日記帳
ブラジルにまつわることに関して何か発見があったら、何でも文章を書こうと思っています。下らない話や、何も発見のない日が続くかもしれませんが、お許し下さい。
1月15日更新
| 1998年1月14日(水) | 「移民きみら辿りきたりし遠き道にイペーの花はいくたび咲きし」。歌会始の儀で皇后さまが朗詠された歌である。イペーは、移民達と共に苦楽を共にしてきた、ブラジルを代表する花だ。今の日系人社会には、1世はほとんどいない。船による移民時代が偲ばれる。 一方、皇太子妃雅子さまは、ルアンダ(アンゴラ)難民事情好転を希求する歌を詠まれた。 |
| 1998年1月10日(土) | "Chiquinha com jazz"なるAntonio Adolfoのセカンド発見(kuarup arcd 3002)。ジャズ風アレンジのシキーニャ・ゴンザーガ集。この方、小野リサのCDでアレンジ等もやっている。彼女の前作"Rio Bossa"中の有名曲"deixa"の間奏部分でのピアノは絶品。ちなみに、彼はRIOで音楽学校もやっている。彼の第1作も欲しいよう。 "Samba de enredo '98 grupo especial"も同時ゲット(BMG7432153593-2)。Negroをテーマした曲多し。例えば昨年の覇者viradouroは「黒いオルフェ」、união da ilhaは「全ての聖なる島、ファツンビー」、caprichososはやはり黒人種族をテーマにしている。ちなみに、jamelãoのmangueiraは「シコ・ブアルキ」がテーマ。 |
| 1998年1月3日(土) | マリーナの誕生会を原宿エルトリートで。カルロス、エドワルドの2名のペルー人他、武蔵野青年の家、国際理解推進事業運営スタッフと。ラブホテル等のネオンサインの色は、日本では「ピンク色」と相場が決まっているが、ペルーでは「緑色」。ブラジルのエスコーラ・ヂ・サンバmangueiraのチームカラーと、彼らの94年のエンヘードを思い出して爆笑。「緑とピンクに釣られて行くのは、ペルーと日本のスケベだけ!」。マナティの缶詰もうけた。上記お店で、わざわざ缶切を借りる盛り上がりよう。開けてビックリ、ぬいぐるみ!! |
| 1997年12月31日(水) | 昔ブラジルから送ってもらったテレビ番組のビデオを実家で発掘。動くジョアン・ジルベルト、エリス・ヘジーナが。チンバラーダの屋外エンサイオもあった。「何でも鑑定団」に出したらなんぼのもんじゃ。退屈もてあまし埃かぶってた親所有のCDを漁っていると、女優 藤田朋子の"moments"なるCDを発見(pony canyon pccy-00298)。YUTAKA派の作品が5曲も。この人、意外にも歌がうまい。"summer without you"や、Kevyn Lettauのと比較してしまう、"shooting for the star"等。 |
| 1997年12月?日(?) | Caetano Velosoの新作"Livro"(polygram 536584-2)をゲット。昨年のカーニバルでTietaと共に歌っていた"Onde o rio é mais baiano"、Galの歌っていたLínguaに勝るとも劣らない"O navio negreiro"、「静寂に勝るのはジョアンだけ」という、João Gilbertoへの賛辞"Pra ninguém"等。依然難解な歌詞多し。
Elton Medeiros, Mariana de Moraes, Zé Renatoら三人による"A alegria continua"なる楽しいライヴ盤も同時に発見(MP,B398420671-2)。粋な曲がそろっている。Pixinguinhaの曲にNelso Angelo"が歌詞を付けたUm a Zero"(1対0)。サッカー王国ブラジル。五輪で日本に負けたのがたいそう悔しいのか(笑)、「サッカーの歴史は、日本で終わろうとしていた。」ですと。その日本はいよいよ仏ワールドカップ初出場。 |
