「古き者達」

[Hunt]

 「それ」は機が熟したのを感じた。
 獲物に与え続けた不安感は、充分に獲物の気力を削いでいる。
 厄介なのは舞とかいう常ならざる力を持つ女だが、その対策は済ました。
 頃合いだ。
 「それ」はついに獲物にその足を伸ばした。

[Raid]

 まとわりつく蜘蛛の糸の感触を気色悪く思いながらも、俺は水瀬家への道をひた走った。
 まず、真琴の無事を確かめたい。
 その上で蜘蛛との決着を付ける。
 そう思ってたどり着いた俺を出迎えたのは──
 だらしなく開け放たれた玄関だった。
 知らず、背筋を嘘寒いものが駆け上がる。
 玄関に飛び込んで、最初に目に留まったのは、正体不明の塊だった。……いや、どこかで見たことがあるような……
 躊躇していると、塊がうめき声を上げて身じろぎした。
「……な、ゆき?」
 ようやく思考が戻ってきた。正体不明の塊に見えたのは、うつ伏せに倒れている従姉妹だった。長い髪がざんばらに広がって、妙に見えていただけだ。
(まさかこんなとこで寝てるんじゃなかろうな……)
 と思いながら、とりあえずひっくり返す。その手にぬるりとした感触が伝わる。
「あ?……血、か?!」
 名雪の額が──割れていた。
「おいっ!!名雪っ!!起きろっ!!寝てる場合かっ!!」
 ゆさゆさと揺すると、名雪はゆっくりと目を開けた。
「あ……ゆーいち……」
「どうしたんだよ一体!!何があった?!」
 名雪は顔をしかめて、
「よくわかんないよ……部活から帰ってきたら、部屋に上がる前にチャイムが鳴って……ドア開けたらいきなりごちん、て目の前で火花が散って……それっきりだよ」
 蜘蛛……か?それとも強盗か何かだったのだろうか?
「秋子さんと真琴は?」
「……お母さん多分買い物……真琴は……部屋だと思う」
 確かに、秋子さんの靴はないし、真琴の靴は残っている。
「とりあえず、立てるか?」
「ん……」
 名雪は顔をしかめたままゆるゆると立ち上がる。一応肩を貸してやって、
「とりあえず顔洗え。救急車呼んでやるから」
「うん……」
 名雪を洗面所に放り込み、119番に電話。
「いいか、ドアスコープで見て、知り合いか救急隊員でなきゃ開けるな!心配だったら110番にも掛けろ!」
 洗面所に怒鳴って、2階へ駆け上がる。そのままの勢いで真琴の部屋のドアに体当たりする──
 いない。
 2階の部屋のドアを片端から開ける。
 どこにもいない。
 蜘蛛だ、と、俺の中の「力」が告げていた。
 一足、出遅れたのだ。
 遅かったとは思いたくない。
 俺は再び一階へ駆け下りる。
 ぴぽぱと電話に向かっている名雪に、
「済んだら、傷冷やして、横になってろ」
 言って台所へ飛び込む。
 金物が要る。
 「力」が、蜘蛛と渡り合うには鉄の刃が要ると俺に教えた。
 舞じゃあるまいし、剣だの刀だのはないから、少しでも刃渡りの長い包丁を選ぶ。
 ──心許ない。
 俺は一番長い包丁を手に自分の部屋へ戻り、以前舞と共に「魔物」と戦ったときに使った木刀を引っぱり出した。その先に包丁の柄をぐるぐる巻きに紐で縛り付け、紐の上からありったけの瞬間接着剤を塗りたくった。
 即席の槍もどきが出来上がる。
 使い物になるとも思えないが、気持ちだけでもないよりましだ。
 得物を手に階下へ戻る。名雪はソファーに横になって、タオルの上からアイスノンを当てていた。
「祐一、なにそれ」
 目を丸くして言う。
「真琴が……誘拐された。今から助けに行ってくる」
「だめだよ、誘拐だったら警察だよ」
 慌てて起きあがろうとする名雪を手を伸ばして止め、
「まともな相手じゃないんだ。俺が──行く」
 名雪の返事を待たずに、俺はきびすを返した。
「──鍵、掛けて行くからなっ」
 玄関先で怒鳴って、ドアを開ける。
 後ろから、
