○示現流関係メール交友録
JIGENRYU & E-mail comunications
Date: 2007年3月21日 13:00:14:GMT+08:00
以前のもメールを差し上げたと思いますが、示現流というのは四代目を継承した
瀬戸口藤兵衛重位(後の東郷藤兵衛重位)が島津家久(薩摩藩主)の命により
薩摩藩のみにだけ伝わるように流派名を変えだけであり、流祖、小瀬興左衛門長宗が編み出した自顕流そのままのようです。
タイ捨流と融合したとの文章がありますがそれは無いと思います。剣術を使う際の癖としては、
恐らく身体に染み付いた業として出てきてしまうのかも知れませんが剣術単体としては流祖、
小瀬長宗が編み出した自顕流そのままであると思われます。笠間に示現流を伝えたのは
村上善太夫義知の息子の村上善蔵義明(この人が笠間藩初代示現流師範)で
徳川幕府より国替えを命じられたのが1747年(延享4年)で日向国延岡から常陸国笠間へ移ってきました。
O様
メールありがとうございます。
>私の所蔵している「笠間示現流」の中にも「浅野修次郎政盛」−文久元年十二月十二日入門との記述もありますし。
これは、「笠間示現流」(村上義博氏)のことかと思われます。
既に絶版で実家にあった2冊の内の1冊を持って、
広州に赴任して参りました。曾曾祖父の記述をご参照頂き
誠にありがとうございます。
>それともう一つ所蔵してる「示現流兵法」という本にもかなり
>詳細に示現流について書いてあります
大変興味があります。出版社等ご教示頂ければ幸いです。
現在、中国広州市在住で、笠間淺野家や示現流調査の
ライフワークは止まっておりますが、いずれまた帰国した際には
調査を再開したいと思っております。
ご教示ありがとうございます。
なお、弊社HPにお問い合わせ頂いたメール内容をお名前等が
出ない形で掲載をさせて頂いております。不都合がありましたら
削除致しますのでどうかよろしくお願い致します。
http://www.mars.dti.ne.jp/~asanos/jigenryu2.html
淺野
Date: 2005年9月11日 21:29:35:GMT+08:00
はじめて、メールをさせて頂きますOと申します
以前から示現流の記事については知っておりました
私の所蔵している「笠間示現流」の中にも「浅野修次郎政盛」?文久元年十二月十二日入門との記述もありますし。それともう一つ所蔵してる「示現流兵法」という本にもかなり
詳細に示現流について書いてあります
その中で気になった箇所があったので書いておきます薩摩(鹿児島)の伝書の中で示現流(正式には天真正自顕流)の流祖は十瀬与三衛門長宗と書いてあるのですが恐らく
清和源氏(常陸源氏)源義家の弟、(新羅三郎)源義光の子孫で常陸大田に本拠を置き茨城北部、中央部を支配していた佐竹氏(1602年に家康の命で秋田へ)の一族
の小瀬氏ではなかろうかと考えられます
小瀬与三衛門長宗(天真正自顕流流祖)→金子新九郎→赤坂弥九郎(後の善吉禅師)この善吉こと赤坂弥九郎から薩摩の瀬戸口藤兵衛重位のちの東郷藤兵衛重位へ伝わった 因みに小瀬与三衛門長宗→金子新九郎→赤坂弥九郎→東郷藤兵衛→
池田杢左衛門→山田杢兵衛→村上善太夫→村上善蔵(笠間藩示現流初代指南役)→以下幕末まで、またはそれ以降も
U様
弊HPにお立寄り頂きありがとうございます。
私、現在中国広東省広州市に赴任しており
現時点でHPに記載させて頂いている内容以上の
ことをお伝えすることができないのですが、
笠間示現流のDVDというものは当時でもあまり
目にしなかった様に思います。
実家は茨城なのですが、広島赴任、横浜在住と
続けている内に中国赴任になってしまい、
先祖が住んだ笠間の地についぞ生の示現流を
調査に赴くことができないままであり、
文献資料などのデータだけでHP掲載をしており
誠にお恥ずかしい限りです。
