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 『勲章』(モーパッサン作) 教 案 

 はじめに

 この作品は子供のころから勲章をほしいという強い願望を持っている人物が大人になってからもその願望を捨てられず奔走する物語である。主人公のサクルマン氏はパリで中産階級らしい裕福な生活を送っている。この主人公が暇にまかせて、勲章のために血眼になる様子が滑稽に、軽妙に描かれている。実際には勲章を貰えるほどの地位も功績も何一つ持たない主人公が、最後にはひょんなことから勲章を手に入れることになる。生徒はこの意外な結末に驚くとともに、どのような事情でこんな結末になるのか主人公はいったいどういう人物か、この結末は何を意味するのかという様々な疑問が浮かんできて、考えさせられる作品となっている。授業で扱うと、様々な印象や疑問、意見が積極的に出される作品である。
 勲章への願望が表面上はこどもの時と同じようであっても、願望の質は変化している。サクルマン氏が大人になっても勲章に執着することの意味がこの作品を理解する重要なポイントである。サクルマン氏は財産のおかげで世間に出て働く必要がないことが、サクルマン氏の勲章への異常な執着を生み出している。モーパッサンはサクルマン氏が多くのものを失っていることを勲章を手に入れた歓喜と満足のうちに描いている。ここに作家的な力量が表れている。

 あらすじ
 サクルマン氏は子供の頃から勲章に憧れており、大人になってもその憧れは消えなかった。裕福な家庭に生まれた彼は、将来の出世のためにあくせく勉強をする必要がなく、大学の試験に落ちた。学歴も肩書きもなかったが、財産のおかげで美しい妻と結婚し、裕福な生活を送っている。彼は上流階級の人々とつきあえるほどの地位になく、たまたま名士三人と交流があってそれをなにより自慢にしている。
 何の心配事もなく、やるべき仕事もない生活の中で、サクルマン氏の唯一の不満は勲章が貰えないことだった。彼は大通りで勲章をつけた人の数を数えて歩くほど、毎日勲章のことばかり考えて暮らしている。勲章を身につけた人々を賛美し羨望を抱くと同時に、彼らが妬ましく、自分が勲章を貰えないことが腹立たしくて仕方なかった。
 勲章への熱意が高じたサクルマン氏は、美人の妻を通して代議士のロスランに頼んでもらうことにした。勲章を貰うには肩書が必要だとロスラン氏に言われたが、サクルマン氏には何の肩書もなかった。そこで実績を作るために論文を書くことにした。彼は苦労して論文を書き、大量に印刷して代議士や大臣や大統領にまで配ったが、何の反応も起こらなかった。
 サクルマン氏が勲章を貰うために奔走していたころ、サクルマン夫人とロスラン氏の関係が深まる。ロスラン氏はサクルマン氏の家にしょっちゅう出入りするようになり、サクルマン氏にいろいろと助言を与えた。サクルマン氏はロスラン氏のアドバイスに従って国中の図書館を調べて回る仕事に出かけた。
 サクルマン氏は仕事に熱中している最中に、ふと一週間も別れている妻に会いたくなる。真夜中に突然帰宅して妻を驚かせるようとする。妻は夫の突然の帰宅に動揺し、部屋にいたロスラン氏を慌てて隠した。
 サクルマン氏は、部屋にあった外套に勲章がついているのに気付き、自分のではないと叫ぶ。妻は「これはあなたのです」と咄嗟に言い放つ。妻は、サクルマン氏の知らない内に勲章の授与が決まったと信じ込ませた。サクルマン氏は妻の言葉を信じて嬉し泣きに泣き出した。一週間後サクルマン氏がロジオン・レジ−ヌ勲章を授かったことが正式に発表された。

 教 案

 本文を読んだ後、サクルマン氏が勲章をもらえるきっかけとなったのは何かを考えさせる。200字程度で書かせる方法もある。
 最後の場面ではロスラン氏について全く言及されていないので、勘のいい生徒は細君の浮気に気がつくが、一度読んだだけでは分からない生徒も多い。分からない生徒には、もう一度考えるように指示する。気がつく生徒が増えていくと、驚きが広がる。サクルマン氏が勲章をあれほど欲しがるのはどのような意味をもっているのか、この浮気がどのような意味を持っているか考えてみようと問題を提起することによって、作品に対する興味をさらに広げることができる。