「祐一!!無茶しちゃだめだよっ!!」
 名雪の声を聞いて、俺はドアを閉めて鍵を掛け、その鍵を新聞受けに放り込んだ。
 空を見上げる。
 天蓋を隠す白いもやの中に、太い筋が、一本、二本……
 その集まる中心に、果たして奴がいるのか。
 ふと、筋の一つが消えた。
「狐たちも……始めたな」
 やはり「力」が、そう告げる。要蜘蛛を潰すことで、蜘蛛の巣がひとつ、またひとつ、ほころびて行くのだ。
 一本の筋を俺は目で追った。延びて行く方向は──駅前。
「よしっ!!」
 得物を手に俺は駅前を目指し走り出す。
 一本ずつ、天空を走る忌々しい筋は消えて行く。
 筋の先に──蜘蛛がいるのか、それは、分からない。
 だが、蜘蛛は常に、獲物を捕らえた網の状態を知るための糸を持っている。確かなのはそれだけ。
 蜘蛛にたどり着きたければ、糸を手繰るしかないのだ。
 不意に、強い風が吹いた。
 見上げると、青く澄んだ空がのぞいている。
 蜘蛛の巣が妨げていた空気の流れが、巣の弱体化に乗じて巣を跳ね上げたのだ。
 空に雲がむくむくと延びて行く。急激な空気の流れが時ならぬ雷雲を呼んだようだ。
「今がチャンスかっ」
 俺は「力」を使いながら距離を稼いだ。
 蜘蛛のまやかしほどではないが、今の俺は物騒な得物を周りに分からなくするくらいのことはできる。
 休日の駅前。騒騒とたゆたう人、人、人。
 あやかしの気配は……ない。
「違ったのか……?」
 舌を鳴らし、俺はぐるりと辺りを見回す。と、
「祐一……さん」
 か細い声が聞こえた。ばっとそちらへ振り向くと──
 狭い、裏路地への入り口辺りに、見知った顔があった。
「佐祐理……さん?」
 ひどい様子だった。服が破れてまではいないが、あちこちが土で汚れ、腕や足には細かな擦り傷が無数に出来ているようだ。
 慌てて、佐祐理さんに駆け寄る。
「どうしたんだよ?!」
「あははー……真琴ちゃんが、こっちにふらふら、入っていくのが見えて……」
「真琴が?」
 真琴は……蜘蛛に連れ去られたのじゃないのか?
 いや、ひょっとすると、糸を掛けられ、引きずられたのかも知れない。
「そ、それで?」
「変だなって思って……後をついていったら、怖そうな人にけ飛ばされちゃいました。佐祐理、けんかとか苦手なのに、ばかですよねーっ……」
 ……おかしい。
 佐祐理さんの言葉を聞く限り、真琴の失踪と蜘蛛はまるで関係ないかのようだ。
 これも、蜘蛛の詐術なの……か?
「で……その、怖そうな奴らが出てきたのって、どの辺なんだ?」
 俺は佐祐理さんの背後の、饐えた臭いの漂う路地に目をやる。
 途端。
 びたんっ!!
 咄嗟のことに、俺はその音が、ビルの壁と自分の背中がぶつかって立てた音だとも気づかなかった。
 一瞬遅れて痛みが背中じゅうに走ると同時に、何が起こったのかを知る。
 佐祐理さんが、俺の両肩をビルに押しつけていた。
「祐一さん……おいたはだめですよ……」
 その瞳が──金色に光っている。
 既にそれはひとの目ではない。
「真琴ちゃんは、贄として、選ばれたんですから……」
 華奢な佐祐理さんの体で、どうやってこんな力が出せるんだ……というほどの力で、俺の両肩はビルの壁にぐいぐい押しつけられる。両腕がしびれる。からん、と音がしたのは……得物が手から落ちたのか……。
「ですから、祐一さんは、佐祐理と、ずっとここにいるんですよ」
 瞳を金色に染めたまま、佐祐理さんがにっこりと微笑む。
「さ……さゆりさん」
 俺はぎしり、と骨のきしむのを感じる。
「あんたが──蜘蛛だったのかっっっ!?」
 答えるように、佐祐理さんの背中から、八本の銀色の脚が飛び出した。

(続く)


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