なお、同様のお問い合わせをよく頂きます。
以下のページにこれまでのメールのやりとりを
掲載させて頂いております。(個人情報は伏せて)
ご興味のある内容がありましたら、
連絡先をご紹介させて頂きます。
http://www.mars.dti.ne.jp/~asanos/jigenryu2.html
なお、U様のメールの内容も個人情報を伏せた上で
掲載させて頂きたいと思います。掲載がご迷惑でしたら
すぐ削除致します。その場合ご連絡を頂ければ幸いです。
よろしくお願い致します。
淺野
(以下は以前のお問い合わせにお答えした内容の
転記です。ご参照頂ければ幸いです。)
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
弊HPでは、島津氏の下で発展した薩摩の示現流の
元が実は笠間藩(現茨城県笠間市)にあった。
また、私の家系が旧笠間藩の昔の藩主だった淺野家
(転封で赤穂に移り、後に忠臣蔵の原因となる
松の廊下事件を起こす)
に連なること、及びその先祖が示現流の達人であった
ことから、HP上で記事を展開させて頂いております。
そういった関係から、茨城県中心(一部広島県)の
情報しか手に入らず(興味の中心もそこにある訳ですが)
残念ながら、お問い合わせに即答が叶わず
申し訳ありません。
しかしながら、同様にお問い合わせを下さる方の中から
その後メールのやりとりを何度かさせて頂き、
いろいろな情報を得る機会が持たせて頂きました。
その中に下記があります。
よろしければご参考にして頂ければ幸いです。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
初めて、メールさせて頂きます。サイトを検索していて、このHPを見つけました。
私は東京在住のUといいます。会社勤めの傍ら趣味で居合を少し嗜んでおります。
示現流は以前から知っておりましたが、まさか笠間地方に示現流が伝わっていようと
は思いもかけませんでした。先日、笠間神社に連絡を入れたところ、奉納演武は11月
の予定とかお聞きしました。詳しいスケジュールは、まだ決まっていないとのことで
したが、都合が合えばぜひ見に行きたいと思っております。
今年になって、薬丸自顕流の本が続けて二冊出版されました。自分が関心のある分野
だから目に付くだけなのかもしれませんが、最近古流剣術の出版が多くなってきたよ
うに思えます。なぜ今ごろになって…という感じもしなくもありませんが、やはり甲
野善紀氏が仕掛けたマイナー古武道ブームの波及効果といったところでしょうか?
笠間示現流に関して、DVD等の映像をご存知でしたならば、ぜひ教えて頂ければと思っ
ております。失礼致しました。
源五右衛門様
メールありがとうございます。
頂いたデータを早速HPに掲載させて頂きました。
http://www.mars.dti.ne.jp/~asanos/jigenryu2.html
今後ともご教示を頂ければ幸いです。
よろしくお願い致します。
Asano Enterprises Inc. 淺野
笠間牧野藩の歴史を気ままに調べているものです。
ペンネーム源五右衛門と申します。
インターネットで検索中、笠間示現流と日向の結びつきの疑問が伺えたので、私のス
トック資料の一部を送ります。
この資料は、図書館(笠間・水戸・川越・熊谷・国立国会)等の資料を個人用として
デター化したものです。
すべて著作権が有効の書籍の写しです。参考・ヒントになれば幸いです。
【牧野成春】まきの なりはる・1682〜1707
三河吉田藩6万石牧野家初代当主。 参照・下総関宿藩参照
天和2年10月23日江戸で生まれる。宝永2年10月30日7千石加増されて8万石となり
吉田へ移封となる。しかし成春は病弱で多くは病床に臥し一度も城主として在城する