  授業の質問と考え方

 1) 子供の頃のサクルマン氏の特徴は何か
  勲章が好きだった。
  *他の子供たちが兵隊の帽子が好きであるのと同じであった。

 2) サクルマン氏の勲章への願望は大人になった時にどうなったか。
  子供の頃の考えはサクルマン氏の頭から去ろうとしない。
  自分に貰う権利がないかと思うことが煩悶にまでなっている。
  *注 普通は大人になるにつれて勲章への子どもじみた願望は消えていく。サクルマン氏は、大人になっても勲章への願望が消えず、生活の全てになっている。
  *注 勲章への願望が表面上はこどもの時と同じようであっても、願望の質は変化している。サクルマン氏が大人になっても勲章に執着する意味を理解する鍵は、彼の生活にある。生徒は、最初にこの作品を読んだだけでは、彼がどんな生活をしているか、印象に残っていない場合が多い。このポイントをおさえることが重要である。

 3) サクルマン氏の経歴はどのようなものだったか。
  たいして勉強もしなかったので大学入試に失敗した。
  財産があったので美人の妻と結婚した。

 4) サクルマン氏の現在の生活はどのようなものか。
  別にしたいことも、するべきこともなく、裕福な生活をしている。
  上流社会に出入りせずに同じ中流階級の人と交際している。
  代議士と師団長二人と親交があることを自慢にしている。

  *注 サクルマン氏は地位の高い人とつきあいのあることを自慢に思っている。
  *注 サクルマン氏は働かずに生活していけるだけの財産を持っている。彼はただ与えられた財産を消費するだけの生活をしていた。

 5) 「煩悶の絶え間がなかった」というのはどういうことか。
  勲章がもらえないことを、悩み苦しんでいる。
  勲章への意識が生活の中心になっている。

 6) サクルマン氏が勲章を持った人に会った時にどういう感情を持つか。
  ガアンと胸に一つ食らわされたような気持ちになった。
  彼は彼らを絶望的な羨望の眼で盗み見した。

 7) サクルマン氏の一日はどのようなものか。
  午後…通りを歩いて勲章をつけている人の人数を数える。
  夕食後…勲章屋をのぞきに行く。

 8) サクルマン氏の勲章に対する思い入れはどのようなものか。それが分かる具体的な行動を指摘しよう。
  勲章の小さなリボンの点々をすばやく見分けることができる。
  探索が邪魔され、一人でも見逃すとしょげかえる。
  通りを行く時と帰る時と、勲章をつけた人の数がどれぐらい違うか勘定する.
  勲章をつけた人が多くいる界隈はどこか知っている。
  勲章をつけた人が盛り場の右側と左側のどちらに多くいるか知っている。
  *注 勲章を着けた人物を捜すことで一日を過ごしている。

 9) サクルマン氏が「思わず敬礼したくなる」とはどういう感情か。
  四等の勲章をもつ人に敬意を持っている。
  四等と五等を大きく区別している。
  *注 サクルマン氏は四等勲章をつけている人の頭の動かし方や、ちょっとした身のこなしに感嘆する。彼はその様子に五等よりも「より高い尊敬と、より大きな勢力を公に持っていることがありありと」現れていると感じる。
  *注 実際に勲章に値する能力や実績を持っている人物と、サクルマン氏のような人物とでは、勲章に対する敬意の質や、勲章を持つ人の尊厳や勢力に対する感じ方は違ってくる。サクルマン氏は彼の能力に応じた表面的な見方をしている。

 10) サクルマン氏は勲章を持つ人に敬意を感じると同時に、どのような感情を抱くのか。 
  勲章をひけらかしているあらゆる人々に対する激しい怒りを爆発させる。
  *注 勲章をひけらかすように思えるのは勲章をひけらかしたいサクルマン氏の特有の解釈である。

 11) サクルマン氏をとらえる憤怒はどういうふうに表現されているか。
  勲章をひけらかすあらゆる人間に対する怒り
  社会主義者のような憎悪。
  政府を腐っていると思う。それを覆そうとしたパリコミューンが正しいという。

