前回SDGsについて書いていたら、言いたいことがあふれてきて止まらなくなった。それで腹が膨れないために話を続ける。
SDGsとは「持続可能な開発のための2030アジェンダ」というくらいだから、持続可能というものが存在し、それを実現することは可能という前提で、しかもその方法も確立しているということだ。
しかし「持続可能」という状況は存在するのだろうか?
「持続可能」という日本語を文字通り読めば、「ある状態がそのまま続くこと」あるいは「なにものかが存在し続ける」ことだ。
ところで今現在、環境問題で「持続可能」というと、ただ単にずっと存在する意味ではなく、1987年にブルントラント報告書に書かれた「将来世代のニーズを損なうことなく現在の世代のニーズを満たす開発」とされている。
なお多くの場合、「持続可能」とはsustainableの訳、「持続可能性」とはsustainabilityの訳である。
注:持続可能な開発に関しての原文は「Sustainable development is development that meets the needs of the present without compromising the ability of future generations to meet their own needs.」である。
この文章の日本語訳は、省庁によって少し文章が異なる。「needs」の訳が「ニーズ」でも「欲求」でも大した違いはないと思うが、「development」はときにより「開発」とか「発展」とか「経済」と訳されている。
「development」の元々の意味は、「新技術を実現したり新製品を形にすること」ではなく、「だんだん大きく、より良く、強く、高度になる」とか「経済を拡大する」という意味である。一方、「経済」とは元々は「経国済民」あるいは「経世済民」の略で、「国・世を治め、民を幸せにする」という意味である。
それを考えると日本語の「開発」や「発展」より「経済」が原文に近い。
旗幟鮮明にしておくが、私は持続可能性なんてないと考えている。だからSDGsと叫んでも活動しても持続可能など実現しないと考えている。
問題を解く前に解があるのかないのかを考えるのは当たり前だ。ガウスは「代数方程式は複素数の範囲に解を持つ」と証明した。代数的に解けないとしても、解く必要があるならしらみつぶしに複素数を代入していけば解の近似値を得ることはできる。
持続可能性は解法以前に、解が存在しないと私は考える。残念ながら私はアーベル
■まずその1、持続可能の期間はいかほどなのだろう?
私が経験した過去何度も書いたことがあるお話である。
10年くらい前、暇つぶしに環境関連の講演会を聞きに言ったときのことだ。幾人かの講演があったが、ある大学の先生は持続可能性について語った。なんにでもツッコムのが生きがいの私だから、「持続可能って何年を想定していますか?」と質問した。すると講師は「永遠とは永遠である。終わりなどない」という。しかもその時私をにらんだのを今も覚えている。いちゃもんつけられたと思ったのだろうか?
でもね、どう考えても地球の寿命あるいは宇宙の寿命を超えて人類が生きながらえるとは思えません。持続可能性をもっと具体的に定義しないと話になりませんよね。期限のない持続可能性は宗教そのものでしょう。
ひとつ小話を……
若いとき読んだSFで、宇宙船が航海中に宇宙の寿命が尽きる兆候を検知した。
さあ、どうしよう?
その物語では、次のビッグバンが起きるまで突っ走ることにしたのだ。
宇宙そのものが消えたとき宇宙船は飛行を続けられるのか、いや宇宙船が存在できるのかなどツッコミどころ満載だ。
過去にも持続可能とは何年なのだろうかと愚考したことがある。
どうあがいても永遠ではなさそうだ。寿命というか限界はいくつでも思い当たる。
宇宙の終わり | 170億年後 | ![]() 人類はどこまで生き延びる ![]() | ? | |||
太陽系の終わり | 60億年後 | |||||
アンドロメダ星雲と衝突 | 45億年後 | |||||
膨張する太陽によって地球消滅 | 40億年後 | |||||
海洋の消滅 | 10億年後 | |||||
680万年後 | ||||||
ウラン枯渇 | 130年後 | |||||
石炭枯渇 | 130年後 | |||||
石油・天然ガス枯渇 | 50年後 |
宇宙とか星の寿命となると、人類がどう頑張っても解決できそうない。
次なるはエネルギー枯渇だが、これはどうだろうか?
