NEON COMEDIA
EVANGELION


EPISODE 1:Strange Taste

 がやがやがや。
 普段人の少ないこの時間帯に、「ねるふ」は人でいっぱいになっていた。
 一体いつ連絡を取ったのかは不明だが、近所の暇人が残らず集まっていたのである。その理由は、
「カレー大試食会」
 であった。ちなみに集客率の理由としては、その前に「無料」の二文字がくっついていたのが原因に違いあるまい。
「なぜ僕はここにいるんだろう」
 いったん自室に引っ込んだシンジも出てきて頭を抱えていた。
「なにしけたツラしとんや!」
 横からシンジをどやしつけるのは悪友の鈴原トウジである。
「おのれの色気も素っ気もない食堂に、あないな美人が来たて、何で言うてくれんかったんや!」
「そ、そんなこと言ったって、ついさっき来たばっかりで……」
 必死に弁解するシンジだが、トウジはそんなもん聞いちゃいない。
「くうーっ、女と言えば口うるさいおかんにじゃかましい妹にしょーもない同級生ばっかのこの界隈に、こないな美人の来る日が来ようとはっ!……おぉケンスケ、お前そのビデオいつの間に!」
 更にその横では、これまたシンジの悪友のケンスケが早速その美人――ミサトの料理風景をビデオに収めるべく奮闘している。
「まーたく、男の子ってどーしてあーなのかしら!」
 その様子を離れたテーブルから見ていた少女がさも呆れたといった風に呟いた。
「カレーの試食会に来たってのに、鼻の下なんか伸ばしちゃって!」
「そう言うのなら、気にしなきゃいいのよ」
 その隣の、やはり女の子がくすくす笑いながらそう言った。
「アスカってばすぐむきになるんだから」
「ヒカリがのんきすぎんの!」
 アスカ、と呼ばれた女の子がもう一方のヒカリ、と言うらしい女の子にかみついた。
 さて……
 厨房ではテーブルの喧噪をよそに、真剣な調理が続いていた。
 もちろん調理はミサトが一人で行う。ゲンドウは横でじっと見ているだけだ。ちなみに冬月は成り行きでゲンドウの横に立っていた。
 ふつふつと煮立つ鍋をのぞいていたミサトの目がかっ、と見開かれたかと思うと、矢継ぎ早にいろいろなものが放り込まれて行く。鍋の中には褐色のソースがゆったりとたたえられ、時折具材の姿が浮かんでは消える。そして――ミサトは唐突にガスの栓を閉めた。額の汗を拭い、晴れやかな顔でゲンドウに告げる。
「葛城流スペシャルカレー、完成です」
 ゲンドウは重々しくうなずき、口を開いた。
「手際は見事だ。味を見よう。客にカレーを配ってくれたまえ」
「はい」
 ミサトは次々と皿に炊きあがった見事な白飯をよそい、カレーをかける。配るのはシンジの役目になった。
 見た目にはどこにでもあるカレーとした見えない。だが無料(ただ)のカレーである。普段ろくなものを食っていない近所のミュージシャンもどきなぞは感涙にむせんでさえいるようだった。
「シゲル……泣くこたあないだろう?」
「マコトォ……おれ、肉食うの半年ぶりだよぉ……」
「肉、入ってるか?」
 ざわめきが一層高まる中で、ふと冬月はゲンドウの方を見た。ゲンドウはポケットからロケットのようなものを出して、じっとそれを見ながら――ささやくように言った。
「これを食べれば願いが叶う、かもしれん。もうすぐだよ、ユイ」
 ユイ、と言えば、シンジが3つの時に死んだゲンドウの妻の名だが……
 冬月はとりあえず何も言わずに、テーブルについた。

「このカレーはここにいるコック志望、葛城ミサトさんの腕を見るためのものだ。みなさんには忌憚のないご意見をお願いしたい」
 ゲンドウはそう言って、ぴーんと静まった食堂を見渡した。既にカレーはゲンドウの分も含め、ミサト以外の全員に行き渡っている。
「では、召し上がれ」

