知動説様 大論文ありがとうございます。
文章のスタイルは人それぞれでありますので、論評は差し控えたいと思いますが・・・個人的には漢字の割合をもっと少なくしないと文章が真っ黒く見えまして、読もうとする気がそがれるのではないかと・・・
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知動説様の趣旨の「戦争を知らずして平和は維持できない。」は、陸上自衛隊陸将補であったデュピュイ戦略研究所の松村氏が、著作で、何十回となく、主張している内容です。 松村氏は、そのほかにも、「病気を知らずして健康を維持することはできない」とも書いています。 日本の平和愛好者の態度は、医学の勉強をせずして、「健康!」と叫んでいれば健康でいられるとの発想そのもの。 頭の中の論理構造は、迷信深く、歌しか詠んでいなかった平安時代の貴族そのままなのでしょう。 |
韓非孫様 お便りありがとうございます。
松村氏とおっしゃるのは私も推薦本でとりあげている松村劭(まつむらつとむ)様でしょうか?
私、氏の本は何冊も拝読しております。
平易で私のような素人にも良く分かり、そのコミュニケーション能力はすごいと思っております。
しかし、韓非孫様もご存じでしょうけれど、彼の「平和のための戦争学」で検索しますと、戦争マニアだとか、狂っているなどというホームページや掲示板の書き込みを多数見かけます。
もう彼らは日本語の本を読む能力もないのか、彼らが狂っているのか、彼らを教育した者どもが狂っているのか、いずれにしても松村氏の平易で論理的な本さえ理解できないやからが日本には多数生息しているという事実に困り果てます。
まあ、これより悪くなることはないでしょう。
反日のアホ、自虐史観の視野狭窄を正していくしかありません。
お互いに難儀なことですが、これも日本のため・・・がんばりましょう。
韓非孫様のコメント拝見致しました。 私ごときの拙文にわざわざコメント頂き、恐縮しています。 私は不勉強につきその松村様の著作は拝読したことはありませんが、又機会があれば勉強してみたいと思います。 「推薦本」での佐為さまの論説も、大変勉強になりました。 有り難うございました。 引き続き、偽善者達の悪行を暴く論説を作成してみたいと思います。 |
知動説様 松村氏の本はとても分かりやすくためになります。
私も戦争とか戦闘というものを何も知りません。氏の本を読んで戦闘教義とか戦術というものを少し分かったように気になりました。
とはいえ、松村氏も戦略というものまでを論じてはいません。
戦略とは政治家が考えることかもしれませんし、日本には戦略を考えられる素地のある方がいないのかもしれません。
佐為様、知動説様 松村氏の国家戦略 松村氏には、国家戦略に関する著作が無いとのことで、早速、投稿させてください。 確かに、今までの著作では、国家戦略を論じたものはほとんど無かったのですが、2005年12月出版の「中国の瀬戸際戦略」では、歴史と地政学から考察した日本の採用すべき国家戦略を扱っています。 国家戦略の大枠という意味では、これ以外無いと思っています。 (ただし、内容を理解するには、かなりの世界史の知識と戦略関係の知識が必要です。) なお、私は、国家戦略を考える上では、国益の定義が必要であるし、国家と国民の実力(影響力、被影響力)、国民の意識をまず押さえる必要があると考えていますので、対外面を中心に考えた「中国の瀬戸際戦略」とは多少異なる考え方を持っています。 「正しい戦略」を採用しても、組織面(この場合、国家、国民の問題)で対応ができず、実行面が破綻する場合が、企業戦略で問題となった事例が多くがあります。 |
韓非孫様 お便りありがとうございます。
私が浅学のため大変失礼いたしました。私はかねてから戦略を勉強したいと思っております。しかし戦術に関する本はたくさんありますが、戦略の教科書というのがなかなかないのです。
そんなわけで戦術レベルを戦略と考えている人もいるようです。
今後勉強しますことをお約束します。
知動説様、佐為ジジイです。いつもありがとうございます。
正直言いまして、私は100%知動説様に同意ではありません。
私は日本人が、本当にミサイルボケ、平和ボケ、なのだろうかという疑問を持ちます。
いえ、覚醒しているという意味ではありません。
そうではなく、ボケではなく別の可能性があるのではないかという反論であります。
ひとつ質問させてください。
BSEにあれほど恐慌をきたし、ダイオキシンで大騒ぎして、O157で狂乱をきたした日本人が、なぜ、中国の毒菜(どくさい)に反応しないのか?
列車事故で大騒ぎし、ガス中毒で新聞が大騒ぎするのに、これほど多発している中国人犯罪に反応しないのか?
外国からのコメントには注意深く聞き耳を立て、真摯に受け止める日本人が、中国の言語道断の内政干渉、韓国の領土侵害になぜ抗議しないのか?
そういったことの真の原因が何か?どこにあるのか?
と考えた方が正解にたどり着くように思います。いかがなもんでしょうか?