現代文明は人畜のエネルギーをはるかに超える浪費の上に成り立っている。化石燃料やウランなど有限なエネルギー源を使い切ったときまでに核融合が実用化できなければ、現代の暮らしができるのはせいぜい上記の130年後、多少誤差があるとしても2〜3世紀しか続かない。
余談だがこの表を見るとうれしいことが一つある。それは130年後には地球温暖化が止まるということだ。
もし化石燃料枯渇後も気温上昇が続いたとしたら、それは地球温暖化ではなく、太陽あるいは地球のエネルギーバランスが以前と変わったことで地球温暖化ではない。
エネルギー枯渇後も生き残るには、人畜以外のエネルギーに頼らないか、再生可能エネルギーを活用するかしかない。再生可能エネルギーで現在の化石燃料と原子力燃料に代替えできないなら、江戸時代初期に戻ることになる。ない袖は振れないのだ。
持続可能性を実現しようとするなら、核融合の実用化または再生可能エネルギー以下で生きていかなければならない。まずこれを確認しておきたい。
■では第二段階である。
「形あるものいつか壊れる」というように、自然が作ったものであれ、人が作ったものであれ、すべてのものは必ず滅する。
孀婦岩はあと数百年で崩壊するらしい。そうなると領海が狭くなりそうだ。
自然が作った岩のアーチはアメリカのアーチーズ国立公園
人間が作るものの寿命はもっと短い。人類が作った最も古いものは打製石器で250万年前だそうだ。とはいえ今そのままの形であるはずはなく、表面は風化しているだろうし、いつかは砂になる。
現存するもっとも古い書物は、メソポタミアの粘土に書かれた楔文字だそうだ。
人間が作った橋、建物などになると、メンテナンスしなければ100年も持たないだろう。
ピラミッドは表面を飾っていた石灰岩が取れてしまい、風化中である。いや人間が作った多くのものは人間が破壊している。
家電製品の寿命はもっと短い。電子回路に使われている電解コンデンサの寿命(容量抜け)は10年といわれる。スマホを大事に使っても10年そこそこしか持たない。
一方、社会制度とか生活様式あるいは慣習というのは、維持しようという意志と努力があれば基本的に寿命はなさそうだ。とはいえ人間が存在しなくなると同時に消滅する。
■では第三段階に入る。
化石燃料が枯渇しウランも使い尽くしたとする。最後に残った再生可能エネルギーに依存するとき、いかほどの人間が生存できるだろうか?
エネルギーがなくなると、パソコンが使えないとか、海外旅行に行けないだけではない。
寒けりゃ暖房が必要だ。シベリアとまで言わずとも、東北より北なら暖房がなければ今のようには暮らせない。暖房だけではない。寒い土地に住むための住居も衣類もエネルギーがなければ作れない。暖房が十分でなければ健康に支障があり、病気も増え寿命も短くなる。
一方暑いところに住むにも対応が必要だ。
アメリカはエアコンができてからサンベルトと呼ばれる南部に住む人が増えた。エアコンがなければ、ロスアンゼルスがあれほど栄えるわけがない。
そのほか健康維持、病気を予防するにも上下水道が欲しいが、その設置と運用には莫大なエネルギーが必要だ。
人類が発祥してから人口がどんどん増えて、21世紀の初めの現在、世界人口は人類史上最多の80億前後らしい。まあ思考実験だから70億でも90億でもかまわない。とにかく大勢いることは間違いない。
史上最多の人間を養っているのは、それまで住むことができなかったところに住み、農業できなかったところで農業をしているからだ。そして人畜だけでなく多量のエネルギーを使っているからである。
現在潤沢に使えているエネルギーが使えなくなったとき、何人の人間が生存できるだろう?
農業とは無から有を生むことではない。太陽エネルギーを人間が利用できる化学エネルギーに変換することであり、その変換には多大な化石エネルギーを使っている。極論すると太陽エネルギーを無視して、化石エネルギーを人間が利用できる化学エネルギーへ変換することともいえるのだ。
我々はコメや麦あるいは牛肉やマグロを食べているんじゃない。石油を飲み石炭を食べているのと同じなのだ。
今現在、農産物が増加して飢饉が減った、温室栽培ができるようになりいつでもどんな農作物でも食べられる、南半球の旬の作物でも熱帯の果物でも食べられる、そういったことはすべてエネルギーがあるからだ。肥料も作れず農薬も作れずでは、農業の生産性も品質も200年前に戻るしかない。害虫除去も手を使うしかないとなると大変だね(鼻ホジ)
遠くの国で作られた作物を食べるには、運搬や保管のために莫大なエネルギーを使っている。
北欧じゃ新鮮野菜はなかなか栽培できない。遠くスペインで作った農産物をスカンジナビアまで運んでいるから食べられる
農業とは、土壌や大気中の元素を人間が利用できる化学物質に変換することだ。当然その化学物質を構成する元素を供給しなければならない。特に重要なのは三大栄養素と言われる、窒素、リン、カリウムである。窒素は農作物が大気の窒素を固定化する、カリウムとリンは元素であり肥料などの形で補給が必要だ。
特に希少なものはリンだ。クラーク数
リンそのものは消耗しないが、人間の体を通過したのちは、下水に流れ最終的には海に流れ、どんどん薄まってしまい再利用ができない。リンは南洋の島の海鳥のフンが石化したもの(グアノ)を採掘して肥料に利用している。堀つくせば低コストで入手できるリンはおしまいだ。採掘できるのはあと50年といわれる。リンを掘りつくせば、それからどうするのだろうか?
