○淺野修次郎政盛伝
  SHUJIRO ASANO's episode


DAIGOjournal より転載

歴史再発見

剣豪淺野政盛先生と奇才菊池忠義の周辺(小室久)

(97年6月6日付)
 森田五美比(もりたよしちか)著「茨城県政と歴代知事」暁印書館発行には
「茨城県は明治四年11月から明治十一年末までに県令(=県知事)が7人も
更迭している。特に明治四・五年の2年間に6人も県令が入れ替わっている。
不平士族の多い県であって、県や中央政府にたてつく県である。旧水戸城の
焼き打ち事件が氏族の手で発生している」旨の調査結果を著している。
 それもそうである。
 先祖以来何代にもわたって武士の地位を保ち続けた士族は廃藩置県の令が出て、
新しく中央政府から県令(知事)等が派遣されて来たからといって、そう簡単に
馴染む筈がない。特に水戸藩の教育は「文武不岐」を主眼として来たから、
士族の身にその教育内容が宿っていて離れないのである。
 藩中央から遠く離れた大子の地でも同じことで、城下に住まず郷村に居住している
武士である郷士を始め、山横目や、武士ではないが、遠く戦国時代は武士であって
帰農した後も旧家としての地位が認められ庄屋や組頭(=与頭)となった家でも
先祖の武士の血は身から離れないのである。
 こういう時代背景を持ちながら、少しずつ近代化に向かって来ていた折のこと
であった。旧笠間藩士の淺野政盛氏が流浪して大子へやってきたのである。

(※Asano Enterprises Inc.註:「流浪」と人には言っていたらしい。
  政盛は、大坂興武所(府警の前身、東京と2ケ所)の師範代として活躍中、
  訳あって、大子警察署長の加藤氏(政盛の親戚)に大子の地へと招聘され
  数百人の門弟(ちょっと極端ですが...。)を持つ道場を開いたと。
  当時東京興武所師範の逸見宗助の小手を取ったことから、逸見が臨終の際
  次期師範にと推挙するも、弟子に止められてやめたと伝えられています。)

 淺野氏は全国きっての武芸十八般(馬・槍・剣・弓・短刀・水泳・薙刀・抜刀・
手裏剣・含針・棒・砲・鎖鎌・捕手・隠(しのび)・もじり・十手)の達人中の
達人であった
。やがて大子で道場を開くと文武に関係の深いかつての郷士、山横目、
庄屋、船頭やその子らが競って入門した。忠義もこれに併せて入門した。
 では、淺野氏の剣の腕はどのようなものであったか。

 ある日の事だった。自宅の庭の植木の枝で遊んでいる雀の姿が障子に影絵の如く
映った。一瞬障子を開け、目にも留まらぬ速さで刀を抜いたかと思うと、即に刀を
鞘に納め、再び障子を閉めたのである。少し経つと、障子に映っている雀の影は
羽根の付け根の部分がパラリと落ちたのだった。次に残った体の部分が落ちたので
あった。

(97年6月11日付)
 これを裏付ける話を紹介する。
 今から30年位前になるが、筆者が当時、仕事で淺野家へ行った時のことであった。
菊池忠義の近所に住んでいるという、70歳位の人に会った。
 この人が「淺野先生は、刀身が見えない早業で刀を鞘に納めるのを私は見ましたよ」
と言ったのであった。
 そして、菊池忠義について「私が猿田の屋敷の庭でいたずらしていた時。忠義さんが
来て、私の肩をポンとたたいて『これこれいたずらしてはいけないよ』と言ったと
同時に、突然身体が金縛りの様に動けなくなり、庭に寝たままとなってしまいました。
忠義さんは町の方向へ出て行って、夕方頃帰ってくると『わかったかね』と言うと、
私の肩をまたポンをたたきました。すると身体が動けるようになり、私は謝って家へ
帰りました。実に不思議な術を使う人だと思いました。」と語ってくれた。
 気合術だが、どの週刊誌か記憶に無いが、忍術を使う小林さんという人の事が
出ていた。門弟もかなりいて、武芸十八般の達人で、気合術で飛んでいる鳥を落とす
のが載っていた。
 人間修業を積むと、常識では考えられない業を身に付けられるものである。

(97年6月16日付)
 武術は速さで決まるというが、淺野氏が刀を抜いて鞘に納めるまでの一瞬間、
刀身は見えないほどの速さであった。此の様な速さであるから、剣道で防具を身に
つけて、淺野氏から手解きを受ける中で、突きを入れられると入れられた喉の部分
ではなく、顔の反対側の盆の窪が青くなるのであった。
 淺野氏は気合術も達人で、門弟に将来を約束したある家の娘がいた。だがこの娘は
別の家へ嫁ぐこととなった。ほんの少しでもいいから仕返ししたくて、淺野先生に
相談した。
 何日か経って、その娘が嫁に行く日が分かると、その日先生は門弟を、久慈川の
泉町側に集めた。やがて松沼方面から馬に乗った花嫁姿の例の娘が現れ、久慈川を
越えて、こちら側へと向かって来た。川の真中程の、一番深いところへ差し掛かった
時であった。先生は矢庭に右手の何本かの指を突き立て、その娘の方に向けて右腕を
「エイッ」という掛け声と共に真っ直ぐに向けたのである。すると、突然娘は誰かに
突き飛ばされた様に、もんどりを打って川の中にザブンと落ちたのであった。

以上


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