知動説様 ありがとうございます。
平和ボケとはと論じる前に、平和ボケの定義を忘れていましたね。
おっしゃるとおり、平和ボケというのはひとつの存在ではなく、マスコミの報道(実際にはかなり偏向した報道)、バラエティ番組や歌謡番組の中での洗脳的報道、報道の有無という種々バックグラウンドによって生み出されたものなのでしょう。
私たちの戦いはかなり厳しいようですね、
バラエティ番組の関○宏の笑顔でサヨクがいとも容易に生産されていくのにたいして、真実を伝えるというのは困難な行為のようです。
せめて私の命ある限り、ウェブで、アンケート、投書、メールでがんばりたいと思います。
佐為さま あらまです 知動説様のご投稿、拝読しましたが、以下の点については異議があります。 「サンフランシスコ平和条約」11条の問題 よくテレビ等で、無知な政治家や知識人が「日本は『サンフランシスコ平和条約』に調印し、その11条にて『東京裁判・・を受託』したのだから、例え『東京裁判』が不当であったとしても、その結果は受け入れなければならない。」との言説をまき散らしていますが、さすがに最近これについては、「11条の該当部分は『Japanaccepts the judgments 』であり、『judgments』は『裁判』ではなく『諸判決』と訳すべきで、『東京裁判』自体を受け入れた訳ではない」との論が目立つ様になってきました。 政府も認めていますが、日本は「サンフランシスコ平和条約」を受諾しています。 それが日本にとっては理不尽なことは、子供でもわかると思います。(勝者が敗者を裁くなんて、理不尽です。) しかし、日本は明らかにそれを受諾して、戦犯の処刑も行われました。そうして、苦い体験をしましたが、国家の分裂を回避することもできましたし、多額な戦争補償金の支払いにも免れました。しかも、しばらく続いたドルとの固定相場などによって、日本は奇蹟的な復興を遂げました。 つまり、アメリカの保護と援助で、戦後復興が速やかになされました。 こうした日本の歴史を振り返りますと、一概に言うのは乱暴ですが、「サンフランシスコ平和条約」のみならず、日本は、ずーと外国に対して不平等条約を結んできました。相手国の強大な武力を背景に、「結ばされた」というのが実情でしょう。それによって、日本は不利益を被ってきましたが、なんとか持ちこたえてきました。 もし、東京裁判がどうしても承服できないのなら、東京裁判をやり直せ、ということですか。そんなことを言い始めたら、東京裁判の原因ともなった太平洋戦争、つまり第二次世界大戦をやり直せ、ということにもなりかねません。もういちど、多大な犠牲を払えというのですか。 済んだ歴史を戻すことなんてできません。すぎた時間は戻らないのです。 たとえば、江戸時代末期に日本が欧米各国と結んだ通商条約などは明らかに不平等でした。しかし、その後の努力で、なんとか一応平等を体しています。(小生に言わせれば、世界における日本の負担が増す一方で、とても平等が解消されたとは思いませんが) つまり改善ができる条約もあれば、後日改善ができない条約もあります。それが講話条約です。講話条約とは、いわゆるケンカにたいする仲直りです。その講話条約を改める方法は、戦争しかありません。つまり仲直りに不満があるのなら、もう一度ケンカするしかありません。 はたして今となって、そんなバカなことが言えるでしょうか。 「サンフランシスコ平和条約」が不服というのなら、処刑された戦犯らの死は、一体何なんでしょうか。 「サンフランシスコ平和条約」受諾を認めることが、なぜ自虐的で、「左翼」になるのか。 そのところを知動説様にお伺いしたい。 |
あらま様、毎度ありがとうございます。
私個人は知動説様の説は単に翻訳がまずかったという意味と思っておりました。現実として「東京裁判の諸判決」は受け入れて、処刑などされているのです。それは言葉の言い回しの問題ではありません。
言葉の言い回しといえば「サンフランシスコ平和条約」を『受諾』してはいません。「サンフランシスコ平和条約」を『締結』したわけです。細かな言い回しにこだわらないようにしませんか。
いずれにしても知動説様のご意見をお待ちしましょう。
佐為さま こんにちは! 今回の、秋篠宮家における親王殿下の御誕生、日本の国民と共に心からお喜び申し上げたいと思います。 本当に、今思えば皇室典範の改正問題が騒がれていた頃、「一体この国はどうなってしまうのだろ?」、と案じておりました。 本当に 「紀子様にこの国は救われた」 との思いで一杯です。 後は、皇太子妃雅子様のご回復をお祈りするだけです。 しかし私もこき下ろそうと思っていたのですが、タイガージョー様も指摘されていましたが、福島みずほのコメントはふざけていますよね。 あれでは自分の兄弟に子供が生まれた時のコメントと変わりません。 あれで、皇室に対して祝意を表していると思っているのですから、呆れてしまいます・・(怒) さて、話題変わりまして、先日の私の拙論にあらま様から御異議を頂いておりました。 単にいろいろな所からの情報の拾い集めで、きちんとした論旨も無い拙文をお送りしたばっかりに、あらま様と佐為さまに余計な時間を取らせてしまい、恐縮しています。 私があそこで主張したかった事について、この場を借りて補足させて頂きます。 まずその前に、前回の拙文で「受諾」とすべき所「受託」と誤記しておりました。まず先に結論から申し上げれば、私はあらま様からご批判を受けている、「サンフランシスコ平和条約」の「受諾」については、あらま様同様、当時の日本の状況からして、やむを得ない選択だったと思っています。 よって、「条約を破棄して、やり直すべき」だとは思っておりません。 私があの拙文で主張したかった事は以下の2点です。 1点目としては、あの条約の受諾(佐為さまのご指摘では「締結」)は認めたにしても、少しでもこの国を想う気持ちがあれば、(政府は認めてしまっているが)あの条約の和訳の不適切さを問い、東京裁判の不当さを訴え続けていく「構え」が必要ではないか、と言う事です。 (東京裁判までをやり直すか否かについては、ここでは触れない様にします) しかし、サヨクはまるで「鬼の首」でもとった様に、「サン・・条約」の11条を根拠に「東京裁判史観」を金科玉条の如く掲げているのです。 あらま様から「『サンフランシスコ平和条約』受諾を認めることが、なぜ自虐的で、『左翼』になるのか?」とのご質問を頂いておりますが、私はあの拙文で「・・・の受諾を認めることが自虐的で『左翼』になる」とは申しておりません。 条約の受諾は当時の日本政府の行為であり、我々後世を生きる者は、その事を前提で、生きていかねばなりません。あらま様もおっしゃる通り、やり直す事など不可能です。 しかし、後世を生きる日本人として、条約の締結を強いられた事を残念に思い、その事をバネして、この国を立て直していく事こそが、「保守的な構え」であると考えます。 しかし、サヨクは正にその反対の行動を取っている(前述)ので、その事を批判したかったのです。 2点目は、あの拙文の冒頭でも触れていますが、「テレビや新聞の報道のいい加減さ」です。 本当に、極めて薄っぺらい論説が、堂々とまかり通っている事が、この国の議論の惨憺たる状況を表していると思います。 一例を挙げれば(時々は指摘されている事ですが)、自衛権の問題で、まるで「判子」でも押した様に「憲法が禁じる集団的自衛権の行使」との慣用句がまかり通っています。 よく知らない人は、「そうなんだ!憲法は『集団的自衛権』を禁止しているんだ!」と思ってしまいます。 所が、このサイトを訪問されている方々はご承知の様に、「日本国憲法」にその様な記述はありません。あれは単に内閣法制局の見解(憲法解釈)です。 ですから、時の政府がその解釈を変えてしまえばそれで良いのです。 事ほど左様に、私の様な一介のサラリーマンでも少し勉強すれば、「それはおかしい!」と言える報道や、言説が大手を振ってまかり通っています。 そこで、まだまだ低レベルではありますが、私なりに調べた事を列挙して、「テレビでは当たり前の様にこんな事言ってるけど、本当は違いますヨ」(以下)と、言いたかったのです。
又のご指導を賜りたく思います。 以上、<知動説>でした(^_^) |
知動説様、早速のご回答ありがとうございます。
人それぞれ、いろいろな考えがありますので他人のお考えを良く聞くことは大事だと思います。
私がまたお二人の意見交換に茶々を入れるつもりはありませんが、私は単純に単独講和か、全面講和かという議論が国内にあったという事実は無条件に「受諾」せざるを得なかったような状況ではなく、選択する余地はあり、吉田茂が選んだということではないのかと思うのですが??
