「古き者達」

[Makoto]

 夢。
 夢が具現した日。
 夢は自分自身を滅ぼして具現する。
 滅んだ夢に自らを維持する力はない。
 夢の見手を巻き込んで、再び滅ぶ。

 ……奇跡が、起こらない限り。

 どたばたどたばたと、廊下を誰かが走る音で目が覚めた。
(……名雪か)
 同居している従姉妹の名を思い浮かべて眠りに戻る。
 はずだったが、枕元からのんびりした声が聞こえてきた。
『朝〜、朝だよ〜』
 名雪の声が録音された目覚ましの音だった。
 どたばたどたばた。
「……残念だが今日は日曜だ」
 とつぶやいて枕元の時計をひっぱたき、ふと違和感にとらわれる。
(……?まいいか)
 余計なことを考えずに寝ることに集中しようと、俺は少し深く布団をかぶり直す。
 どたばたどたばた。
 廊下の音はなおも続いているようだ。
 ばたんっ!!
 遠くでドアの閉まる音がする。
 間をおかずにどたばたどたばた。
 そして今度はごく近くでドアの開く音がした。
 というか、誰かがいきなり俺の部屋のドアを開けたというわけだ。
「……誰だ?」
 さすがに侵入者のいるような環境で安らかに寝てもいられない。俺はひとまず安眠に別れを告げ、部屋の入り口に目をやった。
「祐一っ!何のんきに寝てるのよっ!」
 とまあ、いきなりかみつかれる。
「……知らんようだから教えてやるが、今日は日曜と言って、法律で昼まで起きてはいかんのだ」
 相手が分かった俺は布団に潜り込もうとする。こいつなら多分鵜呑みにして、うまくいけば自分も昼まで寝直す……
「ふん。祐一の嘘なんてお見通しよっ」
 もくろみは破れて、がばっと布団をはがれてしまった。満面の笑顔でそいつがのぞき込んでくる。
「名雪ちゃんは『ぶかつ』だって学校行ってるし、下じゃ秋子さんが朝ご飯作ってるもん。あんたならともかく、あの二人が法律に背くわけがないでしょっ」
「ぐあ……真琴、いつの間にそこまで知能指数を上げた……」
 俺は驚愕と共につぶやいた。
 真琴が姿を消したのが2月の初めだから、家に戻ってきてからそろそろひと月近くなる。
「あんたが寝てる間よ。早起きは三文の得だもんね♪」
 やたら楽しげに言う。戻ってきてからのこいつには俺、名雪、それに秋子さんとで、主に一般常識から教え直したので(俺が教えているとなぜか名雪のつっこみが入るのだが)最近侮れない。
 2月の初めに存在の限界を迎えた真琴だったが、それが3月の終わり頃ひょっこり戻ってきたのだ。真琴がいなくなってもなんとなく居着いていたぴろがひょこっといなくなって、戻ってきたときにこいつも一緒に……と言う寸法だった。
 とりあえず足(ついてる)と体温(冷え切ってるけどなんとかある)を確認して、俺達は真琴の帰りを2日連続くらいで祝った。
 戻ってきたはいいが元が狐では戸籍も何もない。しかし警察その他にちゃんと届け出ると何とかなるものらしかった。無論お役所仕事でやたらと時間はかかるようだが……とりあえず真琴が暮らして行くにはかなり不便がなくなったようだ。衣食住がこの水瀬家でまかなえる、と言うのがかなり効いているとは思うが。
「で、今日は例の丘に行くんでしょ?秋子さんと真琴でお弁当も作ったんだから、さっさと起きなさいって」
「なに?そんなこといつ決まった?」
 俺は驚いてがばと起きあがる。……しまった。つい起きてしまった。
「先週から言ってたでしょ。あと、面白い人を二人連れて行くから楽しみにしてろって」
「……冗談だ」
 ぽふ、と頭に手を載せる。
「あうーっ、なんか子供扱い……」
 不満そうな顔をする真琴。
「とか言って、お前もまだ寝間着じゃねーか。さっさと着替えてこい」
「あう、分かったわよぉ……」
 と言って、真琴は部屋を出ていった。出ていき際に、
「早く降りてこないと、あんたの弁当に例のジャム仕込むわよっ」
 と恐ろしい言葉を残していってくれたが。

