○忠臣蔵考(1999年)
  CHUSINGURA study in 1999


 今年、NHKの大河ドラマは「元禄繚乱」ということで、「忠臣蔵」がブームとなりそうな 気配である。
 お話としての「忠臣蔵」は大変良くできており、日本人の真情に訴えるその内容は 改めて筆をおこすまでも
ないところである。
 しかしながら、史実としての「淺野刃傷事件」「赤穂浪士復讐事件」については、あまりにも 一方的な
勧善懲悪型の理解がなされているように思われる。
 私も、昔は単純に自らの家系の縁も含めて、「勧善懲悪型単純忠臣蔵信奉者」であったが、 井沢元彦氏の
「忠臣蔵元禄十五年の反逆」を読んで、多いに共感する(というかその論理展開に 納得)するところがあり、
現在ではその評価を変えつつある。
 あえて、誤解を恐れずに言うならば、赤穂浪士の討ち入りの本質は「主君の仇討ち」に名を借りた 痛烈な幕府、
いや将軍(綱吉)批判のデモンストレーションであったと理解しつつある。  
 その理由については、また別稿をおこしてみたいと思う。
(是非、井沢元彦氏の「忠臣蔵元禄十五年の反逆」もご一読頂きたい。)    
 
 また、吉良氏側への不当な歴史的評価というものについても、心を寄せるようになった。
「仇討ち」が本質でないとすると、吉良氏側関係者が長年に亘って受けた精神的な傷ははかり知れない
大きなものがあるのではないだろうか。 実際、この特集をHP上で組むに当たって、関連HPを探していて
ぶつかった素晴らしい「忠臣蔵」 HPの掲示板上で、
「忠臣蔵」礼賛の書き込みの中、ポツンと載った「吉良町」出身の方のコメントに 深く胸を打たれた。

  (以下当該HPからの抜粋)    

   はっきり言って、忠臣蔵は嫌いです。あんな暴徒が、ヒーローになることが間違ってます。
   吉良公が何か悪いことをしたとしても、江戸城で、いきなり斬りつけて、その上、切腹だって、
   幕府が、そうしろといったんじゃないですか。なぜ、幕府を責めない?浅野に一方的に斬りつけられて、
   その上、討ち入りに遭うなんて、なんて可哀想でしょ う。みなさん、自分に置き換えて考えてみて下さい。
   そうすれば、理解できると思います。             吉良の住民より

 私個人としては、赤穂浪士の行動やその矜持について心から敬意を表するものではあるが、
それと正しい歴史認識とは分けて考えるべきだと思っており、浪士達の名誉を汚すことなくその方面での研究が
今後進展することを心から祈っている。
 思えば、暗君と呼ばれても仕方のない行動を殿中でとった淺野内匠頭長矩とその処断に取り戻しのつかない過ち
を犯した将軍綱吉が責められるべきであって、それ以降の淺野・吉良両家の藩士のとり行いとその結果は善悪の問題
ではなく歴史的な悲劇以外の何物でもないと考えている。

 従って、当HPはあくまでも、忠臣蔵につながる「淺野家」の足跡をできるかぎり事実に即してまとめ、
特に、自分の家系やそのエピソードについては極めて個人的な内容を多く含むものであり、
決して「忠臣蔵」そのものについて研究したものではないことをお断りしておきたい。
 しかしながら、「忠臣蔵」と「淺野家」は不可分の体を為していることもあり、こうした一文をもって
当HPの基本的スタンスをまとめたみた。

 どうか、ブームの中「忠臣蔵」について批判を許さないような雰囲気が醸成されないことを心から望んで、
この特集の巻頭言としたい。

以上  


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