佐為さま あらまです 本日は、命名の儀がありました。 お名前は「悠仁」(ひさひと)さま。 お印は「高野槇」(こうやまき)。 すばらしいお名前です。 本日はその話題でもちきりでした。 さて、知動説さまから、ご丁寧なる返答をいただきました。 小生も、日常生活の合間にネットを楽しんでおりますので、皆様のような知識などありません。 加えて、小生の貧弱な国語力が、皆様にご迷惑をお掛けしております。 お許しを乞うともに、おつきあいをしてくださっていることに感謝いたしております。 さて、問題の箇所を UP してみました。サンフランシスコ平和条約、第11条の英文と、日本語訳文であります。 CHAPTER IV POLITICAL AND ECONOMIC CLAUSES Article 11 Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan. The power to grant clemency, to reduce sentences and to parole with respect to such prisoners may not be exercised except on the decision of the Government or Governments which imposed the sentence in each instance, and on recommendation of Japan. In the case of persons sentenced by the International Military Tribunal for the Far East, such power may not be exercised except on the decision of a majority of the Governments represented on the Tribunal, and on the recommendation of Japan. 第四章 政治及び経済条項 第十一条 【戦争犯罪】 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。 これについて、様々な解釈があるようですが、小生はその訳文がそんなに間違っているようには思いません。 いずれにせよ、日本がそれを受諾することを宣言し署名したことは事実で、それにのっとって日本は独立し、、戦後処理がなされました。 つまり、今では済んだことなのです。その済んだことに、中韓がいまもって、問題化して外交カードにしているのですね。 (確かに中韓は、サンフランシスコ講和会議に招待されていませんでした。しかし、それぞれ二国間の謝罪と補償は済んでいます。)そんな中韓のように、かつての戦後処理を洗いなおすことが、何の意味があるのでしょうか。 むしろ中韓の日本への干渉を助長するだけではないでしょうか。またまた中韓の思う壺です。そんなふうに小生はおもうのです。 とにかく、事実として、日本は戦争に負けたのです。ですから、公平な裁判なんて望める立場ではなかったのですね。 それなのに、日本は、西側陣営に入ることで、連合国は請求権を放棄してくれました。そうとう寛大な処遇を受けることが出来たのですね。 確かに、「基地問題」や「領土問題」なども残りました。その当事者の方々は、今でも大変なご苦難であります。 しかし、それでも日本という国を総じて見ますと、ドイツ、イタリアなどと比較して、かなり有利な結果だと思います。 それなのに、今さら当時を振り返って、「あれは不公平だった・・・」なんて言ったところで、何の意味があるのでしょうか。 戦争をして負けるということは、そういうものではないでしょうか。(ですから、負けるような戦争はしないことです。) 戦後の日本は、敗戦という辛苦の体験をバネにして、奇跡の復興を遂げました。サヨクが何を言っているのか、理解できませんが (理解しようとも思いませんが)、今後の日本をどのように再建するのか・・・。そうしたことを論ずるほうが、現実的だと思います。 次に、サンフランシスコ平和条約の受諾によって日本は明確に、西側陣営に入りました。つまり、このことは東側陣営と対立することを意味します。案の定、ソ連の次は、中国との冷戦構造が浮き彫りになりました。 佐為さまが仰るように、戦後間もない頃は、西側だけに講和を結ぶか、それとも全面講和を目指すのか、国論が二分していたといいます。 しかし、既に東西の冷戦構造が形成されてしまったので、全面講和は、後日のドイツのように、国家の分断を意味していたと思います。 その状況を読んで、当時の吉田茂首相は西側に入って、資本主義経済圏で日本の復興を目指したようです。小生は、その方向性は、概ね正しかったと思います。 また、アメリカは早くから日本に自衛を勧告、督促していたことも明らかになり、日本は再軍備の約束をしていたことも、先日知りました。 ご存知かと思いますが、その件については、先般放送された NHKの「その時歴史が動いた vol.261 日本独立 その光と影」が、反響をよんでいるようですね。 |
あらま様 まいごありがとうございます。
実は私も出張中に「その時歴史が動いた vol.261 日本独立 その光と影」を見てしまいました。普段は、NHK視聴料を払わないだけでなく、国賊放送は見ないのですが・・・
議論するときの前提として、
こうあればよかったといっても取り返しのつかない過去と
現在とり得る選択肢を
まぜこぜにしてはならないと思います。
あらま様もおっしゃっていますが、戦犯の処刑などはすんだ事といってはまずいかもしれませんが、偏向することはできないことです。
しかし、条約の解釈や憲法の改正は実行することは困難かもしれないけれど可能性はあります。
現実を踏まえて議論することが建設的なことと思います。
佐為さま すっかりご無沙汰して失礼しておりました。 さて、季節は一気に春本番ですが、世相の方は相変わらず、不快なニュースばかりです。 まずは、松岡農相の光熱水費計上問題です。先日民主党の参議院議員2名が農相の議員会館事務所を訪れて、浄水器と冷暖房機の有無を調査したとの事です。 私はこのニュースを聞いて「国会議員ってそんなに暇なのか?」と呆れてしまいました。 確かに、野党にとって突っ込み易く、美味しい問題だとは思います。 しかし、これは佐為さまご専門であります「ISO14001」に例えるなら、全く無能な監査員が、監視・測定の記録をみて、法律の基準値をオーバーしている事は見抜けずに、「監視測定の記録に責任者の押印がない」と、まるで鬼の首でもとったかの様に、不適合を摘出しているのと同じ様であります。本当に嘆かわしい実態です。 一方更に我が国の国益にとって深刻なのは、例の「河野談話」であります。 佐為さまは殆どテレビはご覧にならないとの事ですが、本日のテレ朝の「サンデープロジェクト」で櫻井よしこ氏が「軍が関与した強制性を示す証拠は無い」と言った所、この番組のコメンテーターである、高野孟が「・・・『強制性は無かった』、と言う証拠だって無いじゃないか!」と反論しました。 私は一瞬「こいつ、ついに馬脚を露わしたな!」と思いました。 この高野なる人物、まるで「サヨクの権化」の様なヤツで、この番組でも遺憾なくそのサヨクぶりを発揮しています。 彼のこの発言は2つの点で、彼のジャーナリストとしての資質の根本的欠如を現してします。 まずは、「挙証責任」は「訴えた側にある」と言う事です。 