 12) サクルマン氏は「腐った政府」「不正」と言っている。彼は何に対して怒りを感じているのか。
  自分が勲章をもらえないこと。★自分以外の多くの人々に勲章を与えていること。
  *注 歴史的な事件を引き合いに出して、自分がもらえない不満を大げさに表現しているだけで、政府の不正について考えているわけではない。
  *注 サクルマン氏は歴史的な事件を、自分が勲章を貰えない不満の観点からのみ見ている。瑣末な観点を一般化し大きなことを言い、小さな部分を全体の姿と混同するのが彼の特徴である。

 13) 怒りにとらわれた後、サクルマン氏がすることは何か。
  夕食後に勲章屋をのぞきに行く。
  *注 サクルマン氏の不満は夕食後に勲章屋をのぞきにいくことで解消される。この彼の満足の仕方に、彼の不満の瑣末さが現れている。
  *注 彼の勲章をもらえないことで怒り、手に入れた我が身を想像して夢想に耽る。不満と満足との小さな幅で感情が揺れ動く生活をサクルマン氏は繰り返している。

 14) サクルマン氏は勲章屋の前でどのようなことを考えているか。
  自分が勲章をつけた姿を想像する。
  彼の空想は、「社交界の人々や感嘆の眼をみはる一般人であふれかえった大広間の中を行列の先頭に立って進」むとか、「オペラ・ハットを小わきに抱えていとも荘重に」歩くことである。サクルマン氏は勲章をつけて人々が感嘆する前を得意気に歩くことを空想している。
  サクルマン氏は尊敬されたい、感嘆の目で見られたいと思っている。
  *注 退屈で空虚な生活が勲章に対する執着を生み出している。サクルマン氏は空虚さを感じることはない。勲章への執着が彼の生活を満たしている。

 15) サクルマン氏の「魂胆」とは何か。
  妻からロスラン氏に頼むこと。
  *注 頼む時の体裁を重んじている。露骨に欲望を表明できない。ここに彼の自信のなさや臆病さが現れている。、彼の勲章への思いは切実でどうしても欲しくてたまらない。同時に実力の裏づけがなく、実質的な準備をしていないのでこのような「魂胆」に頼ることになる。

 16) 勲章について妻はどう考えているか。
  勲章に値するだけのことをしていないからもらえると思っていない。

 17) 妻は、サクルマン氏の魂胆を聞いてどういう行動をとったか。ここに彼らのどういう関係が表れているか。
  言う通りにした。
  *注 妻はロスラン氏に頼んでもらえるとは思っていないが、サクルマン氏の言うことを聞いている。妻は夫を説得する気はなく、夫と面倒なもめごとを起こしたくない。
  *注 妻にとっても、ロスラン氏のような身分の人物と交渉し接触をもつことは、関心があるだろうと思われる。

 18) ロスラン氏の対処はどのようなものか。
  大臣に話すことを約束した。サクルマン氏の矢のような催促にあって、肩書が必要だと答えた。
 *注 ロスラン氏はまともには取り合っていない。
 *注 肩書が必要だというのはサクルマン氏にとっては痛い点である。

 19) サクルマン氏が勲章をもらうために取りかかったことは何か。
  肩書を得るために「教育における国民の権利」を論じる論文を書くこと。
  これは「頭がからっぽで書き上げることができなかった。」

 20) サクルマン氏は次の論文のテーマとして選んだのは何か。
  「貧民街の子供のための無料劇場設立」「街頭図書館の巡回について」。
  *注 これらのテーマであればその場限りの思いつきで書くことができる。
  *注 サクルマン氏はこのテーマの方が「教育における国民の権利」より簡単だと思っている。
  *注 サクルマン氏は、下層の人間の味方であるという形の論文を書けば世間に受け入れられ易いと思っている。

 21) サクルマン氏はどうして「成功まちがいなし」と信じ込むのか。
  サクルマン氏は今まで実質的な努力を何もしたことがない、世間で自分を試されたりしたこともない。教育について考えたこともなく、思想もなく、経験もないので何か書きさえすればいっぱしの物を書くことが出来ると単純に信じることができた。