これはいくらエネルギーがあってもどうしようもない。
もし農業生産力が全世界で16世紀まで戻るとすると、当時の人口まで減るしかない。当時の世界人口は5億前後だった
では世界人口を5億まで減らせば持続可能になるのかとなるとどうだろう?
その場合、人口が少なすぎて現代の産業を維持できないのではないかと思う。
日本が発展できたことのひとつに、人口が1億いたということがある。韓国は日本の半分であり、全分野において産業を維持できない。ドイツやフランスあるいはイギリスも人口は日本の半分だ。しかしこれらの国々は隣接しており、産業を相互補完している。また航空機とか鉄道網などは複数国が共同している。だからトータルの規模は日本を超える。
例えば自動車を考えてみよう。人々が欲する台数を生産するには人口5億いればよいか? 人口は十分だと思う。しかしそのとき存在できるメーカーは数社になるだろう。結果メーカー間の競争は弱くなり、技術の進歩、価格低下そして普及は今ほど期待できないだろう。
航空機を製造する会社は減る一方だ。大型旅客機メーカーは今ではボーイングとエアバスの2社しかない。
私が子供だった1960年頃アメリカには大型旅客機メーカーは、マクドネルダグラス社、ノースアメリカン社、ジェネラルダイナミックス社、コンベア社、グラマン社、ノースロップ社……たくさんあった。
それらが製造している飛行機は、今のようなみんな低翼双発でななく、4発エンジンもあり、3発エンジンもあり、後部につけたもの、尾翼もT尾翼とか、もうバラエティに富んでいて見るのが楽しかった。
大型化による必要機数の減少とか高度な技術化によるコスト増加を考えると、50年前のような多数のメーカーは共存できないのだ。
人口5億になれば高炉や産業機械など規模を必要とする企業はごく少数になるだろう。
16世紀以降、世界の科学技術の進歩が加速化されたのは、もちろん人口増加だけではない。情報伝達の加速化、技術の相互作用などもあるだろう。だが、人口が減れば天才の発生数も少なくなるだろうし、知的交流も減り競争原理も働かなくなる。
その結果、進歩は遅くなるだろうし、業種や製品分野によっては損益分岐点に至らず維持できなくものも出るだろう。
中世以降くらいの発展、発見や技術の進歩をもたらし今の文明を維持にはするためには現在と同じ80億まではともかく30億程度の人口は必要ではなかろうか。
仮に現代文明を維持するのに30億人必要としよう。当然、30億を養わなければならない。
飽食と言われている現代だが、現時点でも摂取カロリーが不足している国は多い
30億の人に必要十分な栄養しかもバランスよく供給しようとすると、必要とする食物は現状より大幅減にはならないだろう。
現在存在する栄養不足状態の人々と同じくらい存在することを是認して、供給農産物を80億分の30億に減らすことは、SDGsの2と3を満足しないからS(sustainability)ではない。
私のような素人がちょっと考えただけでたくさんの問題があり、しかも根本的な解決策はなさそうだ。もちろん数十年以内に、宇宙船が小惑星からリンを採掘して運ぶとか、ガニメデで原油採掘を始めるなら別だ。そんな可能性まで見込めるようなら、地球外に移住すれば地球温暖化も資源枯渇も問題ではないはずだ。
私は「できない、できない」と語ることが目的ではないが、そういったことへの説明もないのだから持続可能性などありえないんじゃないのかな?
最初の疑問である「持続可能は何年か」さえ定かではないのだから。
本日の提案
将来の世代を、孫の代あるいは50年後と定義したらどうだろう?
50年後なら科学でも技術でも、かなり正確な予測ができるだろう。そして国家体制も政権も今とそんなに変わらないはずだ。
そもそも政権が変わるのはともかく、政体が変わったら過去の政策の継承どころか、価値観も大きく変わるだろう。今持続可能のためこうあるべきと考えても、それを継承してもらえる可能性は非常に低いだろう。
あまたの国家の政体の歴史をみると、アメリカの246年が最長じゃないかな。日本は77年、ロシアは32年、中国は73年、フランスは第五共和制から数えれば65年、ドイツの基本法成立から数えれば73年。イギリスは長いようだけど、19世紀頃まではいろいろと混乱・変遷がある。現体制の歴史といえばせいぜい150年じゃなかろうか。
ともかく各国の政治体制は今後50年くらいは継続し政策に責任を持てるだろう。
孫の孫の代は孫に任せることにしよう。自分だって祖父の祖父など知らないし祖父の考えなど理解できない。孫の孫のニーズなど想像もつかないよ。
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ニールス・アーベル(1802−1829)ノルウェーの数学者。 五次以上の方程式には一般解存在しないことを証明した。 ![]() | 注2 |
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クラーク数とは地表近くの元素の割合を調べたもの。 ![]() | |
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