| 1997年11月28日(金) | ノエミア日向先生を始め昔のポル語仲間に会った。今回は四谷のフランス料理店。みんな元気だ。臼田氏とは、やっぱり、トニーニョの話で盛り上がる。札幌に行った桜井さん元気でやってるのかな。
次いで梯子で、バイラモスML開設3ヶ月記念パーティに参加。受付のtannyさん、司会役のMEGさんには、本当に頭が下がる。そして「ばいらもす特別賞」をゲット。偶然自分の送ったメールが100番目という幸運、突然呼ばれて緊張してしまいましたよ。連れていったジョエルは、飛び入りで、強引に女性誘って、ショーでもサルサを踊ってた。 |
| 1997年11月22日(土) | ハンソン氏からバイラモスML上で紹介があった書籍「バイーア・ブラック」(著:板垣真理子。(株)トラベルジャーナル)を捜しに。おおおっ、隣には写真集"Carnival in Black"(著:板垣真理子。三五館)までもが。ブラジル関連では、両「まりこ」さんが元気だ。 フランス芸術誌"REVUE NOIRE"No.22(1996)では、"Brazil Afro-Brasileiro"と題して、民族舞踊、現代舞踊のダンスグループの紹介がなされている。写真の品質は極めて高く、「おたく」には興味深い。が、ちと値段が高すぎる。 フリーペーパー"MPB"によると、Banda EvaのライヴCDの売り上げが、Daniela Mercuryの"Feijão com arroz"を抜いたようだ。ライヴ・ヴィデオが欲しい。 |
| 1997年11月21日(金) | 友人と共に高田馬場のブラジルレストラン"CORCOVADO"(tel:03-3203-2334)へ。こじんまりとしたお店でグッド!IPCの衛星放送(録画?)も無音で流している。ドリフの話してる最中、画面では強盗事件の再現フィルムを流していたが、"simulação"(志村さん)で爆笑。比較的小さな声でも話が出来る店はありがたい。Moqueca de peixeはすごく美味しかった。バイア料理を食べられる店は、東京でも貴重だ。帰り際に、エリオさんも登場。 |
| 1997年11月14日(金) | サンパウロ出身の非日系ブラジル人たち他と話す機会がありました。なんと、スナック(もはや死語?)でカラオケ!
でも、ポル語のレーザーカラオケなんて、そうそう日本になーい。非日系ゆえ日本語も喋れない。 ブラジルののど自慢大会で優勝した日系人のMarciaの話とか、「お嫁サンバ」を"SAMBA DE NOIVA"(直訳じゃ)ねと説明すると、歌詞の背景画像を見てる彼らが「ふむふむ」とか言って、何とも会話が続かない。 窮地の策で、なんと"LAMBADA"(KAOMAの日本語焼き直し版)を私が唄いました。あの特徴あるイントロで歓声が揚がり、ブラジル人たちもポル語歌詞は覚えていなかったものの、マラカス、タンバリン(パンデイロとは言えない。)で乗ってくれたので助かりました。カオマ、今いずこ? |
| 1997年11月8日(土) | 雑誌「けいことまなぶ〜ダンス特集(?)」の電車の吊り広告には気になっていたが、、「MORE」も含めて数人のバイラモスMLのメンバーも写っていることが、榎本さんのメールより判明。samba, lambada, salsa等の教室の紹介が出ている。MOREを立ち読みしてたら、綺麗なお姉たまに、ニヤリと笑われてしまった。女性雑誌コーナーに入って行くのは、勇気がいる。 |