まず押さえておかなければならないのは、このいわゆる「従軍慰安婦問題」では(櫻井氏はこの『従軍慰安婦』と言う用語自体が誤りであると指摘していますが・・。)その慰安婦の招集に「軍による強制」があったかどうかが論点です。慰安婦の存在そのものは論点ではありません。 ですからこの場合は、いわゆる「従軍慰安婦問題」で日本政府を追及する側にこそ、軍による強制があった事を示す客観的証拠を提示する責任があるのです。 しかし、櫻井氏が指摘する様に、その証拠はまだ何一つ出てきていないのです。 (付け加えるなら、櫻井氏の取材によれば、当時の石原信雄官房副長官も「強制性を示す証拠は無かったが、韓国側が非公式に『軍による関与を認めれば、もうこの問題は問わない』と伝えてきたが為に、あの様な談話になった」と認めています) もう1点は「悪魔の証明」と言う言葉が示す通り「『無い事』の証明は極めて困難である」と言う事です。 これはもう誰が考えても明白です。「困難である」と言うより、理論的には不可能です。 例えばここに5人の友人がいたとします。この5人の中に「巨人ファンがいる」と言う命題と「巨人ファンは一人もいない」と言う命題を考えてみましょう。 「いる」と言う証明は割と簡単です。ある一人の友人が、会社帰りにいつも東京ドームに巨人を応援しに行ってる事を誰かが証言しても良いですし、その人の机の引き出しからファンクラブの会員証が出てきても、有力な証拠となるでしょう。 しかし「いない」事の証明は不可能です。 例え全員が阪神ファンである事を証明出来たとしても、だから「巨人ファンではない」と言う証明にはなりません。(どちらも応援している人だっているはずです) しかし、この高野なる御仁は、こんな基本的な事すら理解せずに、「『無かった』と言うならちゃんと『無かった事』を証明しろ!」と言うのです。 本当に、この程度の知的レベルしか持っていないものが、全国ネットのテレビに出て、好き勝手な事を喋ってもいいのでしょうか? 怒りを通り越して、笑ってしまいました。 例の関西テレビの捏造番組の件を持ち出すまでもなく、今、テレビが垂れ流す害毒は、正にこの国を危うくするものだと思います。 以上、「知動説」でした。 |
知動説様 毎度ありがとうございます。
まったく・・・としか言いようがありません。
アメリカのホンダ議員の根拠も「河野洋平談話」だと語っていました。
従軍慰安婦問題も南京問題も百人切りも、みな日本人が言い出して、日本のサヨクが騒ぎ、国際問題にしたというまことに日本の恥ですね。
そういう意味ではすべてが日本の責任なのでしょう。
しかし、
法律の基準値をオーバーしている事は見抜けずに、「監視測定の記録に責任者の押印がない」と、まるで鬼の首でもとったかの様に、不適合を摘出しているのと同じ
とは、笑ってしまいます。
オット、従軍慰安婦もISOも笑って済む問題じゃありません!
佐為さま ご無沙汰しております。 このサイトも相変わらずいろんな方が訪問され、一段と賑わいをみせている様で、心からお喜び申し上げます。さて、今日は「憲法問題」で1文お送りさせて頂きます。 今日は5月3日「憲法記念日」でありますが、そもそも今年は「日本国憲法」施行60年とかで、書店に行きますとちらほらと「日本国憲法」に関する書籍が店頭に並んでおります。私もついつい、2冊ほど購入してしまいました。 そのうちの1冊「図説:憲法問題がわかる!」(青春出版社)によりますと、世界各国の憲法改正回数は、「アメリカ:18回」「フランス:16回」「ドイツ:51回」「イタリア:14回」「韓国:9回」だそうです。これら各国の例をみるまでもなく、「ルール」というものは、必要な時期には適切に改正されるべきものです。 私も佐為さま同様、業務の一環としてISOなるものに携わっていますが、生きている文書は、間違いなく適宜改訂されているのが常であります。 しかし改めて考えてみますと、自国の「安全」と「生存」を他国の「公正」と「信義」に信頼して「保持」しようと考える憲法を、60年も後生大事にしてきたとは驚き以外の何物でもありません。 途中、国会に憲法改正案が発議されたが否決された、或いは、国民投票までいったが、国民の過半数の同意を得られなかった、と言うのならまだ分かりますが、その様な段階さえ一度たりともないのですから、我が国の政治家、そして国民はこの60年間一体何をしてきたのか?と言わざるを得ません。 国会ではやっと今「国民投票法案」が衆議院を通過した所です。長くなりますので、この辺で私の結論を述べたいと思います。私は現行憲法は「改正」ではなく「廃棄」すべきだと思います。 勿論、現実の方法論としてその実現が極めて困難である事は承知していますが・その理由はこのサイトの訪問者の方々であれば重々お分かりの事なので、ここでは繰り返しません。 そして更に付け加えるなら、本当に改正すべきなのは憲法ではなく、この様な憲法を60年の長きに渡ってほったらかしてきた、政治家、そして我々国民の、自国に対する意識や態度、そして思考形態であると思います。自分の国の行く末を真剣に考えてきたら、占領時期に制定され、正統性が全く無い憲法を、60年間も放置出来るはずがないからです。では、過ぎ去った過去は過去としてこれからどうして行かなければならないのか?今後も佐為さまのサイトを訪問しながら考え、そして行動していきたいと思います。 以上<知動説>でした(^_^) |
知動説様 毎度ありがとうございます。
ISO的発想からすれば、完全に不適合 解釈運用できるなら文書管理はいりません。
私の生きている間に、ぜひともまともな憲法にしてほしいと、還暦間近なおばQは毎日仏壇に手を合わせております。
ア 冗談です。
知動説様 毎度ありがとうございます。
論理的に反動勢力は破綻しています。しかし、信心を論理で説得することはできません。
それが困ります。革新政党は確信政党、つまり宗教なのです。
佐為さま こんにちは! 今、国内は松岡農相の自殺、そして「宙に浮いた年金5千万件」問題で大騒ぎです。 毎週、日曜の午前中のテレビはNHKも民法も政治関連の番組が多いのですが、今日は当然の如く、これらの問題で持ちきりでした。 さて、一方ニュースを注視していますと、この週末は我が国にとって決して軽視出来ないニュースが、特に北の海で連続して起きています。 まずは、青森県深浦町に脱北者4名が乗った小型木造船が漂着した事件。次にロシア極東カムチャツカ半島沖のベーリング海で、日本漁船がロシアの国境警備艇に拿捕(だほ)された事件。 そして、最後はロシアのラブロフ外相が、北方領土の国後、色丹の両島と歯舞諸島の水晶島を相次いで視察した件です。ロシア外相が北方領土を視察するのはソ連崩壊(91年)後初めて、との事です。 勿論現職大臣の自殺や、年金問題も大きなニュースではあります。しかし、長期に渡っての我が国国益に与える影響としては、北の海での3つの出来事の方が極めて甚大です。 脱北者の事件は我が国の領海警備の脆弱さを浮き彫りにし、我が国漁船が拿捕された事件は、昨年8月にも発生して、死者まで出しています。更にロシア外相の北方領土視察のニュースは戦後60年が経過していまだに解決の糸口すら掴めない「北方領土問題」について改めて考えさせられました。 しかし、報道されているボリュームとしては前者2つの国内問題の方が、圧倒的です。 何故この様な事になってしまうのでしょうか? その原因として私は3点程挙げたいと思います。まず最初は、視聴者(国民)の関心の度合いです。 