私がバカなことを語っているのを見て楽しんでいるという可能性ももちろんあるまあ、なんにしても期待してくれているのはうれしいことである。それでは期待に応えねばなるまい。![]()
もし、このバカ話を読んで、異議ある方がいらっしゃいましたら、いつでもお便りください。
大いに論じたいと思います。
それじゃあマニュアルに規格文言を書きなさいといっているだけのこと。そんなのを適合性審査とは言いません。
これまた間違っても『マニュアルに書いてありません。』などと騙ってはいけません。
私が受査側なら即座に審査員を切って捨てますよ。
「実施可能な場合には」とあるが、寺田さんが解説本で「不可能な場合はないのではないか」と書いておられる。実際問題として測定可能でないものは目標となりえないのではないか?
間違っても『「外部からの文書が識別され、その配布が管理されていることを確実にする。」と書いてない』などと指摘してはならない。実際は・・・日本中でそういう不適合が出されているようです。
『96年版では「前回監査の結果に基づいて」だったのですが、04年版では「前回までの監査の結果」になったのでその文言が抜けています』・・・なんて間の抜けた指摘をしちゃいけません。
英語の原文では元々おんなじでしょ!
今まで「前回までの」監査結果を反映していなくても不適合にしなかったあなたが悪い!
04年版の不適合を見ると『改善のための提案がない』というのが多いですね。私は改善のための提案ってプラスアルファで、その欠落は不適合でないように思います。
適合性審査ができない人が、付加価値のある審査などできるわけがない。
適合審査 佐為さま あらまです 今回も、たいへん勉強になり、感謝しております。 文書作成は、難しいですね。しかし、難しいと思って書いている文章が、難しい文章になっていることを感じます。 要は、創作したり、カッコイイ文章を書こうとはせず、簡潔な報告文書みたいなものでよいと言うことだと勝手に理解しております。 ところで、「日本人は、数字と活字を信じやすい」と、言われています。 最近はプリンターの普及で、手書きの文書を見ることはありませんが、活字で書いてある文書と、手書きで書いてある文書と比較すると、まったく同じ文書でも、活字のほうが決定的で動かしがたい反面、手書きのほうは訂正可能で未完成という印象をもって臨んでしまいがちだと思います。 また、報告書に数字があると、何かその文章作成に至るまでにキチンと調べてある・・・と、いう印象があって、数字の内容をろくに審査せず鵜呑みにしてしまうケースが多いと思います。 逆に、文面に数字がないと、それがキチンと調べた結果なのか、不審に思ってしまいます。 最近、流行の「架空請求」も、活字で数字を羅列して書いてあり、老婆はもとより、立派な現役世代もアッサリ引っ掛かってしまうのは、まだ「活字・数字アレルギー」から完治していないと思います。 結局、部下が上司に提出する報告書と、商品である適合審査報告書とでは、基本的に違う性質のものでしょうが、そのものズバリを素直にそのまま書けばよいということですね。 ですから、強調するための二重否定なんて書き方はご法度ということですね。 なんて、勝手に解釈しております。 |
あらま様、毎度ありがとうございます。
そうなんです! 手書きより活字、ワープロ文書というのが信用されます。
特に私は小学生のような字しか書けないので、ワープロ(ワープロソフト)全盛の現在出なければ生きていけないでしょう。
しかしワープロ全盛というのも考えようですよ。最近、ちょっと親戚に時候の挨拶を書いたのですが手書きですとすこしは面積をとってさまになるのですが、ワープロですと1行で字余りではなく、はがきあまりで困ってしまいました。
いずれにしても中身しだいということでしょう。
おっと! それって審査も時候の挨拶も結局はおなじということですかね?