「いっただっきまーすっ!!」

 言うが早いか、出席者のスプーンがカレーをすくい上げ、めいめいの口へと運ぶ。
 そして、きっちり2秒後。
「う……」
「こ、こら、一体……」
「なによ、これ……」
 ゆらり。
 うめき声が広がる中、隅のテーブルで、青い髪の女の子がものも言わずにぶっ倒れた。
 いや、彼女だけではない。そこかしこで、客がテーブルに突っ伏し始めた。そこまで行かなくても、ほとんどの客が顔を蒼白にし、胃と口とを押さえている。
 タイミングのずれで、たまたままだカレーを口にしていなかった冬月は愕然として椅子から立ち上がった。
「何だこれは?これではまるで話に聞く帝銀事件ではないか!」
 ミサトの方に向き直り、厳しい口調で問いつめる。
「このカレーはいったい何なのかね?!」
「あらぁ?どーなってんのかしら。間違えたつもりはなかったんだけど……」
 しかし、ミサトはのほほんとしたものである。
「何を間違えたのかね。毒薬の配合か?それとも、私と碇がカレーを食べなかったことか?」
「毒ぅ!?とんでもない!これは……」
 さすがに仰天した様子でミサトが反駁しようとしたとき、引き戸が控えめにノックされた。
「失礼します」
 冬月はミサトから目を離さないようにしつつ、引き戸に向かった。
「IDコードをどうぞ」
 引き戸の向こうの人物は変なことを言った。
「L−204、パスコードは125478」
 冬月がそろそろと引き戸の方へ歩いて行く間にも、外の人物は更に一人で変なことを言い続ける。
「入店を許可します。 ありがとう」
 外の人物の独り言がやんだと同時に、引き戸はその人物によって勝手に引き開けられた。引き戸を開けようとした勢いでのめった冬月の目の前にいたのは、髪を金色に染めた(或いは眉をブラウンに染めた)白衣の美女だった。
「ブザマね」
 店内を一瞥するなり、正真正銘忌憚のない意見を述べると、女性は冬月の脇を通り過ぎて、ミサトを見据えた。
「まだこんなことやってたのね、ミサト」
「リツコ!……どうしてここが?」
 リツコ、と呼んだ女性をミサトは明らかに知っているようだった。
「加持くんも修行から帰ってくるわ。いい加減にあきらめなさい、ミサト」
 ミサトは表情を厳しくして目をそらす。
「カレーの作れるコック、なんて張り紙があるからまさかと思って聞いてみれば、案の定あなたらしい女性が話を聞いてたっていうじゃない。やめなさい。あなたのその野望のために、何人の人間を犠牲にすれば気が済むの」
「リツコにはわかんないわよ!あたしは……あたしはね、絶対にあの男を越えてみせる!」
「話の途中に済まないが」
 そこへ突然別な声が割り込んできた。ゲンドウだ。
「あ、碇さん」
 ミサトはゲンドウを見て……はっと目を見開いた。皿の上のカレーが、半分近くまで減っている。そして、ゲンドウの口ひげには、うっすらと褐色のソースが付着していた。
「……ついに見つけた!」
 ゲンドウとミサトの声がそのときハモった。
「あのときのカレーを作れる人を!」
「葛城流の味が分かる人を!」
 リツコはそんなゲンドウを信じられないと言った面もちで見つめていたが、ややあって静かにため息をついて言った。
「……ミサトのカレーが少しでも美味しそうに見えたのは初めてだわ」