 駅前の横断歩道が視界に入ると、早くもその登り口で手を大きくぶんぶん振っている姿が目に入った。その隣にのそっと突っ立っている姿も一緒に目に入る。
「お、いたいた」
 俺が走り出すと、真琴もあうー、とか言いながら駆けだした。
「おー、早いな、二人とも」
「いいえ、佐祐理たちもいま来たとこですよー」
 手を振っていた方の人がそう言ってにっこり笑った。
「……早く来すぎた」
 一方のそっと突っ立っていた方はぼそっとそう言った。
「え……えと……」
 手を振っていた方の人は困った様子できょときょとしていたが、その間に真琴がようやく追いついてきた。
「ぜーはーぜーはー……祐一早いー」
「あ、こちらが聞いてた人ですねっ」
 手を振っていた人はぽん、と手など打って、
「初めまして、沢渡真琴さんですね?倉田佐祐理です。どうぞよろしく」
 ぺこり、と佐祐理さんは頭を下げた。
「で、こっちが舞。川澄舞っていいます」
 佐祐理さんに手で示された舞もぎくしゃくと頭を下げる。
 この二人、ちょうど真琴が失踪していた間に知り合った、俺からはいっこ上の先輩である。こないだ高校を卒業したばかりだ。
 初めは真琴がいなくなった心の空白に二人がちょうど当てはまったような案配だったのだが、舞の「魔物」の問題が片づく頃には、二人は俺にとって、真琴の穴埋めでは、もう、なくなっていた。舞はぶっきらぼうだがこれで存外天然気味だし、佐祐理さんは(少なくとも見かけは)とぼけた呑気な人である。結構先輩後輩を意識せずにつきあえる、いい友達だと思う。
 そんな二人だから、詳しいことはともかく、真琴のことも自然に話せた(元が狐とか言う辺りはひとまずおいて)。で、当然のように、お互いに会ってみたいということになった。
 なんとなく引き気味の真琴の背を俺はぐいと押してやって、
「ほれ。向こうが名乗ったら、こっちも挨拶するのが礼儀ってもんだぞ」
「うー……沢渡真琴っ」
 それだけ言ってぐんっ、と頭を地面に向けて振る……いや、これでお辞儀したつもりだ、当人は。
「……」
 その、頭に。つつ、と近寄ってきた舞がひょこっと手を載せた。……舞という人間はしばしばこういう正体不明の行動を取り始めるので理解しがたいところがある。
「……もう、大丈夫」
 わしわし。
 舞は、真琴の頭をなでた。
「あう……?」
 本人のみならず呆気にとられる俺達。
「お前は、ここにずっといられるから」
 そう言って、舞はまたつい、と佐祐理さんの横に戻る。
「あうー……」
 何がなにやらよく分かっていないらしく、真琴はつぶやいて、乱れた髪を神経質そうにいじっていた。
「えーと、今日は祐一さんが案内して下さるんですよね」
 佐祐理さんはそう言ってにこにこと俺を見た。
「おう。見晴らしがよくて日当たりもいいとこだ」
 実のところ名前を出せば、今年の初めに越してきた俺なんかより、地元の二人の方が知っていそうなところではある。真琴のような常ならざる力を持つ妖狐の伝説を持つ丘──目的地は、ものみの丘である。
「なによー。元はと言えば真琴のお気に入りの場所だったのに」
 横から真琴が文句を付けてくる。
「あいにくだが、昔俺がここの町にいたときには俺のお気に入りの場所でもあった」
 事実である。というか、その場所で俺は狐だった真琴と出会っていたものらしい。
「あうー、真琴の方が先だもんっ」
 ぶすっと膨れる真琴。まあ、真琴は元からそこに住んでいたわけだから、理屈は通っていないでもないが。
「あははーっ、仲がいいですねーっ」
 とまあ、不毛な議論が始まりそうなところで佐祐理さんが合いの手を入れてくれた。こう言うところ、佐祐理さんはとぼけて見えて、結構苦労人である。
「……ずっと立ってると疲れる」
 舞のこれは……素だ。まったくの。
「んじゃそろそろ行くか」
 ものみの丘へは、商店街を通り抜けて裏山の方へ向かう。古い山道を少し登り、道が下りになって視界が開ければ到着である。今日のような暖かい天気のいい日でもさして人出がないのは、山道が下手をすると途切れたように見える箇所が何カ所かあることと、なにより例の言い伝えが効いているのだろう。
 歩き出した俺達だったが、商店街へと道を折れようとするところで不意に舞がいなくなっているのに気づいた。
「なにやってんだ、あいつは」
 こういうところ、相手が年上だとはどうしても思えない。
 道を戻って辺りを見回すと、道ばたに突っ立っている舞が見つかった。
「こら、遠足で単独行動をとるな」
 と言って舞の腕を取る。が、舞はがんとして動こうとしなかった。それどころか、
「……祐一は気づかなかったの」
 と言って、つい、と顎をしゃくってみせた。仕方ないので俺もそちらの方に顔を向ける。と……
 りん。
 向こうの方で坊さんが手に鉢を持って鐘を鳴らしていた。
 低い声なので何を言っているのかは分からないが、無論経文だろう。
 ふと、視界が遮られる。バスが目の前を通っていったのだ。
「で、あの坊さんがどうしたんだよ」
「……分からないならいい」
 そう言って舞は逆に俺を置いてすたすた歩き出した。
「ちょい待てって」
 舞を追いかけて角を曲がったとき、俺はふと周りの騒々しさにいらだちを感じて、
 そして気づいた。
 坊さんは通りを挟んで反対にいた。
 車が何台も通り、騒々しいこの町中で。
 あの坊さんの声は、まるで耳元でささやくように聞こえていた。
「舞、あの坊主……」
「……普通の人間じゃない」
 そう答えて、舞はなにやら楽しげに話している真琴と佐祐理さんに近づいていった。かと思うと、いきなり真琴の肩に手をやって、ぱたぱた、とはたいた。
「はえ?どしたんですか?」
 不思議そうな顔をする佐祐理さん。
「……ゴミがついていた」
 舞はそう言ったが、俺が追いついたとき、ひょいとなにげもなく俺に何かを渡してきた。
 それは。
 まるで金属細工のように綺麗な銀色の、小さな蜘蛛の死骸だった。
 ──この事件の始まりは、多分それだった。

(続く)


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