| 1997年11月1日(土) | Toyonoさんのバンド"Espirito"を聴きに、新宿Jに行ってきました。オリジナルのポル語の曲"serafim"、"correnteza"や"JB'S"とか良いですね。ブラジルの曲にしても、結構難しい曲を選んでるな、って思いました。私が印象に残っているのは、spacyなハーモニカの音色とToyonoさんの透る声です。演奏の合間に、Toyonoさん等ともお話できて楽しかったです。Rioでは、Marcos Suzanoの音楽教室に通っておられたとは。 ドラマ「不機嫌な果実」の挿入曲でスチールパン叩いてるのが、今日ゲストで来ていた原田芳宏さんであることも判明しましたし、偶然同席した「ブラジル・オン・ザ・ロード」(ヴィレッジセンター出版局)の著者、石山和男さんにワインをごちそうになる等、やめられませんなあ、おいしい夜でした。 1991年に"A diffferent story"(EPIC zk46883)からのシングル"boy","shame"が世界的にヒットしたDeborah Blando。B-tribeの"Nanita"(lava 95739-2)以来、ご無沙汰だったけど、偶然"Unicamente"なる最新作(virgin 8134212)発見。テレノベラの同名ヒット挿入歌を含む。バリバリのROCKだけで世界制覇を目指していた、91年当時の力みが無い。収録曲からわかる通り、精神的に大きな変化があったと察せられる。彼女に関しては以下のHPへ(リンク承認依頼中。)。www.cybertelecom.com.br/luciana/deborah__blando.htm |
| 1997年10月30日(金) | TIMBALADAの最新作"Mãe de samba"(Polygram 536 274-2)を発見。表が「オリシャと人魚が合体した架空の女神」の様な写真で、裏が「山海塾」しています。Carlinhosは、自身のCDの内ジャケットに"PIEERE VERGER"のバイアの写真を主に採用してますが、このチンバラーダとダニエラには、カルリーニョスも一部使っていた"MARIO CRAVO NETO"が起用されています。これらの写真家の詳細は、www.photo.frの仏雑誌PHOTOの1996年4月号ブラジル特集(No.329号)を参照。
最近やっている人材派遣会社のCM(結構内容はキワモノ)で「おーじんじ、おーじんじ」っていうやつ。年輩ブラジル人が"Oh Dindi, Oh Dindi"なんて聞いたら、なんてボサノヴァをよく知っているんだろうと思ったのではないかと(笑)。Sylvia Telles(だったよね?)も天国で笑い転げているに違いない。 |
| 1997年10月15日(水) | 「13日、民族舞踊を見学後、プレゼントを贈られるクリントン米大統領(中央)。右はカルドゾ・ブラジル大統領」。これは伯国訪問中の米大統領の、献金疑惑に関する同日読売新聞朝刊国際面の記事の写真見出しである。プレゼント(ペナントか?)をマレットと共に手渡しているのは、驚くなかれ"Didá"の一人である。このヂダーと言えば、あのオロドウン率いたネギーニョが作った女性だけのバンダであり、"Tieta do Agreste"サントラや、ダニエラ最新作"feijão com arroz"でも演奏していた。米大統領は彼女らの演奏等に何を感じたのだろうか。 |
| 1997年10月12日(日) | バイラモスMLで紹介のあった「練馬元気がでる講座・8時間耐久サンバレッスン」に参加。ブラジル音楽聴き始めてから早7年、初めて正式のレッスンを受講。サンバは、とても速くて足がついていかない。ランバーダもリズムに足が合わない。そんな私と一緒に踊ってくれた講師の女性ダンサーの皆さんに感謝。でも、私は踊りの才能無いかも。 |
| 1997年9月28日(日) | 笑えるCD発見。“効果音大全集・マルチメディア「音ネタ」シリーズBワールド編”(キングレコードKICG163)である。文字通りであるが、ポルトガル語を含む6カ国語による会話集。但し、単なる会話集でないとことがミソ。<お互いに好きなのに別れなければならない><何度も裏切られた末、別れを言い渡す女性の怒り><男性の謝り編>等、尋常ではない。こういう普段聴けないものが実は楽しかったりする。 |
