79年前の12月8日(アメリカでは12月7日)は、ハワイの真珠湾攻撃を嚆矢に太平洋戦争が始まった日だ。
「10年ひと昔」という諺がある。「世の中の移り変わりは激しく、10年経つと昔になってしまう」という意味だ。もちろんこれは昔の言い回しで、今は変化が速いから「3年ひと昔」という人もいる。
私が今のマンションに住んで、12年になる。当時はマンションの近くにスーパーはなく、日々の食料品や日用品を買うのに1キロ近く離れたスーパーに行かねばならなかった。
むしろ駅までの数百メートルを歩いて電車で一駅行ったほうが歩く距離が短かった。ところが駅までの道路は狭く歩道がなく、道のわきを歩いていると、車が通るたびにヒャとした。雨が降ると泥水をはねられるのも毎度のこと。えらいところに住んでしまったと思ったものだ。
しかし12年経った今では、マンションと駅の間にスーパーができたし、農家の無人販売所もできた。スーパーばかりでなく駅までの間にはラーメン屋ではあるがレストラン、不動産屋、パン屋、その他いくつも店ができた。我が家に縁はないが、動物病院も幼稚園もできた。
道路の両側に幅が3mくらいある立派な歩道ができて安全になった。もっとも今度は歩道を通学の自転車が突っ走るのでヒャとすることは変わらない。
これでファミレスやコーヒーショップができたら最高だねと家内は言う。そんなものがない今は、高校生のカップルは道端の自販機前でアイスを食べたり缶コーヒーを飲んでだべっている。
まあ、10年は長い。
このウェブサイトを開設し、19年半になる。開設のきっかけは靖国問題が大きく騒がれたからだ。
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開設当時のトップページ |
きっかけはともかくこのウェブサイトもふた昔の歴史を重ねたわけだ。単に歴史を重ねただけでなく、今もアクティブに週2回更新を続けている。こんなに長い歴史のある個人のウェブサイトは非常に少ないと思う。
個人が開設したウェブサイトの寿命は、そのモード(最頻値)が3年から4年らしい。10年続くのはレアであり、20年となればレジェンドかな?
まあ、長く書いていればもう書くことがないということにもなるし、環境が変わるし、主宰者の関心も変わる。
私の場合も当初は上に述べたように靖国問題がメインだったが、その後靖国関係でオン・オフで付き合いが広がると、多くの人はそればかりでなく、北朝鮮拉致問題、従軍慰安婦捏造問題、偏向報道問題といろいろなテーマに関心を持ち活動されている。そういう人たちから、マスコミの偏向報道とか捏造報道を憂いるだけ、憤るだけでは足りない、抗議活動しなければならないと教えられ。私もそういった活動に参加するようになった。
そんなことをしていて、同志からISO認証の相談を受けアドバイスしたのがきっかけとなり、それまで仕事で困っていたことや不満を持っていたISOの闇(!)、審査の問題を糾弾するようになり、いつしかうそ800がメインとなってしまった。
そのふたつは全然方向が違うように見えるが、うそを許さない、正義を実現したいという意味では全く趣旨は変わらない。
しかし現役を引退してからは、ISOよりも日々の退屈をどう晴らすか、そんなことに関心が変わりつつある。もちろん当初の靖国問題も頭から離れない。
もちろん発端である靖国そして戦死者を忘れるなという意味で、8月は終戦記念日もありウェブ開設記念日もあり、
また12月には太平洋戦争開戦日にも初心を述べてきた。
しかし時が経てば経つほど、太平洋戦争はどんどん遠くなる。真珠湾攻撃命令である「ニイタカヤマノボレ」のタイトルで最初書いたときは、真珠湾攻撃から "たった" 60年しか経っていなかった。だが今年はなんと79年後となる。
還暦という言葉があるが、干支と十干が一回りして暦が元に戻る60年をいう。しかし真珠湾攻撃からもう歴史が一回転して次の時代になり、更に20年も経った。もう"ニイタカヤマノボレ"でもないな……そう考えて書くのを止めた。
「10年ひと昔」というように、10年経てば世の中は大きく変わります。20年経てば完全にパラダイムシフトが起きます。「ニイタカヤマノボレ」という言葉さえ知らない人が増えてきた。太平洋戦争・大東亜戦争がいかにして起きたのかなんて知らないんじゃないかな?