当然国内のニュース、特に年金問題の方が、視聴者の関心は高いですから、ニュースを報道する側としては、こちらに重点を置く事になります。2点目は報道する側の感度の問題です。 我が国報道機関に従事する人は、安全保障や、領土問題にはあまり知識や興味もなく、身近な国内問題にしかニュースソースとしての価値を認めない傾向が強いと思います。そして最後はその事件が起きた場所の問題です。日本の交通体系は完全に東京一極集中型になっていますが、これはニュース報道についても全く同様です。 もう10年以上月日が経ってしまいましたが、平成7年に阪神淡路大震災が発生した時の事です。 当時私は東京で働いていました。勿論あれだけの大災害ですから、当然東京でも地震の被害については連日大きく取り上げられていました。しかし、日が経つにつれ、だんだん震災関連のニュースの量が減って行ったのを今でも覚えています。そして、地震発生後数週間経つと東京の新聞では震災関連のニュースはあまり見かけなくなっていきました。所が、丁度その頃私は仕事で西日本のある地方都市に出かける機会がありました。そこで驚いたのは、まだその地域では、連日震災のニュースをトップで報道しているのです。 その都市は決して関西に近い場所ではないのですが、それでも震災関連ニュースは扱いが上位なのです。 私はその時、報道に関する地域間格差を痛切に感じました。要するにこの国においては、ニュースソースとしての価値は東京に近いかどうかで決まるのです。 ですから、どんなに重大なニュースでも、東京から遠く離れた場所で起きたニュースは、報道されないか、されたとしても、その扱いは小さくなってしまいます。 今回の脱北者漂流事件も、4人が晴海埠頭かどこかに流れ着いていたら、報道関係者だけでなく、芸能レポーターまで押しかけて、大騒ぎになっていたと思います・・・(苦笑) 我々視聴者は、決してマスコミの取り上げ方に惑わされる事なく、ニュース(事件)の本質を見極める事が重要である事を改めて考えさせられました。 以上、知動説でした(^_^)/ |
地動説様へ いつも皆様の論説に感動している者です。 『知動説様からの投稿 第11弾』に有りました【黄色のスーツを着込んだ女性議員】でありますが、話の流れからしてどうでも良い事にも思えるけれど私の知り合いでもありますので少々気になりまして(と言っても味方する気は無いのですが)書き込ませていただきます。 かの女性議員は新潟四区から選出(当選回数1回)の民主党議員「菊田真紀子」と申します、ちなみに真紀子→マッキー→黄色い服なのですが、父親は新潟県議会議員を一期だけ勤めた菊田征治という人です、その父は若き日には田中角栄元首相の書生を務めたバリバリの自民党員だった(だから娘の名も真紀子)のですが二期目の選挙に敗れた後に家業の建設会社の社長に就任し、バブル期には年商30億円まで業績を伸ばしましたが、平成10年に倒産しております、もちろんその娘も二十歳頃はその会社の事務員をしていました、 訳あって民主党から出馬した菊田議員は本家のマキコ議員と同じく、利益誘導型の政治はしないと公言しておりまして、あの中越大震災の視察にハイヒールを履いてきたと大ブーイングを受けたりしています、その為に選挙民に自分の政治活動の成果をアピールする事が出来ない為、あのようなテレビに派手に映る事が前提のパフォーマンスを行ったと私は睨んでおります、 同等の女性参議医院議員の森なんとかという人もよく議会が荒れると机の上に飛び乗って派手にパフォーマンスを行っている事で有名なので、おそらくはその人のマネかと推察しております。 昔は素直で良い娘だったのですがねー。 |
cyami4212様 知動説様へお便りがあった旨お伝えしておきます。
佐為さま 暫くぶりでございます。 今日は私も例の久間発言について、述べてみたいと思います。 既に佐為さま含めて、このHPに集っていらっしゃる方々も指摘されていますが、今回の久間氏の発言は本当に稚拙で、お粗末極まりないものです。 仮にも、我が国の防衛を司り、危機管理の最高のプロフェッショナルであるべき防衛大臣が、自らの発言をきっかけに辞任せざるを得なくなるとは、我が国の防衛の惨状を物語るものです。 あんな事をこの時期に言ったらどうなるのか?分からなかったのでしょうか? さて、ここでちょっと角度を変えてみたいと思います。 参考までにこれまでの防衛大臣(旧、防衛庁長官含む)の任期を調べてみましたところ、初代、木村篤太郎長官(1954年〜)以降、今日まで53年間で、計67人が防衛庁長官(現、防衛大臣)を務めていました。(同一人物が続けて任命された場合は、重複カウントせず) ちなみに、第18代長官は小泉純也長官で、小泉前首相の父親です。第43代には加藤紘一、47代には山崎拓 などと、おぞましい名前も出てきます・・・(苦笑) さて、ここで単純計算しますと、(53年÷67人)で一人の平均任期は0.79年 つまり 9.6ケ月です。 一体、一般企業に例えるなら、社長が1年もたずに辞めていく会社が、存続出来るでしょうか? 例え、小さな部署の責任者であっても、何せ1年では何も出来ません。 こんなズタズタな状態で我が国の防衛は、引き継がれてきたのです。 言うまでも無く一国の防衛力は、長期的な戦略に従って、計画的に整備していかなければなりません。しかしその長が1年待たずに変わってしまうのであれば、「戦略」も「戦術」もへったくれもあったものではありません。 憲法もそうですが、戦後自国の安全保障政策を軽んじてきた、政治家、マスコミ、我々国民はここで改めて自国の防衛について、真剣に論じなければならいのだと思います。 以上、知動説でした。 |
佐為さま ブラック・あらまです 小生は、今後、方針を転換したいと思います。 同じ意見を言ってばかりでは、おもしろくありません。 そこで、小生は「ブラック・あらま」に変身して、皆様のご意見に対して、反対を唱えたいと思います。 どれだけ小生が耐えられるかわかりませんが、挑戦してみたいと思います。 そこで、まず最初に、知動説さまの第13弾に、体を張って受けてみたいと思います。 確かに、世論は、久間さんの発言は、日本人として非常識・非見識であったという意見が、大勢であります。 しかし、かつて、昭和天皇は、1975年の訪米からの帰国後の記者会見で、「戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。」という記者の質問にたいして、昭和天皇は、 「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。」 とお答えになったそうであります。(日本記者クラブの「特記すべき記者会見」より) このように、昭和天皇のお言葉は、久間元防衛大臣の発言と同じようにも聞こえます。 確かに、肉親を殺されれば、許せませんし、仕方ないでは済まされないでしょう。 しかし、「起きてしまったことは、しようがない」・・・、これも事実だと思います。 小生の愚考に対して、皆様のご高識を賜りますれば、幸甚であります。 ・・・なんて、書いてみました。 佐為さま、そんな小生を一刀両断にしないでくださいね。 |
あらま様 毎度ありがとうございます。
久間元大臣あるいは昭和天皇のお言葉と騒ぎは大変でございます。
そこで私は別の方のご意見を提示したいと思います。
「日本は原爆を落とされて戦争をやめました。あれこそがテロだと思うんですよ。日本は1回テロに屈したからこそ平和になったのだろうと」
なんかテロリスト礼賛のようですね
あるいはこれはいかがでしょうか?
