私が子供の頃、剣豪の物語が大好きだった。当時はテレビなんてなかったが紙芝居にはそんなものが多かった。大型ロボットとか変身物なんてのは私が大人になってからのこと
私が紙芝居を見ていたというわけでもない。私が小学校の頃、紙芝居屋は毎日自転車できていたが、私にとっては見ることはなかなかできなかった。紙芝居を見るには怪しげなお菓子を買わなくてはならず、それを買うこずかいがなかったからだ。紙芝居屋はお菓子を買わない子供たちを追い払った。
テレビがなくちゃラジオがあるだろうなんていっちゃいけません。私が子供の頃、ラジオを持っている家は10軒に1軒もなかったのです。
さてそんな剣豪物語に出てくるのは、宮本武蔵、佐々木小次郎、上泉信綱、柳生十兵衛、曲垣平九郎などなど、皆さんご存じないかな?
ところで剣豪といってもその歩む道はひとつではなかった。ある人は大名をめざし、ある人は人に仕えることを選び、ある人は後進を教えることを選び、またひとり孤高を目指した人もいる。まあ、それは小説、伝聞の世界だ。真実かどうかは私は知らない。
私が10年前まで囲碁にのめりこんでいたことは有名
(?)な話、田舎町でも強い人はたくさんいた。
そういった人たちはみな五段、もちろん県代表なんてのはもっと上なのだ・・・・
その当時は囲碁の免状とは一般には五段までしかもらえなかった。六段以上は特別な大会の勝者のみもらえた。今では六段まで昇段試験でもらえる。
囲碁の強い人といってもその生き方はさまざまであった。
ある人は私たち低段者をあしらうことに楽しみを持っていたし、ある人は県代表を目指し日々努力を・・・
ある人は普段は碁なんてしないで大会にだけ顔を出していた。ある人はその特技を生かしてカルチャーセンターで碁を教えて収入を得ていた。まあどの道を選んでも是非はいえない。
剣豪の人生と似ているかなあ〜なんて想像してしまいます。

ところでその選んだ道によって、また苦労といいましょうか煩わしいことがいろいろあるわけです。

一人楽しんでいる分にはなにも心配はなさそうですが・・・
ところが一人にでも教えていればその方との人間関係もありますし、その方が上達しないと教える側にとって悩みとなるでしょう。もしその方が別の人に教わったほうが上達が早いと考えて移ってしまうかもしれません。そうなれば教えていた人にとっては金銭的なことではなくとも、面白くないでしょうし、あるいは自信をなくしてしまうかもしれません。
まして教室を運営していたりしますと、これはれっきとしたちいさな社会ですから人間関係とか内部のリーダーシップ問題、はたまた生徒間の争いごとなどなどすべて背負うことになります。
イヤータイヘンナコトデス。私にはできません。
オッ、私のようなへぼには教室開催がそもそも無理かな?

さて、インターネットの世界も同じようです。個人がウェブサイトを作りアップしているだけでもさまざまな人間関係が発生し、利害関係を伴います。利害といってもお金だけでなく発言権、名誉、グループ内の序列など価値観はさまざまです。
もちろん、まったく一人だけで好き勝手に運営するという方法もあります。この場合サイトのコンテンツを充実させようとするとすべてが個人の労力とスキルに依存します。誰も助けてはくれません。お客さんが来て面白いと思ってくれるかくだらないと感じるかはすべて個人の力です。
実は私は毎日更新しているサイトを知っている。
「ひとりの日本人として」といいforestさんという方が運営しています。
そしてウェブサイトを更新するだけでなくメルマガもだしている。それがものすごい労力を要することを私は知っている。
私自身がもかなりの頻度で更新しているからこそその苦労がわかる。
forestさんの努力の結果は・・・・ものすごいアクセスとなって返ってきている。一度お聞きしたことがあるが、毎日のアクセスが700とか1000だという。私のサイトのご訪問者は一日あたり200ないし350というところだ。
こういったカテゴリーのウェブサイトのアクセスというのは組織票
(?)がなければせいぜいが100とか200である。私のサイトは多いほうだと思っているが上には上があるのだ。そうするためにはものすごい努力が要る。何もせずに放っておいては結果は出ない。
もちろんアクセス数がすべてではないし、アクセス数が多いからコンテンツが優れているとはいえない。
誤解なきよう、forestさんのコンテンツが優れていないというわけではない。
私もほとんど毎日訪問している。
一方、掲示板なんてものを作るとこれはひとりでに議論が進み、管理者/開設者は昼寝していても訪問者が来てくれ、アクセス数はどんどん増えていく・・・・こともある。
でも、問題も多々あります。掲示板に書き込まれた内容の管理責任は開設者にあります。万一
(実際には十に一くらいなのだが)誹謗中傷、あるいは板の中でも議論が過熱したりすると開設者はこれをコントロールする責任があります。
掲示板などでなくとも、熱狂的支持者が現れたりするとこれまた問題となることもあります。管理人のつもりになって仕切ったりします。これも管理人としては痛し痒しかもしれません。
政治的な主張のためにウェブサイトを作ったのに、それを運営するために組織内の政治を行わなければならないとは人間社会の必然なのでしょうか?
5社協定や大手が嫌いだと独立した三船も石原も、自らの組織維持のためには小さな大企業にならざるを得ない。
往年のチャンピオンボクサーが引退できないのも取り巻きを食わせるため、盛りをすぎた歌手が老醜をさらしても歌うのは彼を支えてくれた人を支えるため。渡世の義理は大変です。
私は掲示板もなく基本的に私の言いたい放題
(独り言)を語っているだけ、お便りをいただければありがたくアップし、コメントを追加しております。私に間違いがあればあるときはこっそりと、あるときはお詫びをつけて修正しております。
剣豪の話から、囲碁の話、ネットの話となりましたが、その伝で言えば私は宮本武蔵なのでしょうか?
強いという意味ではありません。
腕前によって仕官の道を探した柳生でもなく、道場を開いた千葉周作でもないようです。
まだ人間枯れておらず、六無斎までは悟りきっておりません。
ひとそれぞれですが、しがらみがないほうが私には気楽です。
先日も書いたが、ホームページを開設するなら開設者が意見をもって主張すること、論旨を分かりやすく書くこと、内容が多くの方に共感を得ること、などなどが重要である。
サービスの品質そのままである。
しかし、会社で働いて、なんで自宅までもこんなに労力を費やしているのでしょうか?
誤解を恐れずに言えば、
嘲笑を恐れずにというのが正しいのでしょうか?
愛する日本が少しでも良くなってほしい
という一念なのですが・・・
エッ、ちっともホームページと関係ないって?
こまったな、大ありと思ったのですが・・・・・
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