| 1997年9月27日(土) | 武蔵野青年の家のラテンアメリカ祭り「PETボトル・空缶で楽器を作ってサンバを踊ろう」は、多数の来場者で、予想外の盛況。放送局他からも取材が来たので。ビックリ。ICUのLAMBSの皆さんの演奏、指導は素晴らしかった。BahiaのDidaプラス1みたいでした。そして子供達や障害者の方々の喜々とした笑顔には、心洗われるものがありました。 |
| 1997年9月14日(土) | Elis Reginaの“Trem Azul”(Som Livre4143-2)を発見。死ぬ数ヶ月前のライヴを収録したものだそう。エリスものは、"No fino da bossa ao vivo"以来。彼女の音楽は、すごく「実験音楽」的かつ舞台芸術的。ルイザウンとテオに代表される、アクセル全快・急ブレーキ有りの演奏陣の超絶のサポート。彼女の実験が、その後のMPB界に勇気を与えることになるのであろう。いつ聴いても彼女は「エンターティナー」である。これからも、そして永遠に…。 |
| 1997年9月 6日(土) | 武蔵野青年の家「ラテンアメリカに学ぶ」に参加。3名の事例発表者による講演を聴講。特に原後氏の講演は、ヴィジュアルもあり、わかりやすかった。やはり、こういった活動は、深い信念と熱意が不可欠。それがよく伝わった。本題からはずれるが、ザ・ボディ・ショップや、メルセデス・ベンツの「コミュニティ・トレード・パートナー」の概念に興味を持つ。7日も出席したかったなあ。 |
| 1997年8月24日(日) | ノエミア日向先生のお宅へ。パソコンでインターネットをしたいとの用命。MACゆえ設定難航。結局、断念。ブラジル料理おいしかったです。特に「エビのココナツミルク煮」が。御主人、お二人の息子さん、遅くまでもてなしどうもありがとう。
先生の本「ことばを越えて」(世論時報社)のテキストの転載許可が降りたとのこと。これで、日本人だけでなく、ブラジル人も見られるHPになるだろう。 |
| 1997年8月23日(土) | 浅草サンバカーニバルを二天門付近で観覧。電柱にしがみついて見た。今年はどのエスコーラも、例年に比して小規模の様だった。やっぱり、バルバロス、リベルダージ、ウニオンの3つは頭一つ抜き出ている。バルバロス坂井さん、今年もクイーカ頑張ってたね。リベルダージには、シャカラの加々美さんも出てたね。それにしても、夜のどしゃ降りにはまいった。 |
| 1997年8月17日(日) | 9月上旬開催の「ラテンアメリカを学ぶ」の最終打ち合わせを武蔵野青年の家で。自己紹介をやるか否かを、たった4名で2時間半も議論。形を変えてやることにした(やり方は内緒。)。情報誌エンクエントロの延命如何と、報告書発行如何は、次回会議に先送り。生熊さんから借りていた、「サンバの町から−外国人と共に生きる/群馬・大泉」(上毛新聞社)を返却。出稼ぎ日系人と大泉の歴史を知る。 |
| 1997年8月 9日(土) | 待望の“ゲッツ・ボサノヴァ‘97”を聴きに、読売ランドへ。髪を伸ばしたレイラ・ピニェイロは一段と女を上げたね。ヴァンダも相変わらずの貫禄だし、加山雄三(カルロス・リラのこと)も来てたし。聴いている我々より、演ってる人達のほうが、きっと楽しかっただろうね。ブラジルであれだけのメンツを集めるのは至難だろうし、何より、ブラジル人演奏家は野外ライヴ好きだもんね。ボサノヴァ生誕40年を日本で祝うなんてのは、恐らくブラジル音楽史に残る出来事。 |
| 1997年8月 1日(金) | 友人の臼田道成君のライヴを聴きに、神楽坂の音楽の友ホールへ。3人という小編成ながら、良いまとまり。ラティーナの本田社長の感想は如何なもんだったのでしょう。小島さん、録音係で急がしかったみたいですね。ノエミア先生と川井さんと会った。彼女らは、打ち上げにも行ったらしい。自分も行きたかったヨー。 |
