道中日記0307 1997.9.15〜


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★父親が救急車で運ばれて丸3週間。漸く介添え付きで散歩も出来るようになりました。本人もちょっと希望を持てた感じに見えましたね。初めて別れ際に「ありがとう」を言ってました。来週末は外泊許可を取れそうです。
これで仕事帰りに見舞う必要もなくなった感じ。
図体がでかいので母親だけの介添えじゃ外出は心配ですけどね。
それにしても、毎日が寝た気がしません。(7/27)

★救急車で運ばれて18日目。二度の手術もありましたが、父親の回復が進み、武蔵野赤十字病院の救急センターから、松田優作が入院していた病院へ転院。
転院先の担当医との面談が終わっていないので、今後どういうスケジュールになるのか分かりませんが、一つの段階はクリアしました。

意識混濁の症状は見られなくなった気がしますが、今度の転院でまた出てきてしまうか?田舎の老親を都会で同居させると起こる呆けみたいに、環境が変ると出るのかもと、ついつい最悪の状況を想像してしまいます。(7/23)

★とまぁ、介護についていろいろと調べてみたのですが、自治体のサイトでは知りたいことがよく分かりませんねぇ。
恐らく個別の案件で、対応が異なるからなんでしょうか。Q&A形式でもいいから、想定される質問のシミュレーションを掲載してくれると、大分助かるのですけどね。少なくとも、ここの役所のサイトでは、申請の仕方は分かっても、申請すると市民がどう助かるのかが、全く分からない。

で、父親の状況は...... こっちもブチ切れそうです。前向きにリハビリして欲しいんだけどな。別に指示している訳でも、説教している訳でもないんだけど。どうも命令されているとか、自分が下に見られているというようなガキみたいなことを考えているよう。あの世代の男は斜に構えてて素直さがないのか?世代の問題じゃないと思うけど、知っている同世代男性の多くに共通しているような。
付き合ってられん。(7/21)

★父親がぶっ倒れてから丸々2週間経過。
そろそろこっちも疲れてきました。リハビリのことを考えるとこれからが本番なので、もうちょっとゆったりと構えなくてはいけないんですけどね。

お蔭様で外科的処置はほぼ一段落。身体中に着いていた管の類、包帯は全部外れて、普通の恰好をして座っているだけなら、健常者と変らない状態まで回復。
後は、起立と自立歩行がどこまでできるかです。リハビリの医師からは、血圧と相談しながら一日起立70回、歩行の訓練などを指示されているようです。体力がかなり落ちている(体重も15キロ減)ので、最後の方はフラフラ。起きているのもしんどい模様。
肉体的には大体目途がたった気もしているのですが、問題は意識混濁の方。
未だに、とんちんかんな会話になることがあって、油断は出来ません。

小脳出血について、調べてみたサイトなど。
東芝けあコミュニティ/介護便利帳/医学の基礎知識/脳出血
水頭症
脳出血のリハビリ
高血圧性脳内出血患者の標準看護計画
「終わりの蜜月―大庭みな子の介護日誌」(新潮社 2002-08-30出版)→読みました。(7/20)

★先週の日曜の晩(7/6 19:40)に、小脳出血で父親(64)が倒れました。偶然実家で揃って食事を摂っていて、救急車を早く呼べたのが不幸中の幸い。最初、ふざけているのかと思ったのですが、3度の嘔吐と後頭部の頭痛、目を剥き始めたんです。15分くらい救急車を呼ぶのを逡巡したのですが、脳疾患が頭をよぎり119番で救急車を要請しました。救急隊の「重度」という診断で、呼ばなかったら最悪のケースだったかもと、ホッとしたのが正直な気持ち。
うちが狭いので、ポンプ隊の応援を要請。ポンプ車に乗って、ごつい応援が来ました。(応援を呼ぶ際に、先発隊の白衣に「言葉遣いの悪い、荒々しいのがワンサカ来るので、心してくれ」と言われました)。

後は、ドラマ「ER」の世界。20:45に病院着(発症1時間後)。30分後に5センチの血腫確認。カンファレンスの後、22:40から血腫除去のオペ開始(発症3時間後)。翌4:30にオペ終了。

予後は良かったと思われたのですが、意識混濁と水頭症の気が出て水曜朝に再手術。金曜になって漸く落ち着いてきました。まだ、意識混濁があるようで、自分のうちや旅行先のホテルで寝ているのと錯覚している時も。話していると、現実も把握し始めている気がするのですが.....

僕自身が9年前に開頭手術していて、ある程度のことを想定できるので、慌てることは無かったですが、あんまり嬉しくないですね。

倒れた本人は、過度の飲酒、喫煙、高血圧だったので、見事に発症してしまったんでしょう。親類と話をしてみて知ったことなのですが、祖父も曾祖父も溢血で倒れているようですし。

てな訳で、先週の徹夜がボディーブローの様に効いています。
集中治療室・看護室に居る間は、毎日来いということらしいので、昼は母親が、晩はあっしが会社を引けてから見舞いに行ってます。帰宅して呑まなきゃやってられないので、毎晩呑んで太りました。とほほ。

親御さんが健在な方は、親孝行を。(7/13)

★おかみゅさんのサイトや塚尾牧場のサイトが移転したり、ナビのように劇団が解散したりしたので、リンクを一部修正しました。(7/11)

★日曜の晩から、バタバタしています。
今週は長い......(7/9)

★気が付けば、もう7月。今日は仕事で使うPCサプライをちょっと買いにチャリンコで2時間ほど外出。見事に腕が真っ赤に焼けました。ゴルフ焼けみたいに......

ガキの頃、学生の頃は真っ黒だったので、そう簡単に日焼けでヒリヒリすることがなかったんですけどねぇ。建物の中にいること多くなった証拠ですね。
そう、真っ黒で大きかったので、「鯨」ってバイト先では呼ばれてました。
この開催から一口馬主でも勝ち馬の口取りが正式にOKになったようで、愛馬のデビューが待ち遠しいです。競馬場へ応援に駆けつける時は、必ずネクタイ締めて行くもんね。

愛馬の出資口数を増やすためにも、株には上がって貰いたいです(^^;。(7/5)


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