「ヒロシマとナガサキは、どちらも、人類が人類に与えた惨禍を長く記憶するために欠かせない存在だ。」
この文章の意味がご理解いただけますでしょうか?
私には全然わかりません。
ちなみに前者は太田光の憲法9条を世界遺産にの中にある文章で後者は天声人語からの引用です。
佐為さま すっかりご無沙汰して失礼しております。 さて、いささか時宜を逸してしまいお恥ずかしいのですが、先日の参院選について、私見を述べさせて頂きたいと思います。 今回の参院選では予想以上に自民党が惨敗し、朝日新聞を始めとしてサヨクマスコミは鬼の首でも取ったかの様に、狂喜乱舞しています。 しかし、本当に今回の参院選の結果を受けて考えるのは、「この国の民主主義は健全なのだろうか?」と言う事です。 前回の郵政選挙では自民党が大勝し、それからわずか2年後の今回参院選でこの結末です。 この間、主要政党の再編や大きな政策変更はありません。 なのに、この結果は一体何なのでしょうか? 私は今回の参院選は正しく「風評選挙」であったと考えます。 さて、ここでちょっと話題を変えてみたいと思います。 選挙前に起きた新潟県中越沖地震で、東電の柏崎刈羽原子力発電所が被災しましたが、この事故に関連する報道で私が 「おやっ?」 と思うニュースがありました。 それは、この事故の影響でイタリアのプロサッカーチーム(セリエA・カターニア)が親善試合の為の来日を中止した、というものです。(但し、開催地は「秋田」「千葉」「磐田」で新潟での試合予定は組まれて いませんでした・・・) 又これとは別ですが、新潟県の宿泊施設で「観光客2万人以上の予約のキャンセルがあった」との報道もなされています。 一方読売新聞8/3朝刊の「検証 柏崎原発 地震被災」の記事によると、・・ (1)同原発で今回発生したトラブルは軽微なものを含めて計1236件。但し、国や県に報告すべきトラブルは10件であった。 (2)地震中に稼働中だった2、3、4、7号機の原子炉は想定を超える最大680ガルの揺れに見舞われたにも関わらず、無事に停止した。停止後に水を循環させて炉内を冷やすシステムも正常に機能した。 (3)外部への放射能漏れは2件であったが、いずれもその量は微量で、それによって人間が受ける放射線量は、年間に自然界で浴びる量の、それぞれ12億分の1,1200万分の1であった。 (4)経産省の調査対策委員会の班目春樹東大教授も「漏れた放射性物質は、炉内で放射線にさらされた水あかの類。核燃料が飛散した事故とは質的に異なる」と述べている。 との事です。 つまり、いろいろな事故・異常は発生したが、直ちに周辺住民及び環境に影響を与えるものではなかったのです。 しかし、今回の原発事故に関する報道では、「変圧器で火災が発生した」「貯蔵プールから、放射能を含んだ水が床にあふれた」等々 確かに、一つ一つは事実かも知れませんが、原発本来の安全性にどの程度の影響があるのか?と言う観点からの報道ではなく、(私に言わせれば)「不安を煽る事を意図した」報道が、延々と続けられてきたのです。 そしてその結果、事もあろうに新潟では試合の予定が無かったプロサッカーチームが来日を中止し、地元の宿泊施設では2万件超のキャンセルが発生したのです。 つまり、新潟県及び地域住民はマスコミによる偏った報道によって、謂われのない「風評被害」に見舞われた、と言わざるを得ません。 さて、私が刈羽原発の1件を持ち出してきたのは、この事故と今回の参院選における自民党の惨敗には、これに関わるマスコミ報道において明らかな共通項目があると考えるからです。 それは 「ある 『事象』 を報道するに際して、その 『事象』 の 『本質』 と、その 『事象』 から発生する『派生的な事柄』 とをきちんと峻別して報道せず、その 『事象』 の 『本質』 を見失った報道を行っている」 という事です。そしてその結果、その 『事象の主体者』は必要以上の「風評被害」に見舞われているのです。 話しを参院選に戻せば、多くのマスコミの報道は自民党批判に終始し、片や民主党や野党に関する批判は本当に、(今回の放射線漏れの様に)微々たるものでした。 「果たして、民主党に政権を担う能力はあるのか?」「民主党提示のマニフェストは果たして、実現可能なのか?」と言う観点からの報道は皆無であったと思います。 そして、我が国有権者は一連の「風評報道」に引きずられて、民主党に多数議席を与えてしまったのです。 この結果は少なくとも、今後6年間は固定されてしまいます。一体有権者はそこまで考えて投票したのでしょうか? 明らかに偏向したサヨクマスコミ、そしてそのマスコミが垂れ流す「風評報道」に従って、事も無げに投票行動を一変させてしまうこの国の有権者。 本当にこの国の行く末を案じざるを得ません。 健全な(バランスのとれた)報道、そしてマスコミ報道に紛らわされる事なく適切な判断が出来る有権者。 これら無くして、この国に健全な民主主義が宿る事はありません。 早急にこの二つを回復していかなければ、と強く感じさせられた、今回の参院選でした。 以上、<知動説>でした。 |
知動説様 毎度ありがとうございます。
おっしゃるとおりと思います。
ジャーナリズムとはなにか?といえば事実をそのまま伝えるのではなく、そこに社会に対し警告や指導的メッセージを込めるものであることは間違いありません。
しかし、己が主義主張を通そう、自分の勢力を増そうというたくらみを込められてはまっとうなマスメディア、ジャーナリズムではありません。
日本のマスコミはニュースを伝えると言うより、そのニュースをいかに自分に役に立つように報道するかという観点からの考えしかできないようです。そんなことを私も書いたことがあります。
まあ、日本人に生まれたのも渡世の義理、日本をまともにしようと頑張るしかありません。