ことなく、宝永4年3月26日没す。心了院本源恵覚。
@天和2年10月23日 A牧野成貞 B秀寿丸 F4男1女 長男七之助(第2代)、二
男成福、三男長三郎、四男大蔵 H宝永2年10月30日 I従五位下、備前守 J宝永
4年三月26日26歳 L『牧野家譜』『寛政重諸家譜』『系譜算要』
【牧野成央】まきの なりなか・1699〜1719
三河吉田藩8万石牧野家第ニ代当主、日向延岡藩参照
宝永4年3月牧野成春(1707年)が没したとき、その子七之助は僅か9歳、5月13日
遺領を継ぎ、大学成央と称す。祖父大夢の後見の下にあったと思われる。こののち宝
永の大地震があり、城内および領内に大きな被害があったが、牧野家は租税減免・賑
恤(しんじゅつ)を行い、吉田町民は大いに徳とした。また造船を奨励している。正
徳2年3月従
五位下備後守となる。6月大夢が死ぬと同7月12日日向延岡へ転封となつた。時に14
歳。
H宝永4年5月13日 L『牧野家家譜』
【牧野成央】まきの なりなか・1699〜1719
日向延岡藩8万石牧野家初代当主。 参照・三河吉田藩参照
牧野氏は牧野儀成(のりなり)が将軍網吉の館林城主時代の家老(5千石)であった
が、二男成貞は万治2年父の遺領のうち2千石の分知をうけ、やがて綱吉の家老とな
り知行3千石となる。綱吉が五代将軍に就くと1万石を加増され始めて大名に列せら
れ、側用人となり2万石加増、翌年2万石加増され、都合5万3千石となり下総関宿
城主となる。貞享5年には、さらに2万石加増になる。次の成春の宝永2年、7千石
の加増あって三河国吉田城主となり、ほぼ牧野家8万石に固定される。宝永四年、成
春が26歳で逝去。その遺封を摘男成央が9歳でつぐ。正徳2年7月12日、日向国延岡
城を賜わり、領地を日向国臼杵・宮崎・児湯・豊後国大分・国東・速見の6郡のうち
8万石にうつされる。享保2年初入部。延岡藩では4家目の入封である。法名不昧万
徽霊光院。
@元禄12年 A牧野成春 B松平主悦清照の女 C七之助 E鳥居伊賀守成英の女
H正徳2年7月12日 I備後守、従五位下 J享保4年五月16日21歳 K東京都墨
田区千歳・要津寺 L 『延岡史』『延岡藩史年表』『日向国史』
Subject: さっそくのお返事ありがとうございます。福岡
Date: Thu, 13 Nov 2003 12:55:30 +0900
浅野様
さっそくお返事をいただきましてありごとうございます。名前の件はわかるように
して掲載いただいても構いません。本のタイトルは私のほうがうろ覚えでご指摘のも
のだと思います。ちなみに私の勤め先は学研で「歴史群像」という雑誌を編集してい
ます。なかなか武道はとりあげにくいのですが、それでも半年前に武田流弓馬術を
「戦場の弓術」ということで特集したこともあります。プライベートとしては東京都
剣道連盟居合道部渋谷支部理事(六段)の肩書きをいただいています。今後とも宜し
くお願い致します。 福岡
Date: Thr, 13 Nov 2003 12:07:00 +0900
福岡様
メールありがとうございます。
海外出張をしており、お返事遅くなり恐縮です。
感激致しました。
「笠間示現流」の本とは筑波書林の
「笠間示現流剣法」(村上義博氏著)のことでしょうか?
実は、全く偶然ですが、つい先日同じ様な
お問合せを頂き、その方に本のコピーをお送りしたばかりでしたので
大変驚きました。これも何かのご縁かもしれません。
もしも、お手に入れられた御本が別のもので、ご興味がおありでしたら、
丁度コピーの控えがありますので、またコピーはすぐできますので
おっしゃって下さい。
その先日お問合せ頂いた鎌倉在住の薬丸野太刀自顕流の日隈さん
とのメール往来も、週末にUPしようと思っております。
福岡様も個人名が特定されない様に致しますので、HPへ掲載させて
頂いてもよろしいでしょうか?