| 1997年7月26日(日) | 駒場野公園でのBBQ大会開催。台風の余波が心配されたが、快晴。マリーナ、ペルーとブラジルの両カルロス、ダウにダヴィ他、在日日系人多数参加。日本人を含め総勢16名余。皆さん、お疲れ様。佐々木さんを初めとする青梅組、立川の花火大会はどうだった? |
| 1997年7月18日(金) | 久しぶりに、ノエミア日向先生を始めポル語仲間に会った。カリフォルニアワインに鮪料理なんて、本当にイカしている。臼田君は、軽井沢からの参上。次回ライヴの構想を練っていたらしい。彼はもしかしたら、ブラジルで本格的音楽活動に入るかもしれないみたいだ。ノエミア先生に、「言葉を越えて」のテキストの、本ホームページへの転載が可能か問い合わせ。うまく行けば、宣伝を兼ねて、無償で掲載許可がおりるかも。堀川さん、いつものCosaNostra調でお目見え。川井さん、良い(料理)店知っているよね。こういう気の置けない仲間との会話は本当に楽しいものだ。 |
| 1997年7月17日(木) | 岡部浩美さんのブラジルインストグループの演奏を聴きに、高円寺ペンギンハウスへ。彼女は、もともとジャズピアニストであるが、ブラジル音楽の深い信仰者でもある。"BimBom"や"Misturada"等、結構難しい曲やってる。ドジったとこもあったけどね(笑)。クラシックの大御所との共作や"Anos Dourados"は、繊細さが良く出てましたよ。 |
| 1997年7月12日(土) | テレビ見ていて思ったことがある。“メリージェーン”の、「つのだ ひろ」ってTim Maiaにそっくりってこと。「狩人」の二人は、Leandro e Leonardoそのもの。彼らはお互いの存在にきっと気付いていないんだろうね。是非来日の際は“夜も○ッパレ”で共演を(笑)。
大感動もののCDを発見。バイアのお祭り男としか見られていなかった、Moraes Moreiraの管弦楽もの"O brasil tem concerto"(Polygram 510483-2)には意表を突かれたがVânia Bastosの“Diversões não eletrônicas”(Velas 11-V240)は、それをはるかに凌ぐ出来映え。Pixinguinha,Edu,Swamiから、はたまたMarinaLima等、16曲全て、異なる著名編曲家にアレンジさせるという、財布の中身が心配になる豪華さ。歌声から彼女の顔が目に浮かぶ。管弦楽のバックを含め、ひたすら美しい。これこそ、大人のブラジル音楽。ブラジルの若者たちよ、たまには、こういう音楽も聴きなさい! |
| 1997年7月 3日(木) | 待望のCaetanoのライヴ。“Fina Estampa”ツアーの一環の様。西語圏の曲多し。Orlando Silvaの古い曲が印象に残る。右手の小指・中指・人差指・親指の付根を青い印をつけて、それを見せて歌った曲。バックの背景画にも同じものが。でも意図や歌詞が解読できなかった。
彼は不思議な人だ。55歳になるというのに、歌っている時の仕草は、まるで子供の様に楽しそう。5年前に行ったSanto Amaro da purificaçãoの街を思い出す。 |
| 1997年7月 2日(水) | 今日は、Bahia州独立記念日。Salvador国際空港は、それを祝してDois de Julho国際空港と呼ぶ。昨年の今日、同地に着陸。Terreiro de Jesus広場でCaboclo・Caboclaの山車のパレードを見る。岸和田「だんじり祭」の様にガンガンは引かない。牛歩のごとく。
