講演会、理解力、企画力 2002.12.23
おめでとうございます、今上天皇のお誕生日でお休みです。
この連休、家内に逃げられて男やもめの一人暮らしの日々であります。

これが続くとチョット
こんなのばかり食べております。
実は夫婦げんかしたわけではなくお正月に田舎に帰るのは混雑して大変なので、家内が連休を利用して実家に里帰りしたのであります。

自慢ではありませんが、わたくし結婚してから炊事などしたことがありません。しているのは皿洗いと掃除だけです。いつも娘息子から私が一番生活力がないと厳しく言われております。

三度の飯はその辺のファミレスやファーストフードでとりまして、あとは散歩して、ウィンドウショッピングをして帰ってきてからは本を読んだりゴロゴロという怠惰な生活です。 イイデスネ〜
まあ、久しぶりの遅寝遅起きの連休であります。

そんなわけで、本日は最近行ったセミナーでもらった資料やメモなどを整理しておりました。
環境保護のセミナーに行っていただいてきた厚さ数センチもの資料はゴミ箱直行であります。
厚さ3センチはあります、重さにして1キログラム近いですよ!(ウソじゃありません)
講演者は分厚い資料があればハッタリが効くぞと考えているのでしょうか?
主催者はせっかく来てくれた方には手ぶらでは返せないと気くばりしてくれたのでしょうか?
参加者としては分厚い資料を手渡され荷物になりまして帰り道大変というありがた迷惑でありました。
チョット計算してみますと、出席者が300人として300キログラム、直径20センチ長さ10メートルの丸太2本くらい消費したに違いない!
配るほうが悪いのか?捨てるのが悪いのか?一度読んだら(あるいは読まなくとも)不要な資料を作るのが悪いのか?
持ち帰ってきても昼寝の枕にしては低く、両面コピーなので裏紙として使うわけにもいかず、使い道もありません。結局燃えるゴミとして捨てるしかなく、ごみに出される自治体も迷惑でしょうし更なる環境破壊を引き起こしております。
古紙に出せばとおっしゃるあなた、古紙回収する以前に紙使用量を減らすのが筋というもの・・・・
まさに環境保護とは正反対の行いです。 
わたくし思うんですが、、
いわゆる専門家ならば専門分野について5分で話せといわれても、半日話せと言われても対応できるはずです。私はそういう注文に対応できる人が専門家であろうと考えています。
自分の言いたい事を必要十分な量にまとめられず、とりとめがないのはそれをもって専門家じゃない証拠です。厳しい言い方かもしれませんがそう信じています。
聴講者も当然ポイントポイントをつかめばよいのであって、通り一遍のセミナーでものすごい情報を得ることを期待はしておりませんよ・・・・
であれば、講師は資料をせいぜいA3一枚くらいにまとめてなければ話が練られていないと見られてもいたし方ありません。

更に付け加えれば、以前も申しましたが『英語と算式を使わないで』説明できなくちゃ専門家とはいえません。
  アッ、これは余計でした。

私が毎日書いているものをみて、おまえの話もまとまっていないじゃないか!と言わないで
決して手抜きとかでたらめを書いているつもりもありませんが、このウェブサイトのコンテンツ作成といいますのは・・・朝夕の混雑した通勤電車で本も読めないほど込んでいる時など最近のニュースや読んだ本などの情報を反芻して、タイトル、筋書き、オチ(ない場合が多い)を考えているんです。そして自宅で夕食後、一気呵成に打ち込んでオシマイ という手順です。
困っちゃうわ!
それにしてはこのウェブサイトの質は高いんじゃないかと自賛しております 


ところで、2週間ほど前に行ったセミナーでなぜか一番前の席になってしまいました。
これじゃ居眠りもできません。しかたなく歯を食いしばり必死にがんばって目を開いておりました。
いえ、私も睡魔と闘うだけでなく、少しは気に入ったフレーズとかあるいはこのホームページで使えそうなネタなどをメモしておりました。
一方お隣に座った青年は今風で膝にはノートパソコンを開いて講師の話を聞いてキーを叩いております。好奇心をとったら何も残らない私ですから、多少失礼かなとは思いましたが液晶画面を覗き込みました。するってえと、なんですな、ウィンドウ付属のメモ帳を立ち上げて講師の話を一生懸命カチャカチャと入力しているんです。
  はあ?
これを見て私は講師の話も上の空となり、講演会でノートパソコンを使うことの効果(是非とは言いません)を考えたのでした。

先ほど申し上げたように聴講者は講師の話を一語一句逃すまいとしているわけじゃなく、要点を忘れない程度記載すれば目的は果たします。仮に出張報告を書くとしても講師の話をサマリーしなくちゃなりませんからいずれにしても速記録をとることはありますまい。
手帳あるいはレシートの裏とボールペン一本あれば済む話です。
最近わたくしは外出時気がついたことはメモせずに携帯電話から自分宛にメールするという方法をとっています。
 これではメール代金がかかるかな?
あとで清書あるいはパソコンに打ち込むにしても、要点だけメモしていれば十分じゃないですか?
一生懸命にキーボードを叩く青年はそのあと一体どのような処理をするのでしょうか?速記録を作るなら私ならキーボードじゃなくて本当の速記をしますね、(私にできないことはありませんよ)
横目で見ながらそんなことを考えておりました。


そういえば、私の息子の大学の宿題(?)とやらは与えれた課題に関連するものをインターネットで検索して探してコピーアンドペーストしてワードに貼り付け、論理をつないでおしまいというのが多いようです。

  オイオイ、こんなんで勉強になるんかい?

勉強ってのはない頭をひねり、どうすれば論理的につじつまが合うかを考えること、あるいは考え方を学ぶことではないのでしょうか?
数学の勉強なんてそのままじゃ社会では出てきません。でも積分なんかで変換すると同じ式がでてきて、これを左辺に持っていって右辺を2で割るなんて手があるでしょう。ああいった裏技的な仕事ってあるんですよ。私は数学ってその論理性とかテクニックを身に着けるものと思ってます。

学校でも、会社でも、いえ日常生活においてでも何が一番重要か?といえばあたりまえのことですが、考えることです。
若い時、いえ歳をとっても考えることを学び、練習してないと頭が錆び付いちゃうんです。
以前学ぶ人のお話をいたしましたが、パソコンを使っても頭を使わなくちゃ理解力もつかず、当然創造力も身に付きませんよ、


日本の将来に暗雲をもたらすのは偏向した思想だけじゃなく、この安楽な手法の蔓延も懸念するところです。


ところで、一番気がかりなのはあの青年のパソコンのハードディスクは壊れたりしないのでしょうか?
わたくし過去にノートパソコンのハードディスクがクラッシュしたことがありまして、その時決してモバイルでは使うまいと心に誓ったのでした。



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