なお、実は私も昭和40年生まれ、巳年の38才会社員です。
同世代ということで、これまたご縁を感じております。
よろしくお願い致します。
取り急ぎメール御礼まで。
失礼致します。
淺野
浅野様
突然のメールで失礼致します。私、福岡と申します(38歳会社員)。笠間藩の示
現流につきまして検索しておりましたところ、浅野様のホームページに出会いまして
興味深く拝見させていただきました。私も以前からなぜ笠間藩に薩摩の剣として有名
な示現流が伝承されたのか疑問に思っていたものの一人です。きっかけとなりました
のは10年ほど前に偶然「笠間示現流」の書籍が東京・渋谷の書店で目にとまり購入し
たことでした。じつはその2週間ほど前、懇意にしていた刀屋さんに立派な新々刀が
売りに出されていたのです。二尺二寸の当時としては手ごろな長さ、肉厚で体配も尋
常、丁子乱れの見事なものでした。何より由来がはっきりしているもので、笠間藩士
福岡左源太に戊辰役の功績で下賜されたものとあり、桐の箱に箱書きもありました。
300万ほどの価格だったと思いますが、直後に売れたようでその後の行方はわかりま
せん。これによって小藩、牧野支藩の笠間藩が長岡と異なる道を歩んだこと、福岡某
なる私と名字の同じ侍がいたことなどを知りました。そして、書店で目にとまったの
が先のタイトルです。あの笠間藩は示現流を採用していたのかという新鮮な驚きがあ
りました。さらに驚いたことに中に掲載されている当時の名簿に福岡左源太の名前が
あったのです。確か師範か師範代クラスだったと思います。そこで俄然興味がわき、
折をみて調べようと思っていたのですが、なかなか資料が見つからず、さっぱりと進
みませんでした。笠間稲荷に行けば奉納額かなにかあるのではと思い、笠間を訪れた
こともあるのですがそのようなものも見当たらず、当地ではすでに流派も絶えてし
まっているのだろうと思い込んでいました。このたび、浅野様のホームページ、メー
ル交遊録を拝見し、再び調べてみようという気持ちになりました。これからもページ
を拝見させていただき勉強したく思っております。がんばってください。 東京・
渋谷 福岡
Date: Fri, 7 Nov 2003
日隈様
メールありがとうございます。
古文書の類いは、実家にあり(示現流免許皆伝目録等)
すぐ手元にはないのですが、現在では絶版になっている
「笠間示現流剣法」という本があります。
ここには、示現流の起源等の記述もあり
ご参考になるかもしれません。
取り急ぎ、コピーを準備致します。
日隈様のご資料もお送り頂ければ本当に有り難いです。
頂き次第、早速HP上に掲載させて頂きたいと存じます。
なお、このメールのやりとりもお許しを頂ければ
HP上に掲載させて頂きたいのですが、
よろしいでしょうか?
(これまで示現流関係でお問合せを頂いた方との
やりとりを交流録として掲示しております。
もちろん、個人的な情報は伏せさせて頂きます。)
ご連絡ありがとうございました。
取り急ぎの返信で失礼致します。
よろしくお願い致します。
淺野
Subject: 薬丸野太刀自顕流
Date: Thu, 6 Nov 2003 11:00:11 +0900
浅野 様
ホームページを拝見致しました。初めてお便りいたします。
実は私の母方の祖母は薬丸家で、野太刀自顕流の宗家です。
私自身はこれまで剣法はやったことが無かったのですが、最近
ある縁で初めています。そのこともあり薬丸自顕流について、
調べはじめましたが、東郷示現流との関係その他について世間
ではかなり混乱しているように感じられました。先月鹿児島に行き
14代の薬丸康夫氏(私のまた従兄弟にあたりますが)にもお会い
し、お話を聞き資料を頂きました。
その資料をお送りしたいと思いますがご住所をお知らせください。
また浅野様のお持ちの資料を頂けたら幸甚です。
敬具
(後略)
日隈
村上様
お問い合わせありがとうございます。
「笠間示現流剣法」という本を著された
村上義博さんという方(笠間藩示現流最後の師範、村上義治氏の孫)
が昔実家に訪ねてこられたことがあると亡くなった祖父から聞いております。
義博さんと御関係があるのではないかと推察いたします。
これもなにかのご縁かと思います。
また何かあれば是非ご連絡頂ければ幸いです。
お名前は伏せますので、このメールをHPに掲載させて頂いても
よろしいでしょうか?よろしくお願い致します。
淺野
Subject: はじめまして
Date: Sun, 24 Nov 2002 23:36:06 +0900
突然のメールにて失礼します。
私 村上と申します。
浦和在住26歳の会社員です。
祖父から村上家の先祖は笠間藩で剣術を教えていたと聞かされいましたので
YAHOOの検索の結果、こちらのホームページにお邪魔いたしました。
幼いころに聞いた自分のルーツに近い話に触れ、正直驚きを感じています。