Campo Grandeでは子供のど自慢大会。GeraSambaやCompanha de Pagodeの、例の「Hな曲」を振り付きで歌っていたなあ。金魚すくいは無いが、露天は日本の縁日そっくりの呼び込みをやっていたっけ。 スコールで入った軒下で、現地女子中学生(だと思う)にからかわれる。あまりの美しさ(可愛いという形容は正確でない)と、人懐こさに理性を失いかける。でも、私は決してロリコンではない。 夜のCastro Alves広場には、TieteのTrioElétrico。そして目前で「万引き」。被害者が犯人をぶん殴ってる。これがバイアなんだ。おお、シェガ・ヂ・サウダーヂ。堀さん小山さん元気かな。 |
| 1997年6月28日(土)
−29日(日) | 武蔵野青年の家で、催し「ラテンアメリカと遊ぶ」を開催。異文化シミュレーションゲーム“Bafabafa”からスタート。 Manausでは、Boi BumbaのParintins祭の頃だと思うが、ここ日本でもパーティでは“Tic tic tac”で盛り上がる。29日の分科会(料理)では、パステルやソパ・パラグアージャ等の料理教室。同(音楽)は、GanzáとTamborを作った後、フォルクローレ班は「花祭り」、サンバ班は「モホの声」(A voz do morro/Zé Keti)を各々課題曲として、歌と楽器の練習。フォルクローレ班にはプロの音楽家も参加かなり完成度が高かった。スタート時はC調だったサンバ班は、練習残り時間30分を切って、大化け。目つきが怖い。練習場所からホールに向かう、 Apitoを先頭にした、BateriaのDesfileは圧巻。日本人以上に大人しかった日系伯国女性参加者も、本番で本領発揮。
インターナショナルプレス紙や某ラジオ番組で、同催しを知り、申込した参加者もいたことが判明。一部報道機関の撮影取材もあった。我々の活動も公に認められる様なレベルに達していることに少し自信を持つ。 |
| 1997年6月22日(日) | 今週末開催予定の催し「ラテンアメリカと遊ぶ」の最終スタッフ打ち合わせ。フェスタスジュニーナスの旗と、七夕の折り紙飾りをみんなで作る。どうやら同催しの日本人参加希望者は、申し込み開始2時間で定員に達するという人気ぶり。スタッフ一同、意を決し腹をくくる。 |
| 1997年6月13日(金) | 「秋桜」という映画を見た。輸血感染HIV患者の少女の話である。伯国は米国に次いで、HIVキャリアが多い国として知られている。同国におけるHIVを取り巻く環境や教育は、日本のそれとどう相違するのだろうか。 また、“Martinho canta Martinho”(BMG7432145304)なるMartinho da vilaの新作を発見。以前話したSimoneの“Café com leite”と曲順までほとんど同じ。きっとタイアップ作品なんだろう。 あれよと言う間に、クエルテンは全仏優勝。サンタカタリーナ生まれの20歳の今後に期待。伯国でテニス一本槍は、日本の女子高校生が在学中ルーズを一回も履かないで卒業まで我慢する以上に困難なはず。彼の努力が伺い知れる。 |
| 1997年6月 7日(土) | 全仏テニスで異常事態(笑)。ブラジルのグスタヴォ・クエルテンが決勝進出だって。伯国選手の決勝進出は、全仏はじまって以来。健闘を祈る。そう言えば、アルゼンチンのサバティーニって、ブラジル女性歌手のシモーネによく似ていたよね。 群馬県邑楽郡探検を決行。それにしてもここは予想以上に中南米人が多い。“ブラジリアン・プラザ”を始めとする西小泉駅周辺の中南米人対象の店舗を巡った。同プラザは、ブラジルで言えば郊外の小さいショッピングセンターの様。スペースの使い方に「らしさ」が出ている。R354沿いにも他の店が幾つもある。弁当屋“FANTÁSTICO”、自動車修理工場を思わせる“スーペルメルカード”TAKARA”等。帰りに駅前の“POLLO OKEY”のローストチキンをお土産に。6月末の「ラテンアメリカと遊ぶ」のチラシを置かせてもらった。ちなみに上記プラザの掲示板は、有料(2千円/週)ゆえ断念。 |
| 1997年6月 2日(月) | 天皇皇后両陛下がパラー州ベレンのチアトロ・ダ・パスでの歓迎式典に出席された。ピンク色の劇場だ(ったと思う。)。今はどんな状態なのだろうか。
