話では自動車の普及や製造業での電気使用量で史実の倍として1000万キロリットルとした。 現在のブルネイの石油産出量は500〜700万キロリットルだから、史実の日本なら十分だが扶桑国では半分しか賄えない。 現代の日本の消費量は2億8千万キロリットルで戦前の年間使用量は現在の1週間分でしかない。なお現在の国内産出量は昔と変わらず60万キロリットルくらいで微々たるものだ。 ![]() |