しかし私の先祖は同じ笠間藩でも、飛び地である福島に代々住んでいたそうで
恐らくは分家のようなものだったのでは、と考えています。
突然のメールにて失礼しました。
(中略)
HP拝見させていただきました
返信が遅れまして申し訳ありません。
先週の休日に私用で笠間の方に帰りました。
その折に、父に淺野様のHPについて話をしました。
父は、大変驚いていましたが、喜んでもいました。
「示現流の発祥は、薩摩にある
と思っている方々ばかりだと、思っていた」と。
実は、本間武男先生は、10年以上前に亡くなられていまして
現在、私の父が笠間示現流の師範をしています。
父:「笠間示現流に関する質問、見学等の御依頼は、笠間稲荷神社へ御願いします。」
ですが、簡単な質問でれば、私が替わって父に聞きます。
宜しく御願いします。
追伸:
メールの内容に関しては、淺野様のHPに
掲載されても結構です。
「広大な交流の場」
これが、NETの世界の醍醐味の一つ
であると私も思っています。
はじめて、メールさせていただきます。
(中略)
検索エンジンにて「笠間示現流」で検索したところ、淺野様の
掲示板がHITしました。
実は私、茨城県笠間市の生まれでして、父が笠間示現流をしています。
浅野様のHPを拝見させていただきましたところ、
示現流ついて研究されおられるそうですね。
私は、浅野様の情報収に集何かしらの協力ができるのでは、と思いました。
浅野様の了解が頂けるのでしたら
このHPについて父に話してみようと思います。
よろしくお願い致します。
淺野@Asano Enterprises Inc.です。
メールありがとうございます。
弊HPへのお立ち寄りありがとうございます。
弊HPでは、島津氏の下で発展した薩摩の示現流の
元が実は笠間藩(現茨城県笠間市)にあった。
また、私の家系が旧笠間藩の昔の藩主だった淺野家
(転封で赤穂に移り、後に忠臣蔵の原因となる
松の廊下事件を起こす)
に連なること、及びその先祖が示現流の達人であった
ことから、HP上で記事を展開させて頂いております。
そういった関係から、茨城県中心(一部広島県)の
情報しか手に入らず(興味の中心もそこにある訳ですが)
残念ながら、お問い合わせに即答が叶わず
申し訳ありません。
しかしながら、同様にお問い合わせを下さる方の中から
その後メールのやりとりを何度かさせて頂き、
いろいろな情報を得る機会が持たせて頂きました。
その中に下記があります。
よろしければご参考にして頂ければ幸いです。
(中略)
-------------------------
(団体名)示現流 門友会
(代表者名) 東郷重徳
(事務局) 鹿児島市東千石町2−4 示現流兵法所・史料館
099-222-5430
(稽古場所) 示現流兵法所(同上)
(稽古時間) 毎週火・木・土曜日午後6時〜8時。
(備 考)平成9年5月に鹿児島市の中心部(ザビエル公園近く)に
示現流兵法所と史料館が完成、
これまで非公開であった奥義の古文書や歴代当主の刀剣、
稽古に使うユスの木の木刀などが展示されている。
------------------------
Subject: 祖母の祖父
Date: Sun, 2 Sep 2001 20:22:25 +0900
X-Mailer: Microsoft Outlook Express 5.00.2919.6600
今年、祖母が亡くなり葬儀の席で、祖母の祖父は島津公に御仕えする剣の指南役だっ
たと聞かされました。
島津といえば示現流だと思うのですが、どんな方なんでしょうか。
時代はおそらく幕末の頃だと思います。
2001年 4月 6日 金曜日 10:53
HPを拝見しました
(前略)
大変興味深い内容だと思いました。
というのも私の師匠から私の習っている流儀と示現流の
類似点と言うことを以前聞いたことが有ったのです。
(ちなみに私の師匠のことは
http://www.tamahito.com/rstest.htm
に載っています)
しかし、その時はピンとこなかったのですが、今回浅野
さんのHPにあります淺野政盛先生の逸話を読みました
ところ、以前師匠から聞いた先師の逸話と似たところが
あり、今まで自分の中でつながることのなかった自流と
示現流と言うものが非常に近く感じられたからです。
私の師匠も、師匠直に体験した先師の気合術であるとか
目に留まらぬ抜刀術の逸話を話してくれたことがあるの
です。
今、私の師匠は病に倒れ、会うこともままなりませんが
浅野さんのHPを見まして、色々な逸話を話してくれた
師匠が形を変えて「稽古に励めよ」と言ってくれている
ように感じました。
現在、淺野政盛先生の伝系がどうなっているのか分かり
ませんが、もし、何かしらの形で伝わっているのでした
ら一度拝見する機会が得られたら、と思いました。
(後略)
Created by Asano Enterprises Inc.
asanos@mars.dti.ne.jp