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きれいな猟奇 映画のアウトサイド(滝本誠/平凡社2001)
これまでの映画評論をまとめたものだが、本や装幀についての言及も多々。わかるとこはすごくわかるがわかんないとこはちっともわかんない、飛びまくりの話のテンポにじゃぁこっちもわかんないから飛んじゃおう。で、気になって何度も開いて読みふけってはやめての繰り返し。私が本にナルのなら、こうして手尼にまみれたい。平林享子「クローバー・ブックス」編集

梶山季之の『せどり男爵数奇譚』にでてくる人皮で装丁した本の話をひいて「...まあ、毛深い男の胸の皮あたりをそのままなめしてH.P.ラブクラフト『狂気の山にて』あたりを装本すれば、なかなか趣味のいいものができるにちがいない。...」
ホントにそんなふうに作ったら、「趣味がいいね」とほんとにほめてくれるのだろか。きれいな猟奇の究極の回答はこれ。

マリ&フィフィの虐殺ソングブック(中原昌也/河出書房新社2000)
「男にとって本は人が頁を開くまで、死んでいる生き物として本棚に収められている物体に過ぎない。読んでやることで息を吹き返し、さらに男の手で新たな頁に物語を書き足してやることで成長していくものなのだ。」と、『小公子』を手に取って書き加える。「小公子は実はバカで、一日中ちんちんをいじることをやめようとしない。朝、目が醒めるかどうかという時に、もうすでにいじっている。でも、いいじゃないか。減る物じゃないし。」
その後何度か書き足された中原版『小公子』、これが商品になったら喜んで消費税5%を払って買いますとも。

(2)「物語終了ののち、全員病死」より
しょぼい本屋が在る。貧して棚はガラガラだ。どうしようか。道行くひとを本に変えればいいんだ。「人間を、本に変えてくれる魔法の銃」。
あなたがもしその弾を浴びたら、どんな本になるだろう。温泉暴力芸者中原昌也、小説家デビュー作品集、この文庫版の解説は柳下毅一郎、高らかな「ウリ・ロメル主義宣言」も好ましく。

冬の旅(ジョルジュ・ペレック 酒詰治男訳 風の薔薇5/水声社より)
ドゥラグラエルは同僚の書斎のなかに『冬の旅』と題された薄手の一冊を見つけて読みふける。そこには30ばかりの借用がある、と思った。しかし年代を見ると、借用したと思っていたマラルメの詩行を2年先立って「叫んで」いる。全てしかり。ものすごい発見だ!と調査を始める。しかしその背景が浮き彫りにされてきたころには、そのときに見た『冬の旅』はルアーヴルの爆撃の折に焼けてしまい、動かぬ証拠をつきつけることができなくなっていた。1926年にある装丁家のもとに送られたはずの500部は、その途中で意図的に破棄されたものと彼は推測する。ドゥラグラエルは精神病院でその生涯を閉じる。そこには黒い布で装丁された分厚い帳簿が一冊、ラベルには『冬の旅』。初めの8ページは無駄に終わった調査の回想、残りの392ページは空白のままであった。

模倣、剽窃、改作をひるむことなく繰り返し、その正当性を第二宣言でル・リヨネーも公言している「ウリポ」の代表的作家の描いた本はそのとき空白であった。しかしフランス19世紀末の文学を詳しくするひとなら、埋めることができるかも。誰かいませんか。ユゴー・ヴェルニエの『冬の旅』、黒い布で装丁イタシマス。

華氏451度(レイ・ブラッドベリ著 宇野利泰訳 ハヤカワ文庫)
焚書官であるガイ・モンターグが禁断の書物を集め始めるきっかけとなった老女の家で『純白なハトのように、手もとでとまって翼をはためかしている』本に出逢う。それは『うすくゆれうごく灯の下で、ページが開き、雪白の羽のようにひらめ』き、その上には『・・・時は、午後の陽光のうちに、眠りに落ちた。』という優雅な活字が並んでいた。
モンターグ宅がついに焚書のために焼かれた時、床の上には『表紙をもぎとられ、白鳥の羽根と化したかれの書物が、なんら問題にする価値のない品となって散乱して』いた。『黒い活字と変色した紙、バラバラになった装幀のほかのなにものでもなかった。』

午後の日ざしをあびて風にはためくページの音、焼けこげて触るとぱさぱさな本の具合。なんてあまりにもはかないことよ。

ソラリスの陽のもとに(スタニスワフ・レム著 飯田規和訳 ハヤカワ文庫)
ソラリス・ステーションには膨大な本があった。「それほど価値のある本ではなさそうな、ソラリス研究の開拓者たちの業績を記念し,それを保存するためにつくられた本棚らしく、600冊くらいの古典的な本がはいっている」。そして『ソラリスの歴史』の第二巻を、ステーションに着いて間もなくのケルビンが読み直している。
ステーションの中で人間の英智を集めた戦士たちは、時に本の引用をもって異分野の逸材たちとの交流をはかるシーンがでてくる。
ケルビン「ギャバリャンのメモには『ソラリス年鑑』と『小アポクリフォス』と書いてあった」
スナウト「『小アポクリフォス』は古い本だ。我々に共通の問題が載っているかもしれない。あげよう」そう言って革表紙の隅のすり切れた薄い本を取り出してケルビンに差し出す。

ソラリスステーションにはずいぶん大きな本棚が描かれている。レムが考える記録メディアの進歩は本に留まっていたのか、あるいは意図的なのか。ここでの本はすっかり権威の象徴で、覚え込んだ多くの文章の引用がその人物の博識ぶりをあらわす、という。

重力の影(ジョン・クレイマー著 小隅黎、小木曽絢子訳 ハヤカワ文庫)
実験物理学のポスドク、ディビットが語る『アンドリュー・ラングのおとぎ話』の話が、全巻を通じて基幹の裏を流れる。子供の頃にきれいな復刻版を買ってもらって自然と暗記してしまった彼は友人の子供達に話して聞かせる。この冒険物語が、実際の事件に微妙に重なり続ける。その中の一節。
『棺台の横を通り過ぎる時、トンは骸骨の手の骨の指が、薄い色のなめし革でみごとに製本された小さな本を握りしめているのに気付きました。・・・表紙の革の匂いが漂ってきて、ページのこすれ合うかさかさいう音が聞こえました。』

もはや知識は無謀な冒険を凌駕して、何よりも新しい行動の原動力になると言ってます。知識は、そしてその象徴として描かれた本は、無限の可能性を生み出すものだ、と。

エレホン(サミュエル・バトラー著 山本政喜訳 岩波文庫)
nowhereの綴りを逆にして作った地名の国(エレホン)を訪れる一人の男の目を通して、進化論や機械文明に対する考えをシニカルに語る。この国の博物館には絶滅した恐竜の剥製が飾れるように様々な機械が展示されており、この国の不合理大学の考古学者の一人は、500年前の機械党対反機械党の戦いに詳しく、革命を惹起した著書『機械の書』をその男にプレゼントする。

きまじめな語り口で、倒錯のおもしろさを見逃してしまいそうになる。昭和10年の初版をやっと手に入れて読んだ(現在絶版)ので口語体がさらにやっかいではあるが、『機械の書』は是非日本語で復刻してみたい。機械の「生殖」について述べるくだりがあるが、それを「本」と読み替えてもいい。