ART織田の


週末画廊日記


12月7日

光野浩一@獏。人生はチェスの駒か命題


アル・ボーエンとチェス板

 獏の展示室には、20×20枡の巨大なチェス板が設置してあり、クイーンの駒ばかりが、占拠率70%くらいに置いてあった。
 壁には町の風景の写真。また、別の場所にキャプションが付け加えてあり、自分の駒を探せ。駒は動かせない。との注意書きが・・・・。

 人生はチェスの駒に例えられる。人生はゲームだろうか?運命が人を操るのだろうか?
 冒頭の漫画は「ARMS」である。プログラム・ジャバウォックと呼ばれるシナリオのもとに、運命を握られた4人の少年少女が、ARMSという無機生命体(ナノマシーン)を武器に、戦いを繰り広げるという、とても数行では語れないお話だ。
 確かに運命は用意されている。大きなもののうち、一つは死。これは必ず来る。そして生まれた場所や時代。降りかかる命題、巡って来る出会いや別れ。そんな中で、人生のプレーヤーなのか、所詮は駒なのか、混乱してしまう時も多い。
 ただ、どちらにせよ、運命は一人に一つづつ用意されていることには間違いない。一つの運命が、一人の人間を選んでいるのだ。
 大概の人生には価値はない。例えば僕が生きようが死のうが、どっちみちそれは、さほど大きな波紋ではないわけだ。そう思うと、やはり人生はチェスの駒かもしれない。しかし最善、何かの駒だとして(ポーンとか捨て駒とか)、その運命を全うして生きる、演じるのではなく、皮膚感覚的リアリティをもって、その息吹、重さを感じつつ、両手に掴み取るように生きることが、重要ではないかと思う今日この頃だ。


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