「あれは私とユイが知り合って間もない頃だった」
 先に状況の説明を始めたのはゲンドウだった。シンジやその周辺は何とか立って動ける状態にはなっているが、完全復帰にはほど遠い。客の中には痙攣しているものもいるくらいだ。救急車を呼んだ方がいいというのは多分作者のお節介だとは思うのだが……。
「ユイは……碇家自体変わった家系ではあったのだが、変わった料理を好んでいてな。ある日、私はユイの案内で、ユイと共にある店を訪れた。そこはビル街でもないのに小さな入り口だけを残して店舗が地下に埋まっているという、いかにもな店だった」
 話を聞いている人々の中で、二人ミサトとリツコの表情が次第に驚きの、そして理解の色を加えていった。
「ユイはそこのカレーが大好物なのだと言った。私はユイに勧められるまま、同じカレーを注文し、食べた。一口食べて、私は意識を失った」
 客達の間にはっとした雰囲気が広がった。
「気がついたとき私はユイに介抱されていた。だが私の前にはなおもそのカレーがあった。ユイは、『ごめんなさい。あなたには刺激が強すぎたようね』と言った。しかし、私はユイの全てを理解したかった。私は残りのカレーを命がけで食べた。そして食べ終わったその時、私はそのカレーの素晴らしさに目覚めたのだ」
「その店の名は……」
 乾いた唇を湿しながらミサトが問う。ゲンドウはゆっくりとうなずいた。
「『葛城亭』。葛城さん、あなたのお父上の店だ」
「碇さんが父の店を訪れたのは、多分15年前でしょう?きっと、まだ春だったはずだわ」
「その通り。私はあの味が忘れられず、ユイへのプロポーズを終えたその足で一緒に『葛城亭』へ向かった。暑い夏の日、私たちがそこに見つけたのは、差し押さえの紙を貼られたドアだったのだ」
「父は独創料理の天才だったわ。でも、そのために客を呼ぶことを考えなかった。借金のカタに店はとられ、場末で再開した『葛城亭』は周囲から出て行けとさえののしられた。それでも若い見習が入って何とか持ち直すように見えた矢先、父は死んだわ」
 思わぬドラマチックな展開に、客は顔を蒼冷めさせたまま聞き入っていた。
「そうか。亡くなっていたのか……結婚してわずか4年でユイを失った私は、せめてものよすがにあのカレーを探し求めて、だが、得ることが出来なかった。やむなく私はユイの残した財産で食堂を始め、同じ業界のつてを頼って情報を求めた。――しかし、そういうことならあのカレーに出会えなかったのも無理はない」
「父さん……そんなことで食堂を始めたの?う、おえっ」
 シンジは呆然としたように言って、慌てて口を押さえ直した。
「父が死んだとき、私は最初ざまあみろ、と思った。私は父が嫌いだったから。料理のために家族はすっかり捨て置かれたわ。でも、気がついてみたら、私は父にたたき込まれたたった一つの料理を作っていた。だから、私は決めたのよ。あの男を――父を、越えてみせると」
 拳を握りしめるミサトに、リツコが優しく微笑みかける。
「長かったわね、ミサト……でも、加持くんが帰ってくるのよ。流れ板としての修行を終えてね。『葛城亭』再興のために」
「今更何よ……父が死ぬなり、包丁一本持って出ていった男に、今更帰ってこられたって何にもならないわよ!」
「そんなんいうたかて、板前修業は包丁一本で旅に出るもんてきまっとるがな……」
 弱々しいトウジのツッコミは誰も聞いていなかったようだ。
「素直になりなさい、ミサト。あたしに届いたくらいだから、あなたにも届いているはずよ。彼からの手紙。読んだでしょう?まさか、差出人見ただけでゴミ箱へ直行なんて事、ないでしょうね」
「そのとおりよ。あんな奴なんか……」
「ご挨拶じゃないか、お嬢さん」
 そこへいきなり、無精ひげを生やした若い男が姿を見せた。
「加持リョウジ、ただいま帰りました」
「加持くん……どうしてここが?」
「親父さんのカレーにあれほどこだわってたあんただ。カレー作り募集なんて張り紙に飛びつかないはずないと思ったよ」
 どうやら張り紙は何度もいらんところで役に立ったようである。
「『葛城亭』を再興させるですって?加持君、あなたにそんなことが出来るの?」
 冷ややかなミサトの言葉には答えずに、加持は黙ってカレーを小指の先ですくってなめた。一瞬目を白黒させた後、加持はかすかに微笑んで、言った。
「いい出来だ。さすが、親父さんの直仕込みだな……だが、蛙の骨髄を忘れてるぞ」
 ミサトはその言葉を聞いて打たれたようにへたりこんだ。
「蛙の骨髄……それだったのね。どうしても父の味が、私に出せなかったわけは……」
「だが、これなら親父さんのカレーだと言っても通じるさ。現にあんたはそこの人を感動させた。俺は親父さんからの仕込みは5年と受けちゃいない。その分、世界中で死線をくぐり抜けながら修行を積んできた。後必要なのは……親父さんの味を誰よりよく知っている人と、葛城亭を一緒にやっていけるだけのパートナーだ」
 加持はミサトにそっと手をさしのべた。
「お嬢さん。あのとき置いていって済まなかった。償いを、今からさせちゃもらえないかな?」
「加持……くん……」
 ミサトは何度もためらいながら――その手を取った。
「待ってもらいたい」
 そこへまた、横からゲンドウの声が入った。
「そうなると、葛城さんにはうちの食堂に来てもらえないと言うことになるな」
「……済みません。私のわがままで……」
「ほんとうにわがままよ。そのわがままで人を傷つけるのは、これで最後になさいな、ミサト」
「――仕方あるまい。私は葛城流カレーが食べられればそれでよいのだ。葛城さん、それに加持君と言ったな。新生『葛城亭』、楽しみにしているよ」
 ゲンドウはそう言ってふっ、と自嘲めいた笑みを浮かべた。いつの間にか立ち直った人々の間から割れんばかりの拍手がとどろく。思い出の味との再会、そして『葛城亭』再興への第一歩を祝して。
「でも……そんな名店のカレーなら、もういっぺん味わってみようかな……」
 ふと、シンジは呟いた。目の前にはあの凄まじいカレー。シンジはぶるぶると首を振った。忘れよう。これは名店のカレーなんだ。あの味はきっと何かの間違いだ。そうに決まってる。
 何人かの人が、同じく決意を新たにしてカレーを口に運んだその時。
「うぐおおおっ!!」
 ゲンドウがいきなりぶっ倒れた。

「ところで、私は一体どうなったのだ?」
 なんとなくぼやく冬月だった。

 『葛城亭』はその数週間後、昔通りの究極のゲテモノ料理店として、華々しい復活を遂げたという。
 碇ゲンドウがそこを訪れたかどうかは定かではない。

[終]


[予告]

 象牙の巨塔を揺るがすサスペンス。
 ゼーレ記念病院に起こった人体実験の疑惑に、医師達は苦悩する。

次回、「白い天井」


[作者のいいわけ]

 なんとか書き上げては見ましたが、全然キャラを生かせてませんねー。
 レイなんて名前も出てこないし。(でも出てはいるんですよ。分かりましたよね?)次回はもうちょっといろんなキャラに見せ場を作りたいと思ってます。あのキャラを生かしてこそ、新喜劇たる意味があると、僕は思ってますから……
 とりあえず、次回以降にどうぞご期待下さいませ。


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