佐為さま 又々懲りずに拙文をお送りさせて頂きます。 今年も8月15日がやってきました。そして結局安倍首相は靖国参拝を見送りました。 更には閣僚の参拝は高市大臣一人と言う、非常に残念な結果となってしまいました。自らは参拝した島村前農相は「頼りない。堂々と参拝すべき」とコメントし、又、産経新聞には八木秀次高崎経済大教授が「これでは不戦敗だ」と批判する寄稿をしています。 しかし総理就任後、いわゆる「あいまい戦術」を取ってきている安倍首相の見送りは、残念な事ですが、ある程度予想出来た事でした。しかし私が最も残念に思ったのは、安倍首相が靖国神社を参拝しなかった事に対してインタビューで「参拝するしないは、『外交問題』になっている以上、申し上げる考えはない」と答えた事です。 私はこの『外交問題』と言う言葉は、絶対に使ってはいけない言葉だと思います。これは決して『外交問題』ではなく、明らかな中韓の不当な「内政干渉」なのです。『外交問題』と言ってしまっては、中韓の言い分にも一理ある、と受け止められてしまい、結果的に安倍首相の天敵である「朝日新聞」を利する事になってしまいます。 安倍首相は過去においても、(こちらも同様に「いわゆる」)「従軍慰安婦問題」について、国会の場で「狭義の強制性は無かった」と答弁しました。これも同様に「では、広義の『強制性』はあったのか?」と捉えられてしまいます。 1国の首相の発言は、他の閣僚、国会議員とは、その重みが違います。首相を補佐する筈の補佐官達、特に広報担当の世耕補佐官は一体何をしているのでしょうか?カメラ目線をやるとか、止めるとか・・・、そんな次元の話しはもう聞きたくありません。 一方、防衛省の次官人事のゴタゴタも見苦しいものでした。「首を切る」との通告を夜中に携帯電話でしようとし、更には、「携帯がつながらなかった」と我が国の危機管理体制のお粗末さを、堂々と暴露してしまう防衛大臣。 一方人事権をもつ大臣に公然と反旗を翻した事務次官。一連のゴタゴタを掌握仕切れない官邸。 おまけに「塩崎官房長官と小池防衛相の確執」まで取りだたされるに至っては、もう殆どワイドショーの世界です。 報道では、この27日に内閣改造と党内人事が発表になるそうです。 「続投する」と宣言した以上、安倍首相には、もうこの様な低レベルな報道がなされる事にない様、真に国益を追求するまともな内閣を組閣して欲しいものです。 今、我が国はそんなコップの中の嵐に振り回されている余裕はないのですから・・・・。 以上、<知動説>でした。 |
知動説様 毎度ありがとうございます。
何も申し上げることはありません。
10年前よりは良くなったのか?と思えば社会党は大きく勢力をなくしたことは間違いないのですが、サヨクはまだ根強い。
これから、そして10年後どうするのか?我々に何ができるのか?を良く考えましょう。
そして何とかしなければなりません。
佐為さま こんにちは! 安倍改造内閣が発足・始動しました。 すると、又ぞろ政治と金の問題が持ち上がってきています。 正直私は、これらの報道には辟易しています。 政治家とて聖人君子ではありません。 「○○の経費が△△で報告されていた」「□□の経費の報告が漏れていた」等々の報道を聞いていると、「そんなの修正すればいいではないか?」と思ってしまいます。 本当にマスコミの揚げ足取り、スキャンダル狙いには、閉口してしまいます。 彼らは教師や宗教家でなく、政治家なんです。そんな事より、彼らの政策や、政治家として日本の為に「何を為したか?」について、報道して欲しいものです。 今回厚生労働相に就任した桝添要一参議院議員は、まだ東大助教授時代にテレビ朝日の「朝まで生テレビ」で(その当時も政治と金の問題が騒がれていたと思います。)「政治家に必要以上の潔癖性を求めてはいけない」「例えば、紳士で金儲けは一切せずに、質素な生活をしているけれど、何度通っても一向に病気を治せない医者と、言動は乱暴で、金使いも荒く、女性関係も派手だけど、一度診て貰えば、ぴたりと病気を治してくれる医者がいたら、どちらの医者にかかりますか?」「私なら、病気を治してくれる医者にかかります」と言う趣旨の発言をしていました。 私もその通りだと思います。 多少金にきれいでなく、失言が多くても、単身ロシアや中国に乗り込んで行って、日本の国益を堂々と主張して来る、そう言う政治家を私は望みます。 以上、<知動説>でした。 |
佐為さま こんにちは! 本当に残念な事ですが、安倍首相が退陣してしまいました。 確かに一国の宰相の辞め方として、批判は避けられない辞め方でした。 本会議の開始直前の辞意表明と言う最悪のタイミングからすると、総理周辺に適切なアドバイスが出来る側近がいなかったのではないか?正に首相官邸が孤立していた、と言わざるを得ません。(勿論その事を含めて首相の責任ではありますが・・) しかし現状を見渡すと、本来保守政党であるべき自民党において、「サヨクのなり損ない」の様な政治屋が跳梁跋扈しており、数少ない保守派の政治家であった安倍氏の退陣は返す返すも残念な事で、自民党、そして我が国の行く末を案じざるを得ません。 既にマスコミでは「福田首相誕生」が既定事実として報道されています。 しかし、振り返ってみれば、昨年の9月の総裁選で安倍氏は圧倒的な支持を得て総裁に選ばれました。所がその1年後、自民党は政治的スタンスとしては安倍氏とは両極端に位置する福田氏を、これ又圧倒的多数で次期総裁に選出しようとしています。であるとすれば、一体自民党の国会議員は、政治家としての信条、政策は捨て去ってしまったのでしょうか?(ひょっとして、最初からそんなものは持っていなかった?)本当に嘆かわしい限りです。 さて、話しを安倍首相辞任に戻したいと思います。 私はある意味安倍氏は自民党が患っている「人材枯渇病」と言う病の被害者であると思います。安倍氏は昨年当選5回、戦後最年少(52歳)、初の戦後生まれの総裁として選出されました。しかし知られている様にそれまでの閣僚経験は、小泉内閣での官房長官のみです。外務、財務、経済産業、防衛等の主要な閣僚経験のないままの総理就任となりました。 では何故安倍氏が大差をもって総裁に選ばれたのか?