この劇場の向いのカーザ・ジ・スッコで飲んだクプアスーのジュースは美味しかったなあ。ベレンには一見して、インディオの血を引くとわかる人達が沢山いるし、果物は最も美味しいし、民族音楽の種類もバイアやペルナンブーコより多いと思う。ただし、雨と紫外線はめっぽう強い。 ブラジルはファッションの最先端を行く国だと私は確信している。今でこそ、日本でもチビサック(??財布と手帳くらいしか入らない、小さなディパックみたいなの)を見かける様になったが、黒のレイバン、赤い口紅、黒のチビTへそ出しスパッツで、チビサックが前になる様に背負って歩く混血女性を見れば、みんなナオミみたいに見えて「こーれーがー、ベーレーンか!?」と、誰でも口を開けたまま“いいひと”状態になってしまうと思う。でも、「いーまー何時でーすーかー?」と私にポル語で聞いて来た、妙子な現地女子学生を、私は決して忘れない。現地人も実はみんな“いいひと”なのである。 |
| 1997年5月31日(土) | TOYONOさんのブラジリアンライヴを聴きに行った。お客は、東京のエスコーラの(と思しき)方々ばかりであった。彼女の存在は知らなかった。彼女は、リオの“モシダージ”でダンサーの経験があるらしい。どおりでスタイル良いわけだ(脱線脱線!)。サンバ・MPB・ボサノヴァ等の歌どれをとっても、聞き取り易いポル語だ。ブラジル物を歌う歌手で艶のある声は日本人では特に希有だ。頑張って欲しい。遠くから応援します。バックの二人は、有名人。源之新さんのパンデイロは今日も超絶で、加々美さんもギターが巧かった。 |
| 1997年5月30日(金) | 西麻布のヴォーカルハウスで行われた、友人の臼田道成君のライヴを聴きに行った。彼はPOPS歌手だが、ブラジル音楽をも歌う、数少ない歌手の一人だ。オリジナルに加えてミルトンやジョビンの曲等を歌ってくれた。バーデンの“ビリンバウ”の後の彼の一言。「今日はサバスでなくて、僕のに来てくれてありがとう。」 そう言えば、天皇皇后両陛下が、アルゼンチンとブラジルの両国訪問に出発された。途中ルクセンブルグに立ち寄るとのこと。同地の高戸夫妻は元気でやっているだろうか?まさか、ヘピとスルドでお迎えってことはないよね。 |
| 1997年5月27日(火) | 銀座のY楽器店で面白いCD-ROMをゲット。“BRAZILIAN PERCUSSION AXÉ"(IK MULTIMEDIA PRODUCTION srl) ブラジル音源集だが、MIDIでなくて、これだけ遊べるのを私は知らない。感動。詳しくは、www.venturanet.it/ikmへ。デモ版のダウンロードも出来る様だ。善は急げ! |
| 1997年5月24日(日) | PAPETEという打楽器奏者が最近出したCD“BERIMBAU E PERCUSSãO"(UNIVERSAL SOUND CD7)は音楽も良いが、パトリック・ナイトという写真家による、ライナーノーツの写真も興味深い。5人の子供たちが家の玄関前で写っているものは傑作。こっちを向いている最右の少年のシャツをよく見てみると、日本語で「レディ…年来日時のライブ…実況録音…」とある。別の少年は、昔流行った「三本線のジャージ」。少年達及び写真家は何を訴えたかったのだろうか。
昨年SérgioMendesのプロデュースで、“Jóia”(PSCR-5455)を出して、周りを驚かせた元ウインクの相田翔子。この度新作“Luz”(PSCR-5603)を発表した。日本のブラジル音楽シーンを支える面々の他、Romero Lubamboの名が。 |
| 1997年5月23日(土) | なな何と、8/9にボサノヴァ誕生40周年オフィシャルコンサートが日本で開かれるですと。ヴァンダ・サー、ジョビンファミリー、イヴァン・リンスやジョイスまで出演するって。スゴイ! |