前置き@
−人間椅子との出会い−
飽食の時代に、これまた希有な貧乏学生だった私は(『単なるライブの通いすぎ』とは友人の談)、珍しくアルバイトが休みの木曜日の夕刻をのんびりと過ごしていた。
時は19時。何気なくチャンネルを回したテレビジョンから(昨年まで私は、まさに「回す」チャンネルの付いたテレビジョンを愛用していたのである。)挨拶したのは中村敦夫氏であった。若い方は御存じないかもしれぬが、中村敦夫氏と言えば「木枯し紋次郎シリーズ」で一世を風靡した俳優である。斯く言う私も紋次郎に憧れ、幼少の頃、紋次郎の決めのポーズを爪楊枝で真似たものであった(理解る人には理解るだろう。理解らない人は・・・いいです(笑))。
余談はさておき、当時その中村氏が進行役を勤める「地球初19時」なるドキュメンタリー番組放映されていた訳である。
その夜のテーマは「バンドブームの裏側」といったようなものだった。折しも巷はバンドブームで、「いかすバンド天国」(通称「いか天」)なる番組はアマチュアバンドにとってのプロへの登竜門のような役割を担っており、絶大な人気を博していたようだ。「ようだ」という表現を使わざるを得ないのは、何のことはない、民放が当時3局しかなかった鹿児島では「いか天」は放映されていなかったからである(於・・・)。私が「いか天」出身のバンドにメディアを通して触れたのは、その「地球初19時」が初めてであったかもしれない。
さて、番組は進行し、あるバンドをクローズアップ、その裏側を紹介し始めた。純朴で真面目そうな青年が、白塗りのメイクを施しながらインタビューに応えている。当時聖飢魔Uの信者であった私は、「白塗り」という点に既に親近感を感じ、夕食をつつく箸の動きを止めていた。
白塗りの青年は、「ゲゲゲの鬼太郎」(作:水木しげる)の鼠男のような衣装を身に纏い、ベースを手にして舞台袖へ歩いて行く。その後にドラマーとおぼしき、白塗り男の仲間には見えないこざっぱりとした青年が続き、最後に現れたのは作務衣を着たこれまた怪しげな暗い感じの青年。パートはギターのようである。
次の瞬間、彼らのステージが映され、私の夕餉は再び熱を加えねば口に出来ぬ程に長いこと、その場に放り出される羽目に陥った。
純朴そうだった白塗りの青年の表情は、演奏が始まるやいなや狂気のそれへと変貌し、ステージ上は無限地獄の様相を呈した。彼の歌声は一度耳にしたら忘れられないであろう独特のもので、さらには東北出身らしい彼の津軽弁なまりが、日本的なビジュアルのおどろおどろしさに妙に融合していた。ドラマーは無表情に、それでも力強くリズムを刻んでいたが、一方の作務衣男もその外見からは一般的に想像し難い攻撃的な音を弾き出していた。歪んだギターのリフが白塗り男を挑発し、白塗り男もベースを操っているとは思えない俊敏な指さばきでそれに絡んでいく。
明らかに江戸川乱歩や夢野久作を意識したと思われる歌詞と、ブリティッシュハードロック的曲調のミスマッチ。
このような音がこれまでに存在したであろうか?
彼らのドキュメントが終わり、中村敦夫氏が他のバンドを笑顔で紹介し初めても、もう一度彼らが現れないだろうか、という一縷の望みを懸けて「回す」チャンネル式テレビジョンの前に座り尽くしていたあの日。
バンドの名前は、人間椅子。
ギター・ボーカル、和嶋慎治。ベース・ボーカル、鈴木研一。ドラムス、上館徳芳。
1990年初夏、私と人間椅子との出会いであった。
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