それは「選挙の顔」として期待されたからです。かつてより自民党は、選挙に勝てる、言い換えれば大衆受けする事を総裁選出の基準とする事が多々ありました。海部俊樹、河野洋平などはその好例です。(尤も政治家の資質としては、安倍氏とこの二人には歴然とした差があるとは思いますが・・・) 派閥の領袖でもない、当選5回の安倍氏を党の顔として選んだのは、翌年(つまり今年)の参院選を睨んでの動きと言って差し支えないと思います。そしてポストが欲しい一心で各派雪崩を打って、安倍支持を打ち出した事は記憶に新しい所です。 さて、今回も新聞報道によれば14日午前、山崎拓・山崎派会長、丹羽・古賀派の古賀元幹事長、谷垣派の谷垣元財務相と福田氏が会談し、その場で3派の福田支持が固まったそうです。まだ福田氏がその政策を公に発表する前に、派としての方針を決めてしまったのです。 正に麻生氏が指摘する「芝居の幕が上がったら、終わっていた」状態です。 今回の福田氏への支持の広がりは、選挙対策ではなく、これまで小泉、安倍体制で冷や飯を食わされてきた各派閥の反発と言えるでしょう。いずれにしても、政策で争って政権を獲得すると言う、政治のダイナミズムはもはや自民党では死語となってしまった様です。そして、その原因の一つに、「人材枯渇病」即ち、この国のリーダーとして相応しい有能な政治家が、いつの間にかいなくなってしまった事があげられると思います。その結果、安倍氏は「とにかく選挙に勝てればいい」との1点だけで、総裁に祭り上げられてしまったのです。まだ派閥政治が華やかしい時期で、各派閥の領袖が総裁の椅子を競っていた時期であれば、安倍氏は総裁選に出馬する事すら出来なかったでしょう。しかし、その結果、安倍氏は閣僚経験も少なく、派閥のボスとして、金とポストを握り、配下の議員をまとめ、派閥を運営していくと言う経験もなく、又有能な側近で周囲を固めると言う準備もままならないうちに、1国のリーダーに仕立てられてしまったのです。 私はそう言う意味で、安倍氏はある意味被害者だと思います。(勿論受けた以上、政治家としてそんな言い訳が通じない事は私も理解はしていますが・・) さて、もう嘆いていても仕方ないのですが、既に福田総理総裁誕生は既定路線の様です。 麻生氏と福田氏を比べて、首相の器としてどちらが相応しいかは、比べるまでもありません。 福田氏は14日夜のテレビのインタビューで「これまで総理になりたいと思った事はなかった・・」と言い放ちました。我が国国民は、「やりたくないけど、しょうがないからやる」と言ってる人物に、この国の舵取りを委ねなければならないのでしょうか? 又15日の総裁選出馬の記者会見で、靖国神社参拝について、事もあろうか「相手が嫌がることをあえてする必要はない」とまで言い切りました。一瞬耳を疑ってしまう妄言です。 プロ野球の監督が聞いたら、卒倒してしまうでしょう。 では、ロシア、中国、韓国、北朝鮮、そして最近はアメリカまでもが、我が国が望まない事を行っている事をどう思っているのでしょうか? こんな「サヨクかぶれ」が我が国のトップになってしまうのです。 暫くはじっと我慢と忍耐の日々になりそうです。 まあ、負け惜しみですが、憎っくき安倍晋三を引きずり降ろした朝日は、これで以前よりは攻めにくくなると思います。 朝日の紙面がどう変わるか楽しみです。 以上、<知動説>の恨み節でした・・・(苦笑) 失礼しました。 |
知動説様 自民党が悪い、人材がいない、福田はとんでもないヤロウだ・・・なんでもいいのですが、彼らは貴族ではありません。国民が選んでいるのです。
マスゴミもゴミの一種ですが、それに踊らされているのもまたゴミのような国民なのです。
そして日本は一般国民が主権者なのです。
言いたいことは、我々が日本を良くしなければならないということです。
どうしようもない政治家を落とすのは一般国民が覚醒しなければなりません。
マスゴミに対して、おかしな報道をしたならそんなテレビ見ませんよ、新聞取りませんよ、と言えばよいのです。
だから正論を、ネットで、街頭で、いろいろな手段を使って主張しましょう。
それしか方法はなく、何もしなければ日本は崩壊するしかありません。
佐為さま こんにちは! 先日の私の拙文にわざわざコメントを頂き有り難うございました。 私も基本的な思いは佐為さまと同じです。 「国民は、国民のレベル以上の政治は持てない」と言います。「民主主義」という政治システムをとっている以上、その国の政治は有権者の政治意識やレベルに依存せざるを得ません。 そして、この国の政治は殆ど「ワイドショー」と化してしまっています。 さて、嘆いてばかりいても仕方ないのですが、何故この様になってしまったのでしょうか? それは私なりに愚考すれば、・・・・・ 「レベルの低い国民」⇔「俗悪なマスコミ」⇔「資質を著しく欠いた政治家(屋)」 この「負のトライアングル」が「戦後民主主義」と言う土壌の上で見事に完成してしまったのだと思います。 この「負のトライアングル」の連鎖をどこかで食い止めなければなりません。 さて、材料に「力」を加えていくと一番強度的に弱い箇所から破壊していきます。 先程の「トライアングル」で言えば、やはり「国民」が一番他からの影響に左右されやすい、強度的に弱い箇所だと思います。 しかれば、この佐為さまのサイトの様な場で、国民が反日マスコミによるサヨク的思考の呪縛から逃れられる様な正しい情報を発信して行く事が肝要だと思います。 その為に私も微力を尽くしていきたいと思っています。 以上、<知動説>でした。 追記) 自民党総裁選はやぱっぱり媚中派の福田氏が勝ちましたネ。 残念な事です。 しかし、麻生さんは頑張りましたね。8派閥を敵に回して197票は立派です。 自民党にもまだ一縷の望みを託したいと思います(^_^) |
知動説様 毎度ありがとうございます。
おっしゃることに同意です。
しかし、麻生さんに197票とは!自民の中にも志士はいると感じました。