 22) サクルマン氏が会った秘書官はどのような人物だったのか。
  「まだ若い、それでいてもったいぶることでは一人前の、いかにも傲慢そうな」人物。
  *注 「請願の趣は順調に進んでいる」というその場限りの形式的な挨拶を、サクルマン氏は真に受ける。

 23) 「代議士のロスラン氏は、今になって、サクルマン氏の成功にひどく興味を持つように見えてきた」とある。これは何を示しているのか。
  ロスラン氏と妻との関係が深まった。

 24) ロスラン氏は「勲章を持っていた。その名誉に値するほどのどんな理由があったかはわからなかったが。」とある。このことから勲章について想像できることは何か。
  社会的な貢献によって叙勲されることもあるし、地位の力でもらうようなこともある。
  *注 ロスラン氏は「名声を得たいばかりに特別に得体の知れない学問に没頭しているいくつかの学会を紹介した」とあるように、名声だけを目的とした連中をよく知っている。
  *注 勲章の周りには様々な人々が群がっていることが示唆されている。

 25) ロスラン氏の援助やアドバイスはどのようなものだったか。彼の魂胆は何か。
  研究題目を示し、名声を目的として得体の知れない学問に没頭している学会を紹介した。
  各地の図書館を回って調べ物をする。
   サクルマン氏を家から追いだす。

 26) 「ねぼけでもした時のように、独り言をいっているらしかった」「化粧室まで走っていってドアを開けたかと思うと、また閉めた」とある。妻は何をしているのか。
  真夜中の突然の帰宅に驚いて、ロスラン氏を化粧室に隠して、ロスラン氏の持ち物を隠した。
  *注 部屋の中を駆けまわったり、家具にぶつかっている様子は彼女の動揺を示している。

 27) 「そこで、彼は順序正しくいつもするように就寝の支度に掛かった」とある。これはサクルマン氏が妻の言葉(「まあ、こわかったわ!うれしかったわ!」)をどう受け止めたからか。
  サクルマン氏は、妻を驚かせようとする目論見が成功したと思い満足している。

 28) 外套に勲章がついていたのはどうしてか。
  これはロスラン氏の外套であり、ロスラン氏の勲章がついていた。
  彼が脱いで、隠すのを忘れていた。

 29) 妻が「これはあなたのです」と言ったのはどうしてか。
  浮気をごまかすために、とっさに考えついた嘘だった。同時に、サクルマン氏をよく知っている妻は、この状況をなんとかごまかすための最も効果的な嘘を考えついている。
  サクルマン氏はこの嘘を見破ることができない。勲章を貰えるということに舞い上がっている。
  *サクルマン氏は落ちていた白い紙がロスラン氏の名刺であることを見つける。妻は「ほらね」と言ってサクルマン氏を納得させる。読者にとってはこの名刺はこの外套も勲章もロスラン氏のものであることを示しているが、サクルマン氏にとっては彼女の言葉が本当であることの証拠となっている。

 30) サクルマン氏は嬉し泣きをするのはどのような心情か。
  念願が叶った。
  フランス各地の図書館を回った努力が実ったなど、自分の努力で得たものだと思っている。

 31) 一週間後にもらえたのはどのような事情からか。
  ロスラン氏が浮気を隠すために金やコネを使ってもらえるように働きかけた。

  おわりに
  結末について、どのように考えることができるか。
  ・サクルマン氏は望み通り勲章を手に入れた。この過程は、サクルマン氏が妻との関係、ロスラン氏との関係をはじめ、すべてを失っている事を示している。またサクルマン氏があらゆる事に対してまともな認識が出来ない事も明らかになっている。サクルマン氏の住む世界には信頼すべき関係は生まれない。
  ・生徒に中には勧善懲悪の結末に慣れており、この結末に戸惑いを感じる者もある。このような疑問は、結末についてさらに深く理解するきっかけとすることができるだろう。サクルマン氏の幻想が破れるよりも、彼が歓びと満足に浸る結末は、多くのものを失っていることを強調する結果になっている。彼は勲章を手に入れたことによってますますばかげた自己満足に陥っていき、多くのものを失っていることに気がつく可能性すらないことが示されている。

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