韓国では朝鮮戦争とは、韓国が日本と戦ったと思っている若者が増えてきたという。それを笑ってはいられない。
世が変わるのは必然。いっとき当たり前の事実だと思われていた朝鮮人強制連行も、今ではそんなものはなかったといわれるようになった。
従軍慰安婦も小説であったということが明らかになった。世界中に従軍慰安婦がありました、日本人は悪いことをしましたと報道していた朝日新聞も、根拠がないと語った。
でも日本の教育も報道も価値観も、まだ正常に戻っていない。韓国では日本企業が強制労働させその賃金を払っていないなどと馬鹿なことを言い出し、お金を払え、お代わりちょうだいと強請っている。
そんな日本を見ると私の思いも言いたいことも変わりません。私のウェブサイトがいかなる影響力があるのかと問えば、ほとんどゼロでしょう。でも20年前に、雨後の筍のようにあった正論派、愛国者のウェブサイトが今ほとんどなくなったのを見れば、頑張って続ける意味も少しはあるかなと思います。
本日はニイタカヤマノボレの代わりに、このウェブサイトを開設してからの20年にどんなことがあったのか……そんなことを書きます。
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この事件で世界は大きく変わりました。われわれ日本人も、このときから安全なところなんてないって思いましたね。どこにいてもいつテロに合うかもしれないということです。
でももちろん一番驚いたのはアメリカ人でしょう。アメリカ人にとって国内で戦った戦争は南北戦争だけです。アラモの戦いのときテキサス州はまだアメリカ領じゃなかった。
第一次大戦は大西洋のかなた、第二次大戦も大西洋のかなたと太平洋のかなた。朝鮮戦争もベトナム戦争もさらに遠い。家族が従軍することはあっても、自分の家庭に爆弾が落ちるという体験をしたことはありませんでした。
アメリカ独立以来 自国領土が占領されたのは第二次大戦で日本軍が占領したアッツ島とキスカ島くらいじゃないかな。だがそれはアメリカ本土ではなく、遠く離れた島嶼だ。アメリカ本土を空爆したのも、日本海軍の飛行機と陸軍の風船爆弾だけだ。その意味で日本人は誇るべき歴史を持っている。
「911」の影響は世界中に波及しました。日本でも大きな影響を受けたけど、一番あおりを受けたのはリベラル政党だと思います。まずリベラルというかサヨク政党がいかにほら吹きで日和見かということが明らかになりました。
当時 原陽子という社民党国会議員が「今回のテロだってアメリカの外交政策の失敗なのでは」「『ざまーみろっ』と思っている国だってきっとある、と思いませんか」と語り、多方面から批判を浴びた。アホなことを言ったものだ。あの人は今何をしているのだろう?
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この事件で日本はいかに危ういかということが日本国民に知られた。日本は平和ではない。頭上にはいつもダモクレスの剣がぶら下がっていたのだ。
北朝鮮は理想の国どころでなく、テロリスト国家であるというのが明白になった。朝鮮総連大困り。リベラル政党も大困り。
そして海上保安庁が頼りになること、機関砲が頼りになることが分かったことはよかった。もし向こうの機関砲が日本船に当たって、海上保安庁の機関砲が当たらなかったら大問題だものね、
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この非常識、国益に反する事件の処理をしたのは次の面々であった。
WANTED dead or alive |
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REWARD $50,00000 |
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過去20年間を見ていると、時代が下るごとに、リベラルのウソ、革新政党のウソ、韓国のウソ、中国の本性がどんどんあらわになってきたと思う。それはよいことだ。
ただその悪事がばらされるためには、大事件、大災害が起きないとならないということが問題だ。日常平和に暮らしていれば、ダム廃止とか、みんな仲良くとか、自衛隊は憲法違反とか、アメリカ軍出ていけと言っても誰も困らない。しかし一旦ことあれば、何が正しいのか、何が必要なのか、うそをついているのはだれか、それがあばかれる。
でも本当なら、平常時に嘘つき、悪者、とんでもない国が皆にわかることが望ましい。
本日の総括
日々、大きなトラブル、問題が起きているが、ほほ妥当な対応がされ、日本は前進していると信じたい。
少なくてもハトポッポや鉋音やドジョウよりはましだと考えている。