前置きA
−筆者背景−


 人間椅子のファーストアルバム「人間失格」は、「いか天」が放映されていなかった鹿児島でも、話題作としてレンタルCD屋のお薦め品に列挙されていた。

 聖飢魔Uで手一杯だった私には、未知のバンドに2800円投じる財力も無く、失礼ながら先ずはレンタルして聴いてみることにしたのである。行きつけのレンタルCD屋で一際暗さを醸し出しているジャケットをむんずと掴み、貸出手続きももどかしく歌詞カードに目を通す。

 鉄格子黙示録−−針の山−−あやかしの鼓−−りんごの泪−−・・・

 なんと心躍る名曲達!

 当日、友人と会う約束をしていた私は、待合わせの時刻を無視して彼女の部屋にその足で押し掛け、その場でCDを聴かせて貰うことにした。
 於、中村敦夫氏の笑顔が浮かんでくるあの日の曲、狂気、煩悩、彼岸の世界・・・
 独り悦に入ってにんまりしていると、台所から私用の飲物を用意してくれていた友の声、
「何それー?(嫌悪のイントネーションを含んで読む事。)」
 彼女のCDラックにはDreamsComeTrue、岡村孝子。
 そりゃあ「何それー?」だろう。
 忘れられない夏の日のひとこまではある。


 当時私は、4年半恋愛関係にあった青年との遠距離恋愛に限界を感じ、在鹿の青年との新しい出会いと二股をかける、という人にあるまじき行為を続けていた。それが明るみに出、4年半の人との破局も束の間、在鹿の青年が、またもう一方で別の女性との関係を続けていたことも発覚。因果応報とはこのことであろう。

さらに、暫く貯めたアルバイト代で自動車学校に通い始めたはいいが、想像を絶するテクニックのなさで、1枚4000円のチケットを山のように追加購入せねばならない日々であった。購入費用を稼ぐには夜遅く迄アルバイトに勤しまねばならず、しかし深夜まで働いて実施教習を受けた日にゃ「昨晩遅かったね、調子悪いからすぐわかるよ。」と教官に言われる有様。恋愛関係も絡んで、まさに「針の山から血だるま火だるま俺は墜ちてゆく」状態であった(「針の山」より引用)。

 そんな中、人間椅子の曲は、私を異境の空間へと誘ってくれるトランキライザーの役割を担っていた。自動車学校迄の送迎バスに乗り込み、即ウォークマンのスタートボタンを押すと流れてくる彼らの曲。疲れと眠気で2〜3曲目以降の記憶は欠如し、学校に着くと見知らぬ人に何度となく起こされ、お陰で友達も増えたものである。目覚め(させられ)た時大抵流れているのは8曲目で、鈴木氏と和嶋氏に「人間失格!」と笑われ、それが快感に変わる頃、一般人より8万円は高価な新品の免許証が私のものとなった。長かった。


「人間椅子、部屋でじっと聴いているような女、ちょっとやだよなぁ・・・」

 冗談ではあるのだろうが、この科白が私の心に投じた波紋は大きかった。ビジュアル的な印象でのみ判断し、彼らの深さを理解しようとする態度すら持ち合わせない(仮にも「自分の彼女その1」が好きな音楽なのであるから、『一聴してみよう』ぐらいの心掛けが有っても殊勝というものだ。)薄っぺらな男である、という思いが拭えなくなったのである。

 結局4年半の恋愛を捨てて走った青年(二股承知で交際を続けていた。)とは2ヶ月も持たず(大笑いである)、それから間を空けず純粋な青年と知り合い、長い間恋愛関係にあったのであるが、私の人間椅子への気持ちは否定しないにせよ、彼の車で人間椅子のCDを流そうとすると、彼もやんわりと言ったものである。

「御免、これだけはちょっと・・・」

・・・難しい。


 ここまで書いてお気付きであろうとは思うが、人間椅子の楽曲はどうもいわゆる一般には受入れ辛いようなのである。レンタルCD屋でも2枚目のアルバム「桜の森の満開の下」までは処によっては置いてあるのだが、3枚目以降のアルバムにはとんとお目に掛かったことが無い。

・・・難しい。




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