ビジュアル本系は別として「読めなきゃ本じゃない」というのはほんとだが、そうは言いつつ買って喜んでいる本がある。ここでは特に、その文字組の善し悪しによって大きく装丁を違えた英語版と日本語版の対決に立ち会ったときのお話で二題。 |
(その1)Whom the Gods Loved five poems vs. 詩集 妖精の詩
![]() ![]()
詩 今井とおる、金子みすず、大関松三郎、 |
「夭折の詩人五人の作品のなかからセレクトした詩をまとめた」とかで、日本語版 ( 詩集 妖精の詩 ) と英語版が同時に出ていたと思う。両版は同じ装幀ではなかったように思うのだがもしかしたら同じだったかもしれない、英語と日本語という文字の組み方の違いで異なって見えただけかもしれない。内容を読むというよりこの英語版のいでたちが好きだったので買ったのだった。
葛西薫の端正な装幀。白い箱から本体を取り出すと、フランス装のように三方を内側に折込んだきれいな水色の表紙に、タイトルだけ黒でびしっと刷られてある。本文紙はわりと薄いので裏うつりしているが、そこにかかれた大竹伸朗の伸びやかなイラストが、実に実に実によく映える。これはたぶん、大竹に充分に描かせる余裕をもってテキストのデザインを一旦終えてみたが、実際は予想以上に大竹が見事にその空を埋め尽くしたという感じなんじゃないだろうか。 |
(その2)メディアはマッサージである vs. The Medium is the Massage
![]() メディアはマッサージである
マーシャル・マクルーハン |
日本語で読んでみたいと思っていた、ので出たときに買ってしまった。「解説」が付いているから、タメになるといえばタメになるがしかし、この表紙...。 カバーをはずすと出てくる右上がりのタイトル、裏表紙にも同様のタイトル、オリジナルを彷佛とさせるのはわずかにこの部分だけ、本文のレイアウトは必然的にほぼ英語版と同じだから表紙だけはちょっと遊ぼうと思ったのか、それともなにか他に理由があってできなかったのか...。いずれにしてももうちょっとクールにしてもらわないと、困る。 1968年に出した河出書房の改訳新版だというが、そっちの表紙はどんなんだったのか気になるところ。 内容を御存じのかたならおわかりのように「なにでそれでこれ、しからばそれだからこうこう」みたいなものではないし、写真や図版、文字の組みなどを愛でて読むのが楽しい一冊だから、結局「手にして快」な英語版の圧勝。 |
![]() The Medium is the Massage
Marshall McLuhan/Quentin Fiore (これは1996のHardwired版) |
思潮社版マラルメの「骰子一擲」(1991)も、翻訳の問題や英語と日本語の文字組の難易度のせいだけではなくて、残念ながらオリジナルのほとんどの魅力を失った一冊ではないでしょーか。 |